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子どもと法・21の管理人メモ RSSフィード

2018-04-21

[] 北朝鮮 核実験ICBM発射実験中止 核実験場も廃棄と発表 - NHKニュース(2018年4月21日)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180421/k10011412371000.html

北朝鮮キム・ジョンウン金正恩朝鮮労働党委員長は「いかなる核実験も中長距離、大陸間弾道ミサイルの発射実験も必要なくなり、北部の核実験場も使命を終えた」と述べ、21日以降、核実験とICBM=大陸間弾道ミサイルの発射実験を中止し、核実験場を廃棄する考えを表明しました。

これは北朝鮮の国営の朝鮮中央テレビが21日、日本時間の午前9時半すぎから伝えたもので、それによりますと、ピョンヤンで20日、朝鮮労働党の中央委員会総会が開かれ、キム・ジョンウン委員長が演説しました。

この中でキム委員長は「核開発と運搬攻撃手段の開発がすべて行われ、核の兵器化の完結が証明された状況で、いかなる核実験も中長距離、大陸間弾道ミサイルの発射実験も必要なくなり、北部の核実験場も使命を終えた」と述べました。

そして、総会では21日以降、核実験とICBMの発射実験を中止するとともに、「核実験中止の透明性を保証するため」として、北東部のハムギョン(咸鏡)北道プンゲリ(豊渓里)にある核実験場を廃棄する決定が満場一致で採択されました。

決定書には「朝鮮半島と世界の平和と安定を守るために、周辺国と国際社会と、緊密な連携と対話を積極的に行っていく」という文言も盛り込まれ、国際社会との対話姿勢をアピールしています。

また、北朝鮮は今回の決定をキム委員長が5年前に打ち出した核開発と経済の立て直しを並行して進める、「並進路線」の「勝利宣言」と位置づけており、今後は経済の立て直しに総力を集中する方針を強調しています。

一方、「わが国に対する核の脅威や核の挑発がないかぎり、核兵器を絶対に使わず、いかなる場合にも核兵器と核技術を移転しない」としていて、核保有の立場に変わりはなく、核実験やICBMの発射実験を再開する余地も残しています。

北朝鮮としては6日後に迫った南北首脳会談や、その後に開かれる見通しの史上初の米朝首脳会談を控えて、先手を打つ形で朝鮮半島の非核化に向けた本気度を印象づけることで、会談の主導権を握って体制の保証など、みずからに有利な条件を引き出そうという狙いがあると見られます。

小野寺防衛相「満足いくものではない」

小野寺防衛大臣は訪問先のワシントンで記者団に対し、「北朝鮮の発表は満足がいくものではない。特に日本にとっては、中距離・短距離の弾道ミサイルの放棄には触れておらず、核の放棄にも触れていない。これでは不十分だ」と述べました。

そのうえで、「国際社会が求めているのは、完全で検証可能な不可逆的な方法で、すべての大量破壊兵器および、あらゆる弾道ミサイルの計画を放棄することだ。国際社会による圧力を緩めるタイミングではなく、引き続き、最大限の圧力を加え、北朝鮮の核・ミサイルの放棄を目指す姿勢に変わりはない」と述べました。

防衛省幹部「慎重に見極める必要ある」

防衛省幹部はNHKの取材に対し、「北朝鮮が具体的にミサイルの発射実験の中止や、核実験場の廃棄に言及したのは初めてで、今後の動きを注視したい。いずれにしても、南北や米朝の首脳会談を前にした駆け引きの一環の可能性もあり、具体的な動きにつながるのか慎重に見極める必要がある」と述べました。

麻生副総理「調査しないとコメントできない」

麻生副総理財務大臣はG20終了後の記者会見で、「これまでも核実験場をやめるという条件で資金を出すようなことがあったが、実際には実験は続いた。現場や状況をきちんと調査したうえでないとコメントできない。これまでも数々そういうことがあった」と述べました。

去年 ICBM級の発射実験

北朝鮮アメリカ本土に届くICBM=大陸間弾道ミサイルの開発を進めていることを軍事パレードを通じてアピールしてきたほか、去年、ICBM級の弾道ミサイルの発射に初めて踏み切りました。

