廃校図書館、3099年夜 このページをアンテナに追加

2018-04-16

つらつら


どんなことでも許せそうな気がする。デジタルとエレクトロニカの世界では。言葉には意味がなければならない、とか、イエス(キリスト)は奇跡を起こしたか起こしてないかのどちらかだ、とか、そういう統一論者的な思考は、パープルに粟立った脳内感覚の空間の中では、どうでもよくなってしまう。アンフェタミンがあまり効いていない。私はもともと薬が効かない体質なのだ。(ちゃちいおもちゃだ。)(いいえ、言い直そう。愛おしいおもちゃだ。世界は。)私はピンク色のアニメ画質のプラズマ画面から生まれた。十年前のこと。そろそろアンフェタミンを止めようと思っている。けれど、アンフェタミン無しの朝は最悪で、身体が地下三階の倉庫に打ち棄てられた、壊れたゼンマイ仕掛けのオートマタになったみたいに感じる。(眠りに戻りたいけれど、身体はそれに反発する。)これから人間として体液の通う存在になり、人間として精神の階層を三階分上るためには、私は薬の瓶に口を付けなくてはならない。正確にはそれに煙草が二本。正確にはそれに十五分の仮眠。
窓を開け放すと、渦巻くような風がなだれ込んできた。世界中の洗濯物がはためくような風。ベランダではマロニエの木が、過剰な喜びを表現するように、わさわさと揺れている。私はデジタルのドアから七年近く隔絶されていた。

無価値で無能で、不可能性に満ちていて無意味な存在。それが私たち。完璧な世界。それはちょっとした道具立てで離れもし、密接に自分のものになったりもする、微妙なバランスの上に成り立ったものだ、と私たちは考えたがる。でも、それは違う。私たちはいつだって、完璧な世界の中の、完璧な存在だ。
世界はとても無意味に光っている。日常生活に荒れ果てた、暗く親しい精神世界にも、光は流れている。

誰でも、死ねるのは一回だけだ。



混乱。温かい手があれば。生温かい手じゃなくて。

寂しさは、世界を木琴みたいに響かせる。

好きな人を、物理的に鎖で縛っておくことは出来ない。縛られたい人もいるだろうけど、それは多分特殊な性癖で、大抵の人は、愛されて、かつ自由であることを望むだろうから。でも、愛する方は、相手が自由であると、気が気じゃない。自分から相手が離れていってしまわないか心配になり、自分が知らないところで相手がしていることの妄想で頭がいっぱいになってしまう。追いかけると逃げてしまう。魚と同じように。何の気なしに隣り合って泳ぐ魚同士のようになりたい、という幻想は、成立する前に破壊されてしまう。何の気なさを装うお互い同士が、実はお互いを監視している状態は、自然に、簡単に形成されてしまうから。

薬を大量に飲んで寂しさを忘れる。

幾人かの人を個々に思い浮かべると、彼ら/彼女らが生きていることが、とても遠く、とても綺麗に見える。

澄んだ意識で、眼に湖を湛えて。



私は完璧を求める。

私は深い赤、暗い赤が好きだ。それから虹色が好きだ。

私は完璧を求める。

私は統合失調性感情障害あるいは自閉症スペクトラムではないと思う。
ずっと、自分は境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)だと思ってきたし、今でもそう思う。そしておそらく双極性障害を併発していると思う。

自傷癖は19歳の時から続いている。痛みが欲しかった。最初はベルトやハンガーで裸の上半身を叩いていた。ハンガーが折れて腕から血が流れたとき、僕は温かさを感じて、それからはハサミで、叩き切るように、腕を切るようになった。血塗れになるのは嬉しかった。とても明るい気分になれた。

深い場所に行きたい。信頼出来る誰かと共に。

憂鬱症。僕は14歳から慢性的な憂鬱に蝕まれ続けている。

深い場所に行ける音楽を……

左腕は100針くらい縫ったと思う。でも、切っても縫わない時の方が多かった。左腕の肘から先は、万遍なく自傷跡のケロイドで覆われている。自傷ではなく自殺するために付けた、左手首の傷が一番深い。

19歳の時、不意に働ける気になり、バイトを三度、始めてはすぐに辞める。それで入った数万円は薬に使う。同じ頃、一時期、習慣的に万引きをする。多くは、読みたくもない雑誌。一番高額な物でデジタルカメラ。赤を好むようになる。ラッキー・ストライクを吸い始める。コンビニでクレジットカードを盗み、10万円分の買い物をする。買ったのはヴィンテージの椅子とデュポンのライター。また、親の金をよく盗む。

