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紺屋風伯のブログ /  forma del viento

elm 1

2014-10-21

福島被曝者に「被曝者手帳」を!(5)

| 02:40 | 福島被曝者に「被曝者手帳」を!(5)を含むブックマーク 福島被曝者に「被曝者手帳」を!(5)のブックマークコメント


「光」はかつて、「陰」に優っていた -その1-


 原水禁署名運動のすさまじいエネルギー 

東京杉並区の区立公民館(旧)を拠点に出発した原水爆実験への怒りのエネルギーはすさまじい盛り上がりを見せた。それは、杉並区という東京の一地方にと止まらず、日本全国へと波及し、ついに世界へとそのインパクトを波及していった。1954年のことである。

この未曾有の市民運動の盛り上がりはなぜ起こったのだろうか。その背景は、複雑でありかつ偶然の積重ねの側面があることは否めない。また、その時代状況から、「戦後性」が深く刻印されているといえる。こういってしまうと身も蓋もないが、この原水禁署名運動は、戦後の初々しく、かつ大きな現実的成果をもたらした輝かしい市民運動の金字塔であり、一大叙事詩であった。

この運動のことを、ここで細々論評することはよそう。一級の一次資料を駆使して、この叙事詩を明快に編み上げた本がある。それは、丸浜江里子氏の「原水禁署名運動の誕生」(凱風社.2011)であり、これは、一級の研究書である。すべての詳細は、これに委ねるべきだろう。

この原水禁署名運動のエネルギーは、一部の開明的な広島市民の運動と連動し、原水爆禁止世界大会・広島大会へと結実していく。広島大会の開催日は、原爆投下の日1955年8月6日に設定された。すでに、原爆の惨劇から、10年を経過していた。これ以降、この世界大会は、毎年8月に広島と長崎で開催されることになっていく。



 ■「第1回原水爆禁止世界大会広島大会-1955」 

この運動機運をきっかけにして、これまでアンタッチャブルであった広島・長崎への原爆投下が何であったのかが、日本で初めて直視されるようになったのである。すでに本ブログで見たWilfred Burchett氏の原爆投下直後の反原発の論陣の再評価も、これ以降行われるようになったのである。

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第1回原水爆禁止世界大会広島大会とその準備会ボスター
共同通信社「戦後20年写真集」より




さらに大事なことは、世界へと突き抜けていった市民エネルギーの高まりを見て、日本政府も原爆投下に関して対米従属を多少修正し、世界大会への参加と被爆者援助へかじを切り直したったのである。此間の経緯については、より慎重に検討する必要があるだろう。だが、光のあったった表の道筋はほぼこのようであったと思われる。というのは、この市民運動は、ヒューマニズムが旗印であり、運動の追及ターゲットは反米であっても日本政府ではなかったのである。つまり、ヒューマニズムの旗は、国際性、人類叡智の価値を持っていやが上にも光り輝かざるをえないのである。たとえ、それが表層の形式性をまとっていても、である。


f:id:kobayaciy:20141015204005j:image:w400:left  この点が、現下の福島での反原発の闘いと決定的に違う点である。現在の状況の方がより厳しいというべきかもしれない。もとより、当時と現在では政治を取り巻くベクトルが異なっている。当時はより単純に「国際性とヒューマニズム」を至上の価値として志向すればよかった。その反対は「反動」であった。しかし現在は、「国際性--ローカル価値」のベクトルの他、「自律主義---他律主義」、あるいは「自由・自律主義--権威主義」のベクトルが加わってきて、政治状況はより複雑化しているのである。かつての左翼右翼の政治動向が見えにくくなっているのは、多分このベクトルの複雑化に由来していると思われる。

この反米に大きく傾斜した日本社会に不安を感じたのは、もちろん米国政府であった。即座にアメリカは動いた。占領時代と全く変わらない手法で、CIAを動かして日本の再取り込みを開始したのであった。それが、「核の平和利用」であり、原子力発電の夢を振りまくことであったのだ。この「影」の側面は、今になってみると、どの切り口から見ても、はじめから欺瞞と謀略に満ちていた。だが、このアメリカの戦略は世界的にも、特に日本では成功裏に進行し、それが現代の「原子力村」の天下と福島原発事故へとつながっていくのであるが、そのれは稿を改めて整理する必要があろう。



 ■「日本原水爆被爆者団体協議会」(被団協)の立ち上げ

翌年の1956年に第2回原水爆禁止世界大会を目指して、被爆者の政治的結集が実現し、「日本原水爆被爆者団体協議会」が結成されることになる。その結成宣言は感動的である。以下に掲載。

結成宣言 = 世界への挨拶
日本被団協結成大会(1956年8月10日)宣言

 原爆から11年あまりたった今になって、私たちは、はじめてこのように全国から集まることができました。あの瞬間に死ななかった私たちが今やっと立ち上がって集まった最初の全国大会なのでございます。今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないで手をつないで立ち上がろうとして集まった大会なのでございます。

