米朝緊迫で前のめり 安倍政権「存立危機事態」を自作自演 - 日刊ゲンダイDIGITAL(2017年8月17日)

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/211628

米国領グアム島周辺に4発の新型弾道ミサイルを撃ち込む案を表明した北朝鮮に対し、「炎と怒りに直面することになる」と怒りをあらわにしているトランプ大統領
金正恩委員長と同じで頭にすぐに血が上るタイプだから、互いに「やんのかぁ」「コラぁ」という田舎の暴走族レベルの“威嚇の応酬”はエスカレートするばかり。そんな米朝に対し、本来は「揃って頭を冷やせ」と諭すべき立場にいるのが日本なのに、積極的に“参戦”する姿勢を見せているから狂っている。
北朝鮮から日本の上空を飛び越えてグアムの方へ(ミサイルが)行く。日本の自衛隊は本当に撃ち落とさなくていいのか。日米同盟の真価が問われている」
15日の「戦没者追悼中央国民集会」で、こんな仰天発言をしていたのが佐藤正久外務副大臣だ。「日本の存立の危機にあたる可能性がないともいえない」と集団的自衛権行使の前提となる「存立危機事態」をチラつかせた小野寺防衛相の仰天解釈を真に受けたようだが、何をトンチンカンなことを言っているのか。
軍事ジャーナリストの世良光弘氏がこう言う。
「仮に北朝鮮がグアムに向けて弾道ミサイルを発射した場合、地上から600〜700キロの高度で飛んでいく。自衛隊が現在、保有している迎撃ミサイルの高度は500キロ程度ですから、物理的に撃ち落とすのは不可能です」
そもそも北朝鮮は、グアム島周辺の「海域」に向けて弾道ミサイルを撃つ――という計画を発表しただけ。何もグアム島を直接狙ってミサイル攻撃を仕掛けると宣戦布告したワケじゃない。とてもじゃないが、現時点で「存立危機事態」に該当するはずがないだろう。
安倍首相だって、安保法が閣議決定した後の会見で、米国の戦争に日本が巻き込まれる可能性は「絶対にあり得ません」と断言していたではないか。このまま米朝のケンカにクビを突っ込めば、自ら進んで巻き込まれにいくようなもの。「存立危機事態」の自作自演だ。
米朝が軍事衝突となり、日本も参戦すれば犠牲を被るのは国民だ。佐藤副大臣はそんなことはお構いなしで、迎撃が不可能な弾道ミサイルを「撃ち落とさなくていいのか」なんて威勢のいいことを言っているのだ。“ヒゲの隊長”なんて呼ばれているが、戦前、無謀な作戦で多くの犠牲者を出した悪名高き「インパール作戦」を指揮した旧日本軍の牟田口廉也中将とソックリだ。日本が巻き込まれる最悪の事態となったら、安倍首相や佐藤副大臣を真っ先に前線に送り込むべきだ。

関連記事)
「撃ち落とさなければ、日米同盟どうなる」外務副大臣 - 朝日新聞(2017年8月15日)
http://www.asahi.com/articles/ASK8H62H4K8HUTFK018.html
http://archive.is/2017.08.16-114705/http://www.asahi.com/articles/ASK8H62H4K8HUTFK018.html


佐藤正久・外務副大臣(発言録)
北朝鮮から日本の上空を飛び越えてグアムの方へ(ミサイルが)行く。そういう時、日本の自衛隊は本当に撃ち落とさなくていいのか。日米同盟の真価が問われている。リスクを共有しない同盟はない。もしも(北朝鮮からのミサイルが)日本の上空を飛び越え、(日本が)撃ち落とせるのに撃ち落とさず、グアムに被害が出たら、日米同盟はどうなると思うか。皆さんの商売でも、自分が本当に苦しい時に親友と思った人間が背を向けたら、もはや親友とは言えないかもしれない。まさに今、同盟国・日本の覚悟が問われている。(「英霊にこたえる会」と「日本会議」が主催した「戦没者追悼中央国民集会」のあいさつで)

