Hatena::ブログ(Diary)

へたれゲーマー駄文 このページをアンテナに追加 RSSフィード

  
 | 

2007-02-24

[]ネットを通じたゲームの正しい遊び方について ネットを通じたゲームの正しい遊び方についてを含むブックマーク ネットを通じたゲームの正しい遊び方についてのブックマークコメント


・このサイトは基本的にネタバレ禁止である。

 というのはなぜかといいますと

 クリアしていないのにしたふりをしてわかったようなことを書くのに、

 クリアしていないと知らないことを書かなければならないのは都合が悪いから。

 ではなくてですね、

 もちろんまだ遊んでいない方に興味を削がないための努力であります。


・まあ、それは良いのですが

 これを書いているひともネタバレにあうのが嫌だからでもある。

 嫌だからって、普通生活している中で

 今遊んでいるゲームでまだ遊んでいない部分について

 事細かに教えてくれるようなひとが身近にいるならば

 それくらい話が通じるひとがいることの方をこそ喜ぶべき、

 というのが子供のころと違うところ。大人は普通ゲームをあまり遊びません。

 パチンコとかより余程面白いと思うけれども、こればかりは好き好きであります。

・だからして現在ネタバレにあってしまう状況というのは雑誌記事かネット

 しかしこれらの良いところは進んで自ら見に行かない限り、あう恐れはないところ。

 けれど雑誌ならばおおよそ危険そうな辺りに見当付くけれども

 ネットでは別の話から、直接的でなくとも知りたくなかったことが

 こぼれ落ちたのに気付いてしまうことがある。

 向こうにも悪気はなく、こちらにもその気がなくとも起こりうる。

 よって絶対を期すためには

 クリアするまでどんなに行き詰ろうとも進行不可能となるバグに違いないと信じて

 「ソフト名 攻略」とgoogleらないのはもちろん、

 あらゆるサイトを見ることすらまかりならん、のでございます。

・それがゲームの正しい遊び方。ひとに頼らない。

 そうすることこそ、そのゲームを最高に楽しむ方法であるはずと。



・例えば先日の『世界樹の迷宮』ででもです。

 ここの更新はしてもネットは見て回らず、『大戦DS』でWi-Fiにつないでもネットは見ず、

 という進行で3週間ほど過ごしたわけであります。

・しかし。こういう記事(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070219#p1)を

 見たりするとです。

 いやいやそこはそうすべきだなるほどそういうあれもあるかいえいえわたくしの場合はですねえ、

 と色々書きたくなるわけである。当然。もちろん当然。

 そういうのはとても凄く楽しいのだ。

 これは誰でも深く同意していただけると思います。凄く楽しい。書きたい。

 でもそれも、ストーリー進行上のではなくとも、ネタバレである。


・このゲームは凄く面白いよ、なぜならここがこういうふうに面白いからだ、

 というのも

 自己満足として書いてもちろん楽しいのだけれども

 おそらく普通に言って、自分がそういうのばかり書いていてこそわかると言うけれども

 ひとさまのそういう内容を見ても、へえへえそうですねそういう見方もありますね、

 以上ではない。

 読んでいてつまらないのではないが

 自己の経験に照らして楽しめる内容では、あまりないことが多い。

ゲームについて語る、というのは、昔ネットのなかったころ

 あそこはここでああしてこうで、いいやそこはおれはこうしてああしてああだった、

 とかとかして喧々諤々遊んだ過程を照らしあっていたものであって

 しかし今はネタバレ恐れてそういう風が、できなくなってしまっているという

 遊ぶ楽しみ方の退化である。

ネタバレ避けて、独力で全てを解くことが最高である。けれどそうすると

 クリアしたと自分が思うまで、誰ともその楽しみを共遊できないではないか。



ネットがなかったころ、どのようにネタバレを避けていたのか。

 思いだすならば、避けていたわけではなかったのかもしれない。

・誰が最期のボスか、誰が犯人なのかという情報に実は価値などない。

 それはいずれ誰もが知ることができるからで

 情報伝達効率が遅くなるほど誰よりも早く知っている意味もなくなるゆえに

 ネットがあるからこそ逆に価値を得てきた情報であったのではないか。