 私たちがこのような立ち上がりの勇気を得ましたのは、全く昨年8月の世界大会のたまものであります。あの大会で同胞の皆さんや、世界の皆さんたちにかすかな声が聞きとられて、私たちに温かいまなざしが向けられ愛の手がさしのべられはじめてから、私たちは急に元気づいてまいりました。私たちはこの機会に全世界の皆さんたちに心からの感謝と立ち上がりの決意とを披瀝したいと存じます。

 又、私たちのこの感謝と決意の言葉は、あの瞬間に無残な死をとげ、又、その後のろうべき原爆症でつぎつぎに死んでいった30数万の父や母、息子や娘、夫や妻たちの声なき声に代っての言葉としてお受けとりいただきたいのです。

 私たちは今日の集まりで亡き人々をしのび、又長い年月のかぎりない思いを互いに語り合いました。しかし、私たちの胸につもったかなしみと怒り、悩みと苦しみについてのつきることもない語り合いは、決してひとときのなぐさめや、きやすめのためではありませんでした。手をつないで決然と立ち上がるためにほかなりませんでした。世界に訴うべきは訴え、国家に求むべきは求め、自ら立ち上がり、たがいに相救う道を講ずるためでありました。

 かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります。

 私たちは今日ここに声を合わせて高らかに全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません。破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向わせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります。

 それにもかかわらず世界の現状はかえって水爆競争時代に入ったかのごとく広島、長崎原爆に千倍の威力をもつ水爆の実験さえ行われています。私たちが「止めてくれ」と血の叫びを挙げているにもかかわらず、水爆実験は冷然として行われつつあります。原爆以来放射能の病いのおそろしさに直面してきた私たち、今年になってからだけでも早くも広島、長崎で数名の人たちが放射能の病いで死んでいった姿をまのあたりに見た私たちが、空気や水を放射能で汚染する水爆実験をどうして黙って見ておられましょうか。私たちはもはやいかなる力の前にも黙っていない覚悟です。

 私たちは、遂に集まることができた今日のこの集まりの熱力の中で、何か「復活」ともいうべき気持ちを感じています。私たちの受難と復活が新しい原子力時代に人類の生命と幸福を守るとりでとして役立ちますならば、私たちは心から「生きていてよかった」とよろこぶことができるでしょう。

 私たちの感謝と決意を披瀝して、この大会から全世界におくる挨拶といたします。

1956年8月10日(第2回世界大会二日目)
日本原水爆被害者団体協議会



「被団協」とは、まさに太平洋戦争の終末を告げる広島・長崎への原爆投下による直接の被害を受けた市民の団体ということだ。あれから、すでに11年も経っている。

その間、焼け死んだ者の怨念、放射能の被曝者の苦しみは、声を上げることができなかった。それには、いろいろな状況が働いたであろう。敗戦による失意、あるいは解放感、生活の再建に向けての新たなエネルギーの立ち上がり、その中で被爆者は取り残されていった。決定的なのは、GHQによる原爆被害と放射能被害に対する徹底した情報管理であり、独立後もそれを引き継いだ日本政府の態度であった。しかし、被爆者は団結して状況打開に踏み出せなかったことは、事実である。この点を洗いなおす必要があると痛感する、何が見失われていたのか? と。

実際上は、「光」は外からやってきた。それが東京・杉並区に端を発した「原水禁署名運動」と、その周到に計画された果実である「原水禁世界大会」であった。この市民運動は、人道主義国際主義という「光」に満ちあふれていた。その光に照らされ被爆者は立ち上がったといえるだろう。市民運動には、国際主義は強いインパクトを持つ、特に日本では。

私が、被団協結成宣言で注目するのは、次のくだりである。

「私たちがこのような立ち上がりの勇気を得ましたのは、全く、昨年(1955年)8月の世界大会(「第1回原水爆禁止世界大会」)のたまものであります。
あの大会で同胞の皆さんや、世界の皆さんたちにかすかな声が聞きとられて、私たちに温かいまなざしが向けられ愛の手がさしのべられはじめてから、私たちは急に元気づいてまいりました。」




その後のこの被団協の歩みは、2006年、日本被団協結成50周年行事の一環として、「50年史」にまとめられ刊行された。筆者はまだ、その本を手にしていないが、読む必要があるようだ。

 ■被爆者保護の法制化 

(被団協)が結成された翌年から、今まで放置されていた被爆者保護の体制が厚生省を中心に急速に進むことになる。その概略は、本ブログですでにその一端を取り扱ったのでそれを参照していただけると幸いです。
福島被曝者に「被曝者手帳」を!(2) http://d.hatena.ne.jp/kobayaciy/20140503/1399090817

加筆予定あり。



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