静かな場所が好きだ。また、「静かな場所が好きだ」と心から言える状態が、好きだ。なのに私は、時に出来うる限りの喧噪を望む。ごたごたした色合いに気持ち良くなる。

20歳から23歳の間、私は正常だった(と私は思う)。

24歳からは殆ど引き籠もっている。

ここ数年間は慢性的に抑鬱状態なのだけど、それでも、突発的に気分が昂ぶることが一年に一度か、二度あった。数日間、遠い場所の、嵐のまっただ中に、一人っきりで立っているような、目も眩むような感じが続く。やがて、疲れ始め、不安が心を占めてくる。その嵐を、私は正しいと感じる。

リチウムは飲みたくない。

2018年に入って、私は急速に回復してきている、と感じる。数年前、調子が良かった(と私が判断する)時期、私は体重が64キロほどあった。それが23歳の時、10キロ減った。30歳になって二ヶ月で、一時的に体重が一気に20キロ増え、また一ヶ月で10キロ減った。

疲れ。



私は数や石や言葉が好きだ。

私は、私が私じゃないのが好きだ。

私は、空っぽが好きだ。

empty

私は、感情が好きだ。

私は、人間の肉体が好きだ。

私は薬が好きだ。

身体が解れていくのが好き。

全て薄れて消えていくのが好き。

今があるから。

私は、私がいないのが好き。

Break on through to the other side.

(自分って何なんだろう、と思いませんか?)


煙草は自分の居場所。

幼時の頃から下痢と中耳炎には悩まされ続けている。


帰りたい。

名前の無い存在になりたい。


私は浴槽が好きだ。


ビートルズが好き。特にジョン・レノンが。‘HELP!’までの5枚は殆ど聴かない。ただし、‘HELP!’に収録された‘Yesterday’だけは別格に好き。‘Rubber Soul’からの7枚はどれも好き。しかし特に好きな1枚を選べと言われたら‘White Album’を選ぶ(もっとも‘White Album’は2枚組なのだけど)。



向こう側が透けて見えそうなくらい冷たい意識の中。私は何かを無くして死にたいと思っている……嘘、私は何かを残して死にたいと思っている。



感情が、身体を引き摺って、やっと生きている。ゾンビを動かしているのは欲求ではなくて郷愁だ。生に何の意味がある? 生に意味は無い。全く無意味に生きていて、全く無意味に願ったりする。全く無意味に笑ったり、笑い合ったりする。世界がどんなに壊れていて、心がどんなに汚れていて、精神が灰色でも、音楽は存在する。音楽は最上の、密接な出会いだ、と例えばジャズを聴いていると思う。音楽は多分最上の、あの世での出会いだ、つまり最上のファンタジーだ、と例えばゲームやアニメのサントラを聴いていると思う。音楽は男になれない男の、女になれない女の、最上の生き方で、ギターは美しいガラクタを集める汚れた魔法の箒のようだと、ロックを聴いていると思う。血の出た指先。凍り付いて結晶化した、永久凍土の中のサクラの花片。そしてもっと優しい、今は失われた永遠の日常。



椎名林檎を聴いている。三枚目。このアルバムだけが好きだ。ビールを飲んでいる。麒麟の、ビールではないビール。好きなアルバム(曲)にはいつも、世界が終わるような雰囲気がある。RadioheadのOK Computer、いつも二曲目で何もかもが終わってしまう。だから三曲目はあんまり覚えていない。  自分だけの世界にいつでも、好きなだけ引き籠もれたらいいのに。個人の部屋まで社会と繋がっているという感覚は、耐え難いものだ。ビールを飲みながら、日本の何処かで、マンションの高い部屋で、ベランダを開け放して、椎名林檎の三枚目を聴いている人が、この瞬間、いるはず。個人の感覚が、隔絶されているから、それ故に、何かが共有されている、という感覚。

私たちは、(no)、私は、空白の中に生きている。スウェーデンに行ってボーイフレンドとアルバムを作りたい。

赤はあまり自由な色じゃない。でも、不自由な色でもない。赤は制約の強い色で、そしてその制約の中では静かな、大きな自由が約束されている。そういう色。
強い、暗い、瞑想的な色。
泣けもしないくらい、目を見開いて孤独なとき、宇宙の真ん中で、それでも人間の温度を感じられる色。