「東京五輪」選手村に都有地を9割引で売却? 「舛添前知事に差額払わせろ」と提訴 - 弁護士ドットコムニュース(2017年08月17日)

https://www.bengo4.com/gyosei/n_6523/

2020年東京五輪の選手村用地として、臨海部の中央区晴海の都有地を不当な廉価で売却したとして、都民ら33人が小池百合子都知事を相手に8月17日、東京地裁に提訴した。舛添要一都知事と買い取った業者11社に対して、適正価格との差額分を請求することなどを求めている。原告らによると、差額は1000億円はくだらないという。

訴状などによると、問題になっているのは、東京駅から3〜4kmのところにある晴海5丁目の都有地約13.4万平方メートル。東京都は2016年、公募で唯一手をあげた大手デベロッパー11社のグループに129億6000万円で実質売却する契約を結んだ。

1平方メートルあたりの金額は9万6784円。原告によると、隣接エリアの地価は60万〜108万円、2012年には1キロほど離れた都有地が103万円で売られており、適正価格の10分の1程度だと主張している。

原告らは都に対し、価格の根拠を示すよう情報開示も求めたが、肝心な部分が墨塗りされていたという。

●議会に通さなくて良い「裏道」を利用?

公有地の売却には本来、「地方自治法」で議会の議決か条例が必要とされる(同法237条2項)。しかし、都は売却に当たって、これらの適用が除外される「都市再開発法」の規定を利用。「個人施行」という区分を使い、議会や条例で定められた審議会を通さずに契約を結んでいる。

弁護団長の淵脇みどり弁護士は、「公正な価格評価を逃れるため、脱法的な行為が巧妙に行われている。官製談合の疑いがあり、小池都知事は公約通り、情報を開示し、適正価格での取り引きをやり直してほしい」と話している。

選手村の施設は、大手デベロッパー11社が費用を出して建てる。五輪期間中は、大会組織委員会からの賃料収入が発生。終了後は、施設の改修や建設によりマンション化して、販売する予定。都はこのエリアの道路など基盤整備に510億円を負担する計画だという。

鈴木五輪相に架空計上疑惑、政治資金1658万円に領収書なし - NEWSポストセブン(2017.08.18)

