廃校図書館、3099年夜 このページをアンテナに追加

2017-11-16

日記

11月14日、
アート・ブレイキーを聴いている。高校生くらいの時、アート・ブレイキーのドラムが好きで、何枚か買った。その時から、あまり聴いていない。時に思い出したように、‘モーニン’や‘チュニジアの夜’を引っ張り出してきて聴く。気持ちいいドラム。左右に少しぶれるような。今(この時)はブレイキーの金属質なドラムはあまり好きじゃない。それを言うと、ジャズのドラムの音は大抵金属質なのだけど。スネアのチューニングを上げ過ぎな気がするし、シンバルを使いすぎる。もうちょっと木の音みたいに叩いて欲しいな。あるいは僕がロックの音に慣れ過ぎているんだろうけれど。それにしてもドラマーのリーダー・アルバムっていいな、って思うんだ。いつも裏方みたいに思われている楽器が、「裏方じゃないんだよ」って、えっへん、ってしているみたいで。ジャズ・ドラマーではマックス・ローチが好きだ。とんとことん、っていう音のするドラムだから。

レディオヘッドを聴いている。安心する。イン・レインボウズ。永遠に続く夜明けのようなアルバム。きらきらと続く夜明け。とても明るい綺麗な場所にいられるような気がするんだ。トム・ヨークは若い頃、とても傷付きやすそうな若者だった。今の彼を見ていると「傷付かなくたっていいんだよ」って言っているみたいだ。体型も少し丸くなって、本当に楽しそうに踊っている。夢みたいな光の中で。‘イン・レインボウズ’はレディオヘッドのアルバムの中で一番カラフルだと思う。夢に分け入っていく。ロックとは自由であるということ。

夜。アトムズ・フォー・ピースを聴いている。肉感的なのと無機質なのが混ざったような、冷たい凶暴性を湛えたグルーヴ。

それからレディオヘッドの‘A Moon Shaped Pool’。素晴らしいアルバムだ。もう百回以上聴いていて、聴くほどにいいアルバムになる気がする。白い空気を感じるアルバム。と言っても、‘OK Computer’のように乾いた空気じゃなくて、湿って、有機的な感じ。水が跳ねる感じ。それからプラスチックみたいに加工された玩具の入った箱の中身を、無重力空間に開くような感じ。


11月15日、
朝。昨日から眠れないので、『2001年宇宙の旅』を見ていた。もう何回も見ているけれど、見る度、訳が分からない。でも、何か綺麗だからぼんやり見てる。

今日は、薬を抜いてみたのでしんどい。夜驚症みたいになってる。


11月16日、
YouTubeで、ビートルズの曲の、ポールのベースだけを聴いて過ごす。それからジョン・レノンヘルター・スケルターでのベース。悪くない。

弾き語りで何曲か歌って過ごす。空虚感に襲われる。不安。歌が下手すぎる。ギターも。声質にもいいところが無い。不穏感。心が冷え切っている。尚も歌う。グランジ風に歌うと何故か結構歌える。僕の声が多分グランジに向いているからだ。綺麗な声で歌おうとすると、全然声が出ない。でも本当は綺麗な声で歌いたいんだ。

暗い気分だ。

ストロベリー・フィールド(5)

