2ペンスの希望

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『父と息子のフィルム・クラブ』

16歳の息子が学校に行かなくなった。その時父親はどうしたか。
「学校をやめても、働かなくてもいい。毎日五時まで寝ててもかまわない。ただし、条件がある。麻薬は絶対に禁止。それともう一つ、週に三本、映画を一緒に見る。見る映画はわたし(父)が選ぶ。それがこれからおまえ(息子)が受ける唯一の教育だ。」そんな滑り出しのノンフィクション『父と息子のフィルム・クラブ』【著デヴィッド・ギルモア 訳高見浩 新潮社2012年7月刊】を読んだ。筆者はカナダ人の映画評論家・作家。自らの体験に基づく実話だそうだ。
『大人が分ってくれない』に始まって『雨に唄えば』まで115本の映画が出てくる。名作ばかりではない。『氷の微笑』『沈黙の戦艦』『007/ドクター・ノオ』も混じる。
日本の映画では『乱』と『鬼婆』が登場する。日本でもファンの多い「ザ・ニューヨーカー」誌の映画評ポーリン・ケイルへの言及もあって、映画好きな気分が伝わってくる。
こんなくだりもある。「だれかに映画を推薦するのは、大きな危険を伴う行為である。ある意味で、それはだれかに手紙をしたためるのと同じく、自分の内面を露わにする行為なのだから。それは自分の思考法を示し、自分がどういうことに感動するかを示すわけだし、ときには自分が世間にどう見られているかを示すことすらある。友人に対して、息を弾ませながらある映画を推薦したとしよう――“あれが、そんなに面白いの?”。こうなったら、目も当てられない。
本だって同じようなもの、そういうかもしれない。でも上手くいえないがちょっと違う。
もっと素顔をさらしたというか、無防備な食事姿を見られたというか、そんな感じ。
で、父と息子のフィルム・クラブは3年後どうなったかって?
それは、ご自分で読んでみて下さいな。ただ一つ。
何だってそうなんだろうがとりわけ映画は、「時代の産物」、人生のどんな時期に、どんな気分で、どんな映画に出会うか、体験するか、世代と時代環境によって受け取るもの、感じることが大きく違ってくる、これだけは言えそうだ。ビートルズの映画の受け止め方が、父と息子でこれほどまでに違うとは。分ってはいても、う〜む、と唸ってしまった。