「あったものをなかったものにできない。」からもらった勇気 - キッズドア 渡辺由美子 オフィシャルブログ(2017年5月27日)

http://fb.me/5GkKYZeTB

前川前文部科学省事務次官が、加計学園をめぐる文書で記者会見をされた。

様々な憶測が流れていて、何が真実か見えづらい。

実は、前川氏は、文部科学省をお辞めになった後、私が運営するNPO法人キッズドアで、低所得の子どもたちのためにボランティアをしてくださっていた。素性を明かさずに、一般の学生や社会人と同じようにHPからボランティア説明会に申し込み、その後ボランティア活動にも参加してくださっていた。

私は現場のスタッフから「この方はもしかしたら、前文部科学省事務次官ではないか」という報告は受けていたが、私が多忙で時間が合わず、また特になんのご連絡もなくご参加されるということは、特別扱いを好まない方なのだろう、という推測の元....

文部科学省前次官が会見「文書なかったことにできない」 - NHK(2017年5月25日)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170525/k10010994791000.html
http://archive.is/2017.05.26-005339/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170525/k10010994791000.html

学校法人「加計学園」が愛媛県今治市に設置する計画の獣医学部をめぐり文部科学省の前川前事務次官が記者会見を開き、「総理の意向だ」などと記された一連の文書について、「確実に存在していた。あったものをなかったことにできない」と述べたうえで、「極めて薄弱な根拠で規制緩和が行われた。公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられた」と訴えました。
国家戦略特区により、学校法人「加計学園」が愛媛県今治市に来年4月に設置する計画の獣医学部をめぐり、先週、国会でその選考の途中に内閣府文部科学省に対して「総理の意向だ」などと発言したとする複数の文書の存在が指摘されました。文部科学省は調査した結果、「該当する文書は確認できなかった」と説明しています。

これについて、当時の文部科学省事務次官だった前川喜平氏が記者会見を開きました。
この中で、前川前次官は一連の文書について「私が在職中に専門教育課で作成されて受け取り、共有していた文書であり、確実に存在していたものだ」と述べて、文部科学省で作成された文書だと主張しました。そして、「私が発言をすることで文部科学省に混乱が生じることは大変申し訳ないが、あったものをなかったことにはできない」と述べました。

そのうえで、「官邸、内閣官房内閣府という政権中枢からの要請に逆らえない状況があると思う。実際にあった文書をなかったことにする、黒を白にしろと言われるようなことがずっと続いていて、職員は本当に気の毒だ」と話しました。

また、特区制度のもと、今治市加計学園が選考されたいきさつについては、「結局押し切られ、事務次官だった私自身が負わねばならない責任は大きい」と発言したうえで、「極めて薄弱な根拠で規制緩和が行われた。公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられたと思っている」と述べました。

さらに、「証人喚問があれば参ります」と述べ、国会でも一連の経緯について証言する意向を示しました。

会見は、弁護士が同席して1時間以上続き、前川前次官は、時折、汗を拭いながら、質問に答えていました。
前川前次官は、文部科学省天下り問題の責任をとり、ことし1月、辞任しています。
官房長官 怪文書の認識変わりない
官房長官は、午後の記者会見で、学校法人「加計学園」が運営する大学の獣医学部の新設をめぐり、民進党が指摘している「総理の意向だ」などと書かれた文書の存在について、記者団が、「以前の会見で『怪文書のような文書だ』と言っていたが、前川氏の証言を聞いても認識は変わらないか」と質問したのに対し、「出どころが不明で信ぴょう性も定かではない文書だ。全く変わりはない」と述べました。

