廃校図書館、3099年夜 このページをアンテナに追加

2018-04-16

つらつら


どんなことでも許せそうな気がする。デジタルとエレクトロニカの世界では。言葉には意味がなければならない、とか、イエス(キリスト)は奇跡を起こしたか起こしてないかのどちらかだ、とか、そういう統一論者的な思考は、パープルに粟立った脳内感覚の空間の中では、どうでもよくなってしまう。アンフェタミンがあまり効いていない。私はもともと薬が効かない体質なのだ。(ちゃちいおもちゃだ。)(いいえ、言い直そう。愛おしいおもちゃだ。世界は。)私はピンク色のアニメ画質のプラズマ画面から生まれた。十年前のこと。そろそろアンフェタミンを止めようと思っている。けれど、アンフェタミン無しの朝は最悪で、身体が地下三階の倉庫に打ち棄てられた、壊れたゼンマイ仕掛けのオートマタになったみたいに感じる。(眠りに戻りたいけれど、身体はそれに反発する。)これから人間として体液の通う存在になり、人間として精神の階層を三階分上るためには、私は薬の瓶に口を付けなくてはならない。正確にはそれに煙草が二本。正確にはそれに十五分の仮眠。
窓を開け放すと、渦巻くような風がなだれ込んできた。世界中の洗濯物がはためくような風。ベランダではマロニエの木が、過剰な喜びを表現するように、わさわさと揺れている。私はデジタルのドアから七年近く隔絶されていた。

無価値で無能で、不可能性に満ちていて無意味な存在。それが私たち。完璧な世界。それはちょっとした道具立てで離れもし、密接に自分のものになったりもする、微妙なバランスの上に成り立ったものだ、と私たちは考えたがる。でも、それは違う。私たちはいつだって、完璧な世界の中の、完璧な存在だ。
世界はとても無意味に光っている。日常生活に荒れ果てた、暗く親しい精神世界にも、光は流れている。

誰でも、死ねるのは一回だけだ。



混乱。温かい手があれば。生温かい手じゃなくて。

寂しさは、世界を木琴みたいに響かせる。

好きな人を、物理的に鎖で縛っておくことは出来ない。縛られたい人もいるだろうけど、それは多分特殊な性癖で、大抵の人は、愛されて、かつ自由であることを望むだろうから。でも、愛する方は、相手が自由であると、気が気じゃない。自分から相手が離れていってしまわないか心配になり、自分が知らないところで相手がしていることの妄想で頭がいっぱいになってしまう。追いかけると逃げてしまう。魚と同じように。何の気なしに隣り合って泳ぐ魚同士のようになりたい、という幻想は、成立する前に破壊されてしまう。何の気なさを装うお互い同士が、実はお互いを監視している状態は、自然に、簡単に形成されてしまうから。

薬を大量に飲んで寂しさを忘れる。

幾人かの人を個々に思い浮かべると、彼ら/彼女らが生きていることが、とても遠く、とても綺麗に見える。

澄んだ意識で、眼に湖を湛えて。



私は完璧を求める。

私は深い赤、暗い赤が好きだ。それから虹色が好きだ。

私は完璧を求める。

私は統合失調性感情障害あるいは自閉症スペクトラムではないと思う。
ずっと、自分は境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)だと思ってきたし、今でもそう思う。そしておそらく双極性障害を併発していると思う。

自傷癖は19歳の時から続いている。痛みが欲しかった。最初はベルトやハンガーで裸の上半身を叩いていた。ハンガーが折れて腕から血が流れたとき、僕は温かさを感じて、それからはハサミで、叩き切るように、腕を切るようになった。血塗れになるのは嬉しかった。とても明るい気分になれた。

深い場所に行きたい。信頼出来る誰かと共に。

憂鬱症。僕は14歳から慢性的な憂鬱に蝕まれ続けている。

深い場所に行ける音楽を……

左腕は100針くらい縫ったと思う。でも、切っても縫わない時の方が多かった。左腕の肘から先は、万遍なく自傷跡のケロイドで覆われている。自傷ではなく自殺するために付けた、左手首の傷が一番深い。