・だから例えば、裏技として口コミを伝って紹介されていたような例は

 今で言うネタバレと異なり、行き詰まりつつある現状を変えるための

 新しい遊び方に関する時期を捉えた工夫提案たるもので

 それであればこそ伝える価値あるものとして

 ゆえに伝わってきたものであったのではなかったか。

 雑誌にものらず、ネット携帯もメールもないのに誰もが知っていた情報とは。



・ただ一片通り指示通りに、手を引かれるままクリアして

 それでわかった気になっているような身には 

 やり込みと呼ばれる遊び方は畏怖である。

 ただただ恐れ、畏まるつまり、わが身の浅薄さに恥じ入るばかりであるのである。

 このゲームはそういうゲームだったのでありましたか。衝撃。というように見直す。

 しかしそれでも、実際そのように深く遊ぼうともせず

 ただ知っただけで、知ったかのようにしている分は同じなのではないか。

 やはりしったかぶっているだけではないか。

世界一早く走れるひとがしか

 さらにより早く走るための方法を知っているわけではないらしい。

 しかし凡百たるわが身は想像するのである。

 世界一そのゲームをより深く知り、また上手く遊べるひとに

 ただそうできるという結果を知り、その過程の方法を見ただけで

 わかった気になっていることは

 同じこととはもちろんいえない上に、同じものが見えているとも言えないはず。

 上手く遊べなければ見えない世界があるはずだ。と。


・Old Game Mesuem「NEVER SAY NEVER」http://extendead.web.fc2.com/iroiro/ogm/ogm200301.html

 さてここでこういうものを引っ張ってくるわけである。

 「本当のことを知るために。諦めてはならない。」

ゲームについてわかるためには、どこまでわかればわかったと言えるか、

 翻せば、どのような遊び方が正しいゲームの楽しみ方なのだろうか。

 もちろんゲームについてわかったような気になることが必要なのではない。

 楽しめればそれで良い、いや良いとか悪いとかではなく

 ゲームとは遊んで楽しいかどうかでしかない、ということなのですれども

 けれど、より良くそのゲームを楽しみたいのならば、どのようにして楽しむべきか。

 ゲームをどのようにクリアすればもっともそのゲームを楽しめるか、

 という話なのであります。


・さらにいうとまた違う。

 「本当のこと」には、できることなら自力でたどり着きたいものだ。

 当然のことだが、他人が発見したり、作り上げたりしたものを教えられるよりも、

 自分の力で見つけ、作り上げるほうが楽しいに決まっている。

 まったくその通りであるけれど、オンラインゲームではそうではない。

 ネットを通して対戦した動画を見て、ネット掲示板感想を述べ合うゲーム

 ネットを通して協力してしか敵を倒せないゲームでは

 自力だけでたどり着くことはできない。



ゲームを遊ぶにはどうしたらよいのだろうか。

 しかしところが結局、何も変わっているわけではないのである。

・好きなように遊べば良いのだ。

 独力で遊びたいならばそうすれば良い。

 ネットで情報を交換したいのならばそうすれば良い。

 そのゲームについて本当に知りたいのなら、より便利になった情報共有道具を用いて

 皆と共にそのゲームに挑めば良いのである。

 そうするべきなのだ。

 ネタバレが怖くてネットを見れないのは

 自分が知ったかぶっていることを知られる、いや知るのが怖いからである。

 けれどネットは、見たくなければ見ないで済むものであるのだから。


・自分の中で完結されていたそのゲームについての形、枠が

 ネットで共有することで取り離され壊されてしまうことは恐るべきことである。

 知らないでいて済んでいたことを、知らなかったことを知らしめられるのは恐ろしい。 

 だからそのご利用は計画的に

・けれど本当にそのゲームを楽しみたいのならば、いや違う、

 そのゲームを本当に知りたいのならば

 ネットで共遊することは、今や避けて通れないのかもしれない。


 

2007-02-19

[]ここ最近ゲーマー活動について散文的に思ったことを書くの日 ここ最近のゲーマー活動について散文的に思ったことを書くの日を含むブックマーク ここ最近のゲーマー活動について散文的に思ったことを書くの日のブックマークコメント