また、菅官房長官は、文部科学省による再調査の必要性について、「文部科学省で1回調査し、『文書の存在は確認できなかった』と松野大臣が言っているので、それ以上でもそれ以下でもない」と述べました。
さらに、菅官房長官は、記者団が、「政府としては、文書の存在は無かったということか」と質問したのに対し、「そういうことではないか」と述べました。
松野文科相「会見の様子知らない」
松野文部科学大臣は、25日夕方、総理大臣官邸で記者団に対し、「前川前事務次官の記者会見の様子を、会議に出ていて全く存知あげておらず、自分が把握していない内容について無責任に発言することはできない」と述べました。
自民 小此木国対委員長代理「国会招致 必要性感じない」
自民党の小此木国会対策委員長代理は、NHKの取材に対し、「文書については政府も国会で『確認できない』と答えており、不確定要素のある文書から話が始まっている。野党側から正式な要求が来ているわけではないが、現段階で前川前次官の国会招致の必要性は感じていない」と述べました。
公明 大口国対委員長「何らかの意図感じる」
公明党の大口国会対策委員長は記者団に対し、「事務次官だった時は何ら発言していないのに、辞めてから、なぜ今、こうした発言をするのか分からず、何らかの意図が感じられる。問いただすべきは、文部科学大臣文部科学省の責任ある現職の方々であり、説明を求めれば責任を持って答えると思う。前川前次官は、文部科学省を辞めていて、文部科学省を代表する方ではないので、前川氏を呼んで何かを解明するということは違う」と述べました。
民進の調査チームに文科省「文書は確認できず」
文部科学省の前川前事務次官の記者会見を受けて、民進党は、調査チームの会合を開き、文部科学省に、文書の存在などの事実関係を改めてただしました。
これに対し、文部科学省の担当者は、「前川氏の発言は確認していない。すでに調査したが、文書は確認できなかった。われわれとしては調査したので、それに尽きる」と述べました。
調査チームは今後、前川氏から直接、事実関係について話を聞きたい考えで、会合への出席を求めていくことにしています。
民進 山井国対委員長「政府の隠蔽明らかに」
民進党の山井国会対策委員長は記者団に対し、「当時の文部科学省の事務方のトップが、文書を本物と認め、『行政がゆがめられた』と発言したことは、極めて重大だ。政府が一体となって真実を隠蔽していることが明確になり、言語道断だ。前川前次官は、『証人喚問に応じる』と言ったので、与党は、拒む理由は無く、早急に前川氏の証人喚問を実施すべきだ。また、安倍総理大臣の今までの発言が正しかったのかも問われるので、早急に予算委員会の集中審議を開くべきだ。安倍総理大臣が、身の潔白を証明したいのであれば、正々堂々と、国会の場で説明してほしい」と述べました。
共産 穀田国対委員長「文書の信ぴょう性高まった」
共産党の穀田国会対策委員長は、記者会見で、「『総理のご意向』と記された文書の信ぴょう性が、いよいよ高まってきた。真相究明が国会の責務であり、前川前事務次官は『証人喚問には応じる』と述べているので、国会として証人喚問を行うべきだ。森友学園の疑惑の際には、自民党が、わざわざ証人喚問を要求したのだから、今回も当然、応じるべきだ。また、『総理のご意向』という問題が取り沙汰されているわけで、安倍総理大臣に対して真相究明を求めるため、予算委員会の集中審議も当然必要だ」と述べました。
維新 遠藤国対委員長「証人喚問か参考人招致必要」
日本維新の会の遠藤国会対策委員長は、記者会見で「記者会見の内容を見ると、はぐらかしている部分もあるので、明確にするために、与野党ともに合意形成が図れれば、証人喚問なり参考人招致も必要ではないか。一方で、きょうの段階では、完全に一方通行の話なので、本当に真実がどこにあるか確認したうえでないと、何でもかんでも証人喚問すればいいというものでもない。文部科学省自体の自浄作用も、この機会に働かせてもらう必要がある」と述べました。
問題となった文書とは
会見で指摘された文書は獣医学部の選考が続いていた去年9月から10月にかけて、文部科学省内閣府の担当者などとのやり取りを記したとされる複数の記録です。

内閣府の回答〜総理のご意向」
このうち、「大臣ご確認事項に対する内閣府の回答」と書かれた文書は、今治市獣医学部を設置する時期について、「最短距離で規制改革を前提としたプロセスを踏んでいる状況で、これは総理のご意向だと聞いている」と書かれています。

内閣府からの伝達事項」
別の文書では、内閣府側が、平成30年4月にこの学部を開学するのを前提に文部科学省側に最短のスケジュールを作成するよう求めたと記されています。さらに、内閣府側が「これは官邸の最高レベルが言っていること。山本大臣も『きちんとやりたい』と言っている」などと述べたと書かれています。

「内閣幹部メモ」
さらに、内閣官房の幹部からの指示をまとめたとする10月7日の日付のメモには、「四国には獣医学部がないので、その点では必要性に説明がつく」という発言のほか、「加計(かけ)学園が誰も文句が言えないようなよい提案をできるかどうかだ」という発言が記されていました。