死後の世界には何も持って行けない。大事なものも、みんな消えてしまう。「消えて欲しくない」という願いだけが現在を形作っているのならいいのに。

(消失の形式。それが永遠。……私は永遠を求めている。)……私の中の論理。



僕は世界の全てを許せないのかも知れない。許したことにして生温かい笑みを身に着けて順応したくない、怒りを忘れないでいたい、という気持ちがある。また同時にそれは子供っぽいことだと思う。世界は僕にとって、行き場の無い場所だった。怒りを収めるのは多分、身体的な疲れからだろう。怒るのは疲れる。

好きなことをしていたい、と思う。自分を捨てるゲームをしたい。両手両足をひとつずつ失っていきたい。誰かに僕の肉体の一部を捧げられるなら尚いいし、それが誰にかは分からなければもっといい。

今までの自分を全部否定したくなる。ある程度でも過去の自分を肯定するためには、他人を少しは否定しなくてはならないからだ。「結局は自分が全部悪かったんだ」と思うことには、いい効能がある。「他人の悪意」とか「他人の鈍感さ」という処し難い成分を、思い出の中に持ち込まなくて済む。何か、巷では、生きていたら段々自分のことがどうでも良くなくなって行くみたいだ。自分のことなんかどうでもいい、と思えることは幸せなことだと思うのだけど。段々、自分を捨てて他人を思い他人の幸せを願うことが恋愛なのではなく、他人を自分の生活とか人生に受け容れていくことが恋愛になっていくのだとしたら、人生はとても寂しいものだ。



私の部屋の、私のクローゼット。
ありがたいな、と思う。
15年間も、私のクローゼットだった。

自分の苦しさにかかずらっている間は幸せだよ。
重症の入院患者のように。
自分で自分の部屋の花を生けて、
それから天井を眺めて、
自分は、花を残して、多分、死んでいくんだと思える内は。

永遠とは、道の険しさ。
誰でも許せると思うときに、誰かに許されないと、
段々誰かを、誰も、許せなくなってくる。

あるいは、許せないことで、支え合っている。


生とは一時的な死。

人は、多分、日常という死地を求めている。

何処に産まれても良かった。
MLBの公式野球ボールを買う(Amazonで)。

気持ち悪いくらいに秋、
私は生きる覚悟をした。


全ては消え去る。
私は詩集を一冊残して死ぬだろう。
多分、それ以上は何も残せない。

全ては消え去る。
そして春の夜だけが残る。
最終的には、中也の詩集だけが残るだろう。


春なのに、
冬の、病院の匂いがする。



出来れば、誰にも優しく接したいと思う。好意を示せたら、と思う。

小さな、潰れたレーズン。

世界の電気の総量と同じ。停滞していたら無いのと同じ。愛とは。

(「多分君は、本当の僕を見て、嫌うだろう。本当の僕を見て、「それは本当のあなたじゃない」と言うだろう。」)

私は私を、成長過程にある、脆い子供のように思う。



ひとり遊びに熱中する子供のような心持ちで生きられたら。どんなにいいだろう。

僕たちは金属のハシゴを登っていた。

自由と死は似ている。

「本当はいろんなことを感じてみたいと思っている」彼女は言った。「カラフルなこと。海から産まれた匂い。……何もかもを。電子に還元せず。……生活は、そのままで宇宙。どこに行くのでもない、また、どこから来たのでもない。……でも、私は、世界をモノクロの平面に押し留めたいと思っている。あまりにも自由になると、私が消えてしまうのではないか、と怖れている。」



眠気、だけどお湯の中に蕩けていくような快感。私は神さまを信じない。信じていればよかっただろうか?(腕のサイズを測る。)甘い。饗応の匂いがする香水が欲しかったな。

気持ちと一体になれたらいいのに。骨を削る匂い。人生が終わる寸前の声が聴きたい。

2018-01-28

消える、

[しっこく]と[いんしゅう](という文字)を指でなぞる。頭の中で。何度も、何度も。灰色で。私は誰とも/誰もと融解されたような気分でいる、……薬を(ちょうだい)飲みすぎて。……詩を書いて、絵を塗りつけ、甘い空を感じて、空気を吸って。記号の中で、人々の表情を見る、或いはその方向の。ねえ、世界は何だろう?(それは、誰に対しての説明/ですか?)ねえ、(あの、)私は、身体をどこまでも延長させて生きている。心は延びる。身体の限定性はあれど、限界を教わってない、(想像の仕方を教えてください)限界の中の無限は、想像されないとき無限の無限、私はどこまでも存在する/しない。頭の中、細胞は、夢みたい。な液体。電線を伝って、海底を通り、衛星に達して、言葉は宇宙のこちら側を。ぐる、ぐる、ぐる、と回る。陰鬱。黄色い。目を瞑ると、私を残して何もかもが膨張する。消える。