・ここ最近ゲーム感想ばかり書いていて同じばかりであるので

 飽きたわけではなくて楽で良いけれど、たまには変えようという気分の今日

・といっても遊んだゲーム感想を書くくらいしか書くことがないのもまた事実

 なので今回はいろいろだらだら散文的に書くことにいたします。

 散文的という文字の意味は、なんだか良くわかりませんが。



・つい最近ゲーム時間はほとんど『世界樹の迷宮』でありました。

 『世界樹』は単純なゲームである。同じことの繰返しである。

 けれども良くできていれば、それでも面白がれることを証明していて

 ネバーランドカンパニーのように、良いゲームというのがどういうそれか

 良くわかっているひとがつくっているのだろうなあというのが

 良く見えるような気になる気がするそれ。である。

任天堂などに感じる無駄を排した作り込み、

 その無駄部分がどこかを判断する凄さという、

 良い素材を削り込んで作るようなそれに対し

 手間をかけないで、細かい工夫を積み重ねてひとつひとつの質を上げ

 それを積み上げた同じ繰返しであるのに、完成してみればそれなりであるというそれ。


・例えば、敵の残り体力が見えること。

 そうするとあと、どうすればどれくらいの手間で倒せるかが適当にわかる。

 それだけでほど良く、単純な戦闘の仕組みに工夫の余地を

 何も工夫しようとしない頭にも見出せる。

 ひとつの戦闘ごとに比重をかけすぎず、かといって繰り返しても飽きさせもせず。

・例えば、スキル重要性が良くわからないこと。

 レベルがひとつ上がるごとにひとつしか与えられないポイント

 スキルに割り振って成長させる仕組みであるのに

 どのスキルが、現時点とこの先の見通しでどの程度有用なのか良くわからない。

 しかし不正解はないのである。

 より効率を優先するなら、その時点で知るはずのないことを

 知っていなければ有効に働かない仕組みであるから、良いのだ。

 間違っていても間違いではない。知らなかったのだから。

 結果として有用に働いてしまったとき、正しい選択をしたと勘違いできる仕組み。


迷宮は狭い。通路の間はひとマスあいている。

 自動で自分の位置も向いている方向もわかる。マッピングし間違えがたい。

 酒場のサブクエストをこなさなくとも充分レベルは上がる。容量のごまかし。

 どこからどこまで良くできている、というよりは

 ひとつひとつが無駄なくできている。

 組み合わせて駄目だったら組み替えるだけで出来上がる。

 単純であるのに良い、とみせる仕組みとして良くできた仕組みなり、である。


・良くできたゲームであります。しかし良くできたゲームとはなんぞやなり。

 例えばあれと比べてどうか。これはどうしてどこが良く出来ていないか。

 一口にはいえない。

 しかしけれども、どれもより良くできているほうが良いのは確かだから

 遊ぶだけのほうとしては、とにかくどうでも良いから、良くしてくださいというのみ。

 それすなわち、面白ければそれで良いのだ。



・さてもう一方遊んでいたのは『三国志大戦DS』である。

 ただ。無料。負けても勝っても懐痛くも痒くもない。

 そのゲーム性というやつは、もちろんアーケードの本物とは劣るのですが

 なお充分であり他を突き放しており満足できるゆえ

 おかげさまで最新ver.稼動中のアーケードお金を吸い取られずに済んでおります。

ありがとうセガ。個人に限っても機会損失確実数万単位に及び、

 いくら売れたのか存じませんが積算さすればいかほどばかりかと空見上げ。

 どうしても、出さなかったほうが良かったのではないかと思えるゲームに見えます。

 出してくれてありがたや。新作が出る頃で良いので現ver.のDS版も出してください。 


・さて、そのWi-Fiオンライン全国対戦、いやWi-Fiは世界共通なので世界大戦ですが

 つなぐ時間にもよりましょうけれどもなかなかに、殺伐としております。