https://www.news-postseven.com/archives/20170818_605267.html

内閣改造でオリンピック・パラリンピック担当大臣に就任した鈴木俊一氏(64)。父は鈴木善幸元首相、姉は麻生太郎財務相兼副総理の妻という名門政治家一族の“サラブレッド”だが、早々に出てきたのは金にまつわる問題だった。
鈴木氏が代表を務める資金管理団体「清鈴会」が、3年間で1412万円ものガソリン代を計上していたことを、『週刊新潮』(8月9日発売)が「3年で地球33.8周分」と報じた。ただ、問題はそれだけに止まらなかった。
◆例外規定の「徴難」で1658万円也
「清鈴会」の政治資金収支報告書を仔細に検証すると奇妙な記載に突き当たる。支出の備考欄に記された「徴難(ちょうなん)」の2文字だ。
徴難とは、収支報告書を提出する際に、「領収書等を徴し難かった支出」を指す。領収書を添付できなかった場合に、「領収書等を徴し難かった事情」、支出の目的、金額、年月日を記載した明細書、もしくは金融機関が作成した振込明細書と「支出目的書」を提出する。
「個人や法人の税務申告に置き換えると、税務調査があった場合、帳簿に支出とあっても、支払った相手が金額を証明している領収書がなければ原則認められません。政治資金における『徴難』のように支出の目的などを自ら記入して済ませる申告方法は、あくまで例外的なものに限られます」(税理士の浦野広明・立正大学客員教授
ところが、清鈴会の場合、2015年の「ガソリン代」91万1004円(21回の支出)をはじめ、「郵便代」「労務費」「家賃」などで「徴難」が乱発されている。閲覧可能な過去3年分の報告書を見ると、2013年は495万2069円、2014年は563万5322円、2015年は599万6979円と増え続け、3年間で「徴難」は228件、総額1658万円に及ぶ。そのすべてに領収書がないのである。
他の閣僚で「徴難」の記載があるのは、松山政司・一億総活躍担当相だけで、「事務用品費」などで2013年(3件)と2015年(4件)にそれぞれ5万円程度だ。鈴木氏の団体が突出して多い。政治資金問題に詳しい日本大学の岩井奉信教授は「非常に不自然」とする。
「国会議員関係の政治団体は1円の支出でも原則、領収書の保存が必要で、使途不明金がないことを政治家自らが明らかにするよう制度設計されています。例外的に徴難が認められている趣旨は、在来線や路線バスの運賃のように慣習上領収書を求めないケースが限定的に存在するからです。領収書が発行される郵便代やガソリン代などに適用することは想定されていない」
にもかかわらず、清鈴会で「徴難」が最も頻出するのは「郵便代」だ。2015年は290万7202円分(24件)にのぼる。
◆「領収書は全て渡しています」
「徴難」の支払先を取材していくと、より奇妙な実態が浮かび上がる。
「郵便代」の支出先である日本郵便は「全ての支払いに領収証をお渡ししている。仮に料金後納や口座振替だったとしても、郵送で通知を送っている。領収証をお渡しできないということはない」(広報室)と説明する。
また、2015年1月23日に盛岡市内にあるレンタカー店に支払われた「レンタカー代」9万1808円にも「徴難」の記載があるが、同店舗を取材すると、「基本的に領収書は発行しているし、(支払いの)確認ができれば再発行にも応じる」という。
さらに清鈴会の収支報告書では、2014年4月3日に「役員会会場費」として宮古市内のホテルに4万8000円を支払ったが、これも「徴難」と記載されている。2013年と2015年に同じホテルに「会場費」を計上した際の収支報告書には「徴難」はなく、領収書があるものとして処理されている。同ホテルの営業部長が困惑気味に回答した。
「台帳を確認しましたが、その日(2014年4月3日)に予約は入っていません。ご利用いただいた場合は、領収書を出すはずですが……」
ホテルを利用した記録もなく、領収書もないとなれば、架空の経費計上である疑いすら出てくる。
鈴木事務所に問うと、「4月3日は支払日の記載であり、会議の日を記載したものではない」と回答。収支報告書の「徴難」についてはこう回答する。
「振込で払ったものについて、振込書では支出の目的が書かれていないため、選管からの指導に基づいて『徴難』処理としている。支出を裏付ける振込書はあり、いずれも政治活動の支出として払ったもの」
本誌・週刊ポストの取材で、支払先が「領収書を発行しないケースはない」と答えていることについて同事務所は、「振込で払ったものには領収書は出せないといわれた。選管の指導に基づき処理した」と説明した。前出・岩井氏はいう。
「不審な点があれば税務調査を受ける個人、法人と違って政治資金管理団体への監査は甘く、突っ込んだ調査はされない。だからこそ支払った相手先に支出の金額を証明させる領収書の添付が義務づけられているわけですが、『徴難』の乱発はその趣旨にそぐわない」
鈴木事務所は取材に「今回、一部、『徴難』とすべきところに記載漏れがあったことが確認されたので、選管とも相談して必要な対応をしていく」とも答えた。領収書がないのに「徴難」の記載がなくても、収支報告書が監査を通ってしまう実態もあったということだ。
なぜ、このような処理が認められるのか。所管する総務省は、「一般論として『徴難』にあたるのは社会通念上、客観的に領収書の発行が困難なケースです。ただ該当するかは政治団体の会計責任者に適切に判断していただく」(収支公開室)と説明するのみ。
鈴木氏のように領収書が得られたはずの支出を「徴難」と処理しても、「総務省都道府県選管は提出されたものを受け取るとしかいえない」(同前)というのだ。少なくとも一般の国民が「領収書なし」で経費申告すれば、税務署に突き返される可能性は限りなく高い。
週刊ポスト2017年9月1日号

水俣条約 名前が背負う重い意味 - 東京新聞(2017年8月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017081802000140.html
https://megalodon.jp/2017-0818-0936-57/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017081802000140.html