「9/26メモ」
去年9月下旬の日付が書かれた文書には、内閣府文部科学省との打ち合わせとされる内容が記されていて、このなかで内閣府の幹部は「平成30年4月にこの学部を開学するのを大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」と文部科学省側に要請しています。これに対し、文部科学省側が、「今治市の構想を実現するのは簡単ではない」と答えると、内閣府側は「できない選択肢はない。やることを早くやらないと責任をとることになる」と述べたと記されています。

「11/8のメール」
メールの画面を印刷したと見られる文書には、文部科学省の担当者が加計学園について省内の関係する部署に一斉にメールを送信したとされる内容が書かれています。この中では、獣医学部の設置場所が決まる前に、担当課の職員が大臣や局長から、「加計学園に対して、文科省としては現時点の構想では不十分だと考えている旨、早急に厳しく伝えるべき」と、特定の学校法人の申請内容について指示を受けたと記されています。

これらの文書やメールについて、松野文部科学大臣はいずれも「調査の結果、確認できなかった」としています。

山城議長長期拘束は「人権法上問題」 国連報告者ら是正を求める - 東京新聞(2017年5月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201705/CK2017052802000117.html
http://archive.is/2017.05.28-011702/http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201705/CK2017052802000117.html

ジュネーブ=共同】米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設などへの抗議活動に伴い逮捕された沖縄平和運動センターの山城博治(やましろひろじ)議長(64)=傷害罪などで公判中=に関し、国連の特別報告者ら四人が二月末、長期拘束などには国際人権法上問題があるとして日本政府に速やかな是正を求めていたことが分かった。国連人権高等弁務官事務所が二十六日、四人の緊急共同アピールを公表した。
山城議長は、米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯建設の抗議活動に伴って有刺鉄線を切断した器物損壊容疑で昨年十月に逮捕され、約五カ月拘束された後、三月十八日に保釈された。人権団体は「アピールが圧力になった可能性がある」と指摘している。
緊急アピールは二月二十八日付で、国際人権法や国際人道法の専門家であるデービッド・ケイ氏(米国)ら四人の連名。山城議長の活動は人権を守る行為と考えられるとして逮捕や長期勾留、容疑に懸念を示し、日本の表現や平和的な集会の自由への「萎縮」効果も懸念されると指摘した。
また、長期の拘束などに関連して「適切な法的手続きの欠如」を指摘する声があるとし、独立した公正な裁判の前に自由を制限されない権利を保障するべきだと日本政府に訴えている。
一方、日本政府は四月十日にジュネーブの国際機関代表部を通してアピールへの回答を送付。法的手続きは適正で国際人権法上も問題はないと反論していた。
山城議長の支援者らは二十七日、「政府は謙虚に受け止めるべきだ」と主張。弁護人の池宮城紀夫(いけみやぎとしお)氏(77)は「辺野古での抗議は、最低限の抵抗権を行使したもの。弾圧のために微罪で逮捕するのは当然、人権侵害だ」と訴えた。
日本政府の回答について沖縄平和運動センターの大城悟(おおしろさとる)事務局長(53)は「政府はとにかく、主張を正当化しようとする」と批判した。

二つの地獄 若い世代に伝えたい 横浜大空襲から72年:神奈川 - 東京新聞(2017年5月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201705/CK2017052802000133.html
http://archive.is/2017.05.28-011544/http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201705/CK2017052802000133.html

