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子どもと法・21の管理人メモ RSSフィード

2017-06-18

[][] 毎日新聞調査 内閣支持率36% 前回から10ポイント減 - 毎日新聞(2017年6月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170619/k00/00m/010/012000c

http://archive.is/2017.06.18-090912/https://mainichi.jp/articles/20170619/k00/00m/010/012000c

毎日新聞は17、18両日、全国世論調査を実施した。安倍内閣支持率は36%で、5月の前回調査から10ポイント減。不支持率は44%で同9ポイント増加した。不支持が支持を上回ったのは2015年10月以来。「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法を参院委員会採決を省略して成立させた与党国会運営や、学校法人加計学園」の問題への政府の対応などが影響したとみられる。

調査はコンピューターで無作為に数字を組み合わせて作った電話番号に調査員が電話をかけるRDS法で実施した。

[][][] 週のはじめに考える 立法府危機を憂う - 東京新聞(2017年6月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017061802000125.html

https://megalodon.jp/2017-0618-1937-54/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017061802000125.html

通常国会が、きょう閉会します。国民の暮らしのために建設的で活発な議論を行うべし、との期待はむなしく、浮き彫りになったのは立法府危機です。

国会終盤、与党側は驚くような挙に出ました。改正組織犯罪処罰法を会期内に成立させるため、参院法務委員会での採決を省いて、本会議で直接、可決、成立させる「中間報告」という手法です。

国会法にある手続きで、過去にも例はありますが、今回のように与党公明党議員委員長を務める場合では極めて異例です。

政府の下請け機関か

この改正法は、犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を含み、罪を犯した「既遂」後に処罰する日本の刑事法の原則を根底から覆す内容の重要な法律です。

官憲が善良な人々の内心に踏み込んで処罰し、人権を著しく侵害した戦前、戦中の治安維持法の復活との懸念も指摘されました。

審議には慎重を期して、懸念が解消されない限り、廃案にすることも国会には必要でした。

しかし、印象に残ったのは安倍晋三首相の「一強」の下、政府の言い分に唯々諾々と従う、下請け機関のような国会の姿です。

国会議員から首相を選ぶ議院内閣制ですから、首相意向与党議員がある程度、尊重するのはあり得るとしても、度が過ぎれば三権分立は骨抜きになります。

国会は国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関です。国会の決定に首相が従うことこそ、あるべき姿であり、憲法で権力を律する立憲主義なのです。

首相はかつて行政府の長でありながら「私は立法府の長」と言い放ったことがありましたが、この国会でも、まるで首相政府国会を支配するかのような、不可解な国会運営が散見されました。

その典型例が、先に述べた「共謀罪法案中間報告なのです。

国政調査の責任放棄

この手法野党委員長法案の採決を強硬に拒んだ場合や、本会議で直接、採決した方が適切な場合に、やむを得ず採られるのが通例です。国会法も「特に必要があるとき」と定めています。

委員会での審議を打ち切り議会としての責任を放棄するようなこうしたやり方に、与党側はなぜ踏み切ったのでしょう。立法府自殺行為になるとの危機感が欠如していたのではないか。

そもそも金田勝年法相の不誠実な答弁を国会が延々と許してきたことも、理解に苦しみます。

法務行政のトップがまともに答弁できないような法案が、なぜ国会を通ってしまうのか。ましてや人々の内心にまで踏み込んで処罰する恐れのある法案です。

政府がいくら必要だと主張しても、国民の懸念が解消されなければ、突っぱねるのが立法府の責任のはずです。それとも与党には国民の懸念が届いていないのか、届いていても無視しているのか。

二つの学校法人をめぐる問題も同様です。「森友学園」に対する格安での国有地売却問題と、「加計学園」による愛媛県今治市での獣医学部新設問題です。

いずれの学園も、首相昭恵夫人との親密な関係が明らかになっています。国有地売却や学部新設という、公平・公正であるべき行政判断に「首相意向」が反映されたのか否かが問われています。

国政調査権を有する国会には真相を徹底的に究明する責任があります。それが国民の期待です。

野党政府追及は当然ですが、与党側から真相を究明しようという意欲が伝わってこないのは、どうしてでしょう。

そこに安倍官邸への配慮があるとしたら、国政調査権行使という国会としての責任を放棄し、国民に背を向けているとしか思えません。

こうした状況は、安倍首相自身にも責任があります。

国会委員会で、二〇二〇年までに憲法九条改正する考えを表明した真意を問われた首相は「読売新聞に書いてあるから、熟読していただきたい」と答弁を拒んだり、質問する野党議員に自席から「いいかげんなことを言うんじゃないよ」とやじを飛ばしたり。

