乱暴と待機

本谷有希子作品の面白さを私のようなバカ者では一ミリも伝える事が出来ない事がとても残念である。


私の読書傾向は「イカレタ」という言葉がキーワードになっている。
それは、人であったり世界であったり、雰囲気であったりする。
私なりの解釈でいえば、
滝本竜彦作品は「イカレタ自分に同情してもらいたい」
町田康作品は「自分はイカれてはないが世間はイカれてると自分を言う」
舞城王太郎作品は「自分はイカれている。だからどうした?!」
佐藤友哉作品は「世界も自分もイカれている」
なら、本谷有希子作品はどうだ言えば、
「自分はイカれている。だから、それを逃げ道にして何が悪い!」
と、なる。
開き直っている部分では舞城王太郎作品と似ているが、本谷有希子作品は、開き直った部分に自分からケジメをつけて初めて完結する。自己完結型である。


あらすじ:妹に復讐を誓い屋根裏部屋から妹の様子を覗く兄と、兄からの復讐を願い続ける妹。そんな、二人だけの部屋に同僚の番上と同級生のあさみが上がりこむ事によって、止まっていた二人の世界が動き出す。


感想:本谷有希子作品は共通して人間の下らなさと醜ささと「笑い」である。涙なんて一粒たりとも零れたりしない。
厄介な性格の人間ばかりが登場して、自分の曲がっている醜さを棚に置いて、他人を批判したり罵ったりする。
そうゆう人間ばかりが集まる小説は、ラストになるとその人それぞれに似合ったエンディングが用意されていて、各々が悩みを誰かに助けてもらったり自分自身の力なりで解決する。一般的な作品はそれで合格点を貰える。読者も「よかった」と拍手してくれる。
しかし、本谷有希子は「今まで曲がって生きてきた自分をそんなに簡単に捨てるのかよ」と言うのだ。それこそ、空気を読まずに唐突に。
そして、幸せな気持ちでいた主人公を目覚めさせるのだ。
それ以降の主人公はどれも惨めで汚くて、とてもじゃないがラストを迎えるべき在り方ではなくなる。しかし、そこにこそ人間らしさというか生命力が溢れているのではないかと思う。


作中、ヒロインの奈々瀬はこう言っている。

有終の美。バカだ。そんなもの大切にしてなんになるの。記憶の中で美化されてなんになっていうの。

乱暴と待機 (ダ・ヴィンチブックス)

乱暴と待機 (ダ・ヴィンチブックス)

映画化決定されているらしいので、それはそれで期待してます。(監督が監督なので過度な期待は出来ませんが……)
装画を「トップをねらえ2」「フリクリ」で御馴染みの鶴巻和哉監督が描いています。そこら辺は、本谷有希子氏が「彼氏彼女の事情」や「フリクリ」出演からの経緯でしょうが。出来れば、鶴巻監督でアニメ映画化でも面白いと思うッス。