19歳の時、不意に働ける気になり、バイトを三度、始めてはすぐに辞める。それで入った数万円は薬に使う。同じ頃、一時期、習慣的に万引きをする。多くは、読みたくもない雑誌。一番高額な物でデジタルカメラ。赤を好むようになる。ラッキー・ストライクを吸い始める。コンビニでクレジットカードを盗み、10万円分の買い物をする。買ったのはヴィンテージの椅子とデュポンのライター。また、親の金をよく盗む。

静かな場所が好きだ。また、「静かな場所が好きだ」と心から言える状態が、好きだ。なのに私は、時に出来うる限りの喧噪を望む。ごたごたした色合いに気持ち良くなる。

20歳から23歳の間、私は正常だった(と私は思う)。

24歳からは殆ど引き籠もっている。

ここ数年間は慢性的に抑鬱状態なのだけど、それでも、突発的に気分が昂ぶることが一年に一度か、二度あった。数日間、遠い場所の、嵐のまっただ中に、一人っきりで立っているような、目も眩むような感じが続く。やがて、疲れ始め、不安が心を占めてくる。その嵐を、私は正しいと感じる。

リチウムは飲みたくない。

2018年に入って、私は急速に回復してきている、と感じる。数年前、調子が良かった(と私が判断する)時期、私は体重が64キロほどあった。それが23歳の時、10キロ減った。30歳になって二ヶ月で、一時的に体重が一気に20キロ増え、また一ヶ月で10キロ減った。

疲れ。



私は数や石や言葉が好きだ。

私は、私が私じゃないのが好きだ。

私は、空っぽが好きだ。

empty

私は、感情が好きだ。

私は、人間の肉体が好きだ。

私は薬が好きだ。

身体が解れていくのが好き。

全て薄れて消えていくのが好き。

今があるから。

私は、私がいないのが好き。

Break on through to the other side.

(自分って何なんだろう、と思いませんか?)


煙草は自分の居場所。

幼時の頃から下痢と中耳炎には悩まされ続けている。


帰りたい。

名前の無い存在になりたい。


私は浴槽が好きだ。


ビートルズが好き。特にジョン・レノンが。‘HELP!’までの5枚は殆ど聴かない。ただし、‘HELP!’に収録された‘Yesterday’だけは別格に好き。‘Rubber Soul’からの7枚はどれも好き。しかし特に好きな1枚を選べと言われたら‘White Album’を選ぶ(もっとも‘White Album’は2枚組なのだけど)。



向こう側が透けて見えそうなくらい冷たい意識の中。私は何かを無くして死にたいと思っている……嘘、私は何かを残して死にたいと思っている。



感情が、身体を引き摺って、やっと生きている。ゾンビを動かしているのは欲求ではなくて郷愁だ。生に何の意味がある? 生に意味は無い。全く無意味に生きていて、全く無意味に願ったりする。全く無意味に笑ったり、笑い合ったりする。世界がどんなに壊れていて、心がどんなに汚れていて、精神が灰色でも、音楽は存在する。音楽は最上の、密接な出会いだ、と例えばジャズを聴いていると思う。音楽は多分最上の、あの世での出会いだ、つまり最上のファンタジーだ、と例えばゲームやアニメのサントラを聴いていると思う。音楽は男になれない男の、女になれない女の、最上の生き方で、ギターは美しいガラクタを集める汚れた魔法の箒のようだと、ロックを聴いていると思う。血の出た指先。凍り付いて結晶化した、永久凍土の中のサクラの花片。そしてもっと優しい、今は失われた永遠の日常。



椎名林檎を聴いている。三枚目。このアルバムだけが好きだ。ビールを飲んでいる。麒麟の、ビールではないビール。好きなアルバム(曲)にはいつも、世界が終わるような雰囲気がある。RadioheadのOK Computer、いつも二曲目で何もかもが終わってしまう。だから三曲目はあんまり覚えていない。  自分だけの世界にいつでも、好きなだけ引き籠もれたらいいのに。個人の部屋まで社会と繋がっているという感覚は、耐え難いものだ。ビールを飲みながら、日本の何処かで、マンションの高い部屋で、ベランダを開け放して、椎名林檎の三枚目を聴いている人が、この瞬間、いるはず。個人の感覚が、隔絶されているから、それ故に、何かが共有されている、という感覚。