 といいますのはアーケード版との最大の違いが効いているところ。

 負けそうになったらリセットボタンを押せること。なかったことにできるのです。

・回線は、無料全国対戦としては文句つけようがなく良いですが

 やはり当然アーケードの専用回線には劣る。

 つながり悪く、回線接続切れてしまうことが10回に1回くらいはあるのでありますが

 ということは、故意に切ったか事故で切れたのか、判断付いたとしても頻繁すぎるゆえ

 途中で回線切れても対戦成績には影響ないようになっており。

・となると負けそうになったら切る、というお方が出てくるはこれ必然の理。

 通算対戦成績が勝負前に相手に示されますゆえ

 いつでも変えられる通信名以上に看板として重要でございます。

 アーケードでは、であるがゆえにメイン登録カードとサブカードを使い分け

 初心者の振りして勝つ喜びを同じ投資でより多くすくい取るべく努力されているかたが

 大勢、おおぜいではなくたいせい、おられるであるのですが

 それができるのは重要資産、デッキを組むための武将カード

 いくらでも共用できるからです。

・しかしところがDSではできない。1ソフトに1データのみ。

 実はアーケードにつぎ込む予算を思えば

 もう数本ゲームソフト買ってきても問題ないようではありますが

 そうは思われない方もおられるのでございます。お金より手間を惜しむのであります。


・ゆえに殺伐。負けそうになったら切る。よし勝ったと思ったらなかったことにされる。

 実に微笑ましい。ゲーム「ごとき」のデータにそこまで夢中になれるとは。

 いやいやそれは違います。ゲーム「だからこそ」そこまでできるのです。


・などと微妙なることを書くと、意図を誤解されそうでありますけれど

 文章というのはそういうものである。

 不特定多数に向けて書くこのような場所ではなおのこと。

 しかしだからこそ楽でもあるのであります。

・例えば、なぜ回線を切るのが悪いのだろうか。

 それはすなわち負けを認める行為であり相手に投了を知らせる行為である。

 その勝敗は戦績に残らないかもしれないが

 事実として切った側は負け、切られた側は勝ったのだ。とすると

 切られて怒るほうもなぜ怒るのかを思えば

 同じ様に対戦戦績にこだわっているだけなのではないか。

・というようにも言える。しかしこれには容易に反論があるわけでもまた、あります。

 しかしだったらそんなことを議論しあうのは、いや誰も誰とも議論していませんが

 無駄なことではないかしら。そうすると何が誰にとってどう無駄かということになりますが。

 と何でもかんでも相対化してなかったことにできる。

 そうして気持ち良く忘れさせてくれる。

・だからしてつまり、ゲーム感想というものは

 ネット不特定多数に向けて書くものは、意味がないゆえに楽である。無駄だから。

 というように容易に言える。



ゲームというものはとても面白い。

 だからこそ毎日何時間もかけて遊ぶ。何週間もひとつのゲームを遊びこむ。

 傍から見れば単純作業の繰返しをしているようにしか見えない。

 たまに頭を使ったような気にさせてくれるゲームが良いゲームであり

 そのゲームの中でしか意味のない数字にこだわるひとが絶賛するゲームも良いゲーム

 実に無駄ゲームは所詮、その場しのぎの暇つぶし

 後に何も残らず、しなければならないものでは何もなく、なくてもまったく困らない。


・そういうことは全部事実であるけれど

 だからといってゲームが面白くなくなるようならば

 ゲームはやはり不要であるということが証明されるだけで

 けれどそれ以上ではないのである。

 そうではないことを知った振りをして、振りでなく面白がりながら

 昨日も今日も、たぶんおそらく明日もきっと、ゲームを遊ぶのであるのであります。

 面白いゲームを説明することに言葉無駄だが、不要ではない。



 