首都ピョンヤンで行われた軍事パレードでは、過去4回登場していて、2012年4月と2013年7月に登場した、片側8輪の大型トレーラーに搭載されたICBM級の弾道ミサイルは、「KN08」と呼ばれ、弾頭がとがっています。

2015年10月に登場したものは弾頭が丸みを帯びていて、KN08の改良型と見られ、韓国メディアが「アメリカ軍韓国軍が『KN14』と名付けた」と伝えていました。

また、去年4月に大型トレーラーに搭載されて登場したミサイルは、これまでのものよりも長く、新型と見られています。

そして、去年7月、ICBM級の「火星14型」2発を相次いで発射し、いずれも通常より角度をつけて高く打ち上げる「ロフテッド軌道」が用いられました。

さらに、11月には「アメリカ本土全域を攻撃できる新型のICBM」だと主張する「火星15型」を初めて発射し、この時も「ロフテッド軌道」が用いられ、高度が過去最高の4475キロに達したと発表しました。

その際、立ち会ったキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長は「核武力完成の歴史的な偉業、ミサイル強国の偉業がついに実現した」と主張し、核・ミサイル開発の進展ぶりを誇示していました。

弾道ミサイルは計20発

北朝鮮は、おととしに続いて去年も弾道ミサイルの発射を繰り返し、技術の進展ぶりを誇示していました。

北朝鮮は去年2月に、SLBM=潜水艦発射弾道ミサイルを地上配備型に改良した新しい中距離弾道ミサイル北極星2型」1発を発射し、3月には中距離弾道ミサイルスカッドER」4発を同時に発射しました。

その後も3月から4月にかけて、合わせて4発の弾道ミサイルを発射しましたが、いずれも失敗したと見られています。

そして、5月に新型の中距離弾道ミサイル火星12型」1発を、その1週間後には「北極星2型」1発を、それぞれ発射。翌週にも海上の艦船も狙う精密誘導システムを導入したとする新しい弾道ミサイル1発を発射しました。

続いて7月に、ICBM=大陸間弾道ミサイルと主張する「火星14型」2発を、8月に短距離弾道ミサイルと見られる3発を発射しました。

さらに、8月と9月に北海道の上空を通過して太平洋上に落下させる形で「火星12型」を1発ずつ発射したほか、11月には「アメリカ本土全域を攻撃できる新型のICBM」だと主張する「火星15型」1発を初めて発射し、去年1年間に発射した弾道ミサイルは、合わせて20発に上っていました。

北東部の山岳地帯に核実験

北朝鮮核実験場がある、北東部・ハムギョン(咸鏡)北道のキルジュ(吉州)郡プンゲリは、標高1000メートルを超える険しい山々が連なる山岳地帯に位置し、地下に掘られた坑道で繰り返し核実験が行われてきました。

2006年10月、2009年5月、2013年2月、2016年の1月と9月、そして、2017年9月と、過去合わせて6回行われた核実験は、いずれもプンゲリで実施されました。

アメリカを初めとする関係国は、人工衛星を使ってこの核実験場での動きを監視していて、韓国政府北朝鮮が新たな核実験をいつでも行える状況にあると見て警戒を続けていました。

また、6回目の核実験のあと、プンゲリでは自然の地震が相次いで発生し、韓国気象庁は「6回目の核実験によって非常に強い力が発生したため、浅いほうの断層が不安定になったことによる影響ではないか」と分析していました。

[] 自民研修会 「森友」釈明に不満の声 地方議員改憲しらけムード - 毎日新聞(2018年4月21日)

https://mainichi.jp/articles/20180421/ddm/005/010/065000c

http://archive.today/2018.04.21-054651/https://mainichi.jp/articles/20180421/ddm/005/010/065000c

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自民党は20日、党所属の地方議員約800人を集めた研修会で、党の重要課題を説明した。安倍晋三首相の悲願である憲法改正に向け、党改憲案を地方に浸透させる異例の会合だったが、党の顧問弁護士が唐突に森友学園問題を解説し、報道批判を展開。政権の不祥事が相次ぐ中、来春の統一地方選を控える出席者からは不満が漏れ、会場に改憲の熱気は薄かった。【田中裕之、小田中大】

