「武田邦彦のブログ」から

韓国の船長と日本人の魂


韓国の大型客船が沈没し多くの若い人が亡くなった。胸の痛む事故である。この事故では、本来乗客を助けるべき人たち(船長や船員)はごく一部の犠牲的な人を除いて多くは乗客を残して海洋警察に助けられた。このことについて、殺人罪を含む罪状で裁判が行われる気配である。

テレビを見ているとアナウンサーも有識者もこぞって韓国の船長や船員の行動を批判しているし、中には日本の戦争の時の艦長は船とともに命を捨てたと言っていた。

しかし、本当だろうか? もしかすると日本もかつては魂のある国民だったかも知れないが、今もそうだろうか?


福島原発が2011年3月12日に爆発してほどなく、福島県に行っていた大手テレビ、全国紙の新聞の記者は一斉に福島から引き揚げた。

事故が起こってから半年ほどたった時に、私は四大誌の一つの新聞の記者のインタビューを受けた。場所は東京駅に近いホテルのレストランで、彼は椅子に座るとほどなくして「先生、私は人生で一番つらい思いをしました」と言い始めた。よほど胸につかえていたのだろう。

「事故直後、私は福島にいたのですが、退避命令を受けて福島からでました。それから3か月たって、また福島の取材を命じられ、防護服を着て線量計を持ち、福島に入りました。・・・・

そうしたら、そこに普通の服装で普通に生活し、線量率も測っていない人たちがいるのです。聞いたら「テレビが安全と言っているから」と言いました。恥ずかしくなって、人生でこんなにつらい気持ちになったのは初めてです。

その人たちは私たちが「安全だ」という言葉を信じて、そこにいたのですが、「安全だ」といった私たちは「危険だ」ということで退避したのです。こんなマスコミで良いはずはありません。・・・・」

やがて取材が始まったが、彼の苦痛にゆがんだ顔は忘れられない。自分たちが危険だと判断して逃げたのに、同時に福島の人たちに「安全だ」という放送をし、記事を書いてきた日本のマスコミ、そして現在でも当時、マスコミのどこがどの程度、福島から退避したかの報道もない。報道は自らの行動の報道をしない。

ただ、原発の映像が「30キロ地点の固定カメラ」に変わった時が、マスコミが福島から退避した時だということは確からしい。

沈む船の乗客に「安全だから、そこにいてください」と言って船から先に脱出した船員と、福島の人に「安全だから、そこにいてください」と言って福島から総員退避し、定点カメラを残した日本人・・・なにか違いがあるのだろうか?

そのNHKに受信料を払い、新聞を買うのはどういう意味だろうか? 起訴もされていない・・・

平成26年5月15日)
武田邦彦

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音声版:
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