一九四五(昭和二十)年五月二十九日の横浜大空襲から、間もなく七十二年。「空襲は暮らしの場を地獄にした。戦争の実態を知らない若い世代に、そんな記憶を伝えたい」。当時、横浜市南区に住んでいた打木松吾(うちきしょうご)さん(85)=横須賀市長井=は、二十九日午後二時から、横浜市中区の横浜にぎわい座で開かれる「5・29横浜大空襲祈念のつどい」で、体験を語る。 (梅野光春)
当時十三歳の打木さんの記憶に残る横浜大空襲は、二つの「地獄」だ。一つは焼夷弾(しょういだん)による火炎と煙の中を逃げ惑ったこと。「焼夷弾って分かる? 落ちると、中に詰めた油がシューッと出てきて、点火する。木造の家はすぐ燃える」
その日、横浜市内の工業学校に登校するとすぐ、空襲の危険があるからと自宅に帰らされた。乗った電車は空襲が始まると止まり、打木さんは道路脇の小山に掘られた横穴型の防空壕(ごう)に避難。だが十五分ほどで火の手が迫り、壕を出た。
すると晴天の空が煙で覆われ、あたりは暗い。「壕にいた短い間に、夜になったようだった。腰が抜けて自分は今日死ぬと思った」。道には燃えて倒れた木製の電柱が転がる。路上をはう電線をよけて走り、自宅の防空壕に潜った。「防空壕といっても、各家庭のものは床下に穴を掘っただけ。家が焼け、壕の中で蒸し焼きのようになってしまい、亡くなる人もいた」
自宅の近くに焼夷弾が落ち始めると、母親に「逃げなさい」と言われて壕を出て、近くの学校のグラウンドへ近所の人と列を成して走った。前で転んだ年配の女性を、勢いのまま踏んで進んだ。「自分が逃げるので精いっぱい。人の体を踏んだ、ぐにゃっという感覚は今も残っている」
一時間足らずの空襲の後、打木さんが見たのは「第二の地獄」だった。自宅近くの寺の境内に、真っ黒焦げの人や、焼けていないが動かない人、赤ちゃんを背負った女性など、多数の遺体が横たえられていた。「百以上はあったと思う。熱い中を逃げ回ったのに続く、地獄の光景だった」
そこに、顔にやけどをした母親が歩いてきた。近所の人の避難を助けていたという。「地獄」の中、ホッとした瞬間だった。だが自宅は全焼し、その晩は親戚宅に身を寄せた。
死と隣り合わせながらなんとか助かった記憶を、大勢の前で語るのは初めて。「戦争の苦難は、兵隊さんだけに降り掛かるのではない、と伝えたい。それに、いまの核ミサイルなら、一瞬で何十万人も亡くなる。絶対に戦争をやってはならない、というのが結論です」と力を込める。
「つどい」は、資料代五百円。問い合わせは「横浜の空襲を記録する会」=電090(8303)7221=へ。

◆資料展示や講演、朗読劇
戦争の悲劇を繰り返さないため、過去を知ろう−。横浜大空襲の資料展示や戦争に関する講演などがある「2017平和のための戦争展inよこはま」は六月二〜四日、かながわ県民センター(横浜市神奈川区鶴屋町)で開かれる。
空襲や学童疎開横浜市内の戦跡など、戦時の様子を伝える資料など約五百点を展示。三、四日の午前十一時からは横浜大空襲の体験者らが会場で当時の記憶を振り返る。入場無料。
特別企画として、三、四日の午後一時半から講演会や朗読劇も予定(資料代五百円)。一九七七年九月に横浜市緑区(現在は青葉区)に米軍機が墜落し、母子三人が亡くなるなどした事故から四十年を迎えるため、三日は、俳優の高橋長英さんの朗読とトーク「横浜米軍機墜落から四十年−ハトポッポを歌いながら」などを予定。四日は、作家の山崎洋子さんの講演「横浜の光と影」などがある。同展事務局を務める吉沢てい子さん(67)は「戦争で何が起き、戦後、そして今にどうつながっているのかを見つめてほしい」と語る。問い合わせは実行委員会=電045(241)0005=へ。

<横浜大空襲> 1945(昭和20)年5月29日午前9時22分から同10時半にかけ、米軍のB29爆撃機約500機とP51戦闘機約100機が横浜市中心部を襲撃。木造家屋が火災を起こしやすい焼夷弾を約44万個、約2600トン投下した。直後の記録によれば、横浜市内では死者3649人、負傷者1万197人、行方不明者300人の人的被害があり、7万8949戸が焼けるなどした。横浜市は戦時中、ほかに20回以上、空襲を受けた記録がある。

憲法70年 学問の自由は誰のために - 朝日新聞(2017年5月28日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12959885.html?ref=opinion
http://archive.is/2017.05.28-011352/http://www.asahi.com/articles/DA3S12959885.html?iref=comtop_shasetsu_01