2007-02-18

kodamatsukimi2007-02-18

[][][]『世界樹の迷宮『世界樹の迷宮』を含むブックマーク 『世界樹の迷宮』のブックマークコメント


 公式 http://sekaiju.atlus.co.jp/ http://sekaiju.atlus.co.jp/old/ ASIN:B000MQ958A


・『世界樹』は『ウィザードリィ』『女神転生』ときて続くアトラスRPG

 DSでの新規タイトルですが、これまでの蓄積感じられる手応えであり

 変えなくて良い、このままで良いから同じのが欲しい。と早くも言いたくなるような

 充分枯れた完成度の仕上がりであります。


携帯ゲーム機RPGは、携帯とは思えぬ大作感。あるいは

 昔テレビで遊んだものとそっくり同じを手の上に。というのが売りであり。

 RPGは大作でなければならんわけではないけれど

 携帯機だからといって必ず軽いわけではない。皆が『ポケモン』と同じではない。

 という売り方の趣旨が、例えば『マザー3』や『FF5』『FF6』などで

 GBAからこの方続いていたのですが

 しかしDSの性能は昔の大作RPGと呼ばれていたものを再現する以上にできる。

 けれども携帯機だから画面は小さく、もちろん家庭用最新ハードには劣る。

 だからしてPSPに限らず、そしてRPGに限らず、

 PS2辺りで見たようなの持ってくる「縮小再生産」、であるのが携帯ゲームなのですが

 しかしそのまま小さいままに、見た目昔の印象ながら古くさくなくないよう注意して

 昔の大作RPG、今であればそうとは言えないそれらと

 同じ様な作りかたをしたものであるのが本作。


・ただ新作。今まで作られてきた方法を、充分な性能でそのまま使って

 しかし再現するのではない。より良く工夫されています。

・このゲームは外見、『ウィザードリィ』のような頃を

 とても良かったあのころの思い出、と印象付けているようですが中身は違います。

 例えば強くなり方が違う。

 時間をかけて地味に強くなっていく、それがあのころのそれですが

 時間をかけなくとも工夫することで先に進めて、先に進むほどより効率よく強くなれる、

 努力すれば認められる結果平等と、努力しないでゆっくり進んでも着実たるようにある、

 十年二十年かけて積み上げられてきた、今のRPGとしてのそれになっている。

・しかしながら無駄に広くはしておらず、取り得る手段の幅はできるだけ狭めて

 破綻しないよう、掌の上からこぼれないように整理されている。

 職業スキルやアイテムを増やして、固定敵を倒すための手段を増やすことで

 長く遊ぶことができるようにしたものは、けれど飽きる。

 それは正解が見つかるとそれを達成するための作業となるからで

 敵の強さに合わせてこちらを強くするよう工夫するのではなく

 遊び手ができることを制限して、相手を変えて配置して飽きさせないのが

 こういう種の、つまり「今様の」SRPGではなく「『ウィズ』のような」RPGとして

 必要な条件であり、それができている。

・『ウィズ』というより『女神転生』を作ってきたアトラスらしい技。

 申し分ない骨組みと、それをわかって作られた全体の余計なことをしていなさが

 昔からも今にも今に良い感じに映るこのごろであります。満足。



・同時に『ウィズ』らしさ、あのころあれを、求めている部分にも

 本作は答えているようであり。そういう系統後継者資格は充分か。

 それは具体的に文章でいうならば

 『和風Wizardry純情派』『風よ。龍に届いているか』のようになるそれ。

ゲームから立ち上がる世界観

 そこに用意されていて描かれたキャラクターが生きている世界観ではなく

 オンラインゲームの、向こうに実在の人間が操作している保障からくるそれでもなく

 英雄がいても主人公はそれではなく自分であり

 その物語はまだ書き始められていないというようなそれ。

・といって『アラビアの夜の種族』までいくと

 さらに想像力の枠が一回り大きく必要である。

 ゲームだからこそできてできないことがあるのである。


・そうでない種の『ウィズ』にある面白さは何か、

 コンピューター相手だからこその、ロールプレイングゲームの面白さは何か。

 『和風』を読み直して要素を引き、『世界樹』から汲み上げた辺りを連ねてみると

 迂遠に言うなれば 

 基本の枠組みが数値を上げること、育てる過程にあるもので

 競争と勝利がないことにあるのではないか、というように言えます。

 SRPGにも同じことが言えます。


・誰かに勝利することが嬉しいことが、ゲームの面白さである。

 アクションにおいて、上手くなることは楽しい

 より良く操作して課題をこなせるようになるのが楽しい

