「『過労死は情けない』が若者をブラック企業に駆り立てる」渡辺寛人さんと考える、社会に怒りをぶつける方法(泉谷由梨子さん) - The Huffington Post(2016年10月26日)

http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/25/black-_n_12651310.html

——「日本のリベラル」についてどう思いますか。
これだけ社会が崩れてきているのに、鳥越さんのように本来リベラルな立場にある人たちって、この社会の矛盾に取り組んだり、矛盾を生み出さない社会の仕組みをつくったりしていかなければいけない。でも今の状況に全然応えられてないですよね。「憲法9条を守ろう」とか、理念的なことばっかり言っていて、現実的な問題に全然興味を示さないというか取り組んでいない。現実が見えてないことがわかってしまっている。鳥越さんの発言じゃないですけど、「裕福になったから、若者が声を上げない」とか何を知って言ってるのだろうって思います。
あと普通に、お説教くさいところが嫌ですよね。(笑)なんか偉そうに理念を語ってくるのが嫌です。
今の状況で理念ばっかり語っていても仕方がないと思いますし、やっぱり現実に起きているいろんな問題に取り組むべきだと思うし、まずそこから始めないと仕方ないんじゃないの?って思いますけどね。いくら理念を言っていても人はついていきませんよ。やっぱり現実の問題に目を向けることが重要だと思います。

大川小判決 悲劇を繰り返さぬよう - 東京新聞(2016年10月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102702000138.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0947-15/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102702000138.html

七十四人の児童が東日本大震災津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校。避難指示の過失を仙台地裁は認め、遺族らに約十四億円の賠償を命じた。悲劇を繰り返さぬ徹底した対策がいる。
大川小は海岸から約四キロ離れている。大地震が発生して、津波が押し寄せてくるまで、学校側の判断で児童は校庭で待機していた。五十分間ほどだった。避難を始めたのは、津波が来るわずか一分ぐらい前で、大勢の児童が犠牲になってしまった。
五十分という時間を考えると、もし適切な避難指示があれば救われた命だっただろう。避難も津波が来る川の方向だった。校舎のすぐ裏には山があり、一、二分でたどり着ける。「山に逃げましょう」と児童が先生に訴えた証言もあったという。
教職員は防災無線やラジオなどで、大津波警報や避難指示が出ていることも知っていた。サイレンが鳴り、市の広報車が高台への避難を呼びかけてもいた。それでも学校側は「待機」の指示…。児童は自らの判断で避難することもできなかったのだ。
川の堤防の高さは海抜六メートルから七メートル。大川小に来た津波の高さは八・七メートルだったと推定されている。川に向かって避難したのは、結果論としては誤りだった。
仙台地裁が「津波は予測できた」「避難指示に過失があった」とし、二十三人の原告遺族らの言い分を認めたのは当然である。市と県は大川小は浸水予想区域外で津波は予測できず、裏山は崩壊や倒木の恐れがあったなどと反論していたが、それは退けられた。
何よりも遺族側の不信が募ったのは悲劇後の市側の対応にも問題があったからだ。不在だった校長が現場に来たのは六日後だし、生き残った教諭らの聞き取りメモも市教委が廃棄していた。児童の証言も「確認できない」という態度だった。不誠実で責任逃れの姿勢だったのではないか。第三者委員会も設けられたが、結局は真相までたどり着けなかった。
地震はまた来る。その時に備えた十分なマニュアルは不可欠であるし、常に見直しもいる。日ごろの避難訓練も必要だ。大川小の場合は、津波が来た時の避難場所は「高台」となっていたが、高台とはどこかが決めていなかったという。事実なら論外である。
今回の判決は、全国の学校防災のあり方につながる。子どもは学校の管理下にある重みをかみしめてほしい。

宮城・大川小判決 命を預かることの重さ - 毎日新聞(2016年10月27日)

http://mainichi.jp/articles/20161027/ddm/005/070/032000c
http://megalodon.jp/2016-1027-0947-40/mainichi.jp/articles/20161027/ddm/005/070/032000c

教員は、子どもを守るために、事前の想定にとらわれず臨機応変に対応する責任がある。そう判決は指摘した。
東日本大震災津波で74人の児童と10人の教職員が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校を巡る裁判だ。うち児童23人の遺族が市と県に23億円の損害賠償を求めたのに対し、仙台地裁は遺族全員に約14億円を支払うよう命じた。
東日本大震災で、学校にいた児童がこれだけ多数犠牲になった例はほかにない。災害大国である我が国で、自然災害の発生は今後も避けて通ることはできない。