水銀の使用や輸出入を規制する水俣条約が発効した。「繰り返すな」という願いをその名にこめて。フクシマやヒロシマナガサキにも通じるミナマタの訴えに、世界は、日本は、どうこたえるか。 
水俣条約。正式には、水銀に関する水俣条約−。二〇一三年に熊本市熊本県水俣市で開催された国際会議で採択された。
東南アジアやアフリカなどで深刻な健康被害につながる恐れが指摘される水銀の輸出を規制し、水銀を使った化粧品や血圧計、水銀が一定量以上含まれる蛍光灯などの製造、輸出入を二〇年までに原則禁止する。鉱山からの採掘も十五年以内にできなくなる。途上国の採掘現場で、金を抽出する際に使われる水銀の使用と排出を削減、廃絶をめざす−。
条約制定と命名は、日本政府が主導した。
“公式発見”以来六十年余、「公害の原点」とも呼ばれる水俣病は、化学工場が海に垂れ流した水銀が魚食を通じて無辜(むこ)の住民に摂取され、重い脳障害を引き起こした「事件」である。母親を通じて取り込んでしまった胎児にも、生涯残る深刻な影響を及ぼした。
水俣の悲劇を繰り返してはならない、忘れてはならない−。そんな切なる願いがこもるその名前。患者とその家族の長年の思いを込めた約束なのである。
その日本から、一三年には七十七トンの金属水銀が輸出されている。率先して廃絶へ向かうのは当然だ。
水俣条約の名前は国内的にはもう一つ、重い意味を持っている。
水俣病という病の定義はいまだ確定していない。従って被害の範囲も定まらず、患者としての認定を求める訴訟も後を絶たない。「病」の正体は未解明、「事件」は終わっていないのだ。
「病」は恐らく終わらない。だが、原因と責任を明確にして、すべての被害者を救済すれば「事件」に決着はつけられる。
九月にスイスで開かれる水俣条約第一回締約国会議には、胎児性患者の坂本しのぶさん(61)が参加して「水俣病は終わっていない」と訴える。不自由な体を励まし、痛みに耐えて、「今できることをしたい」と決意した。その勇気に心から敬意を表したい。
忘却による清算は、繰り返しの土壌である。原発事故の救済や核廃絶にも通じることだ。
世界は坂本さんと水俣の思いにこたえ、「今できること」をすべきである。

 

灘中への教科書採択抗議 教育現場をおびやかすな - 毎日新聞(2017年8月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170818/ddm/005/070/137000c
http://archive.is/2017.08.18-003840/https://mainichi.jp/articles/20170818/ddm/001/070/125000c

教育現場に特定の主張を押しつけるような、危うい風潮を感じる。
教科書検定に合格した歴史教科書を採択した神戸市の私立灘中学校に対し、圧力まがいの抗議が寄せられていたことが判明した。従軍慰安婦を巡る記述が理由とみられている。
同校の和田孫博校長はてんまつを公表し「政治的圧力だと感じざるを得ない」と指摘している。教科書は、現場に詳しい教員らが内容本位で選ぶべきだ。
灘中では「学び舎(しゃ)」(東京都)が発行した中学校の歴史教科書を採択し、昨年4月から使っている。
ところが一昨年から昨年にかけて、自民党兵庫県議や衆院議員から和田校長に「なぜ採用したのか」と問い合わせがあった。その後、同じ文面だったり、同校OBや親を名乗ったりする抗議はがきが200通以上寄せられたという。
学び舎の教科書は、第二次大戦中の慰安婦問題について、旧日本軍の関与を認めた「河野洋平官房長官談話」(1993年)を紹介している。このことが抗議の背景にあるとみられるが、採択した教科書について、個別の学校に執拗(しつよう)な抗議が集中するのは異例だ。
まず確認したいのは、教科書の採択は公立学校では教育委員会に、国立、私立の学校では校長に権限があり、その自主的な判断に委ねられていることだ。
灘中では、教員による採択委員会で使用を決めた。「歴史の基本である、読んで考えることに主眼を置いた教科書で、能動的な学習に向いている」と評価している。
文部科学省の検定に合格した教科書を教員が内容を見て、自校の教育にふさわしいと判断した。その手続きは正当であり、何の問題もない。
検定教科書の中身について、個別に批判したり意見を述べたりすることはもちろん自由だ。だが、学校側に直接介入したり、政治家が関与したりする風潮が広がると、教育そのものをゆがめてしまう。
この教科書は、難関の国立や私立の中学校を中心に38校が採用しているが、灘中以外に全国で少なくとも10校が同様の抗議を受けたという。
「教育の独立性が脅かされる」という教員の危惧はもっともだ。学校への、あってはならぬ圧力である。