 古い本特有の、かびのにおいがする。入り口付近に長方形の十人掛けの机が六つ並んでいて、その一番奥の一番端の席にたった一人の先客が座って、分厚いペーパーバックを読んでいた。彼は、机の上に置いてあった眼鏡をかけて、僕たちの方を見たが、またすぐに外して、読書に戻った。入り口傍の、もともとカウンターだった場所には、電源の切れたコンピューターが置かれていて、その周りには何冊かの文庫本が散らばっていた。間宮はその内の一冊(赤毛のアン)を取ると、ぱらぱらと捲った。興味があるのかどうかは分からない。
 僕は先客、達阿木くんの前に何も言わずに座って、とんとんとん、と指先でリズムを取った。達阿木は微動だにせず、「二都物語(A Tale of Two Cities)」に読み耽っている。もう終盤、あと六分の一、というところ。
 僕の隣に、間宮が並んで座り、
「このひと、誰?」
 と呟いた。
「は? 彼に会いに来たんじゃないの?」
「違うよ。私は読書人には近付かない。大体読書家って変なひとが多くてさ」
「僕だって、結構本読むけれど」
「そうそう。君が好例」
 じゃあ僕以上に本を読む間宮は何なんだ、と口には出さず、思いながら、僕は達阿木の方を見た。彼はちらちらと僕たちの方に目をやりだしていて、そして明らかに間宮がいるのに動揺している様子だった。眼鏡を取る指が軽く震える。それを誤魔化すかのように反対の手でシャツの襟を直すかのような動作をするが、逆に襟がめくれ上がってしまう。達阿木はいつも通りの、真っ白とは言えないけれど、まずまず清潔で丁寧にアイロンをかけられたシャツに、やや青みがかった黒のスラックスという近年稀な模範的学生スタイルを維持し、洗顔に余念の無さそうな陽に弱そうな肌や、耳に少しかかる程度の長さに切られたやや色素の薄いナチュラルな髪型も、そのイメージに拍車をかける。しかし、眼鏡は、
「くっ」
 と隣で間宮が笑った。
 そう、達阿木は何を勘違いしたのか(いや、彼はいつだって大まじめなのである)セルロイド製の丸眼鏡を愛用している。間宮のチタンフレームの眼鏡が知的な印象に一役買っているとするなら、こいつのセルロイド・ロイド眼鏡は、まるで、顔に「馬鹿」と書くために掛けているような印象を与える。宴会の道化役か、それならまだしも罰ゲームで掛けさせられているような。しかもこいつの眼鏡は正真正銘(これも間宮とは違い)、伊達だ。
「こんにちは。達阿木くん」
 僕は努めて平静を装って言った。
「こ、こんにちは。か、か、かか、可愛いお嬢さん」
 達阿木は、僕に助けを求めるように、嵐の海に翻弄されるクラゲのように激しく目を泳がせながら言った。言いにくいなら、そんな恥ずかしい言葉をわざわざ言わなくていいのに。
「……」
 間宮はそれに無言の満面の笑みで答えた。
「あー、あー、こちら間宮。間宮里沙。それから彼は達阿木……、太郎だ」
「……次郎です」
 達阿木は恥ずかしそうに訂正した。
「そう。次郎。それから太郎でもある」
 一瞬、間が開く。
「ふうん」
 やがて、間宮は得心したように頷いて、
「よろしくね。次郎さん」
 達阿木はしばらく、疲れてぼんやりしたように相変わらず僕と間宮を交互に見ていたが、本をぱたんと閉じて、今気付いたかのように間宮を見て急に驚いたような顔をした。それから今度は僕を見て、二、三度唾を飲み込むような仕草をして、
「そ、それじゃあ、入谷くん、つ、ついに、念願が叶ったんだね」
「念願? 何なに。興味深いですね、太郎さん」
 間宮が低い声で面白がっているのを隠すように言った。
「……次郎です。間宮里沙さん。入谷くんはね、ぼ、僕とは独り身の辛さを語り合う仲だったのです。でも、それも今日で終わりです。お、おめでとう、入谷くん」
 間宮は今では吹き出しそうになっていた。僕はとりあえず成り行きに任せることにして黙っていた。達阿木くんはいよいよ困ったような顔をして、視線は僕と机とを行き来している。間宮は達阿木に向かって、諭すような口調で、しかし笑いながら、
