廃校図書館、3099年夜 このページをアンテナに追加

2018-05-10

日記

5月8日、
夜中、零時過ぎ、
自分の好きな世界。小さな温かい世界。ひとりでいられる世界がいつもあって欲しい。僕は人間関係に緊張しすぎる。小さな世界。ニック・ドレイクがいて、中也がいて、好きな、温かい言葉たちと絵があって。……今はくまおり純さんの画集とpomodorosaさんの画集を見るのが、とても好きだ。安心する。またよしさんの画集も好き。密やかな世界。真夜中、人知れず、ネットもあまり見ないで、文章を書いている。雨の音と、キーボードのカタカタという音だけが響いている。

緊張するのも嫌いじゃないんだ。緊張を避けて、漫然と過ごしていると、自分が本当には何を求めているのか、分からなくなってしまう。すごく緊張するのは酸欠に似ていて、その時、自分の心にとって、酸素となるものが何か、死活問題みたいに分かる。緊張している時は強く寂しい。寂しい時は表面的な綺麗さなんてどうでも良くなる。自分と同じ寂しさを擁している人や物に敏感になる。息をついて、息を吸って、吐いて。ニック・ドレイクを聴いて、それから今はグールドの弾く『ゴールドベルク』を聴いている。

それから……、ジョイ・ディヴィジョンを聴いている。緊密なドラムが緊張感にシンクロして、頭がくらくらする。落ち着く時も多いのだけど。身体の感覚が飽和していく。
すとんと落ち着けたらいいのだけどな。

未明、
緊張はお腹の中に蟠っている。一時間くらいベッドに横になっていると、ふっと、何もかもがどうでもいい、というか、とても孤独で、気持ちいい時間が、少しの時間訪れた。でもまたすぐに、緊張が戻ってきた。

朝、
見える世界、聞こえる世界、がただ当たり前にそこにあるものとしてある。そういう時間は、僕にはとても貴重だ。いや、本来はそれが自然なのだと思う。そこにあるものが、ただそこにあるもの、として見えること。音楽が、ただ音楽として聞こえること。邪推や憶測に満ちていなくて、ただ、A=Aである世界。言葉は、ただ言葉であり、印刷された絵は、印刷された絵として、そこにある世界。

頭の中の、そして感情の、焦点が合っている状態。自分の求めているものがぴたりと分かる状態。

曖昧なのは、もう嫌なんだ。確信を以て奏でていきたい。まず、言葉を。格好いい言葉や、難渋な言葉に、走らずに。自分が求めている単語を、文章を、メロディのように、リズミカルに、淡々と書き付けていきたい。

今朝は、いつものように、沢山の鳥が鳴いている。鳥の声は、いくら重なっても不協和音にはならないので不思議だ。楽器も、そんな風に、音色が重なって、心地いい空間を作れるような使い方を出来るといいな。二十年間、この部屋で相変わらずの、高速道路を走る、車の音。遠い感じがして、ここが、ここではない何処かと繋がっている感じがして、高速道路の音は好きだ。でも、いつも好きだったわけではない。何を聞いても不幸な音にしか感じられない時があって、車で走る人たちも、きっと暗い神経を抱えて走っているのだろう、と想像するのを止められない時期があった。今は、辛い人もいて、楽しい人もいて、それは僕には分からないけれども、いろいろな人を乗せて、車は、走っていく、と思う。ここではない何処かに向けて。

朝はいい。ゆっくりと煙草を吸っている。キーボードの音もどこか湿っていて、落ち着いて、少し眠く、ぱたぱたと文章が書ける。買いたい物がいろいろある。気に入った服が欲しいし、シンセサイザーやアンプやMacBookが欲しい。不安が無くなって欲しい。

昼、
昨夜から、寝ようとしては、覚醒と区別のつかない睡眠を十分くらい取って、すぐに目が覚めてしまっている。不安なんか何にも無い、と一瞬思ったり、疲れと不安でいっぱいになってしまったりする。全体としては、この頃僕は精神状態が良好になってきていると思うのだけど。これで一安心、とはなかなかいかない。・・・リチウムを飲む。

半日、音楽を聴いていない。ずっと雨音を聴いていた……。

午後三時、
少し音楽を聴いた。iPodに音楽を大量に入れていて、しかしその殆どを、今は聴きたくないし、これからも聴きたくならないだろう、と思う。とても不安だ。不安じゃなくて、自己の心に纏まりがあるなら、どんなにいいだろう。そうなる為にどうすればいいだろう? ……リチウムを飲む。……

午後八時半、
三時間くらい眠った。もう少し眠りたい。


5月9日、
午前十一時、
起きて、三時間くらいぼーっとしていた。風の音と鳥の声、それから川の音が聞こえる。煙草を吸っていたら、何だか何もかもがうまくいくような気がしてきた。

世間にはつまらないニュース。つまらないニュース。

身体の半分がずり落ちていくような感覚。身体が飽和していくような感覚。


5月10日、
未明、
いろんなことを思い出していた。楽しい、という感覚を、明確に取り戻しつつある。個人的に、自分なりに楽しい、という感覚を。それさえあれば、生きていける気がするんだ。眠って、、眠れば明日が来るだろう。明日が来れば、よく眠れて、起きていて、すごく楽しいだろう、と思う。こんな風に、もう一度思える時が来るなんて、長い間、思ってもいなかった。やはり、僕は(上がり下がりがありながらも)順調に回復しているのだろうか。いいサイクルに入れますよう。明日が楽しみだ。おやすみなさい。

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