白人至上主義とトランプ大統領 対立と分断をあおるのか - 毎日新聞(2017年8月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170818/ddm/005/070/139000c
http://archive.is/2017.08.18-003956/https://mainichi.jp/articles/20170818/ddm/005/070/139000c

あまりに無分別な発言である。
バージニア州で起きた白人至上主義団体と反対派の衝突についてトランプ大統領は「双方に非がある」と述べた。人種差別組織のクー・クラックス・クラン(KKK)などを喜ばせる発言に対し、改めて大統領の見識を疑わざるを得ない。
米国における人種問題は火がつきやすく、時に社会の大きな混乱を呼ぶ。バージニア州の衝突では多くの人が負傷し、差別に反対する女性が白人至上主義者の運転する車にはねられて死亡した。
そんな無差別的な殺傷を大統領が擁護すれば、抗議の火に油を注いで社会の安定を危うくするばかりだ。
衝突の直後、トランプ氏は「多くの側」の憎悪と暴力を非難した。抽象的だと批判されると、KKKやネオナチなどを名指しして「人種差別主義は悪だ」と明言した。
だが、その翌日は「誰も言いたがらないが」と前置きして「双方とも暴力的だった」と見解を変えた。二転三転の末、本音が出た格好だ。
米国では近年、南北戦争の英雄の像や記念碑などを撤去する例が目立ち、バージニア州も1920年代の建立とされるリー将軍(南軍司令官)の像の撤去を予定している。奴隷制を支持した人々を顕彰するのは不適切だとする認識が、南部も含めて全米で醸成されてきたのだ。
ところが今年、トランプ氏が大統領に就任すると撤去への反対運動が激しくなった。白人至上主義者とも重なるが、「オルト・ライト(代替的右翼)」と呼ばれ多文化主義や少数者の権利尊重、移民受け入れなどに反対する勢力が台頭してきた。トランプ氏の強力な支持層である。
南北戦争奴隷制、人種差別など米国が宿命的に背負う問題で論議が過熱するのは分からないではない。
だが、暴力は容認できないし、バージニア以外でも衝突が懸念される折、融和を促すどころか、大統領自身が対立と分断をあおるような発言をするのは論外と言うべきだ。
トランプ氏への反発は与党・共和党や経済界にも広がり、大統領の二つの助言機関は解散した。「代わりならいくらでもいる」とトランプ氏はうそぶく。しかし、自分がますます「裸の王様」に近づいていることに、早く気付くべきである。

(余録)「われわれは自問する。自分ごときが賢く… - 毎日新聞(2017年8月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170818/ddm/001/070/125000c
http://archive.is/2017.08.18-003840/https://mainichi.jp/articles/20170818/ddm/001/070/125000c