不適当だった避難場所
災害が起きた時、どう子どもの命を守るのか。全国どこの学校でも共通する課題だ。学校が子どもの命を預かることの重みを示した判決だと受け止めたい。
2011年3月11日の地震発生後、同小は児童を校庭に待機させた。約50分後の午後3時33分ごろ、校庭より約6メートル高い近くの北上川の橋のたもとへ避難を開始したが、児童らはその直後に津波に襲われた。
同小は海岸から4キロ離れている。「津波が大川小まで到達することを予測できたのか」「津波から避難することは可能だったのか」が、主な争点だった。

裁判所の判断はこうだ。
市のハザードマップでは、同小は津波の浸水予測区域に含まれておらず、過去に津波が同小まで来たこともなかった。このため事前に津波の襲来は予見できなかった。
ただし当日午後3時30分ごろまでに、市の広報車が津波の襲来と高台避難を呼びかける放送をし、教員が聞いていた。
その時点で津波の危険は予見でき、津波を回避し得る場所に児童を避難させる注意義務を負った。教員が川沿いの場所を避難場所に選んだのは不適当で、過去に児童が授業で登ったことがある裏山に避難すべきだった、というものだ。
「子どもたちはなぜ、安全な場所に迅速に避難することなく、津波にのみ込まれてしまったのか」
そこが遺族が最も知りたかったことだ。石巻市教委は震災後に児童から聞き取りをしたが、その手書きのメモは廃棄してしまった。
遺族が提訴に踏み切ったのは、裁判を通じ真相を明らかにしたかったからだという。裏山に逃げるべきだったという遺族の主張をくんだ判決は、遺族の思いに応えたものだろう。遺族の一人は判決後の記者会見で「この青空の下、子どもたちが聞いていると思う」と述べた。
東日本大震災では、学校や職場などさまざまな場所で津波による犠牲者を生み、管理者の責任を問う訴訟も多く提起された。
これまでの判決で法的責任の有無を分けたのは、地震の発生から津波が襲ってくるまでの間に、関係者が広く情報を収集し、合理的な判断をしたか否かだ。
石巻市の私立日和幼稚園の園児5人が津波で死亡したケースでは、高台にあった幼稚園が被害を免れたにもかかわらず、園が地震直後に園児を送迎バスに乗せて低地の沿岸部へと向かわせた責任を地裁は認定した。訴訟はその後、高裁で和解した。

事前の備えに万全期せ
預かっているのが、自ら避難行動を選択できない子どもである以上、施設側の責任はとりわけ重いということだ。高齢者や障害のある人のための施設、病院なども同じだろう。
今回の判決は、こうした災害弱者のいる施設全体に対して、警鐘を鳴らしたものといえる。
東日本大震災では、大川小の犠牲者を含め児童や生徒、教職員らの死者が600人を超えた。
学校保健安全法は、学校防災マニュアルの作成を各学校に義務付け、校長にはマニュアルの周知や訓練の実施など必要な措置を講じるよう定める。だが、防災への力の入れ方は自治体や学校によってばらつきがあることが東日本大震災で浮き彫りになった。
大川小でも防災対策を10年度に見直し、津波対応を追加したが、津波を想定した避難訓練や引き渡し訓練は一度も行われていなかった。
今回の訴訟で、原告側は、学校側の事前の備えの不十分さも主張したが、判決はそこまで踏み込まず、原告側には不満も残る。
もちろんマニュアルが全てではないが、学校全体で事前に備えてこそ、いざという時に個々の教員が臨機応変に対応できるのではないか。
文部科学省は震災後、防災対策や防災教育の見直しを進め、「学校防災マニュアル作成の手引き」を作り、全国の学校に配った。
そこでは、やはり事前の備えが全ての対応の基本となると強調している。その上で、立地する場所や環境に即した学校独自のマニュアル作りが大切だと説いている。
沿岸部の学校が津波の想定を新たにマニュアルに加えたり、防災教育を授業に取り入れたりする取り組みが今、全国各地の学校で進められている。
学校で子どもの命を守るために何をすべきか。今回の判決はそれを問い直す第一歩だ。