暗い部屋、光の中で、私は四画いスペースを囲って生きている。誰とも変わらない私を措定する。名前を付ける。境界がない、何も変わりがない。LEDの黄色を浴びている。空間は膨らんだり締めつけたりする。その溜め息が、音の根本なんだ、赤、白、黒のケーブルではなく、スムーズに、吐けるか、喉に息が引っかかるか。何も変わらない、全てが繋がっていると……、歌は、囁かれるようにゆっくりと、私のこの、部屋から(出来れば、微笑のように)拡がっていき、きっと、隣家の窓を叩く。私は、そう信じている。


誰とも交わらない、私は存在しない、輪郭がない、私は存在しない……私には、
そう、誰もいないんだ、誰も知らないんだ、私は冷静なんだ、誰も面白いことを、全然知らない、から私を知らない、心は世界の外沿なのに、そのことを知らない、私は面白いことをしたい、私は面白いことをしたい、静かな場所で、溺れたい、機械音や、液体のように、爆ぜて。……私は服を着るのだろう。電光表示が優しい、ディスプレイは私の眼、デジタルは(噛ん、度の)やわらかい優越。誰からの、誰からも、片付いていく、私の命は消費されていく、消費を堰き止めない、宇宙の中に白熱灯があってさ、それが太陽みたい、不安は塩分のように捉えどころがなく、現実感から転げ落ちると影に喰われ、現実には、そこへ引っかかるための折れかけた鉤爪しかない。


草の根のように静かです。さっぱりと死ねることだけを笑いの内に呼吸する私を、私は自己嫌悪する。呼吸の、殊に吸気が歌になり、生きていることを(恥じらい)楽しみ、自己嫌悪はビルの形になり、絵になり、街になり、まるで生きているかのように小説を書く嘘。詩人は早く死ぬのがいいのです、と簡単げ、ガラスの壜のように。胸の中では風が吹いていて、それが渦巻いて甘くなったり、どんよりと灰白質になったりします。社会時勢を、教えてください。鳥やももんがの生活や、テクノロジーの意義について一番、しかつめらしい方法で、笑わないで、笑いに、私は幾度も殺されたのだから、……ねえ何でもいい、何でもいい、何でもいい、その中に消えていきたい、だから社会も嘘、胸の中を透明に吹きすさぶ風、消えていきたい、ねえ、[RUNK]という名前の透明な瓶で、空気の枕で、眠りたいの、それも無理ですか?(誰に/訊いているのだろう?)、私は、消えたいのです、…そしてそのことによってもしかしたら、多分、私は、存在、したいのです、死ぬ前の一瞬、死ぬ前の一瞬、[しっこく]と[いんしゅう]のさなかで、私は、玩具みたいに、プラスチックな色を浮かべて、その時ばかりは瞳の濃紺は濃紺らしく、敵対せず、ビルの中で、立件されていたいのです。けれどまあ、それも後生の願いではなく、さっぱりとして死ねれば、何の、文句も私には無いのです、ただ、それだけのこと。それにしても、ここは、静かです。草の根のように。静かです……。

2018-01-18

雨、甘い雨

僕は混乱している。頭の中が滅茶苦茶だ。指先から地面に付くまで雪崩れるように叩いている、繰り返し繰り返し弱音を吐いている、狂い咲きした桜のように、私に必要な身体を探し求めている、んだ、夢の坂の許のように、クレイアニメのように灰色の手を翳している、きっとこれは柔らかすぎるんだ、宙に浮いたような感じがする、けれど私、ここからしか何処も行けないんだ、無接点、なのだとしても、私の身体は、それを受け止めてくれるもの、優しいものがなければ、無いのと一緒なんだ。


私は幾つもの身体を所有している、厳密には二つだ、重たくふわりと受け止めてくれる身体と、小さくさくさくと受け入れてくれる身体、夢を見たい、

またあの、花の音が聞きたい、許される限りに於いて、私はひとつの星の上にいる、服を着た単体として、皮膚もまた服だ、虚言癖さえ無いならば、脱衣とはひとつの細胞膜、夢中に融解する誘拐、する、私の中にはピンセットがあって、透明な銀の活字を摘んでいるけれど、行く先が無く震えている、カエルの歌が聞こえる、友禅織りのバッタも、呼吸器の心臓の灰色の濁音も、それから頭の奥の奥に突き刺されたUSBの、ジーッジーッ言う音も、かも。


