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紺屋風伯のブログ /  forma del viento

elm 1

2016-04-17

shiri an pa kamui 2

| 22:09 | shiri an pa kamui 2を含むブックマーク shiri an pa kamui 2のブックマークコメント



■はじめに
日本はもちろん単一民族国家ではない。聖徳太子の「和をもっと尊しとなす」という精神も、対立と戦乱のある現状を打開するための精神であったというべきだろうし、その精神に基づいて、渡来人の国家である大和朝廷の統治が、西日本では功を奏したことは確かであろう。しかし、日本全体が民族的に単一民族になるはずはないし、政治軍事的に統一を完成したわけでもなかった。

先住民族蝦夷討伐を任とする征夷大将軍が、西暦700年台から延々と江戸末期の1860年台にわたって絶えることなく任官されていたという歴史的事実からも、そのことは知れよう。その征服事業の実態は、これまで必ずしも明らかにされているとはいえない。征服者側の歴史資料しか残っていないことも大いに関連しているし、非征服者側からの資料の発掘は時間が掛かるし、発掘が可能かどうかも定かではない。また明治以降も、日本の先住民族の抑圧と民族の抹殺は衰えることがなかった。

このことと関連して、明治以降、日本の先住民族研究で金田一京助の演じた役割は極めて重要である。もちろん、否定的な役割を演じたという意味で、彼は重要なのである。梅原猛氏が、語気を強めて糾弾しているように、金田一京助そこが現存する純粋な先住民族アイヌの研究の息の根をとめた人物であったのである。その詳細は、いずれふれることにしよう。

アイヌ研究は、近代日本のアカデミズムでは封殺されていたが、明治以降日本にやってきた西洋人によってその研究は絶えることなく続けられた。John Batchelorがその筆頭と言ってもよい。彼の原稿は2000年以降、イギリスで著作集として出版されたのだった。その監修は、コペンハーゲン大学教授のKirsten Refsing である。題名は、Early European Writings on Ainu Culture: Religion and Folklore (Ainu Library Collection) で、この中には、Batchelorの他、Basil Hall Chamberlain、 Neil Gordon Munro等の作品も収められている。

日本国内のアカデミズムでも、最近になって、アイヌ研究、エミシ研究が復活しつつある。金田一の呪縛が溶けてしまったのか、あるいは、そんなものはもはや存在しないかのようである。しかし、ここに至るまでに、たしかに貴重な時間が無駄にされたように思われる。また、世界的なアイヌの研究の主導権を、日本人が取り戻すところまで行かねばならないだろう。

以下で引用する文章は、旧態依然のアカデミズムの呪縛にとらわれない研究者の本からものである。私は、この大友幸男著「日本のアイヌ語地名−東北から沖縄まで-」を布団の中でよく読んだ。もう三度読んだはずだ。

古代人と「木」の信仰
大友幸男

小著はひとりアイヌ語地名の問題に限らず、アイヌウタリの文化を通して、日本列島の古代人の心に迫り、とくに自然信仰に生きた先人たちに学びたいという願いをこめています。

古代アイヌが「木」を神聖視し、信仰の中心にしたことなどは、そのまま現代の日本人が最も大事と気が付きかけている自然保護の考え方に通じます。おそまきながら、古代アイヌの心に戻りはじめたようです。

もっとも、「木」を神聖視した信仰は内地の古代人も全く同じで、「神道」や庶民信仰にその伝統を色濃く残しています。アイヌ信仰とくらべた場合、もとは同じ根から育ったものとみるほかありません。

古代アイヌ信仰に「シランパカムイ」があったことは、バチェラー師も述べていrますが、なぜかあまり注目されてこなかったようです。

語源は「シリ・アンパ」(大地に・ある者=複数形)のようで、この地上に生きとし生けるものになりますが、古代アイヌはその代表を「木」と信じ、「シランパカムイ」を「木の神」としたもののようです。

「木」のない大地は死の世界と同じで、人間を含めた動物が住むことはできません。アイヌの祖神である「アイヌラックル」(半神半人)の母神も「チキサニカムイ」(火の神)で「ハルニレ」が正体と信じられました。語源は「チ・キサ・ニ」(我ら・もむ・木)で、「ハルニレ」で「火きり臼」と「火きり杵」を作り、それを強くもんで火をきり出しました。

内地の古代人は「ヒノキ」(火の木)をおちいて全く同じように火をきり出しましたが、現在も神事として残っています。つまり「木」は火をきりだすだけでなく、火の原料としても貴重で、同時にまた、「ハルニレ」の繊維は高級な「アッシ」(晴れ着)の材料としても重視されました。「アッ」は「ハルニレ」の別称で、「アッ・ツシ」は「ハルニレの衣服」でした。また「ニ・カプ」は「木の・皮」で、さまざまな呼び方をしたことが知られています。「カラ・ニ」も「火の・木」で「カラ」は「発火器」でした。

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木は言うまでもなく家屋の材料として欠かせませんでしたから、「衣・住」のもとになり、冬場の長い日本列島では、火は絶対的に必要で、木は生活のすべての根源になったことを示しています。
何よりもはっきりしているのは「火の女神」がそのまま「木の女神」であったことで、世界を見渡してもアイヌウタリ独自の信仰とみてよいようです。そしてこの信仰が日本の古代信仰とほぼ共通した根を持ってきたことも疑いありません。

「木」」を「生きとし生けるもの」の代表と考えたアイヌウタリの自然信仰は学ぶべきものですが、内地の古代人も同じ信仰だったとみてよくなります。東北地方に残ってきた「オシラ神」信仰をこの「シランパカムイ」に結び付けて考えたのが吉田耕一郎氏(註)ですが、筆者もアイヌウタリの「イナウ」(木幣)を「養蚕」に結びつけて考えてきました。「養蚕」そのものは弥生文化のようですが、木や草の繊維を織った歴史は縄文文化の中に見られ、「天蚕」のマユなども用いた可能性があります.「イケマ」の実の羽毛などもそうで、それらで織った布を「木幣」に着せ、じゅもんを唱えて勢いよく舞わせることで、「神々」に祈りを捧げたのが(「オシラ神」信仰の)起源のようです。

「日本のアイヌ語地名−東北から沖縄まで-」(三一書房、1997)より
写真: ハルニレ(Japanese Elm-ケヤキ科)の木。北大構内にて

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