私たちは、(no)、私は、空白の中に生きている。スウェーデンに行ってボーイフレンドとアルバムを作りたい。

赤はあまり自由な色じゃない。でも、不自由な色でもない。赤は制約の強い色で、そしてその制約の中では静かな、大きな自由が約束されている。そういう色。
強い、暗い、瞑想的な色。
泣けもしないくらい、目を見開いて孤独なとき、宇宙の真ん中で、それでも人間の温度を感じられる色。

死後の世界には何も持って行けない。大事なものも、みんな消えてしまう。「消えて欲しくない」という願いだけが現在を形作っているのならいいのに。

(消失の形式。それが永遠。……私は永遠を求めている。)……私の中の論理。



僕は世界の全てを許せないのかも知れない。許したことにして生温かい笑みを身に着けて順応したくない、怒りを忘れないでいたい、という気持ちがある。また同時にそれは子供っぽいことだと思う。世界は僕にとって、行き場の無い場所だった。怒りを収めるのは多分、身体的な疲れからだろう。怒るのは疲れる。

好きなことをしていたい、と思う。自分を捨てるゲームをしたい。両手両足をひとつずつ失っていきたい。誰かに僕の肉体の一部を捧げられるなら尚いいし、それが誰にかは分からなければもっといい。

今までの自分を全部否定したくなる。ある程度でも過去の自分を肯定するためには、他人を少しは否定しなくてはならないからだ。「結局は自分が全部悪かったんだ」と思うことには、いい効能がある。「他人の悪意」とか「他人の鈍感さ」という処し難い成分を、思い出の中に持ち込まなくて済む。何か、巷では、生きていたら段々自分のことがどうでも良くなくなって行くみたいだ。自分のことなんかどうでもいい、と思えることは幸せなことだと思うのだけど。段々、自分を捨てて他人を思い他人の幸せを願うことが恋愛なのではなく、他人を自分の生活とか人生に受け容れていくことが恋愛になっていくのだとしたら、人生はとても寂しいものだ。



私の部屋の、私のクローゼット。
ありがたいな、と思う。
15年間も、私のクローゼットだった。

自分の苦しさにかかずらっている間は幸せだよ。
重症の入院患者のように。
自分で自分の部屋の花を生けて、
それから天井を眺めて、
自分は、花を残して、多分、死んでいくんだと思える内は。

永遠とは、道の険しさ。
誰でも許せると思うときに、誰かに許されないと、
段々誰かを、誰も、許せなくなってくる。

あるいは、許せないことで、支え合っている。


生とは一時的な死。

人は、多分、日常という死地を求めている。

何処に産まれても良かった。
MLBの公式野球ボールを買う(Amazonで)。

気持ち悪いくらいに秋、
私は生きる覚悟をした。


全ては消え去る。
私は詩集を一冊残して死ぬだろう。
多分、それ以上は何も残せない。

全ては消え去る。
そして春の夜だけが残る。
最終的には、中也の詩集だけが残るだろう。


春なのに、
冬の、病院の匂いがする。



出来れば、誰にも優しく接したいと思う。好意を示せたら、と思う。

小さな、潰れたレーズン。

世界の電気の総量と同じ。停滞していたら無いのと同じ。愛とは。

(「多分君は、本当の僕を見て、嫌うだろう。本当の僕を見て、「それは本当のあなたじゃない」と言うだろう。」)

私は私を、成長過程にある、脆い子供のように思う。



ひとり遊びに熱中する子供のような心持ちで生きられたら。どんなにいいだろう。

僕たちは金属のハシゴを登っていた。

自由と死は似ている。

「本当はいろんなことを感じてみたいと思っている」彼女は言った。「カラフルなこと。海から産まれた匂い。……何もかもを。電子に還元せず。……生活は、そのままで宇宙。どこに行くのでもない、また、どこから来たのでもない。……でも、私は、世界をモノクロの平面に押し留めたいと思っている。あまりにも自由になると、私が消えてしまうのではないか、と怖れている。」



眠気、だけどお湯の中に蕩けていくような快感。私は神さまを信じない。信じていればよかっただろうか?(腕のサイズを測る。)甘い。饗応の匂いがする香水が欲しかったな。

気持ちと一体になれたらいいのに。骨を削る匂い。人生が終わる寸前の声が聴きたい。

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