「そこに木があるからといって、森があるとは限らないんだよ、太郎さん」
 と言った。
 達阿木がそこから何を嗅ぎ取ったのかは分からないが、
「そ、そうだよね。入谷くんは、と、年下の女の子を連れて歩くのが夢だって、言ってたものね。ぴぴ、ぴ、ぴったりだよ。間宮里沙さん」それからもう一度、「お、おめでとう」と付け足した。
 間宮は、
「ありがとう」と言って、それから軽蔑したような目付きで僕の方を見て、棘を適量以上に含ませた声で「お前、確信犯か。俺は年下なのか。え?」と言った。
 達阿木は間宮の鋭い口調にびびったらしく、おどおどと本に戻るかのような仕草をした。が、会話中に読書を再開するのは失礼だと思ったのか、また手を眼鏡にやって、ずれてない眼鏡をずらしてしまった。僕は段々彼に申し訳ないような気分になってきて、
「そういや、さっきはドアを開けてくれてありがとう」
 と話題を変えた。
 しかし達阿木はきょとんとした表情で、
「ドア? ドア、ドア……。ああ。あ。え? ドアは勝手に君たちが開けて入ってきたんじゃないか」
 と言った。
 間宮が僕の袖を引っ張って、
「違うよ。太郎さんはずっとここに座っていたもの」それから図書室の奥を示して、「多分向こうからちょうど誰か入って来たんだよ。ほら、見えたでしょ。ここのドアは、奥のドアが開くと、こっちのも一緒に開くようになっているの。セキュリティが固いんだか甘いんだか分からないね」
 と言った。
「でも、誰もいないみたいだけど」
 僕が言うと、達阿木が、
「た、多分、君たちがいるからびっくりして逃げ出したんじゃないかな。ほ、ほら、彼、臆病だから」
「彼?」
 と僕が言うのと重なるように、
「ごめんなさい」
 か細い声がして、すぐ近くの本棚から、女の子が顔を出した。僕と間宮を素早く見て、それから達阿木の後ろに音もなく駆け寄った。軽くウェーブのかかった長い髪。人形のような顔に、人形のようにすらりとした白い手足。僕は思わず間宮の方を見た。
「何、比較してんだよ、馬鹿」
 と目一杯忌々しげに呟いた間宮は、それでもすぐに女の子の方に向き直り、特に驚いた様子もなく、
「奇遇だね。いやー、似合ってるよ。その服、もう着られないし、君にあげるよ。ノエルくん」
 エロそうなオヤジ口調で言った。
 ノエルくんと呼ばれた少女は、
「どうしても、これじゃないと駄目ですか」
 と、しかしまんざらでも無さそうに尋ね、
「駄目です」
 間宮が答える。その時達阿木くんが初めて、女の子の方を振り向いて、
「うわぁ」
 と、椅子から十センチほど飛び上がり、それから文字通りひっくり返って、転げ落ちてしまった。
「ど、ど、ど」
 眼鏡の位置を直しながら達阿木くんは「ふわぁっ」とも「ぐわぁっ」ともつかない不思議な声を出した。
「だ、だ、あぁ! 理川くんじゃないですか!? どうしたいですか、の、そ、その格好」
 そして、それに劣らず不思議な言語を喋った。
 理川くんと呼ばれたノエルくんは、本棚の方まで後退りながら、少し気まずそうに、学院のロゴ(MとNの文字が絡み合って、その上に鳥が止まって、イニシャルを守るように羽を広げている)の入ったタイを両手で弄って、
「だって制服ですよ」
 と言った。
 間宮は、達阿木くんの反応にすっかり気を良くしたらしく、いつもよりは心もちトーンの上がった声で、
「入谷くん、紹介するよ。こちら、自称プリミティブ・ドラマーの理川くん。理川ノエルくんなんだよ」
 僕は、いまだに口をぱくぱくしている達阿木くんを見て、それから幾分顔を上気させてこちらを見ているノエルくんを見て、それから存在感の無い胸を張っている間宮を見て、言った。
「ノエルって、また中性的な、ありがちな名前だな。どうせ名付け主はお前だろ」