<大川小訴訟>勝訴にも不満が残る遺族 - 河北新報(2016年10月27日)

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161027_13021.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0914-49/www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161027_13021.html

司法に託した願いが届いた。宮城県石巻市大川小津波訴訟判決で、仙台地裁は26日、学校の責任を認めた。児童23人の19遺族が市の対応に失望を深め、提訴に踏み切ってから約2年7カ月。「一つの山を越えた」。長い道のりの末、苦闘がようやく実を結んだ。
「学校は津波を予見し、子どもの命を守らねばならないとの判決は一定の評価をしたい」
遺族16人が出席した判決後の記者会見。6年生だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は険しい表情を崩さぬまま、こう総括した。
3年生だった一人息子の健太君=同(9)=が犠牲となった佐藤美広(みつひろ)さん(55)は「学校や、子どもたちの安全とは何か。裁判所が判決でくぎを刺してくれた。健太の眠る墓にやっと入れるとの気持ちだ」。胸のつかえが取れた様子でマイクを握った。
遺族は東日本大震災後、市への不信感を募らせてきた。関係者の証言メモ廃棄、亀山紘市長の「自然災害の宿命」発言−。判決は、市の事後対応を巡る責任を認めなかった。3年生だった長女未捺(みな)さん=同(9)=を亡くした只野英昭さん(45)は「原告の意見が通らなかった」と、勝訴の判決でも不満が残ると強調した。
児童たちがあの日、校庭にとどまった約45分間に何が起きたのか。遺族はその真相を求めてきたが、新たに判明した事実はほぼなかった。遺族は「もやもやが残る」とする一方、市などとの協議を視野に「これから本当の検証が始まる」と口をそろえる。
「裁判でなぜ子どもが死んだのか、原因究明はできていない。自問自答しても、何に勝ったのか答えが出ない。原因を究明しないと、再発防止にならない。判決はスタートだ」
6年生だった三男雄樹君=同(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)は改めて覚悟をにじませた。

津波犠牲、大川小に過失 県・市に14億円賠償命令 - 東京新聞(2016年10月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016102790070117.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0914-14/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016102790070117.html

東日本大震災時に学校で最大の津波被害を出した宮城県石巻市立大川小を巡り、死亡・行方不明になった児童七十四人のうち二十三人の遺族が市と県に計約二十三億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は二十六日、計約十四億二千六百万円の支払いを市と県に命じた。
学校側は津波襲来を予見できた上、助かった可能性が高い裏山を避難先に選ばなかった過失があると認定。全国の学校防災の在り方に影響を与えそうだ。
大川小は海岸から約四キロ離れ、津波の浸水想定区域の外だったが、高宮健二裁判長は判決理由で「津波到来七分前までに教員らは、標高一・五メートル前後の校庭にとどまっていれば、児童の生命身体に具体的な危険が生じると予見できた」と判断した。学校の前を通った市の広報車が、津波の接近を伝え、高台避難を呼び掛けたのを教員が聞いたことを理由とした。遺族が主張した通り、裏山を避難場所とすることに支障はなかったとも指摘。「被災を回避できる可能性が高かった裏山に避難しなかった結果、津波に巻き込まれた」と、学校側の過失と死亡との因果関係を認めた。標高約七メートルの堤防付近に向け移動したことについては「六〜十メートルもの津波が予見される中、避難場所として適していなかった」とした。周囲の津波の高さは約八・七メートルだった。
判決によると二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に震災の地震が発生。教員は児童を校庭に避難させた。遅くとも午後三時半ごろ、広報車の避難の呼び掛けを教員が把握。同三十五分ごろまでに、児童は約百五十メートル離れた堤防付近への移動を始めたが、同三十七分ごろ、辺り一帯を襲った津波で被災した。

