東京大空襲 きょう70年 黒焦げの骸 鎮魂の一句-東京新聞(2015年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000122.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1109-03/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000122.html

太平洋戦争末期の一九四五年三月、下町を中心に甚大な被害が出た東京大空襲から、十日で七十年。十日には、犠牲者らの遺骨を安置した東京都慰霊堂墨田区)で法要が営まれる。条例でこの日を「平和の日」と定めている都も記念式典を都庁(新宿区)で開くほか、都内各地で追悼行事や集会が予定されている。

東京大空襲は、米軍のB29爆撃機約三百機が建造物などを焼き払うことを目的に、現在の東京都江東区台東区墨田区などに焼夷(しょうい)弾を無差別に投下し、大規模な火災が発生。推定約十万人が死亡し、約二十七万戸が焼失したとされる。
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台東区の上野公園周辺では九日、大空襲で家族を失ったエッセイスト海老名香葉子さんらが「時忘れじの集い」を開催。千二百人が参列し、向島区(現墨田区)で被災した無職三輪明さん(75)=千葉県船橋市=は「体験を若い世代に継いでいかなくては」と話した。

三月十日。一晩で十万もの人々が炎に焼かれたとされる東京大空襲から七十年のこの日、「平和の俳句」に選ばれたのは、焼け野原でがれきの撤去にあたった古谷治さん(91)=千葉県我孫子市=だ。

中央大学の学生だった一九四五年一月、学徒動員で東京都北多摩郡小平町(現小平市)の陸軍経理学校に幹部候補生として入学。軍の食料調達などを担う道に就いたばかりだった。

三月十日未明。「起床!」の非常呼集(こしゅう)で飛び起きると、暗闇の中、都心方面の南東の空は真っ赤に焼け、おびただしい数の火柱が立っていた。トラックの荷台に乗り込み、直ちに出動。下町の北千住から日暮里一帯の幹線道路を覆うがれきの撤去を命じられた。

残り火がくすぶる中、黒焦げの遺体があちこちに転がり、骸(むくろ)は山積みになった。「地獄絵を見る思いだった」。ぼうぜんと立ち尽くす人には掛ける言葉もなかった。自分も泣くわけにはいかない。ただただ手を合わせた。

俳句に詠んだ「南無(なむ)」とは、仏などへの帰依(きえ)を意味する。「おのれをなくして神仏に従い、すがるしかない」。当時は言葉にできなかった思いを、七十年後に形にした。

古谷さんは戦後、中央官庁の役人として働き、政治家を間近で見てきた。今、戦争を知らない世代の政治家たちが国を動かすことに「坂道を転げ落ちていくような」不安を覚える。

「私たち世代にも失敗はあった。かといって、戦争を知っているわれわれが、暴走しがちな『歯車』を歯を食いしばって止めないとどうなるのか。その使命の重大さ、平和のありがたさをかみしめて、鎮魂の一句をささげた」 (矢島智子)

メルケル独首相の講演全文:1 戦後70年とドイツ-朝日新聞(2015年3月10日)

http://www.asahi.com/articles/ASH397WCTH39UHBI032.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1057-43/www.asahi.com/articles/ASH397WCTH39UHBI032.html

朝日新聞デジタル:ドイツ特集2015に関するトピックス
http://t.asahi.com/hcye
メルケル首相の来日講演(動画)

メルケル独首相の講演全文:2 ウクライナとアジア情勢-朝日新聞(2015年3月10日)
http://www.asahi.com/articles/ASH39760VH39UHBI036.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1058-10/www.asahi.com/articles/ASH39760VH39UHBI036.html

メルケル独首相の講演全文:3 ドイツと日本、共通の挑戦-朝日新聞(2015年3月10日)
http://www.asahi.com/articles/ASH397680H39UHBI039.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1058-37/www.asahi.com/articles/ASH397680H39UHBI039.html

メルケル独首相講演の質疑応答:1 隣国との関係-朝日新聞(2015年3月10日)
http://www.asahi.com/articles/ASH395DKVH39ULPT00D.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1059-28/www.asahi.com/articles/ASH395DKVH39ULPT00D.html