出席者によると、顧問弁護士は会場に森友学園問題などの経緯を記したスライドを映しつつ、「うそを書くとフェイクニュースだ。(首相の妻)昭恵さんが出てくる前に(国有地売却の)話は決まっていた。関係したという報道があるが、事実関係は違う」などと断言した。こうした説明の場は研修会の予定に入っておらず、地方議員に「真相」を伝えるため、執行部が急きょ設定したとみられる。

さらに研修会の出席者に対しては、森友、加計学園問題を巡る朝日新聞報道を「捏造(ねつぞう)」だと非難する文芸評論家の書籍が配られた。

異例の対応に困惑する地方議員も目立ち、「研修会を党総裁選の地ならしに使っているのではないか」との疑問の声が漏れた。首相は9月の総裁選で3選を目指し、地方票固めを急いでいる。青森県議は「こんな説明でいいのか。信なくば立たずだ。このまま安倍さんでいいのかと皆心配している」と語った。

改憲については、党の細田博之憲法改正推進本部長が、党のまとめた「自衛隊」明記など4項目の条文案を説明し、各地で機運を高めるために協力を求めた。政務調査会の各部会長らは働き方改革地方創生などの政策について講義した。

訪米から帰国して会場へ直行した首相は、非公開の講演で一連の不祥事を陳謝したが、加計問題などには触れず、出席者から直接批判が出る場面もなかった。

だが不祥事が相次ぐ中、地方議員内閣や党の支持率低下が統一地方選を直撃することを懸念。保守王国・福井の県議は「改憲は安倍さんの個性だ」と理解を示す一方、止まらない不祥事に「危機管理がなさすぎる。がっかりだ」とこぼした。

森友問題への釈明に対し、別の県の県議は「かえって逆効果だ。あれじゃ地元で説明できない」とあきれ、山形県議は「安倍さんでは統一選を戦えない」と漏らした。ある参加者は「頑張ろうという熱気もなかった。『来年また来よう』とは思えない研修だった」と突き放した。

地方側の冷ややかな反応に、首相の出身派閥・細田派の議員は「首相の周りの人は、政権が置かれた状況の重大さを分かっていない」とつぶやいた。

[] 内閣府職員「自分がメール送信したと思う」 - 日テレNEWS24(2018年4月20日)

http://www.news24.jp/articles/2018/04/20/04391007.html

http://web.archive.org/web/20180420143756/http://www.news24.jp/articles/2018/04/20/04391007.html

加計学園獣医学部の新設をめぐり、3年前、愛媛県の職員らが首相官邸を訪問する予定などを伝えるメールが、文部科学省で見つかったことがわかった。一方、メールを送信した内閣府の職員は調査に対し、「自分が送信したと思う」と回答した。

メールを送信した内閣府の職員は調査に対し、「自分が同席して作成、送信したものと思われる」と回答した。

内閣府の調査によると、当該メールは共有フォルダーや個人の端末などで確認されなかった。

一方で、担当職員3人から聞き取りをした結果、メールを送信したとされる職員は「記憶は残っていないが、写しがある以上、自分が同席して作成、送信したものと思われる」と回答した。

また、愛媛県と柳瀬元首相秘書官との面会については「そのような話題が出て、そのまま自分がメモしたのだろう」との認識を示した。

また、内閣府愛媛県側と面会したとされる当時の藤原次長は「官邸での面会はセットしていない。紹介も同行もしていない」と回答している。

メールを受け取ったもう一人の職員は「記憶にない」と応えている。

立憲民主党・辻元国対委員長「(柳瀬元首相秘書官が)ウソをついているのではないかという疑いが濃厚になったので、証人喚問をして、ここは核心部分ですので、白黒はっきりさせなきゃいけないと改めて強く思いました。安倍政権はウソで塗り固められた政権に私からは見えてくるんですね」

立憲民主党の辻元国対委員長は、また、柳瀬氏の証人喚問が認められない限り、国会審議には応じない考えを改めて強調した。

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[] 文科・農水の出向者同席 官邸訪問 柳瀬氏と面会時 - 東京新聞(2018年4月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018042190070155.html

https://megalodon.jp/2018-0421-0956-31/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018042190070155.html