◆襲来まで51分 「山へ」2度訴えたが
あの日、大川小で何が起きたのか。地震発生から津波が襲うまでの五十一分間を、仙台地裁の判決や市の資料から再現した。
午後二時四十六分、各学年とも、帰りの会が終わるころだった。ガタ、ガタと大きな揺れが襲う。児童らは机の下に潜り、必死に耐えた。「怖い」「お母さん」。泣き叫ぶ声が響く。石巻市内の震度は6強。揺れは約三分間続いた。
「落ち着いて避難しよう」。揺れが収まって教師が呼び掛け、児童らは校庭に並んだ。二時五十二分、校庭の防災行政無線が大津波警報の発令を伝えた。
三時前、校舎内の見回りを終えた教務主任が校庭へ。「山へ行くか」。裏山への避難を提案したが「難しい」という判断になった。校長は不在だった。
校庭では地震直後から、集まった保護者へ児童の引き渡しが行われている。「山さ逃げよう」。そんな声は、児童からも親からも上がった。児童は手をつないで「大丈夫」「大丈夫」と励まし合っていた。
「松林から津波が抜けてきた。避難を」。市の広報車が大川小の前を通り、拡声器で呼び掛けた。時刻は遅くとも三時三十分。「津波が来ますよ。どうしますか」。再び教務主任が裏山への避難を提案したが、教頭らから明確な答えはなかった。
教員たちは三時三十分から三十五分ごろ、川沿いの通称・三角地帯(標高約七メートル)を避難場所に決め、避難を開始した。約百五十メートル先で、標高一〜一・五メートルの校庭より五、六メートル高い。
移動を始めて間もなく、教頭が叫んだ。「津波が来ている」。津波襲来は三時三十七分ごろ。波は次々と児童をのみ込んでいった。列の前の方にいた五年の児童は、偶然流れてきた冷蔵庫の中に入り山へ流され、奇跡的に助かった。そこで土に埋まった同級生を見つけ、手で掘って助けた。
校庭にいた児童七十人余りのうち、助かったのはこの児童二人を含む四人。教職員は十人が犠牲となり、「山へ」と訴えた教務主任だけが生き延びた。

<大川小訴訟>教員の防災意識どう判断 - 河北新報(2016年10月25日)

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161025_13024.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0915-21/www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161025_13024.html

大川小校舎=2016年2月11日、宮城県石巻市

学校の管理下にある児童の命を守るため、教職員に求められる防災意識とは−。宮城県石巻市大川小津波訴訟では、仙台地裁がこの点をどう判断するかも重要な焦点となる。遺族側は「教職員は児童の安全を最優先に配慮すべき規範的立場にあり、安全を守るため専門知識や判断力が求められる」と主張。一方、市側は「行政の被害想定に基づく当時の認識は、公立小学校の一教職員としてやむを得ない」と反論する。過去の訴訟では、災害発生時の状況や事前の科学的知見を基に責任の有無が判断されてきた。
最高裁は1990年3月、東京都立高専の山岳部員が雪崩で犠牲となった事故を巡る「木曽駒雪崩遭難事故訴訟」で、「教師は事故を防止すべき一般的な注意義務を負う」と指摘。「引率教師が通常の注意を怠らなければ、雪崩の危険を十分予見できた」と認めた東京高裁判決を支持し、雪崩は不可抗力だったとする都側の主張を退けた。
最高裁が登山を引率した教師の過失責任を認めたのは初めて。大川小訴訟でも遺族側が引き合いに出し、「小学生は高校生より教員に対する依存度が高く、安全配慮義務の程度は一層大きい」と主張した。


「サッカー落雷事故訴訟」最高裁は2006年3月、落雷事故を回避する方法が多くの一般書籍や児童書にも記載されていた点を挙げ、「暗雲が立ち込め、雷鳴が聞こえていた状況から、危険が迫っていることは予見できた」と判断。「落雷事故は予見不可能」とした一、二審判決を覆し、児童生徒の命を預かる教育関係者に警鐘を鳴らした。
落雷訴訟で遺族側の代理人を務めた津田玄児弁護士(東京)は「津波発生時、川や海に近づかず、高い所に避難すべきだというのは震災当時も一般的な認識だった。行政の事前想定にただ従うのではなく、命を預かる学校が子どもをどう守るかという視点が重要になる」と話す。

[木曽駒雪崩遭難事故訴訟]1977年3月、東京都立高専山岳部のパーティー10人が長野県の中央アルプス駒ケ岳で雪崩に襲われ、死亡した生徒ら7人の遺族が都に損害賠償を求めた。最高裁は90年3月、「学校行事で引率する教師には、学生を危険から保護する注意義務がある」とし、都に計約4億2000万円の支払いを命じた二審判決を支持し、都側の上告を棄却した。