メルケル独首相講演の質疑応答:2 脱原発の決定-朝日新聞(2015年3月10日)
http://www.asahi.com/articles/ASH395DKWH39ULPT00F.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1100-03/www.asahi.com/articles/ASH395DKWH39ULPT00F.html

メルケル独首相講演の質疑応答:3 言論の自由-朝日新聞(2015年3月10日)
http://www.asahi.com/articles/ASH395DKWH39ULPT00G.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1100-31/www.asahi.com/articles/ASH395DKWH39ULPT00G.html

独首相 過去の総括 和解の前提 日中韓、関係改善促す-東京新聞(2015年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000128.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1106-19/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000128.html

◆「あらゆる努力を」
ドイツのメルケル首相は九日午前、日本と中国、韓国との間で歴史問題をめぐり緊張が続いていることについて「あらゆる努力を惜しまず、平和的解決策を見いだすべきだ」と述べ、和解に向けた取り組みを促した。東京都内で講演した後の質疑応答で語った。

東京電力福島第一原発事故後、ドイツが二〇二二年までの「脱原発」を決めた理由については、技術水準の高い日本でも予期しない事故が起こり得ると分かったからだと述べた。

女性の社会進出にも触れ自身が〇五年にドイツ初の女性首相に就任した当時を振り返り「国内には戸惑いもあっただろうが、一歩踏み出すとそれが当たり前になる」と指摘した。(共同)

メルケル首相「過去総括、和解の前提」 安倍首相と会談-朝日新聞(2015年3月9日)

http://www.asahi.com/articles/ASH395GXXH39UTFK00H.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1101-18/www.asahi.com/articles/ASH395GXXH39UTFK00H.html

会談後の記者会見で、メルケル首相は「(ナチスドイツの)過去の総括は和解の前提になっている。和解の仕事があったからこそ、EU(欧州連合)をつくることができた」と述べ、地域の安定には和解の努力が不可欠であるとの認識を示した。

原発政策 日独落差 独メディア質問「日本なぜ再稼働」-東京新聞(2015年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000129.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1012-28/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015031002000129.html

安倍晋三首相は九日の日独首脳会談後の共同記者会見で、原発再稼働を進める日本政府の方針をあらためて明言した。一方で、メルケル首相は会談に先立つ東京都内の講演で、東京電力福島第一原発事故を受けて脱原発に転換したドイツ政府の方針を説明。首脳会談では話題にならなかったが、震災後の原発政策は対照的だ。

会見では、ドイツのメディアが「ドイツは福島の事故を受けて脱原発にしたのに、日本はなぜ再稼働を考えるのか」と素朴な疑問をぶつけた。

これに対し、安倍首相は「再生可能エネルギーはまだわずか。国民に対し低廉で安定的なエネルギーを供給していく責任がある」と説明。原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発は「再稼働していきたい」と従来の方針を繰り返した。

メルケル首相が会見で原発政策に触れる場面はなかったが、この日の講演では福島の事故に関し「(原発に)リスクはあることを如実に示した」と断言。来日前には、ドイツ政府のホームページで「日本も(ドイツと)同じ道を歩むべきだ」と呼び掛けている。

メルケル首相はもともと原発推進論者。だが福島の事故後、二〇二二年までに国内の全原発廃炉にする方針を決めた。再生エネルギーの導入も進め、一〇年に総発電量の17%だった再生エネは一四年に27%に達した。

原発事故のあった日本では、これと逆の道をたどっている。安倍政権は昨年決定したエネルギー基本計画に「原発は重要なベースロード電源」と明記し、再稼働を進める。日本の再生エネ比率は、一三年度時点で二年前と比べて2ポイント増の11%にとどまっている。

安倍首相は共同会見で、ドイツを「グローバルパートナー」と持ち上げたが、原発政策に関してはパートナーとは言えない。 (上野実輝彦)

松谷みよ子さん死去 児童文学に人生の息吹-東京新聞(2015年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000151.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1011-50/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015031002000151.html