憲法23条は、誰のために「学問の自由」を保障しているのだろうか。
直接には「学問をする人」、つまり学者や研究者を対象にした条文だ。だがその土台には、自由に支えられた学術の進展こそが、広く社会に健全な発展をもたらすという思想がある。
明治憲法には学問の自由の保障はなかった。戦前、時の政権や軍部は一部の学説を「危険思想」「不敬」と決めつけ、学者が大学から追われるなどの弾圧が相次ぐなかで日本は戦争への坂道を転げ落ちていった。
■法人化が影を落とす
その歴史への反省が、現行憲法が独立の条文で学問の自由をうたうことにつながった。
具体的な表れが大学の自治である。
教員人事や研究・教育内容の決定、構内への警察立ち入りの制限などで、大学が公権力を含む学外の勢力から独立し、自主・自律を保つ。学問の自由はそれらの自治を保障している。
日本は戦後、科学技術をはじめ学術が花開くにつれ、経済発展を果たした。学問の自由に関しては、憲法の理念が実を結んだように見えた時期もあった。
ところがいま、大学、とりわけ税金に頼る割合の高い国立大学が身もだえしている。
発端は、2004年に実施された国立大学の法人化だ。
経営の自由度を高め、時代の変化に対応できる大学への脱皮を促す。文部科学省はそう説明する。
しかし背景に透けて見えるのは、少子高齢化と財政難のなかで、競争強化によって大学のぬるま湯を抜き、お金をかけずに世界と渡り合える研究水準を維持したい。そんな思惑だ。
実際には多くの大学で「改革疲れ」が起きた。
主体的に議論し、自ら描いた将来像に向けて改革を着実に進めるというより、文科省の意向を探り、それに沿って上乗せ予算を確保しようとする動きが広がった。情報収集などの名目で官僚の天下りを受け入れた大学もあった。
■日本発の貢献が低下
国立大学の自治は、資金の面からも揺さぶられている。
政府は人件費や光熱費、研究費などの「運営費交付金」を毎年1%ずつ減らす一方、応募して審査を通れば使える「競争的研究資金」を増やしてきた。
だが、世界の主要学術誌への論文で日本発の貢献は質、量とも減り続けている。中国など新興国が伸び、欧米先進国は地位をほぼ維持している状況でだ。
次々に生まれる新たな学問領域への参入も限られ、貢献分野が狭まりつつある。
運営費交付金削減の矛先は、比較的削りやすい経常的な研究費や若手研究者のポストに向かった。一方で競争的資金の応募倍率は上がり、成果のチェックも厳しくなった。
そのあげく、結果が見通せない野心的な研究や、研究費の配分者に理解されにくい新分野への挑戦が減ったとされる。
他方、政府は政策課題研究への誘導は熱心だ。
端的な例が、大学での軍事研究に道を開く「安全保障技術研究推進制度」の拡充である。
防衛省が15年度に始めたこの制度について、日本学術会議は軍事研究に携わるべきではないという観点に加え、「政府による研究への介入が著しい」として学問の自由の面からも各大学に慎重な対応を求めた。
大学と研究者の鼻先に研究費をぶら下げるような政府の手法は、学問の自由の基盤を掘り崩すものだ。
研究者の側も「何をしてもいいのが学問の自由」などと考えるとすれば誤りだ。倫理面を含め、その研究が許されるかどうか、常に多角的に吟味することが社会への責任である。
■果実は多様性にこそ
学術会議は05年に「現代社会における学問の自由」という報告をまとめた。
そのなかで、学問研究の世界について、多数決原理が適用できない世界だと指摘している点に注目したい。
真理を探究するうえで、従来の学問にない新たな発見や学説は必ず少数意見として登場するという意味だ。だからこそ学問は公権力と緊張関係をもちやすい。憲法が学問の自由を保障する意味の一つはそこにある。
どんなに民主的な政府であっても、学術の世界に過剰に介入すれば、少数意見の誕生を阻害し、真理の探究、ひいては社会の健全な発展を遅らせかねない落とし穴がある。
「文系不要論」に象徴される近視眼的な実利志向は論外だ。たとえ善意に基づく政策課題だとしても、過度に資源を集中させれば学問の命である多様性を損ない、より豊かな果実を失うことにつながる。
学問の自由の重要性を多くの人々が実感できるよう、社会との対話をさらに活発にする。学問の自由を負託された学術界には、そうした努力も求めたい。<<