[サッカー落雷事故訴訟]1996年8月、大阪府内で高知市の私立高1年の男子生徒=当時(16)=がサッカー大会の試合中、落雷に遭い失明した。生徒側は学校などに損害賠償を求め提訴。一、二審判決は請求を棄却したが、最高裁は「教諭は落雷を予見できた」として審理を差し戻した。高松高裁は2008年9月、約3億円の支払いを学校などに命じ、確定した。

いじめの防止 背景をもっと知りたい - 東京新聞(2016年10月27日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102702000137.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0948-11/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102702000137.html

いじめ防止対策推進法の施行から三年余り。いじめられ、自殺に追い込まれる深刻なケースが後を絶たない。なぜ食い止められないのか。背景事情を共有して、もっと手厚い予防策を打てないか。
二〇一一年に大津市の中学二年生が自殺した事件を契機に、議員立法で制定された法律だ。施行三年を迎え、国のいじめ防止対策協議会は運用上の課題を探り、多岐に及ぶ改善策を打ち出した。
一義的には、やはり教育現場の危機意識の薄さと対処能力のもろさが問題だろう。
学校はいじめを防ぐための基本方針を立て、対策組織を置くよう義務づけられた。だが、実態として機能しているとは言い難い。
教員が一人で問題を抱え込んだり、学校全体での取り組みがおろそかになったりして重大な結果を招いたケースも目立つという。組織的に情報を共有すれば、複眼的に事態を捉えられ、多様な介入の仕方が可能となるに違いない。
改善策では、教員の日常業務の中で「自殺予防、いじめへの対応を最優先の事項に位置付けるよう促す」と踏み込んだ。遅きに失した感は否めないが、うなずける。
言うまでもなく、子どもの健やかな成長にとって学校環境の安全安心は大前提だ。教員の事務負担を軽くし、子どもと丁寧に向き合える時間を広げてほしい。いじめ対策専任教員の配置も望みたい。

気がかりな点もある。
法律の立て付けでは、いじめの早期発見、早期対応に主眼が置かれている。未然防止の手だてがいまひとつ物足りなく見える。
もちろん、情操や道徳心、対人関係を紡ぐ力を培う教育や、親や地域住民への啓発は大切だ。しかし、ほとんどの子どもは、いじめは悪いことと知っている。にもかかわらず、いじめは絶えない。
どんな子どもも、いじめる側にも、いじめられる側にも回りうる。そうした認識が、かえって個々の問題の動機や原因の究明を鈍らせている面はないだろうか。
いじめた経験のある小中高生の各約七割が、いじめていた頃に自分も悩んだり、つらかったりしたことがあると答えている調査報告がある。さまざまな加害の背景事情に寄り添えなければ、いじめの根絶は難しいだろう。
とりわけ自殺や不登校といった重大事態に追い込まれたケースでは、加害の実相を社会全体で共有したい。学校はもとより、家庭や周囲が感度を高め、対処する力を磨く手掛かりになるはずだ。

(筆洗)自民党が「連続二期六年」だった党総裁の任期を「連続三期九年」にまで延長する方針を決めた - 東京新聞(2016年10月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016102702000136.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0948-40/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016102702000136.html

ジャイアンと道ですれ違ったスネ夫が「よっ、人気歌手。これからテレビ局?」と声を掛ける。ちょっと高く、どこか底意地の悪い声が聞こえてきそうである。「ドラえもん」の骨川スネ夫などの声を担当した声優の肝付兼太(きもつきかねた)さんが亡くなった。八十歳。「オバQ」のゴジラや「ジャングル黒べえ」の黒べえ。お世話になった世代は幅広いだろう。
冒頭のスネ夫。歌声を聞けば、耳をふさぎたくなるほど音痴のジャイアンに対し、あからさまなお世辞だが、ジャイアンには効果がある。
お世辞、おべんちゃら、ヨイショ。スネ夫の浅ましき得意技とはいえ、どこか憎み切れないのは、きっと、世間の荒波の中で、われわれもときにスネ夫になるからだろう。
それにしても、なんと大勢のスネ夫であろうか。自民党が「連続二期六年」だった党総裁の任期を「連続三期九年」にまで延長する方針を決めた。これにより二〇一八年九月に任期切れとなるはずだった安倍首相(総裁)は三選を目指して出馬ができる。どう説明しても権勢を誇る安倍さんへのゴマスリと世間は見るだろう。
血で血を洗う権力抗争など、見たくもないが、総裁の座を目指し、政治力、政策力を磨き合ったかつての自民党のギラギラした熱や臭いが懐かしくもなる、今回の方針決定である。
「よっ、三期九年」。党本部から肝付さん演じたあの声が聞こえてくる。