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学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部開設を巡り、二〇一五年四月二日に愛媛県今治市、学園の幹部ら一行が首相官邸で柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と面会した際、官邸スタッフとして文部科学省農林水産省から内閣官房に出向していた職員も同席していたことが二十日、政府関係者への取材で分かった。柳瀬氏は「記憶の限りでは、県や市の方に会ったことはない」と否定しているが、県幹部らの官邸訪問が関係省庁の間で広く情報共有されていたことになる。 (中沢誠、小林由比)

政府関係者によると、柳瀬氏と一行が面会した場に同席していたのは、現在、文科、農水両省の幹部で、当時は官邸に出向していた内閣参事官二人。官邸への出向者は、出向元の省庁とのパイプ役も担っている。政府関係者は「出向者を通じて、官邸訪問の情報は両省にも伝わっていた」と証言している。

獣医学部開設には獣医師が不足しているかどうかが焦点の一つで、文科省農水省は当時、「獣医師は足りている」として開設には慎重だった。政府関係者は「官邸側には、獣医学部開設が『首相案件』というメッセージを、出向者を通じて両省に伝え、計画を進める狙いがあった」と話す。

同席の事実について、出向していた文科省幹部は本紙の取材に「取材対応は控える」、農水省幹部は「当時のことはよく覚えていない」と明言を避けた。

文科省は二十日、これに関連して官邸訪問当日に内閣府職員が文科省職員に宛てた二通のメールを公表した。一通目の午前九時五十二分に受信したメールは、一行が藤原豊内閣府地方創生推進室次長(当時)と面会することを事前に伝えていた。二通目の午後零時四十八分に受信したメールは、藤原氏との面会結果を伝える内容で、愛媛県文書の趣旨とほぼ一致する。「本日15時から柳瀬総理秘書官とも面会するようです」と、一行が直後に官邸を訪ねることにも触れていた。

文科省は、学園幹部らの官邸訪問が三月に伝えられていたとする今月十二日付の本紙報道や、文科省内閣府からのメールが存在しているとするNHKの報道を受け、調査していた。

内閣府によると、藤原氏は「県や市の職員とこの頃会ったことは記憶している」と面会自体は認めている。現在、経済産業審議官の柳瀬氏は二十日夕、安倍晋三首相に同行した米国から帰国。経済産業省内で報道陣に、「国会に呼ばれましたら、しっかりと誠実にお答えしたい」と述べた。

[](政界地獄耳)「3佐暴言」防衛相辞任が適当 - 日刊スポーツ(2018年4月21日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804210000254.html

http://archive.today/2018.04.21-003727/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804210000254.html

★16日夜、統合幕僚監部・指揮通信システム部の30代の3等空佐が民進党参院議員小西洋之国会近くの路上で偶然遭遇し、「お前は国民の敵だ」「お前の国会の活動は気持ち悪い」と繰り返し罵声を浴びせたが、自衛隊トップの統合幕僚長・河野克俊は「自衛官としてあるまじき行為」、防衛相小野寺五典も「あってはならない」「擁護するつもりはない」と火消しに必死だ。

★小西の説明では近くにいた複数の警察官が駆け付けた後も同様の発言を繰り返し、小西が「防衛省に連絡する」と告げても発言をやめなかったが、最終的には発言を撤回し、その場で謝罪したという。小西は謝罪を受け入れたものの17日の参院外交防衛委員会でこのやりとりを披歴した。野党幹部が言う。「小西の怒りもわかるが個人的には1度決着している話。改めて蒸し返すことでこの問題は個人の問題を超えてしまう。政治家としての決着の仕方があるのではないか。19日の野党会合では『2人が辞職しない限り、将来日本で自衛隊クーデターが起きる』と小野寺と河野の辞任を求めたが、これ以上は小西ひとりに言わせず野党全体として対応すべきだ」と小西の手を放すべきと指摘する。

★小西が言い続ける限り防衛省はのらりくらりを繰り返すだろう。小西の私怨(しえん)になるからだ。だが、この自衛官の発言は統幕議長が否定したところでシビリアンコントロールの危機に他ならない。本来なら当該3佐の懲戒免職、統幕議長更迭、そして防衛相の辞任が適当だろう。その処分をしない限り国会は譲るべきではない。少し防衛省はこの問題を軽く見すぎている。(K)※敬称略