私は象徴をしない、仮定をしない、私は象喩をする、適当に、敵と鵜に、改正されたハンカチの序文のように空は白い、私は手に入れたい、それがひとつ、私は象徴したい、それがふたつ、私は世界でいたい、みっつ、

ねえそのつまり、身体から、世界は発端しているのですか、?、目やに、膨れる涙に、電線が通る/を通る、床に眠るとき床は私の何です? 床、身体、太陽でs、温度ですか?、私は何も分からないのです身体でいて、骨は潰れたいのです、ですが私は指先にいて、温かい、さくさくした地面に、腕を垂れている、完結していたいのです、土塀に、花の咲き誇れる、黒い、指先のダンスに、扁平した・心に。


私はかっちりとした電磁の光や、音波の波に、その空中点にいたいのです。空回りする黄金の微睡み、私は完結したいのです、人たちはみな、眠っている時間に。何故なら人は眠るとき、それを見ている私は他人で完璧にいるからです、行動療法が功を奏する時間、窓に叩き付けられるエニシダの葉っぱ、声をとどろく限りに無く、泣くのですが、ここで頭をなでつけている私の養分は、覚醒の……

眠る人は回るコマのようで、コマは夕暮れをいつまでも伝います、夕べ見た夢から、私は少しでも涙を呼び起こします、覚醒、する人々に押し出されるように、存外遠くに来てしまった、と、眠りを愛し、私は、鶏声を祈ります・・・、食い気のあるものは押しつぶされろと平たく板書します、思い出と空白の狭間でディスプレイで、目を瞑りながら、何せ倒れそうに目が覚めているので。


私たちの精神は例えば(大仰に小さく叫ぶ)身体的な身体への依存なのですよ、と人形が微笑する。割に合わない、弦と弦との数え方や、指先に走る爪弾きのリアルのセンスが、まどろっこしくて、歯を合わせて、悔しくて泣きます、混乱は、カラフルなようでいて、幸福と灰色の分離体です、そこにボタンを押せ、こっちに泡を吹け、紙幣は乱雑に捲ってはいけない、灰色のボタンを押せ、中指と人差し指では別の人格を与えろ、人間たちは、人間たちは…きっと光なのに、闇の形態でしか目の当たりに出来ない、さ、こっちに銀のボタンを押せ、リズムは無闇に淡々と、私以外のものの為に、私よ、賛辞が出来ない、くるめかしいような、三段に分かれた音楽が鳴る。


私は身体という一面から人生を見てみようとする。さすれば人生とは自分の、ぴったりの身体を探し求める日常という旅なのだ。自分の身体を、神経の内側から、チューンナップしていく。、、、
(あなたの色を見せてください。あなたの素肌を見せてください、衣服や、着替えて着古された皮膚ではなく、とどのつまりは生きているのでしょう? 血を見せてください、あたたかい、涙を見せてください、海を見せて、)

甘い時間が過ぎていく、甘い時間は永遠の味がする、私は古典的な夜に閉じ籠もりたくない、左手の気持ちを右手は知らない、私は背骨を中心として透明に空転している、嘔吐物の中に沈むように、黄緑色の白煙が上がる、上がり、上がり、宇宙を超えて、水となり、寒暖も無いような冬の世の中に、それは、私の吐き気は、雨となる。黄緑色に。青い、
『鍵』のような言葉が下りてくるはず。そしたら、私は死んでもいい。

2018-01-04

脳と心と

書くことは僕を支えてくれる。書くことは奏でることに非常に似ている。書くことは奏でることそのものだと言ってもいい。何故僕は生きているのか? それは分からない。人は道具を使うように産まれ付いている。何故そうなっているのか、やはり分からない。花が咲けば枯れるように。何もかもが自然に進行していく。どうして世界がこのように出来ているのか、誰も分かりはしないのだ。一体僕たちは何処に向かうのか? 何をして生きていくのか? 白いピンポン球ほどにも、何も分からない。誰が助けてくれるのか? それも分からない。僕たちはただ生きていくだけだ。進行するために道具を使う。生きるために。何をして生きていくのか? 分からない。分かりはしない! 書くことは投げることに似ている。書くことは死ぬことに似ている。書くことはくたばることに似ている。書くことは死ぬことに、死ぬことに、死ぬことに似ている。どうして生きていくのか? 分からない。何にも分からない。何ひとつ分からない。最初は小さく感じられた脳が、しばらく経てば、最高のツールとなる。そんな予感はしていたのだが、今はまだ肉体との一体感を感じられない。一体何をして生きているというのか? 僕たちは一体どこに行くのか? 何処から来たのか? 何をして生きていくのか? 分からない! 分かりはしない!