(余録)作家の井上ひさしさんは小学生で敗戦を迎えた… - 毎日新聞(2016年10月27日)

http://mainichi.jp/articles/20161027/ddm/001/070/127000c
http://megalodon.jp/2016-1027-0949-05/mainichi.jp/articles/20161027/ddm/001/070/127000c

作家の井上(いのうえ)ひさしさんは小学生で敗戦を迎えた。その次の年、ひさし少年は露店の古本屋で戦前の分厚い「少年倶楽部(くらぶ)」を見つけて喜んだ。さっそく買って、家で開いて驚いた。表紙だけ本物だが、中身は全然別物、みごとにだまされた。
ひさし少年は今度こそと、「少年クラブ」最新号を注文した。手に入ったのは新聞のようなもので、ハサミで切って、自分でとじて冊子にするのだった。「完成して読み始めたんですけど、あっという間に終わっちゃう。なにしろ三十二ページしかないんですから」
津野海太郎(つのかいたろう)さんの「読書と日本人」(岩波新書)から井上さんの「本の運命」の孫引きをさせてもらった。いやはや大人も子どももみんな本と活字に飢えていた時代だった。読書週間が始まったのはその翌年の1947年の11月で、迎えて今年はちょうど70回となる。
小紙が読書週間にあわせて行ってきた読書世論調査によると、書籍読書率(本を読む人の割合)は戦後間もない時期に急上昇した後は5割前後の状況が続いている。出版文化のピンチは事実だろうが、「2人に1人は本を読む」という実情はそう変わっていないのだ。
初回調査で今後力を入れるべき出版ジャンルを尋ねたら「科学技術」が1位だった。それが復興の鍵と思われた時代である。この時に12ジャンル中最下位だった「趣味娯楽」が4位になった今日のトップは何だったろう。初回では11位の「歴史」というのが興味深い。
「いざ、読書。」は今年の読書週間の標語である。終戦直後、本を手作りしても読みたかった人々の血はわずか70年足らずで絶えてしまうはずがあるまい。

読書と日本人 (岩波新書)

読書と日本人 (岩波新書)

 放射線授業、やり直しへ 堺市教委「非科学的で不適切」 - 朝日新聞(2016年10月27日)

http://www.asahi.com/articles/ASJBV3DFGJBVPPTB004.html?iref=comtop_8_03
http://megalodon.jp/2016-1027-0949-36/www.asahi.com/articles/ASJBV3DFGJBVPPTB004.html?iref=comtop_8_03

放射線について教える文部科学省の出前授業で、堺市南区の小学校に派遣された講師の発言が誤解を招く内容だった問題で、堺市教委は26日、同校の児童向けに授業をやり直す意向を示した。同日の市議会特別委員会で説明した。市教委は「講師の発言は明らかに誤解を与え、非科学的で不適切だった」と謝罪した。
特別委で山口典子氏(ソレイユ堺)の質問に答えた。やり直しの授業は同校教諭と市教委が担当する。また、市教委が出前授業を依頼する際は事前に内容を確認するなどの対策を取ることも明らかにした。
この問題では、文科省の委託を受けた団体の講師が、原発事故時には「鉄板だらけの服を着て歩いちゃう」などと発言。見学した保護者から不適切だという声が出ていた。文科省も「誤解をうむ発言があった」として委託先の団体を指導した。
放射線原発についての市民向け講座を開いている札幌学院大の川原茂雄教授は「出前授業は客観的事実と科学的真実が担保されないとプロパガンダ(政治宣伝)になってしまう。国の予算で開く以上、授業の内容も一定の水準を維持する必要がある」と話した。(村上潤治)

待機児童問題なお深刻 都心で「認可施設に入園できた」50%割れ - 東京新聞(2016年10月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201610/CK2016102602000125.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0920-05/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201610/CK2016102602000125.html