 それで勝利できるかとは結果であって成果の確認である。

RPGSLGは、数字の上げ下げするのを見ているだけでも楽しい、というように

 面白さの要素として言い表せますが

 その要素は、どうであればより良くなる、より楽しく感じられるようになる、

 つまり「より面白くなる」といえるだろうか。

 例えば対戦ゲームにおいてそれは、過程はどうあろうと勝つという結果そのものである。

 例えば対戦しないアクションパズルゲームでは、結果ではなく上達する過程である。

 それではSLGRPGではどうか。

・前者に共通するのは、ゲームが自分の思う通りに操作されることの正しさであります。

 SLGでは、思うどおりにならなくても楽しい、といえるのか。

 運の要素。ランダム要素。神の見えざる手

 同じ手段で必ず同じ結果になることが、アクションパズルでは決定されている。

 けれどSLGにあっては、そうでないほうが喜ばれるのではないか、

 つまりその方が楽しいのか。


・強くなる楽しさとして、例えばRPGレベル上げという作業は

 アクションゲームの操作を上手くなることと同じ様に見えます。

 対戦ゲームで強くなる楽しさとは

 勝つこと、勝てるように強くなること、

 勝てず結果明確に強くなったことが確認できずともその過程を楽しむこと、の3つ。

 これらを、楽しさを感じるための優先順位をつけて並べることで

 優れたゲームは、敗者にも楽しませるものである、というように見ることができます。

・つまりこう言えます。

 対戦ゲームの楽しさは、相手との読み合い、その過程にある。

 例えばトランプポーカーのように、上手くなっていくこと上達することがない、

 運だけのものであっても、それで楽しめる。

 良く出来たゲームとは、その過程において勝ち負けに関係なく楽しめる。

 勝とうと工夫するほど、なおより良く楽しめるものである、と。


・宝くじは運のみ。攻略要素のないゲーム。だからこそ良い。

 勝つために上手くなる必要がないから。

 機会の平等が保障されているので、努力せずに勝てても後ろめたくない。

人生ゲームにおいて、勝つ結果は誰にとっても共通の目標であるとする。

 そこにあるのは勝てるように上達する過程。上達して、努力して結果がでる喜び。

 たとえ結果がでなくてもそのことに自身は満足できる。

 そして勝てず、上手くなれず努力はしなくとも、その過程を楽しめる。

 良くできている、結果ではなく機会均等である平和幸せ

 努力せずにゲームを遊んでいるひとはかみ締めるのである。


・宝くじのような運だけのゲーム、でありながら

 ある程度自身意思の操作介入の余地がある、

 しなくとも、勝つために努力しなくとも、良いゲームSLGRPGなのだ。

・時間をかけず工夫もしなくとも楽しめる、見ているだけで良いゲーム

 より効率良くクリアするための工夫をしないことは

 対戦ゲームでは、エンディングを見ることでなくそのゲームに勝利すること、

 製作者の用意された筋を辿るのでなくそれを理解し利用し勝つこと。

 アクションゲームパズルゲームでは

 時間をかけることが強くなることにつながらないことである。

ゲームであっても良いこと、だからこそ良いこととは

 自分以外の未来を決定させる手段。運が悪かったことの責にできる要素である、

 と穿って言える。

 良いゲーム、このゲームは良くできたゲームであると感じて、

 しかし自分が楽しめたのは、本当にそれが良かったからなのだろうか。

 たまたま偶然そういう結果になったのであって

 世間が楽しめているゲームを自分が楽しめなかったのは

 運の要素がゆえではないか、と。

 

ゲームの良し悪しはあるようであるのに絶対的な価値順列は明瞭でない。

 それは嗜好品であるからだけれども

 より良いと感じられるものが評価される方が気持ち良い、将来的にも良いという

 ゲームの中身に関係ないことが、中身を書くではない

 こういうところに書くところなのである。ということである。



アクションSTGも大好きだがSLGSRPGも、そしてRPGも大好きである。

 ちまちま地味に、すこしづつこつこつ淡々と積み上げていく繰返し作業。

 毎日毎日時間の隙間をそういうことで埋めていき

 それがある課程を達成すること、つまりクリアした喜び、問題が解けた喜びでなく

 その過程、積み上げて強くなっていく過程こそが楽しい

 アクションSTGSLGも同じ。何かなし終えることが楽しいのではなく

 それをすることが楽しい

ゲームを立ち上げてタイトルから先に進む時。

 迷宮から生還して無事セーブを終えて電源を切る時。

 その間、感じているそれ。それがゲームの面白さなのであります。


 