「われわれは自問する。自分ごときが賢く、優雅で美しく、才能ある素晴らしい人物であるはずがなかろう。だが、そうあってはなぜいけないのか」。南アフリカアパルトヘイト(人種隔離)の撤廃を勝ち取ったマンデラ元大統領の言葉である。
人間の尊厳を求め続けて獄中の27年間を耐えたマンデラ氏は、私たちに勇気と希望を与えるいくつもの言葉をこの世に残した。そして先日、米国のトランプ政権下でオバマ前大統領は同氏の次のような言葉をツイッターでつぶやいた。
「生まれた時から肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない」「人は憎むことを学ぶのだ。もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は憎しみよりも、人の心に自然に生まれる」
これがツイッター史上最多の「いいね」を集めたのは、白人至上主義者らと反対派の衝突をめぐるトランプ大統領の姿勢に抗議が高まっていたからだ。反対派に死者が出る惨事に、大統領が「非は双方にある」との発言を繰り返した。
ネオナチらに甘いと見られたトランプ氏には与党の批判も続出、有力経済人の拒否反応にも直面した。リベラル派の建前に反発する白人保守層にとりいる当人には選挙中からの得意芸だろう。しかし今はもう大統領なのを忘れたのか。
「指導者には民衆を正しい方向に導いているとの自信の下、みんなより先を行き、新たな針路を開かなくてはならぬ時がある」もマンデラ氏だ。差別の病に引きずられる指導者は米国をどこへと導くのか。

人種差別 「ナチス」旗でJ1応援 痛み想像する力の欠如 - 毎日新聞(2017年8月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/148000c
http://archive.is/2017.08.18-003706/https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/148000c

ドアを開けると熱気がこもっていた。7月29日、大阪市内のスポーツバー。J1大阪ダービーガンバ大阪セレッソ大阪に逆転勝ちすると、約30人が歓喜して抱き合った。
彼らは解散したガンバサポーター「スレッジハンマー・ブロス」。4月の試合でナチス親衛隊のSSマークに酷似したデザインの旗をスタジアムに持ち込み、10〜50代の83人全員が無期限出入り禁止になった。今は、この店で応援を続けている。
先の大戦ナチス・ドイツユダヤ人を大量虐殺した「ホロコースト」。忌まわしい記憶を呼び起こす旗がなぜ振られたのか。私は関係者を捜し歩いた。
デザインを7年前に作った男性メンバー(52)が取材に応じた。インターネットで見たSSマークを「シンプルで格好良く、力強い」と気に入って、ほんの少し手を加えた。「自分たちのオリジナルデザインだ」
ガンバ側は数年前に旗を使わないよう注意したが「ルール徹底が甘かった」と認める。
4月に旗を持ち込んだのは自営業の男性だった。「SSマークの意味は知っていたが、全く同じではない。人種差別の意図はなく、使っても大丈夫だと思った」と繰り返し、こう言った。「被害者がいるなら謝りたいが、それが誰なのか分からない」
今回の問題は、日本で活動するユダヤアメリカ人ジャーナリストのダン・オロウィッツさん(31)がツイッターで指摘した。「この旗が許されたら次は何が許されるのかと心配した」と振り返る。
祖父は18歳でドイツ軍捕虜になり、ユダヤ系であることを隠して生き延びた。「歴史を繰り返させないことはユダヤ人の、それ以前に人間としての責任だ」。旗の問題を指摘すると、ツイッターなどで「国へ帰れ」とも批判された。だが、それよりも残念だったのは「日本人から、ユダヤナチスの問題を知りたいという声がほとんどない」ことだった。
人種差別追放は世界のサッカー界の課題だ。日本では3年前に浦和レッズのサポーターが外国人排斥と読める「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲げ、Jリーグが差別的な言動などをまとめた参考資料を各クラブに示した。SSマークも含まれていた。
村井満チェアマン(58)は「サッカーは常に世界とともにある。日本の試合も世界で見られている」と語る。「スタジアムには郷土愛やチーム愛があふれている。だが、強い同質性や絆の裏側に、差別の芽が潜んでいるという自覚が必要だ」
全日本大学サッカー連盟は昨年、イングランド・プレミアリーグチェルシー元監督でユダヤ系のアブラム・グラントさん(62)を招き、家族で唯一ホロコーストを生き延びた父の人生を話してもらった。多くの学生が話をのみ込めない様子だったため、今春にはNPOホロコースト教育資料センター」(東京)の石岡史子理事長を招いた。
ホロコーストの生存者から直接話を聞いている石岡さんは学生たちに思いを伝えた。「差別が人の命を奪った。無自覚なものも含め人は誰でも差別の考えを持つ。だからこそ日常が大事だよ」
国際社会は、決して忘れてはならない歴史があると私たちに警鐘を鳴らす。知識だけではなく、当事者の痛みを想像する力が試されているように思う。
問題の旗を持ち込んだ男性は処分を納得できずにいるが、家にホロコーストの本があったことを思い出し、読み返してみた。「ガス室に送られた人たちの立場なら、旗のデザインに耐えられないかもしれない」。そう感じ始めている。【石川将来・28歳】