「この子の魂の成長を残したかった」。二月二十八日に八十九歳で死去した児童文学作家の松谷(まつたに)みよ子(本名・美代子(みよこ))さんは八年前の取材で、母娘の日常をほのぼのとつづったロングセラー「ちいさいモモちゃん」シリーズを書き始めた理由をこう語っていた。モデルは二人の娘たち。託児所に預けて働く母親がまだ珍しかった時代、四歳の長女に「小さいころのお話をして」と言われたのがきっかけだった。

幼い子にもわかる易しい言葉。思わず声に出して読みたくなるリズミカルな語り口。赤裸々な子育て話から、松谷さんの魔法で人間愛あふれるファンタジーが生まれた。当時、童話にはタブーとされていた離婚や親の死も織り込み、三十年かけて六話を完結させた。

十七歳のとき、鈴木三重吉の童話集に感動して童話を書き始めた。二十二歳で児童文学作家の坪田譲治から「人生を、本当のことをかきなさい」と言われ、座右の銘に。結婚後、信州に伝わる民話を基に一九六〇年に出版した「龍の子太郎」で、講談社児童文学新人賞、国際アンデルセン賞優良賞などを受賞。「左手で長女に乳を含ませながら、空いている右手で書いた」と当時を振り返った。

戦争にも真正面から向き合った。広島の原爆を題材にした「ふたりのイーダ」を発表したほか、「原爆の図」の画家、丸木位里(いり)さんとともに絵本を出版するなど反戦平和を訴えた。

七二年、自宅の庭につくった私設文庫「本と人形の家」には全国からファンが訪れた。子どもを連れて通ったという近所の小学校の図書館員(54)は「おちゃめでかわいい先生だが、真剣に戦争の話をしてくれ、厳しい時代を生き抜いた体験を伝えようとしている」と感じたという。

妹がいじめを苦に自殺した女性から届いた手紙をもとに創作した絵本「わたしのいもうと」は、道徳の授業の教材にもなった。かつて自身もいじめで「地獄の底をはうようなつらさを味わった」と松谷さん。「自分より弱い者をいじめるという差別は戦争にもつながる。傍観者も同罪」。生き抜くつらさと喜び楽しみを教えてくれた人だった。 (井上圭子)

ちいさいモモちゃん (講談社文庫)

ちいさいモモちゃん (講談社文庫)

ふたりのイーダ(新装版) (児童文学創作シリーズ)

ふたりのイーダ(新装版) (児童文学創作シリーズ)

わたしのいもうと (新編・絵本平和のために)

わたしのいもうと (新編・絵本平和のために)

(筆洗)なぜラッキョウなのか。戦争中、赤飯にラッキョウを食べれば、…-東京新聞(2015年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015031002000125.html
http://megalodon.jp/2015-0310-1013-09/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015031002000125.html

なぜラッキョウなのか。戦争中、赤飯にラッキョウを食べれば、焼夷弾(しょういだん)の被害から逃れられるという迷信が庶民の間に広まっていた。米軍の無差別攻撃によって約十万人が命を落とした一九四五(昭和二十)年の東京大空襲から十日で七十年である。
物のない当時は赤飯のためのアズキも入手困難だったのだろう。簡略化して「朝飯をラッキョウだけにする」というわびしい食べ方もあったというが、そこまで「ラッキョウ」にこだわっている。
あの独特の臭いと関係あるのか。東京大空襲の二年前に公開された、映画「無法松の一生」(稲垣浩監督)。阪東妻三郎が演じる無法松がラッキョウを好んでいたが、焼夷弾にも負けぬ「壮健さ」につながったか。
ラッキョウ焼夷弾の形を思わせ、こっちから食べてしまうという説もあるそうだが、この言葉と関係があるという。「脱去(だっきょ)」。
七十年後のワープロソフトではなかなか変換できない言葉だが、戦火の人たちはラジオの伝えるその言葉に胸をなで下ろしたに違いない。「敵艦上機は攻撃せる後、脱去せり」。脱去とラッキョウ。「似ちょって、ラッキョウを食べたらよかっち」。映画「紙屋悦子の青春」の一場面に教わった。
地口(じぐち)、駄じゃれなのか。それでも信じたのは、そう信じるしかなかったのだろう。そう信じなければ、耐えられぬ時代。これほど悲しい駄じゃれはない。