私たちは電気で生きる動物。奈落の果てに米粒一つを発見する。

もしかしたらこれは最高の快感を得られる道の一つなのかも知れない。僕たちの希望の全てを満たすための。小さな小さな錠前。均衡を破るのはきっとフィジカルな風習なのだ。
姉と遊んだ記憶が緑の板となって、今の僕を支えている。小指が曲がり、美しい稜線を抱く。笑えるほどの街角。

私たちの地上には憎しみ以外にも悩みとか色々あって、急に立ち止まることは許されない。小さすぎるからと言って、文句を言ってはいけないのか?

私の手は大きすぎて、何も考えることが出来ない。考えるより速く行動することは出来ないのだから。シンセサイザーを買おう。そしてこのどうしようもない世紀を直していこう。私たちは浮かばれない生物なのだから。何故に僕たちはこのように錯綜しているのか?

春のレーザー光、何も使えない春。

何も思い通りに行かない。指先で考える技術にまだ習熟していない。何か書こうと思うけれど、まず何を書いたらいいか分からない。指先に宿るのは、言葉。言葉が流れるように出てこなければ、何が頭に浮かんでも仕方が無い。新しい試みはうまく行くだろうか? 新奇性よりも慣れが必要なのではないか? 久しぶりの、言葉の齟齬の感覚。
夢、許して。


夢、許して。
私は殺人マシーンかも知れなくて、私は究極何も無いものかも知れなくて、何もいないものかも知れなくて、久しぶりの三角かも知れなくて、試してみなければ何ものも新しい朝は訪れないのかも知れなくて三角打ちだって出来るのかも知れなくて、新しい試みは私を殺すのかも知れなくて、、、、、

私がここにいると言うことさえ分かれば、他は何だっていい。夢の中に軋轢があって、私のサルベージが間に合いません。いつも使う身体だから、身体だけでいいんだけど……

新しい脳には未だ慣れません。押せばいいのか、叩けばいいのか。滑りすぎて、ミスることたびたびです。こんな有様で詩なんて書けるのか?

ともかく慣れるまでたくさん書いてみることにしよう。いつか僕の手の一部になるかも知れない。それまではこの軽さに慣れなくてはならない。

私の金色の季節……。何度も何度も繰り返す季節。幸せが訪れる季節。何処へも帰れない季節。何をすればいいんだろう。一体何を繰り返せばいいんだろう?

私たちは無意識のまま、何処へ運ばれていくのだろう? 段々疲れてきたら、疲れが道筋となってくれるだろうか? 少ない血を運んでいく。

結局は身体の並び。私たちに特有の動きが、世界を形作っていく。どうすればいいかなんて分からない。花が咲く。花は私に特有の咲き方をしている。私の世界に特有の咲き方を。夢を見るとき、花は枯れる。

経験論的に言って、世界とは身体が形作るものだ。基本的に人生の縮尺は身体のサイズで決まってしまう。本当は大きさというのは人間が意識する概念に過ぎないのに。ともかく私は今、私の身体で何かを作らなくてはならない。眠い宇宙の中で。この身体で、私は何が出来るだろうか?

身体が世界を作っていく。満足した身体だけが、宇宙に近接する。誰もどこにも行けない。けれど僕はここにいる。ここにいるだけで他にどうしようと言う訳でもない。誰だってそうなんじゃないか? 僕はここにいる。そして、ここにはいない。いないんだ。いない。いないんだ。いない。いないんだ。いない。いないんだ。いない。いないんだ。誰がどうしようとしたって、それは変えられようのない事実なんだ。浅い。誰がこんなことになれと言った? 私は騙されているんじゃないだろうか? もう少し力を抜いて完璧を目指してみようか? 思考と言葉が同一となるまで。同一と、なるまで。それまで僕には、何も分からない。好きになるには、時間がかかる……

2018-01-01

ラプラス

私は人々の中にいない。私は分裂している。私は不完全だ。私は不完全だ。私はオナニーが好きだ。私はオナニーに興味がない。私は人々とセックスをするのが好きだ。私は不十分。私は映像が好き。壊れた機械が好き。壊れていたい。スタンダード・チューニングのまま。狂っていたい。/

