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胡蝶書坊 台北だより Twitter

2011-06-05

梅雨が明けたよ!?

さきほど近所のスーパーに行く為に外に出て、路地の角を曲がった瞬間、

サッと微風が吹いて濃厚な真夏のにおいがしました。

もう梅雨も終わりだ、と心に決めて(決めていいのか?)、

暑さのために人影もまばらな近くの公園を歩くと池には蓮の花が今にも咲こうとしています。

いよいよトンボも飛び回り出していて、心がはずむ。

季節のちょとした変化を感じ取れる瞬間。

若い頃は少年時代に比べ、その中に入れないことに焦燥感を味わったものですが、

今は、大丈夫な気がしています。

もうぼろぼろになった手元の昆虫図鑑を眺めていると、

夏の夜に蛍光灯に飛んで来たウンカやヨコバイ、コメツキムシ、

草原で葉の上にへばりついていた不敵なムシヒキアブ、

夏の朝、新聞を取りに下に行くと、階段の隅に顔をかくすようにじっとしていた小さなコガネムシ

家の軒ににぎやかに巣をかけていたセグロアシナガバチ・・・

およそ採集の対象ではなかった虫たちの方がむしろ遠い夏の日々を鮮明に思い起こさせてくれるのは、

なぜなのだろう。

よく眺める図鑑2種。

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2011-05-12

台北の梅雨の花

ひと月に一度、バスに乗って、散髪屋さんに出かけます。

いわゆる「家庭理容」と呼ばれる町の小さな散髪屋さん。

200元(570円ぐらい)なり。

今日は暇だったらしく、僕が行った頃にはカラオケで台湾語の歌を熱唱してました。

音がかなりはずれてた・・・

さっぱりした後に附近で昼食をとり、歩いて5分ほどの植物園に立ち寄るのが楽しみです。

今日は牛肉麺。好きなのはスープの赤い「紅燒」ではなく澄んだ「清燉」。

空気はねっとりと肌にまとわりつき、朝から少しぐずつき気味の空模様。

それでも面倒なので、傘はもたずに外出すると、植物園を歩く頃には雷が鳴り始めました。

すくっと立ち上がる姿が清楚な「葦葉蘭」が咲いていました。

トケイソウも。

蝶の姿はタイワンモンシロチョウが目立つばかり。

蝉の声もまだ無く、ケラがよく鳴いていました。

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家に着く寸前におおつぶの雨。

全身びしょ濡れも爽快、水不足の続く台北には恵みの雨となりました。

2011-04-23

久しぶりに町の様子を・・・

台北、今日は午後から爽やかな晴れ。

日も随分長くなったので、副業で行っている仕事を終えてから、少し町を歩いてみました。

徐州路のクスノキの並木で深呼吸をして、東へ向かって銅山街を歩き、

できたばかりの公園を南に折れて、仁愛路を経て、臨沂街へ。

仁愛路の廃屋となった古いビルを見上げる。

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前から少し気になっていたガラクタ屋さんの軒先を冷やかす。

子供の頃、実家にあったのと全く同じマグカップを見つけたので100元で買い、

それを免罪符に店の写真を撮らせてもらうことにしました。

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器、マッチ箱、古書、CD、時計、ノベルティーの人形・・・

小さな5坪ほどの店に並べ切れないものを外に出しています。

このあたりはほんの10年ほど前までは植民地時代の官舎(?)と思しき日本家屋が立ち並んでいたところ。

久しぶりに歩いてみると、その跡形もなく瀟酒な新しいマンションが次々と建てられていました。

2011-01-18

「梱包」と「命日」

郵便屋さんの「小原、掛號!」(小原さん、書留!)の声。

待っていた荷物を喜び勇んで階下に取りに行き、捺印。

持って上がって、外箱の変形に気づく。

さらに、中が湿っぽい。

あろうことか本は剥き出しで箱の中に納まっている。

開けた途端に落胆。

Berge's Schmetterlingsbuchのオリジナル装幀の第7版。

見事に濡れていました。

郵便局に電話をするとすぐに係の人が撮影に来てくれました。

ここ最近のドイツからの荷物で同様のケースが多発している由。

台北は昨日、今日と雨は降っていないので、おそらく犯人はドイツの大雪。

でも一番の原因は梱包の杜撰さ。

おそらくは荷崩れをして積もった雪の上に落下。

おざなりな梱包の箱はつぶれ、そこから雪が入り込んだ模様。

ドイツの仕入先にすぐにメールをしました。

写真を添付して。

もちろん返金してもらいますが、何よりも駄目になってしまった本を見るのがつらい。

どうも午後はショックでまともな仕事ができませんでした。

そうか、荷物が破損して届くと、こんなに気持ちが調子悪くなってしまうんだな。

梱包。

胡蝶書坊では、万一落とされても、象が踏んでも!、大雨が降っても大丈夫な梱包を、との思いを新たにした次第。

そして今日は京都にあったブックカフェ、黒猫堂の高橋さんの推定命日。(一人暮らしをされていたので)

そっと台所で手を合わせました。

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2011-01-10

「痕跡」を消さない、ということ

古い本を仕入れるようになってから、わずか2年と少しの経験ながら、この間、少なからぬ「痕跡本」を見て来ました。

「痕跡本」というのは岐阜は犬山のインディーズ古書店、「五っ葉文庫」の店主の考案された言葉で、先の持ち主の「読書の記録」がある本のことです。

僕が見て来たのは、

古いしおりが挟まった本、

四葉のクローバーが挟まった本、

蝶そのもの(!)が挟まった蝶の本、

そして、鉛筆での書き込みがされた本、などなど・・・

さて、この最後の「鉛筆での書き込みを消すべきか、いなか」ということ。

栞。クローバー、蝶・・・これはそのままにしておきました。

そして今回、鉛筆でかなりの書き込みのあった本が入って来ました。

初めての消し込み作業。消しゴムStaedtlerの"SOFT"というものを使いました。

とあるお客様にそのことをお話ししたところ、「今後は消さないでください。」。

あらためて考えてみました。

「痕跡」を消す、ということは「新たな痕跡」を残すこと。

「読者」(お客様)ではない本屋が「新たな痕跡」を残すべきではないのではないか。

本屋は伝わったものをそのまま伝え、それを消すかいなかはお客様にご判断いただく・・・

それが本屋の役割でもあるのではないか、と思えたのです。

そういう本屋があっても良いのではないのか・・・

古い図鑑の中には、時折、「目撃記録」が鉛筆で書き込まれていることがあります。

かつて仕入れたイギリスのトンボの本の中には、そのトンボをどこで見た、どこで採集した、などまさにその本と一体になったかつての「読者」の経験が古い筆跡で書き込まれていました。

その地方では今でもそのトンボは生息しているのでしょうか?

すっかり様子が変わり、トンボは消えてしまっているのでしょうか?

あらためて胡蝶書坊では「そのままをお伝えする」ことにしよう、と考えた朝でした。