全国の政令指定都市東京二十三区を含む南関東の主要な都市で、今年四月に認可保育施設へ入所できた子どもの割合が平均72・8%にとどまることが、乳幼児の保護者らでつくる市民団体の調査で分かった。昨年四月より1・5ポイント低下し、待機児童問題がより深刻になっていることが浮き彫りになった。地域差も大きく、東京都心部では50%を割り込む自治体もあった。 (柏崎智子)
調査した「保育園を考える親の会」(豊島区、会員約四百人)は認可保育所などの認可施設に申し込んだ子どもの中で入所できた子どもの割合を「入園決定率」と呼び、全国の政令市と東京都、神奈川、埼玉、千葉県の主要都市の計百市区に調査票を郵送。このうち七十八市区から回答があった。
七十八市区平均の入園決定率は72・8%。ただ地域差が大きく、東京都渋谷区と港区は50%を切り、低い順で十位までのうち九市区が都内。他県では埼玉県朝霞市(56%)、神奈川県鎌倉市(59・4%)が六割に届かなかった。
同会には、保護者が子どもの預け先を探す「保活」についての相談が数多く寄せられており、出産前から始めるなどの長期化が目立っているという。会員で、昨年に保活をした会社員渡辺寛子さん(39)=新宿区=は「『妊娠おめでとう』と『保育園大丈夫?』がセットの会話になっている」と話した。同会の普光院(ふこういん)亜紀代表は「子どもとゆったり過ごして愛情を育むべき育児休業期間を、不安にさいなまれて過ごしている」と指摘した。
同会は入園決定率について二〇〇九年から調査。一五年四月から定員十九人未満の小規模保育や幼稚園の預かり保育なども認可施設となり、同会は同年から、これらの保育施設も調査対象に含めている。国では同様の調査は実施していない。
同会は調査結果の報告書を一部八百円で販売。問い合わせは同会=電03(6416)0721=へ。

◆「園庭あり」都心わずか2割
「保育園を考える親の会」は、園庭のある認可保育所の割合についても調査。回答した八十九市区で平均78・1%だった。昨年より2・2ポイント低く、都心では二割という自治体もあった。普光院代表は「活発に体を動かして成長することが必要な時期の子どもたちへの影響が心配」と話した。
広い土地の確保が難しい中で急速に保育所を整備している都市部では、ビルの一室などで開所し、園庭のない保育所も増えている。
都心などでその傾向が強く、園庭のある保育所の割合が、東京都文京区、港区、中央区は20%台にとどまった。一方、新潟、静岡、神戸市などの政令市や千葉県我孫子市、埼玉県新座市などは100%備えていた。
国の決まりでは、認可保育所でも近くに公園があれば園庭はなくてよい。しかし、乳幼児を公園まで安全に連れて行くには通常の保育にかかる以上に人手が必要で、会には「保育所から『職員数が足りず、毎日は公園に連れて行けない』と言われた」というケースも報告されている。
普光院代表は「昔は認可保育所に園庭があるのは常識だった。幼稚園は必ず運動場を設けなければならない基準になっている。園庭のない施設が多い都心の状況は改善が必要だ」と指摘した。

(私説・論説室から)「土人」発言の深奥を読む - 東京新聞(2016年10月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016102602000133.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0920-53/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016102602000133.html

沖縄県の米軍北部訓練場でのヘリパッド移設工事をめぐり、大阪府警から派遣され、現場を警備していた機動隊員が、工事に抗議する人々に「土人」などと暴言を吐いた。別の機動隊員も「シナ人」などとののしった。
いずれも、差別意識に基づく、官憲による暴言だ。断じて許してはならない。その怒りを前提に、一連の発言の深奥に潜む意味を考えてみたい。
土人とは、土着の人を指す言葉で、軽蔑や侮辱の意味を含んで使われる。かつてアイヌの人々に対しても使われたことがある。官憲が沖縄に住む人を土人と呼んだことは先例に従えば、琉球民族が日本人とは違う歴史を持つ先住民族であると公に認めたことになる。
一方、シナ人発言はどうか。そもそも琉球王国は日中両国に朝貢した両属国家だった。官憲によるシナ人発言は、沖縄に対して日本への帰属を強制しないことを、公権力が認めたことにもなる。一連の発言は、沖縄の独立運動に根拠を与えるかもしれない。日本国憲法に定める日本国民統合の危機である。
大阪府松井一郎知事は自身のツイッターに、表現の不適切さを認めながらも「出張ご苦労様」などと書き込んだ。こののんきさには驚く。もし危機感を覚えたのなら、沖縄に自ら赴き、翁長雄志知事と県民にわびるべきである。そうでないのなら…、そこまで言うのはやぼであろう。 (豊田洋一)