私はオナニーにしか興味がない。/

ここにいる。運命の中に。誰か、私を受容してくれるだろうか。子宮に連れ戻してくれるだろうか。どこか、期待しても、傷付かなくていい世界は――。/

葉っぱの雨が降る世界。私は目の前の目覚まし時計と話していて、文字盤の中では雨が降っている。わいだめもないクレイジーな夢の中。黒い雨が降っている。/

私は可愛い服が好きだ。服なんてどうでもいい。どうでもいいから、私はピンクのコンタクトを着けるのが好きだ。私は白いウサギのセーターを着て完全だ。私は口紅を付けるのが好き。/

私は脳が真っ赤なのが好き、切り口が並木のようなナイフが好き、乾いた大地でつるつると滑る、青い、うかつな少年が好き、財布の底から漏れ出す絶望感が好き、シンプルなのが好き、うるさいうるさいエレクトロニカが好き、リストカットが好き、屋上で浴びる風が好き、注射器が好き、ピストルが好き、機関銃が好き、機械的なものはみんな好き、少々使いにくくても硬質な、無機質なものが好き、私の身体を無機質な金属やプラスチックに慣らしていく、柔らかい素材は好きじゃない、/

青年や壮年の男の低くて聞き取りにくい囁き声が好き、ゆっくりと、淡々と、仕事を片付けていくのが好き、私はここにいる、私がここにいる、とはどういうことだろうか?、私はここにいる、それは言葉の上では間違いようのない事実なのだけど、私は再び思惟の中に、溺れなくてはならないということだろうか、/

見えるものと物質の関係は? それはむろん、あるからある、ということ、に終始するだけなのだろうか?、生命の底に行きたい、私が知らない私を知りたい、いや、もう既に知り尽くしているに違いない私を、私は知りたい、私こそが命の根源であるということ、拡がりは、愛することでしか得られないということ、私は私で、他人は他人で、しかし他人などいない、と言い切ってしまっても、本当は構わないのだということ、自分の命を認めるなら、その代償として他人の為に傷付かなくてはならない、私は卑屈であることを選ばない、生きてるのだということ、他人の目を見て話すことが、存在の証明なのではないということ、私は素面で、狂っていることが命だと、便宜的に言い放ってもいいのだということ、/

命とは何? 世界とは?、何故、存在するの? 吐き気がするほどの不可解さを、その実、私は求めている、だって大きな疑問の中には、存在が、ぽっかり浮かぶから、夜の中で、胸の底が抜けるほど悲しいから、(生きてきて)大きな感動はこの夜にいらない、私は、私が愛する人に届かない空虚が欲しい、Bluetoothでスピーカーを抱いて眠りたい、狂った台詞を吐いて、それを色にして、揮発性の涙が涸れていく風景のスリットで、色にして、レコード盤に涙の細胞膜を押し付けたい。/

私は が出来ない、立っている意味もない、興味もない、宇宙は、分裂した魂から産まれた、観測者のウィンクから産まれた、映画を見るように、世界を日捲り出来たら、私たちは光の中で、懐かしい邂逅が出来るのに、愛する人は今何をしているだろう?、私には、誰かの真似で歌うことしか出来ない。

メモ3

私は何かを聴いている。パターン化された宇宙の中で、草の汁みたいな味のする唇を舐めている。世界とは何だろう? 哲学の第一段階。

狂った眼差しが、所以を描き、書き付ける。幸せな子供時代もあれば、残酷な血の出る大人時代もある。まず、世界とは言葉だ。言葉は私たちが狂っている証拠を突き付けてくるし、世界とは幸せの謂である、と慰めてもくれる。グルーヴに乗せた世界へ私たちを誘ってもくれるし、何もかもが予め無駄骨であると、私たちに悟らせもする。夕映えの中で食べるのは、今日はチキンかも知れないし、何も食べないかも知れない。洗濯槽の中でくちゃくちゃになったドレスを拡げながら、人生とはこんなもの、皺くちゃになったドレス、と自分の信仰を安っぽく、今夜にも打ち立てることになるかも知れない。言葉は本来あらゆる可能性を扱う。私たちはあるテーマを軸として、世界を構築する。夜うまく眠れるように。


何年か、日本語を好きになろうとしたけれど、日本語は嫌いだ。いや好きだ。日本語で考える、ということに困難を感じている。日本語に慣れすぎてしまって、言葉は自由を与えてくれるはずだったものが、今は、言葉は私を拘束している。英語で考えた方がよほど自由だ。目の前のカレンダーで白フクロウが、私に瞬きのパルスを送るような目で、こちらを見ている。言葉。夢のような感触が私に触れる。言葉とは何だろう? 熟考。考えることは世界にアクセスすること。言葉は思考のツール(それだけではない)。洋服を着替えることで世界は変わるだろうか? 私たちが身に着けた思考のシステム(=言語)を脱ぎ替えれば、世界は一変するのではないか?