首相言動にも原因

自民党総裁でもある首相が、野党を軽んじる言動を繰り返すからこそ、与党内で国会軽視の風潮がはびこるのでしょう。

三権分立に反して、国会政府の下請け機関となり、内閣提出法案をただ成立させるだけの採決マシンに堕してしまったら、立法府危機です。国会言論の府であることを忘れてはならない。

そして、その国会議員を送り出したのは有権者自身であることも、私たちは深く心に留めなければなりません。立法府危機にひんしているとしたら、私たち有権者も、その責任から逃れることはできないのです。

[][][] 議論封じて国会閉会 これは議会政治の危機だ - 毎日新聞(2017年6月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170618/ddm/005/070/034000c

http://archive.is/2017.06.18-103601/https://mainichi.jp/articles/20170618/ddm/005/070/034000c

安倍晋三首相1強」体制のひずみが一段とあらわになった150日間だった。

国会がきょう閉会する。会期を延長しなかったのは、学校法人加計学園」の獣医学部新設問題で、これ以上追及されたくないと首相与党が考えたからにほかならない。

次の言葉が、この国会象徴していたように思える。

首相に対する侮辱だ」

森友学園」問題で、それまで自民党が消極的だった籠池泰典・同学園前理事長に対する証人喚問を一転して行うことを決めた際、同党の竹下亘国対委員長はそう語った。

籠池氏が安倍首相の妻、昭恵氏から100万円の寄付を受け取ったと語ったのは首相への侮辱で、それをただすために喚問するというのだ。

一体、誰のために政治をしているのだろう。しかも喚問はかえって疑問を深める結果となり、与党はその後、昭恵氏らの国会招致を拒み続けて問題の解明を封印してしまった。

行政がゆがめられていないか。与党であろうと厳しくチェックするのが国会だ。「加計」問題の対応も含め、今の自民党首相意向を絶えずそんたくする政党のようだ。

改正組織犯罪処罰法(「共謀罪」法)の審議では、参院法務委員会の採決を省略してまで成立を急いだ。奇策で自ら議論を封じるのは言論の府の自殺行為だと言っていい。

一方、首相は唐突に憲法9条に自衛隊の存在を追加して明記するなどの改正案を言い出し、自民党ではこれに沿って議論が加速している。

宿願の改憲に向け、首相自民公明維新の3党だけで改正発議に踏み切るつもりかもしれない。だが、他の野党議員も正当な選挙で選ばれた国民の代表であることを首相は忘れていないだろうか。

確かに最後は多数決で決めるのが議会制民主主義のルールだ。しかし、その過程では多様な意見に耳を傾け、極力一致点を見いだしていくことが大切だ。先人が作り上げてきた、その原則が壊され始めている。

首相の姿勢や手法に対して自民党から異論がほとんど出ず、公明党自民党の独走を抑止する役目を果たしていない。深刻なのはそこだ。

議会政治の危機だ。この国会で何が起きたか忘れないようにしたい。

[][][] 安倍政権 「議論なき政治」の危機- 朝日新聞(2017年6月18日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12993193.html

https://megalodon.jp/2017-0618-0952-43/www.asahi.com/articles/DA3S12993193.html

通常国会がきょう閉幕する。

150日間の会期を振り返って痛感するのは、民主主義の根幹である国会議論空洞化してしまっていることだ。

その責任は、巨大与党に支えられ、「1強」を謳歌(おうか)する安倍首相の慢心にある。

象徴的なのは、国会最終盤の「共謀罪法案採決強行だ。

自民公明与党は数の力にものを言わせ、委員会審議を打ち切る「中間報告」を繰り出して成立を急いだ。

首相や妻昭恵氏の関与の有無が問われている加計学園森友学園をめぐる野党の追及から、身をかわすように。

■「1強」のおごり

与野党の論戦を通じて、多くの国民が法案に抱く疑問や不安を解消する。そんな立法府のあるべき姿を無視した、数の横暴である。

1月、通常国会冒頭の施政方針演説で、首相野党を挑発した。「ただ批判に明け暮れ、国会の中でプラカードを掲げても何も生まれない」

議論相手の野党を攻撃し、あてこする首相の態度は、国会終盤までやまなかった。

加計学園理事長との親密な関係が、獣医学部新設の事業者決定に影響しなかったのか。多くの国民の疑問を野党議員が問うのは当然だ。なのに首相は「印象操作だ」「質問に責任が取れるのか」と質問者を批判した。

