レジスタンス(抵抗) ・ 議会制民主主義 ・ 主権在民 (2)


現在の日本の政治問題の中心は、「東京都知事選」である。各候補者は、無所属を装っているが、だれが見ても、その勢力図は、自民・公明の安倍政権側と脱原発を掲げる反政権側に色分けされた戦いだ。その意味で、一見、勢力図ははっきりしているように見える。

しかし、はっきりしていない点がある。それは何かと言うと、テーマの「原発再稼働」をめぐる議論と選挙後に動き出すだろう現政権の動きの間には、とてつもない断絶があるということである。現政権も、政治権力を動かす方向が、選挙結果の中に表示される政権への「主権者の信任の多寡」に大きく左右されるからだ。つまり、権力の動向と「原発問題」の是非は、直接には関係がないのだ。

現下の日本で、「主権在民」を問題にすることは、あまり意味を持たないように見える。というのは、主権者の権力に対する意思が、ばらばらであるからだ。真の相手(敵)に対するイメージがばらばらであるということだ。それを、マスコミの情報操作のせいにしていては、主権者の資格を失ったも同然である。

この状況で見えているのは、だれもが知っての通り、反政権側が「脱原発」のテーマで2つの勢力--細川サイドと宇都宮サイド--に分裂していることである。候補者の一本化の動きもあったが、もはやそれは不可能な状況だ。勢力の非統一でどちらか--もちろん細川サイド--が勝つ以外にない状況だ。そこで脱原発サイドの苦戦が取りざたされることになっている。

主権在民とは、もちろん、選挙で各自が任意の一票を投じることではない。国民が実力を持って、権力を制御するということだ。そのためには、国民の「正義」(この言葉を使わざるを得ない)の意思を構築しなければならない。それは数の多寡には依らないが、意思の分裂ではだめで統合の方向になっていなければならない。しかし、これがうまくいっていない。

この政治的閉塞の「空気」の中で、多くの国民は、いら立ちと粗暴な「空気」の蔓延を感じつつある。それがファシズムの土壌だと思われる。つまり、ファシズムの登場は、権力(独裁的な)の作用なのではなく、「主権在民」の主役たちの作用であり、その問題なのだ。

東京都知事選挙で反原発派は勝たねばならない。だがしかし…

ファシズムの登場を常々警告している「反戦な家づくり」の最新記事から一部を引用する。


2014-02-02(Sun)


私が、(反原発派が都知事選に)「勝たないとヤバい」と感じているのは、はっきり言って原発ではない。原発ももちろんあるけど、それ以上に心配なのは、ファシズムに火がついてしまうことだ。

ファシズムというのは安倍晋三のことではない。まして田母神のことでもない。
彼らは火付け役をするだけであり、ファシズムの本体は、不満を鬱屈させた一般の民衆の中にある。
草むらにまかれた灯油のように、一気に火がつき、日本中を覆い尽くす。そうなったら、火を点けた安倍晋三にももうコントロールはできない。

一見普通の草むらに見える光景の中に、不気味な灯油が揮発する匂いがプンプンするのである。
この都議選で反安倍を掲げる勢力が惨敗すると、爆発的に引火する。そう思えてならないのだ。

安倍晋三を支持している者たちは、安倍政権の政策などまったく支持していない。
政策は反対だけど、政権は支持する これがあらゆる世論調査の結果だ。
ただひたすら、火をつけてくれるのを待ち望んでいるのだ。

皮肉なことに、今回、細川支持者VS宇都宮支持者で繰り広げられている「ディズリ」の不寛容な感情の爆発もまた、ファシズムの予兆に一役買っている。私はそういう思いで見ている。
罵倒合戦は、コアな支持者の見解を翻すことはできないし、ソフトな支持者は嫌気がさして投票率を下げる効果しかない。そんなことは、ちょと理屈で考えればわかることなのに、湧き上がる感情を抑えきれないのだろう。

このような、自分の目指す方向と自分の行動があきらかに矛盾するのに、それを抑えることができない。
自分と違う意見を、「俺とは違うけどお前はそう考えるんだな」と受け止めることが全くできない。
こういう状態が、例外ではなく一般的にひろく起きるようになっている。
この心性は、当面の内容は正反対ではあるが、ファシズムの下地とまったく同根であり、おそらくは容易に転換する可能性が高い。

反戦な家づくり」http://sensouhantai.blog25.fc2.com/


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