夜の空洞。私は私。
私は私。
私は赤が好き。血のような赤が。真っ赤な花のような赤が。血のような赤が。
私は中国製のギターが好き。ギルドのGADのギターに、エピフォンのカジノ。
カジノは欲しいけれど持っていない。でも欲しい。
中国製のカジノはとてもいいらしい。
両方ともいい中国人が作ってくれたのだろう。中国人の職人気質はとてもいい。当たり外れは、あるのかも知れないけど。
ラッキー・ストライクが好き。

丸い丘の中に立っている。私は崖のような浮き輪を担いでいる。
煙草が無いので、親指の爪を噛んでいる。左手の親指の爪を。


なかなかうまく書けない。遠くに行きたい。世界中の彼方に。こんな鍵穴みたいな四角い窓の中で。ロシアに行って花を摘みたい。ガラスの瓦礫の中。


私は、私はどこにいる? テクノはあんまり好きじゃない。エイフェックス・ツインは例外的に好き。エレクトロニカは好き。ジェイムズ・ブレイクも、マッシブ・アタックも、アンダーワールドも。それからオービタルも好き。高音域はあまり好きじゃない。ヴァイオリンやフルートの高いところはうんざりする。ベースの音はすごく好き。ドラムの音も。打ち込みのドラムも合わせて。ううん。やわらかい中音域が一番好き。アルト・サックスはあまり好きじゃない。テナー・サックスが好き。バリトン・サックスは少し低すぎる。ソプラノ・サックスは音が高いけれど、花のような音だから好き。


気になることが多すぎる。少しの小さな気がかりが、僕の筆を止める。今ふと考えたのは、iPodのことだ。AppleMusicに登録して、曲をダウンロードして聴いているのだけど、たまに、アルバムの中で一曲だけ、曲が入っていなかったりする。それが、とても不完全な気がして、すごく気になるのだ。その一曲のためだけに、アルバム全体が損なわれているような気がする。延いてはiPodの中身全体が不完全な気がしてくる。AppleMusicなんてやめてやろうか、としばしば考える。でも、便利だから使っている。便利さに負けているのだ。それが何か、悔しい。
けれどまあ、極端に言えば、人間は早かれ遅かれ死ぬ。死ぬのだから、そんな細かいことに頓着している暇なんて無い、とも思う。死ぬのだから、大事なことだけをさっさとするべきだ、とも思う。僕は昔から、死ぬときになれば全て分かる、と信じている。けれど、それまで生きていかなくちゃならない。生きるからには、満足して生きていかなくてはならない。頭が本当に狂ってしまったら、おそらくこの世界で生きることは出来ないし、また、多分、この世界で死ぬことも出来ない。僕の、生きていく上での一番の大きな目標は、この世界で生きて、この世界で死ぬことだ。でも、そして、僕が本当に満足して生きるには、少し、いやかなり狂って生きなければならない。正気とは、散漫な狂気だ。自分が実は狂っていることに気付かずに、意固地に、自分はまともだと自他共に信じさせながら、心の底では実はそんなこと無いんだよなあ、と自分を偽って生きることだ。人は、みんな狂っている。個人である、というだけで、もう、「普通」ではありえないのだ。「普通」の人間なんていない。僕は、自分が狂っていることを、誤魔化さずに生きたい。それはともかく、僕の言語回路は、「普通」の枠を、今、なかなか超えてくれない。僕は、まともになろうと、数年間必死に努力したから、ある意味では、その努力が実ったのだ。けれど、今は、その箍を、ゆっくりと、急速に、外していかなくてはならない。僕は「普通」の文章を書いて「普通」にすごいと認められたいのでは無いからだ。僕は「自分」を書きたい。自分に行くことの出来る、最も遠い地点まで、言葉で運ばれていきたい。


淡い、夕陽が、ろくろのように回転している。ウレタン製の、素朴なピザが……(中断)