首相自ら野党の質問者にヤジを飛ばす。それなのに、野党からヤジられると「私が答弁しようとすると、ヤジで妨害するんですよ」などと繰り返し、審議時間を空費する。

森友問題をめぐる政府説明に8割が納得できないとしている世論調査結果を、民進党議員に示されると、「その調査では内閣支持率は53%。自民、民進の支持率はご承知の通り」。

支持率が高ければ説明は不要とでも言いたいのだろうか。

■極まる国会軽視

憲法41条は、国会を「国権の最高機関」と定める。憲法66条は、内閣は、行政権行使について国会に対して責任を負うと定めている。

国会内閣の下請けや追認のためにあるのではない。

内閣をチェックし、行き過ぎを正すことこそ国会、とりわけ野党の重要な責務である。

首相をはじめ行政府には、野党国会質問に誠実に答える義務があるのだ。

深刻なのは、首相も閣僚も、そして多くの官僚たちも、そのことを理解していないように見えることだ。

不都合な質問は、国会で何度問われてもまともに答えない。質問と直接関係のない話を延々と続けて追及をかわす。そんな首相の答弁が連日のように繰り返される。野党議員の背後に、多くの国民がいることが目に入らないかのように。

「あるもの」を「ない」と言いくるめる場面も続いた。

官房長官が「怪文書」と断じた加計学園にからむ「総理のご意向文書は、後に存在を認めざるを得なくなった。防衛省が廃棄したとした南スーダン国連平和維持活動の日報も、その後存在が判明した。そして、財務省森友学園との交渉記録を廃棄したと言い続けた。

公文書管理や情報公開など民主主義を支えるルールも、政権にとって都合が悪ければ無視していいということなのか。

政権の意に沿わない人物には牙をむき出しにする。

総理のご意向文書の存在を前川喜平・前文部科学次官が証言すると、菅官房長官は前川氏の人格攻撃を始めた。

圧倒的な権力を握る内閣の要が、反論の場が限られる一個人を、これほどまでにおとしめることが許されるのか。

■数の力で改憲

海外からの指摘にも聞く耳をもたないようだ。

共謀罪法案について、国連特別報告者からプライバシー表現の自由の制約を懸念する公開書簡が届くと猛反発。首相自ら国会で「著しくバランスを欠き、客観的である専門家のふるまいとは言いがたい」と報告者個人非難した。

3月の自民党大会で、党総裁任期を連続3期9年に延長する党則改正が承認された。安倍首相は来年9月の総裁選で3選されれば、2021年まで政権を握ることが可能となった。

衆参両院で改憲勢力が「3分の2」を超えるなか、首相は5月の憲法記念日読売新聞のインタビューなどで20年の改正憲法施行を提唱した。

だが国会野党議員に意図を問われると「読売新聞に書いてある。ぜひ熟読して」。国会軽視、議論軽視はここでも揺るがないということか。

民主主義の基本ルールをわきまえない政権が、数の力を背景に、戦後70年、日本の平和と民主主義を支えてきた憲法改正に突き進もうとしている。

いま日本政治は危機にある。この国会はそのことを鮮烈に国民に告げている。

[][][]<「共謀罪」論戦検証>(2)首相 懸念の声に耳傾けず- 東京新聞(2017年6月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201706/CK2017061802000113.html

https://megalodon.jp/2017-0618-1938-51/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201706/CK2017061802000113.html

東京五輪を開けないと言っても過言ではない」

通常国会が始まった直後の衆院本会議安倍晋三首相は「共謀罪」法を成立させる必要性をこう表現した。首相は四年前、東京五輪の招致を呼びかける演説東京を「世界有数の安全な都市」と表現していただけに、担当記者にはまさに「言い過ぎ」に聞こえた。

共謀罪創設法案は過去に三度廃案になった経緯があり、政権にとっては“鬼門”とも言える法案国会審議で政府は国民が反対しづらい「テロ対策」を徹底して打ち出す戦術を取った。

首相は「テロ対策に万全を期すことは開催国の責務」「一般人が対象になることはない」と繰り返し答弁。五月下旬にイタリアで開かれた先進七カ国(G7)首脳会議(サミット)の際に、「テロの脅威を含む国際的な組織犯罪に対する取り組みを強化する上で極めて重要だ」と述べ、法成立への意欲をアピールした。

法案衆院通過する直前の五月中旬、思わぬところから「警告」が入った。国連特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏が「法案は市民のプライバシー権を侵害しかねない」と批判する首相宛ての公開書簡を公表。書簡には法案の本質的な問題点が並んでいたが、首相は「著しくバランスを欠く不適切なものだ」と取り合わなかった。