「本名です」
 そう言って、ノエルは頭に手をやって、長い髪の毛を取り去る。その下から、限りなく白銀に近い金色のショート・ヘアーが現れる。
「ああ、なるほど」
 要領を得ないままに、とりあえず僕が言うと、
「いえ、髪は」ノエルは慣れてきたのか、喋り方に抑揚が出てきて、少年らしくなった声で僕の意図を察するように「趣味で脱色しているだけです。もともと金色に近くはあるんですが。目の色は逆に、コンタクトで黒くしているんです。これも趣味ですね」
 警戒心を解いたのか、明晰な口調で喋り始めたノエルとは対照的に、達阿木くんはよろよろと椅子に腰かけ、頭を抱えるような仕草をしていた。あるいは本当に頭が痛いのかも知れない。
「大丈夫ですか」
 と言ったのはノエルで、達阿木くんを見るときには申し訳なさそうに軽く目を伏せた。どちらかというと念願が見事に叶ったのは達阿木くんの方なんじゃないか、と思えるように、達阿木くんの状態の回復と共によそよそしさは消えて、どこか親密そうな空気が作られていた。
「達阿木くんと、えっと」
 僕が言いよどむと、ノエル(彼? 彼女?)は短く答えた。
「ノエルでいいですよ」
「……ノエルは、知り合いなの? 友達、なんだよね」
 達阿木くんは、眼鏡の位置をマイクロ単位で真剣に直し、それからなぜか背筋をぴんと伸ばして、
「僕は、り、理川くんに、べ、べべ、勉強を、教えて、てるんですよ」
 と少し誇らしそうに言った。
「で、でも、しる、知らなかったなあ。理川くんが、女の子だったなんて」
 先ほどから、にやにや笑って見ていた間宮が、あはははと声を出して、それから余っていた空気を全部吐き出すように、
「女の最大の欠点は男のようになろうとすることにある」
 と一息に言った。こいつの格言は的を射ているのかどうか、そもそも正しい的を狙っているのか、いつも今一判断が付かない。
 ノエルは、それにも中立的な笑みを浮かべて、
「達阿木さんはとても教えるのが上手いんですよ」
 と言った。達阿木は、ほてった顔を、窓の外の涼しげな光景(ゴッホが好んで描きそうなうねったポプラの樹々が窓の外には続いている。いや、ゴッホは糸杉だったかな)で冷やそうとするかのように、そちらをしきりに見やりながら、もごもごと何か分からないことを呟いた。
「ところで」
 僕はそもそものことの始まりを思い出して、間宮に尋ねた。
「間宮はノエルに会いに行こうとしていたんだよね」
「そうだよ」
 間宮が答える。僕はノエル(彼女(?)は今では達阿木の隣、間宮の真向かいの席に腰掛けている)を見て、
「それでノエルは間宮に会いに行こうとしていたんだよね」
「そうですね」と、そこで言葉を切って、ノエルは手に持ったウィッグを被り直す。途端、彼女は全ての人形の理想型のような姿になる。まったく、間宮がこんな格好をさせたがる訳だ。「というより、間宮さんと入谷先輩の二人に会いに行こうとしていたんです」
「僕? 何で僕に?」
「ほら」とノエルは言って、一瞬考えるように上を見て、目を瞑った。長いまつげが繊細そうに揺れる。「ぼくは、一週間ほど前から『ヴァインランド』に住んでいるんですよ。あれです」
 と言って、達阿木が見ていたのとは反対の窓を指す。
 晴れかけた空。それと見慣れた巨大なUFOの端が見える。なるほど、そう思って見ればノエルはどこか人間じゃないみたいだ。
「最上階の南のフロアからは(そこは今はまだ使われてないんですけど)屋上にいる間宮さんがよく見えます。それから姿は見えませんけれど、窓を開ければ入谷先輩の声も聞こえます」
 そう言って、少し詫びるように笑ってみせる。僕は率直に感心して、
「へえ」
 と出来るだけ機械的な相づちを打った。
「それで、ぼくは探検のような感じで、ひとりでここまで来ていたんです。ぼくは大抵、本館の三階で過ごしているので、そこからはここを通るのが一番早いんです」