ことば「ナチス親衛隊(SS)」
1925年にアドルフ・ヒトラーの護衛隊として発足し、その後勢力を広げた。ユダヤ人らの強制収容所を監督したほか、一時は90万人を超えた軍事部門の武装親衛隊もあった。親衛隊の最高指導者、ハインリヒ・ヒムラーユダヤ人を大虐殺する「ホロコースト」を推進した。ホロコーストでは600万人以上が組織的に殺害されたと言われる。

「BC級戦犯 教誨師に届いた手紙」(時論公論 早川信夫 解説委員) - NHK(2017年8月15日)

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/277634.html
https://megalodon.jp/2017-0818-0909-31/www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/277634.html

きょうは終戦の日先の大戦では、日本人300万人あまりが犠牲になり、海外で240万人が命を落としたとされています。そうした戦没者に思いをいたしながら過ごされた方も多かったと思います。先ごろ見つかったBC級戦犯遺族の手紙を手がかりに、改めて、戦争を記録することの意味を考えたいと思います。
今回の資料は、川崎市の明長寺というお寺で見つかったものです。おととしの春、本堂の収納庫を整理していたところ、箱に入れられた100通を超える手紙類が出てきました。一緒に出てきた新聞の日付などから、先々代に当たる当時の住職が保管していたものとわかりました。この中には、戦後、間もない頃にシンガポールチャンギ―刑務所で処刑された人たちの遺族からの手紙33通が含まれていました。文面などからBC級戦犯として死刑を言い渡された人たちをみとる「教誨師」をしていた当時の住職関口亮共さんが、託された遺書を帰国後に遺族の元に送り届け、その礼状として受け取ったものとわかりました。
亮共さんの孫にあたる伊藤京子さんは、檀家の一人で法学者の布川玲子山梨学院大学元教授のアドバイスを受けながら、資料を読むうちに戦争の不条理さ、残虐性を感じ、祖父から課題を突き付けられたと思うようになりました。
BC級戦犯とは何だったのでしょうか。
政府や軍の指導者が国家を戦争に向かわせた「平和に対する罪」に問われたA級戦犯に対し、BC級戦犯は、「人道に反する罪」つまり戦争中に捕虜や現地の人たちに対して虐待をしたなどとして罪に問われた旧日本軍の軍人・軍属のことをさします。連合国側の7か国によって戦地の49か所で裁判が行われ、合わせて5700人が被告として裁かれました。歴史的にはA級戦犯が裁かれた「東京裁判」に目が向きがちですが、BC級裁判は、戦後、外務省が「残虐行為をした者を政府が援助するのは不適当」だ、あくまでも個人の責任であって国としては関与しないという方針を示したこともあって、あまり関心が向けられてきませんでした。十分な通訳もつけられず、通常の裁判のような弁護を受けることもできなかったと言われていて、報復感情が先に立った裁判だったとも言われています。ただ、そのほとんどが、どう裁かれたのか、よくわかっていません。
関口亮共さんがしていた教誨師とはどのようなものだったのでしょうか。
もともとは、受刑者の精神的な救済を目的にボランティアで行うものですが、BC級裁判では、連合国側が捕虜となった旧日本軍の中からお坊さんの経験のある人を指名し、教誨師としたものです。シンガポールチャンギ―刑務所では、終戦の翌年から翌々年のわずか1年半の間に129人の死刑が執行され、亮共さんは2代目の教誨師として、このうち87人の死刑囚を見送りました。絞首台に送られるまでを共に過ごし、最期をみとったことは、僧侶とはいえ、30歳をわずかに超えたばかりの亮共さんにとって重いものがあったと感じられます。
なぜ、帰国した亮共さんのもとに遺族からの手紙が届けられたのでしょうか。
亮共さんは、死刑囚たちに肉親に宛てて遺書を書くことを勧めたと言います。連合国側の検閲で届かない可能性もあることから、すべての遺書を書き写し、帰国後に復員局を通じて、複写した遺書を届けていたのです。
手紙には、消息がわかったことへの感謝の気持ちやまだ信じられず、真偽を確かめたいという願いなどさまざまな記述が見られます。