2007-02-06

kodamatsukimi2007-02-06

[][][]『ウィッシュルーム『ウィッシュルーム』を含むブックマーク 『ウィッシュルーム』のブックマークコメント

 公式 http://www.nintendo.co.jp/ds/awij/index.html ASIN:B000FJ51GO


ゲームというものは、小説でも映画でもなくてゲームでなければならない。

 いかにもゲームであるゲームはそんなことに悩む必要はなく

 降り注ぐ敵弾をさけていれば楽しい。それだけでそれがゲームであるけれど

 けれどそういうゲームのようなゲームはそれほど最近あまりない。

・なんだか、それだけだとお金を取って時間を費やしてもらうのに悪い気がするのだ。

 なのではないかと推論して決め付ける。

 ファミコンゲームにあった程度の「ゲーム性」量は

 今のゲーム内においてはミニゲームとしてすら存在を許されない。邪魔

 携帯アプリでもだめ。ネット無料フリーゲームとしてすらいくらでもあって

 価値持つことを許されないとみなされる。




・先月末の注目作品大量中、『ギアーズオブウォー』は買ってきたのに積んだままで

 『三国志大戦DS』『世界樹の迷宮』とDSばかりのこのごろなのでありますけれど

 アクションRPGゲームというものの大概は、この狭いダブルスクリーン

 納まってしまうのではないかと思ったりするわけであります今日

 随分ゲームは小さくなったものであることよ。

 昔テレビにかじりつくようにして遊んでいたファミコン画面が今手元に転がって。

 ううむ隔世の感。長生きはするものよ。よきかなよきかななどなどとかとか。


・ところでいやいやまたれい、しかし。ゲームは小さくなったわけではない。

 むしろ変わっていない。

 ゲームは昔からそのままだ。

ファミコンカセットに比べてのセガPCエンジンカードロムとか

 GBからGBAからDSへのソフト極小縮小具合に反するXBOX本体のわが道行きぶりとか、

 とかではなく

 『大戦DS』も『世界樹』もファミコンの「ゲーム性」量と比べて

 質ではなく量、絵とか音楽とかデータ量でなくゲームとして遊べる範囲の量が

 どれほど大きくなったと言えるだろうか。より長時間楽しめると言えるかどうか、

 長時間でなく後年観測して自身に影響与える楽しさの絶対量がどれほど増えたか。

 同じであるといえる。



・『アナザーコード』に続いて昔からアドベンチャーゲームばかりの

 シング(http://www.cing.co.jp/)によるところであるところの本作『ウイッシュルーム』は

 昔変わらぬアドベンチャーゲーム

 ノベルではなくアドベンチャーゲーム。と誇りを持っていっていると思われます。


・『逆転裁判』は、その仕組みで斬新だったのではなく

 用意された一本道を選び出すための正解コマンド選択をする分には変わりないのだけれど

 それを遊び手が自覚的に、自分の操作で正解を作り出しているような感覚を

 事件の解決されるまでの全体像が犯人にすらわかっていないことで与える見せ方こそが

 革新的なところ。

 相手の間違いを指摘することで事件を展開させていく方法自体は昔からのそれそのまま。

 それでもそう見えないところが素晴らしい。

・以降の良識ある、結果良作となり得るアドベンチャーゲームはこれをもちろん下敷きにして

 その見せ方を工夫しております。していることは昔から同じ。

 ただその見せ方表現のしかたに今までと

 違う方法もあったことが認識されたことによる変化がそこにはある。

・同じ謎解きでもこなれている。解いた気になれる。より話の全体像が見えた気になれる。

 ノベルゲームではなくアドベンチャーゲームなのに、お話全体を通して感心できる。

 はっきりそれまでとは『逆転裁判』によって見せ方が変わったことで見やすくなっている。

 余計なものが削ぎ落とされた感。

 『仮面幻影殺人事件』のアドベンチャーゲームとは思えぬひっかかりのなさ、

 ゲームらしくなくノベルのような感じは、そこにこそよるものであるという推論。 


・製作任天堂であるところのこのゲームにももちろん、その意識を見ることができます。

 前作『アナザーコード』はシング自身久しぶりの仕事であったこともあったかと

 DSが出たて過ぎたこともあって

 全体としてとても褒められる出来ではなかったけれども今回は違う。

 できることをできる範囲の境が見えていて、表現したいものをしたいように出せている。

 昔からのアドベンチャーゲーム、その面白さを今に再現したものとして屈指の出来。

 最上の一品。

 昔のPCアドベンチャーは、今の子供向けとは違うのだよと言わせぬでき。

 作りたいものを作りたいように作れた感が味わえて余りなく無駄がない。