「土人」発言の背景…警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が! ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動 - litera_web(2016年10月26日)

http://lite-ra.com/2016/10/post-2648.html

「警察組織内部、とくに警備や公安の間で、沖縄の基地反対派への差別的な悪口がかわされるのは、けっして珍しい話じゃない。彼らは、基地反対派にかぎらず、共産党、解放同盟、朝鮮総連、さらには在日外国人などに対しても、聞くに堪えないような侮蔑語を平気で口にする。我々の前でもそうですからね。これにはもちろん理由があって、警察では内部の研修や勉強会、上司からの訓示など、さまざまな機会を通じて、警察官に市民運動やマイノリティの団体、在日外国人などを『社会の敵』とみなす教育が徹底的に行われるからです。その結果、警察官たちには、彼らに対する憎悪、差別意識が植え付けられていく。軍隊ではよく、敵国の人間を自分たちとまったくちがう下等な生物扱いをして兵隊の戦意を煽るといいますが、それとまったく同じやり方ですね」
実は、こうした警察の“差別思想養成教育”の存在を裏付けるような話をキャッチした。警察では「専門の雑誌を使って、極右ヘイト思想を警察官に植え付けている」というのだ。
その専門の雑誌というのは「BAN」(株式会社教育システム)。聞きなれない名前だが、警察官しか読むことのできない警察官のための月刊誌だという。

「戦中・戦後の教科書展」170点展示 柿生郷土史料館で29日から:神奈川 - 東京新聞(2016年10月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201610/CK2016102602000164.html
http://megalodon.jp/2016-1027-0921-22/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201610/CK2016102602000164.html

川崎市麻生区の柿生郷土史料館で29日、「戦中・戦後の教科書展」が始まる。同館がある市立柿生中学校が創立70周年を迎えるのを記念した企画展。戦中・戦後の子どもたちの学習の様子を伝えようとの狙いで、関係者は「新史料を募り、当時を知る皆さんから懐古談をうかがう機会にもしたい」と意気込んでいる。 (山本哲正)
教育基本法や学校教育法が一九四七年に制定され、義務教育が六年から九年に延長され、新制中学が始まった。柿生中は現在の麻生区内では当時、唯一の新制中学として誕生した。
企画展には、同区王禅寺東の琴平神社に保管されていた、先代宮司志村文雄さんやきょうだいらが使った教科書を中心に、計約百七十点が展示される。
史料館によると、柿生中で使用された理科の教科書は、一冊にまとまった形ではなく「私たちの科学1 空気はどんなはたらきをするか」「私たちの科学2 水はどのように大切か」など、六巻に分かれていた。一巻は四七年三月発行だが、二巻は同年十一月になって発行されており、戦後の混乱がうかがえる。
どこの学校で使われたかは分からないが、旧制中学校で使われた英語や国史(日本史)の教科書もある。英語は戦時中、敵性語とされ、野球用語のアウトやストライクも日本語に言い換えられていた。それだけに学校で英語を教えていた意外性を感じさせる。一方、国史は、国の成り立ちは神話から始まっている。皇位継承をめぐる戦い「壬申の乱」などは記されていない。
教科書ではないが、柿生中で毎年作っている生徒文集「うれ柿」の第一号(四九年発行)も紹介され、卒業生らには懐かしさを覚える展示内容となりそうだ。
史料館は、郷土の文化財や歴史を後世に伝えるため、地元住民と柿生中が連携して同校一階に二〇一〇年に設けた。地元住民ら有志約三十人が支援委員として管理・運営し、そのうち元教員や元出版編集者ら七人が展示解説のできる専門委員を務めている。
専門委の一人で元高校社会科教諭の小林基男さん(74)は「旧制中学に通うことができた生徒は、尋常小学校を卒業した男子のうち10%に満たない、選ばれた者だった。庶民に禁じられた英語を学ぶ教科書を見ると、エリートはやはり特別な存在だったと分かって、面白い」と解説。来場を呼び掛けるとともに、さらに当時の教科書をそろえたいと提供を求めている。
      ◇
柿生中の住所は、麻生区上麻生六の四〇の一。展示の日程は十月二十九日から来年一月二十二日までの偶数月の土曜日、奇数月の日曜日(十二月二十四、三十一日、一月一日を除く)の午前十時から午後三時。入場無料。問い合わせは柿生郷土史料館=電070(1503)6401=へ。