福島原発被災民自身による事故現認報告



2011年3月11日の東北大地震、同日夜には福島第一原発は、すでに取り返しのつかない事故に発展していた。つまり炉心のメルトダウンが始まっていたのだ。翌日12日朝から、原発周辺の町村住民は自主的に避難を開始していたが、すでに放射能の拡散が始まっていた。放射能を含んだ微小塵が風に乗って流れていたのである。原発の格納容器の爆発はそのあとである。12日の夕方、翌13日の昼である。福島第一原発の周辺住民は、この時どのような情報を得、そしてどのように行動したかは、必ずしも知られていない。

原発立地・大熊町民は訴える」(柘植書房新社、2012))という本は、その間の経緯を詳しく語っている。筆者は原発地元・大熊町の住民で、現在会津若松市内の仮設住宅で生活している木幡仁・木幡ますみ夫妻である。本の帯には次の文句が並ぶ、

原発事故被曝者の生きる権利を、切々と訴える: 全国42都道府県と海外に避難している大熊町民、放射能によって故郷を奪われた人々の苦悩と選択」

筆者の一人の木幡ますみさんは、事故直後から、ばらばらに避難していた大熊町住民の連絡役を買って出て、それを発展させ「大熊町の明日を考える女性の会」を組織した。彼女は今その代表である。

本ブログの筆者は、この「女性の会」の一人から上記の本を数冊を委託されているので、関心のある方には無料でお分けいたします。

関心のある方は、
kobayaciy@gmail.com
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