▽死刑囚の妻からの手紙です。「世間の口には戸を立てられず。ああの、こうのと言ふ者もありましたが、詳しいお話をお聞きしましてから、家中のものは安心致しました。」
国から見放されるような非人道的なふるまいをした人の遺族として扱われ、肩身の狭い思いをしていたことがうかがえます。

▽父親からの手紙もありました。「今日貴殿の書面を拝見いたしまするに、(中略)合点の行かぬ点があります故、親の愚痴とは思いますが、倅の写真を同封致し置きます故、今一度相違なきかをご照合の上、ご面倒ながら御知らせ下さるやう伏してお願い申し上ます」。
自分の息子がまさか罪に問われるようなことをするはずがない、何かの間違いであってほしいという親の願いが感じられます。
最期を知りたい、あきらめようとしてもあきらめきれない思いがそれぞれに綴られています。
亮共さんの孫、伊藤京子さんは、資料を読み進めるうちに、事実の重みを伝えたいと思うようになりました。資料はお寺で大切に保管することにしています。伊藤さんは、初めてシンガポールを訪れ、犠牲者のお墓をお参りしました。

「資料を読んでいなければ、遠い出来事過ぎて、思いを馳せることは難しかったかもしれませんが、自然に手を合わせる気持ちになりました」と述べています。何も持たずにお墓に来たことを悔やみ、線香と花束を買い求め改めて訪れ、お経を唱えました。亮共さんが心にしまい込んでいた思いは、孫の伊藤さんにたしかに引き継がれました。
BC級戦犯の裁判について詳しい弁護士の間部俊明(まなべ・としあき)さんは「被告の遺族の手紙がまとまった形で出てきたのは大変興味深く、今後、裁判記録と照合するなどして、被告がどう裁かれたのか、検証するきっかけとなるのではないか」と話しています。
この指摘のように、資料を今後にどう生かすのかが課題です
一つは、国家的なプロジェクトとして、調査を。国は、戦場に駆り立てながら、BC級戦犯については関与せずの方針を示したことで、裁判記録の収集などこれまで本格的な調査をしてきませんでした。国が情報を明らかにしないのは、戦争当時も今も変わっていません。戦後72年、事実を知る人が極めて少なくなってきている今、法律や歴史学の専門家を交えて、改めて調査することが必要です。裁判記録を紐解くことによって、旧日本軍がアジア各地で何をしてきたのか、検証できる可能性があります。事実に基づかない歴史は誤解を招く要因ともなりかねません。
もう一つ、指摘しておきたいのは、戦争記録をデジタル化して半永久的に保存する取り組みの必要性です。今回の資料も、私が見せていただこうとするそばから紙がボロボロと端の方からはがれ始めてしまいました。劣化してしまう前に、デジタル媒体で記録しておく必要性を痛感しました。個人が所有している資料の発見が各地から報告されていますが、子や孫の世代が引き継いでいる今のうちに記録しておかないと、相続などで散逸してしまったり、いざ読もうとしたときに劣化して読めなくなったりするといったことがおきかねません。今年設立されたデジタルアーカイブ学会は、国が「戦史博物館」のようなものを作って、デジタル化した資料を一元的に管理し、後世の人たちが研究に使いたいと思うときに使えるような手立てを打つべきだと議論し始めています。
今回のことを、終戦の日近くの資料発掘の一つとして終わらせるのではなく、この国が戦争でしたことの検証作業のスタートとして、位置づけること。それが、異郷で亡くなった人たちの無念の思いに報いることではないかと思います。
(早川 信夫 解説委員)