[] 別人格が万引き認定、高裁責任能力限定的」 - 読売新聞(2018年04月21日)

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180420-OYT1T50100.html

http://archive.today/2018.04.20-231154/http://www.yomiuri.co.jp/national/20180420-OYT1T50100.html

f:id:kodomo-hou21:20180421125205j:image:left

窃盗罪に問われた30歳代の女性の刑事裁判で、東京高裁(朝山芳史裁判長)が、解離性同一性障害(DID)により女性本人とは別の人格が犯行に及んだと認定し、女性の刑事責任能力限定的とする判決を言い渡していたことがわかった。

極めて異例の司法判断で、同種事例の判断に影響を与える可能性がある。

確定判決によると、女性は2016年7月、静岡市内の3店舗で化粧品や衣類など計139点(計約33万円相当)を万引きした。

女性の弁護側は静岡地裁での1審から、「女性とは別人格の『ユズキ』の犯行で、女性には記憶がない」などと無罪を主張していた。

女性側の主張では、女性は16年7月、食品を買うため自宅を出た瞬間、別人格のユズキの声が聞こえて意識を失った。女性は「気づいたらスーパー駐輪場にいた。エコバッグはぱんぱんに膨らみ、中には値札が付いたジーンズがあった」と述べた。財布の現金は減っていなかったという。

[][][] あの人に迫る - 中日新聞(2018年4月20日)

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018042002000247.html

https://megalodon.jp/2018-0421-1233-49/www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018042002000247.html

村上敏明 戦争の語り部

◆あやめた母と妹 遺言の九条守る

村上敏明さん(83)は毎週金曜、関西電力京都支店前での脱原発のアピール行動に参加する。改憲阻止のための三千万人署名運動に携わり、戦争の語り部も続ける。若い人にも戦争の悲惨さを伝えたいとフェイスブックツイッターを利用し、フォロワーは計五千四百人を超えた。その熱意は、戦後の旧満州中国東北部)で母と妹を自らの手であやめた深い悲しみと絶望から来ている。「戦争が全てを奪った」。亡くした二人に突き動かされるかのように、いまを生きている。

−戦前、なぜ満州へ。

一九三八年に鉄道貨物会社の社員だった父六夫(むつお)=当時(32)=の転勤に合わせ、母こま=同(26)=と四歳の私、弟淳(じゅん)=同(1つ)=の四人で満州大連に渡った。四一年四月、満州の新京(現長春)の小学校に入学、四二年八月、四平に転勤となり、四平小学校に転校した。

終戦間際の四五年一月、日本政府は「持久戦の主たる抵抗は国境にて行い」「兵は国境寄りに置き、この部隊は玉砕せしめる。武器など補給は予定しない」などと言い、国境にいた正規軍を沖縄フィリピンに移そうとした。代わって四平の学校の先生や父のような会社員が、北の国境警備隊に当たるよう徴兵された。

−ちょうど同じころ、妹芙美子(ふみこ)さんが生まれた。

四五年五月、芙美子が生まれたが、戦争の混乱で役所が記録を取らなかったのか、戸籍謄本には誕生や死亡時の記録が全くない。

ポツダム宣言を受諾後の八月九日、ソ連軍満州に侵攻を開始。私は小学五年生だったが、男手がなく「ソ連戦闘機が飛んできたら知らせてくれ」と言われ監視要員に。中学生は火薬を詰めた竹筒でソ連兵の陣地を壊す訓練を強いられ、ソ連軍の戦車にひかれて死亡した先輩もいた。

日本政府棄民政策に失望した。

終戦前、ポツダム宣言受諾を決めていた日本政府は「外地に居る居留民はでき得る限り定着の方針を執る」と棄民政策を打ち出した。戦後、一挙に満州の日本人が、日本に戻ったら混乱すると思ったのだろう。

詩人の加津牟根夫(むねお)さんの「軍隊は住民を守らぬものなりし、満州を見よ、沖縄を見よ」の詩に私は「今、福島を見よ」と付け加えて発信している。敗戦後の政府も、現在の政府も都合の悪いものは、常に排除し続けているのは同じだ。