さらに同三十日の参院法務委員会では、質問に答えようと挙手した金田勝年法相首相が右手で押さえて阻止する一幕も。答弁を官僚に任せて、とにかく法案を成立させようという姿勢を印象づけた。

六月一日収録のラジオ番組では、「(野党は)不安を広げるための議論を延々としている」と発言した。審議を重ねれば重ねるほど膨らむ懸念の声に、首相が真剣に耳を傾けることはなかった。 (木谷孝洋)

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[] 高3生らが選挙学ぶ 市長選前に横浜桐蔭学園講演会;神奈川- 東京新聞(2017年6月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201706/CK2017061802000157.html

https://megalodon.jp/2017-0618-1939-21/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201706/CK2017061802000157.html

7月16日告示横浜市長選を前に、有権者としての心構えや民主主義の重要性を説く講演会横浜市青葉区桐蔭学園であり、選挙権を得る年齢を迎える高校3年の男子部と女子部、中等教育学校6年の計1000人が耳を傾けた。 (志村彰太)

講演会は十五日に開催。桐蔭横浜大法学部の森保憲(やすのり)教授(憲法学)が登壇し、「選挙権が昨年、十八歳以上に引き下げられた。皆さんは社会に出て選挙を学ぶ前に投票をしなければならない」と語り始めた。

君主主権から国民主権になった歴史的経緯を説明し、「有権者が、国を運営する代表者を選ぶ」という間接民主制を紹介した。そして「有権者代表者を選ぶ過程のみに参加する。その後の国の運営が見えないから、人ごとのようになってしまう」と低投票率の背景にある「無関心」の問題を指摘した。

その上で「選挙は、自分たちのことを決めているんだという意識が必要」と強調。新聞、テレビなど複数の情報源から候補者や政策を十分に調べて投票し、選挙後も議員首長を監視する必要性を説いた。

生徒からは「投票したい候補者がいない場合は?」「若者が政治に無関心という指摘があるが?」などの質問が出た。森教授は「特定の政党政権を取らせないために投票する次善の選択もある」「無関心というより、選挙に行っても何も変わらないという失望感があるのでは。自分の一票は小さな力だが、一票から(大きな動きに)広げていく考え方が要る」と答えた。

講演を聞いた男子部の長谷川玄(げん)さん(17)=青葉区=は「昨年の参院選は親に付いていって投票所まで行った。入り口で待っていたら、大人たちがそこに貼ってあるポスターを見て投票する候補者を決めていた。事前に候補者のことを調べる重要性が今日分かった」と話し、「市長選の時には十八歳になっている。子育て政策の違いで候補者を選びたい」と話した。

女子部の服部碧(みどり)さん(18)=大和市=は「選挙があったら投票はしたい。でも、受験勉強がある中、情報収集や投票所に行く時間の余裕があるか…」と考え込んでいた。

[](余録)不思議な光景だった… - 毎日新聞(2017年6月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170618/ddm/001/070/173000c

http://archive.is/2017.06.18-103430/https://mainichi.jp/articles/20170618/ddm/001/070/173000c

不思議な光景だった。一国の首脳同士とは思えない振る舞いに出た。1984年9月22日、フランス北東部ベルダンにある軍人墓地。小雨が降る中、納骨堂の前で当時のミッテラン大統領とコール西独首相は突然、手をとりあった。

見慣れた握手ではない。型どおりの抱擁とも違う。まるで子どものように手をつなぎ前を見据え、2度の大戦による両国犠牲者に祈りをささげた。予定にない行動だった。

一方の当事者だったコール氏が16日、87歳で亡くなった。ミッテラン氏はすでにこの世にない。かつての激戦地での、あの印象的な瞬間から欧州の新しい動きが始まったと言われる。

ベルリンの壁崩壊後、コール首相東西ドイツの統一に意欲を燃やした。だが、英国をはじめ「強大なドイツ復活」への警戒感はなかなか拭えなかった。その後の単一通貨ユーロ導入では、フランスなどの積極論に対してドイツ国内には「強いマルクを失う」と疑問が渦巻いた。

いずれの大事業も反対を説き伏せ実現できたのは、独仏首脳が手をつないだ「ベルダンの和解」がもたらした力によるものかもしれない。コール氏は96年のミッテラン氏の葬儀で、人目をはばからずに涙を流した。

手をつないだまま直立不動の2人の写真は、両国共通歴史教科書の表紙を飾る。改めて見ると、コール氏の右手とミッテラン氏の左手はきつく結ばれている。和解や相互理解が、過去の傷をいやし現在の溝を埋めるだけではなく、未来の扉を開くと教えている。