 およそ欠点はない出来上がりでありましょうと思われます。


・しかしそれは昔のままのそのままのアドベンチャーゲームである。

 作中の操られている対象はわかっているのに

 その操り手がなぜ間違っているのかわからないゲーム

主人公だけがその時だけ、解くことを許されるために用意されている、

 謎と仕掛けという仕組みは様式美の名の下に許されると言えなくもないでしょう。

 RPGで問題の解決に取り組むことを許されるのは遊び手だけである。

 STGで最強性能を持つのは自機である。なぜか敵を多く倒すと爆散しても復活できる。

 それはゲームとしてあるために、面白がろうとするため十分必要だというならば許す。


アドベンチャーゲームとはなんだろう。

 小説の主人公がとる行動を遊び手が決められるものだ。

 しかしなんでもできては話が終わらないから正解を選ばなければ話が進まない。

 そこで、正解を選ぶことをゲームとしているのがアドベンチャーゲーム。のはず。

 「道が二手に分かれている。右と左どちらを選ぶか」

 に答えることではない。はず。


・『ひぐらしのなく頃に』はPS2版で選択肢が付くそうである。

 『EVER17』のようになるのでありましょうか。 

 どちらもノベルゲームであって、あるいはゲームですらないぎりぎりだけれど

 けれどゲームである。全体通して眺めるとなるほどゲームではないが

 正解を推論できるクイズとして選択肢が用意されているところがひとつでもあれば

 すくなくともそこはゲームであると言える。

・そしてその論法でいうならクイズゲームももちろんゲーム

 正解を当てるクイズ。問題から正解は推論できず、

 問いが指し示す答えを知っているかどうかだけが問われるものでもゲームである。

 アドベンチャーゲームにおけるゲームとして用意されているものはそれなのだ。

 と推論する。のは理解できないからである。


・なぜ。

 なぜ話の進行の妨げになる今やミニゲームとしてすら認められないものを

 ゲームの仕組みに正解としてゲームに組み込むことが

 アドベンチャーゲームには必要だったのか。

 だったのか、と過去形なのは今全てがそうではないからで

 『逆転裁判』から見てみればそうではない部分も見えるからですけれども

 昔からの昔のアドベンチャーゲームとはそうなのである。

 それはアドベンチャーゲームとしてゲームを名乗るに良いのか。

 小説ともゲームブックとも違うものである必要性や可能性がなかったのか。


・そこが理解できない。なぜなら知らないからだろうけれど。

 『ウィッシュルーム』を遊んでも、そこは知りたいとは思えない作りだから。

 だからこそ知りたくなって、ここにこのように書くわけである。



・そこで推論しよう。

 ゲームの「ゲーム性」量が、

 少なくともひとりで楽しむゲームにおいての主観では一定である、

 と根拠なく証拠検討なく勝手に仮定するならば

 ゲームブックが小説に劣らぬだけゲーム性を加重しているとして

 アドベンチャーゲームゲームブックに対し

 無駄でもゲーム性を積み増さなければならなかったのではないか、と。

 

・しかし今やようやく気が付いたのである。

 ゲームゲームである必要はなく

 答えは正しい推論によって正しく求められることも必要ではなく

 ただその細部と全体をその個人が面白がれるかどうかが

 ゲームが含まれるエンターテイメント、遊び、暇つぶしの第一用件なのだと。

 面白ければゲームでなくとも良いのであり

 そしてゲームであっても良く、それが無駄と思えるような「ゲーム性」でも良い。

 それがゲームなのである。というように。





 

 | 
0000 | 00 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 07 | 09 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 07 | 12 |
2015 | 05 | 07 | 12 |
2016 | 04 | 09 | 10 | 12 |
2017 | 02 | 09 | 12 |
2018 | 02 | 09 |

最新タイトル

ランス10
アサシンクリードオリジンズ
2017年を顧みる
ドラゴンクエスト11 過ぎ去りし時を求めて
御城プロジェクトREと千年戦争アイギス
ペルソナ5
2016年反省会(おざなり)
戦国大戦終了のお知らせ
初音ミク Project DIVA Future Tone
ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ
     目次このサイトについてゲーム語りRingメディアマーカー