敗戦後も兵隊たちは郊外の川岸で「俺たちは負けない戦うぞ」と穴を掘っていたが、政府棄民政策を強め、八月二十六日に大本営が「満鮮に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとす」と発表。このころ四平にはソ連兵による威嚇のための発砲音が毎日聞こえるようになった。

敗戦を迎えた八月から引き揚げる翌年九月まで、ショックのためか、どう暮らしていたかの記憶がない。シベリアに抑留された父の給与は凍結され、母は街頭でがんもどきなどの立ち売りをしていたようだ。

満州財界有志が、カトリック司教中国政府の要人の協力を得、ソ連軍が支配する中、秘密裏に脱出し四六年二月、日本へ渡航。GHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサー司令官吉田茂外相満州の日本人百五十万人のうち0・3%が毎日飢えなどで死んでいると、窮状を訴えた。

その後、四平では四六年三月、ソ連兵が撤退、同時に内戦中の中国共産党軍隊が進駐した。五月には、中国正規軍が四平を占領支配。四平中心部では戦闘があり、日本人がバリケードを造る作業をさせられた。

市街地の戦争で中国正規軍が入った時に、重要拠点で発砲が続いた。親友の小林允(まこと)君は、中国軍の少年兵に死体の中に埋もれて隠れろと言われ、その指示に従い、九死に一生を得て無事、日本引き揚げが実現した。

−それなのになぜ、妹をあやめることに。

四平の日本人会幹部が中国の関係者と協議を重ね、「栄養不良で病弱の子供は列車の旅で大変になるから殺すように」と、指示を出したようだった。

詳細は思い出せないが、自宅には母と二人の弟、医者、お坊さんがいて、僕に恐らく何かを指示した。僕は母が胸に抱いていた一歳の芙美子の小さな口に毒入りの水をスプーンで注いだ。瞬間、芙美子は目を見開き僕をじっと見て、そのまま息を止めた。その顔は「お兄ちゃん何をするの」と、にらみつけ必死に訴えているようだった。まだ、言葉は発しなかったが、苦しそうな目だけは、今でもはっきりと思い出す。

七月七日、四平をたったが、母親は車内でじっと横になって「芙美子、芙美子」とうなされていた。

引き揚げ窓口の日本人会が病弱の子を殺すことをどこで決めたかの記録はない。妹は戸籍に記載されておらず、妹の死を知るのは私と弟と小林君だけだった。

ショックのためか、妹を殺した後の記憶がないが、小林君は三十六年後に再会した時、開口一番「お母さんどうしてる」と聞いてきた。「なぜ」と聞くと、「君のお母さんは妹さんをあやめた数日後、引き揚げで僕の家の前を通った時に歩かず荷車に乗り、僕らに手を合わせていた」。小林君は「君は泣きじゃくり『妹を殺した』と話していた」と四平での出来事も語った。

−その後、母親もあやめることになった。

七月下旬から八月七日にかけて母は動けなくなり、葫蘆(ころ)島港(現遼寧省)近くの病院に入院した。数日後、薬を飲ませていた私に、いつもと違う白い薬が医師から手渡された。母の口に流し込むと、母はすぐに白い泡を吹き息を引き取った。当時、回復の見込みがない病人には、青酸カリが処方されていた可能性が高いと、後に知らされた。

その晩は、弟を含めて三人で母の亡きがらの横に添い寝した。翌日、海の見える丘に母を土葬。リュックの中に母のお気に入りの着物があり、うち一枚を遺体にかけ土をかぶせた。船の汽笛が葬送の調べのようだった。母は芙美子から離れたくなかったのかも。

港しかない場所だったが、葫蘆島はいま新幹線も通る二百万人の大都市に。母の埋葬場所は分からないだろうが、行ってみたい。

−その後、故郷までどうたどり着いたのか。

九月十日に船が長崎佐世保に到着。学生の手を借りて京都駅にたどり着き、そこで京都府の職員らしき人が、母の故郷の亀岡まで私ら兄弟三人を連れ、祖母に引き合わせてくれた。

弟の淳=当時(9つ)=は帰ってすぐ結核髄膜炎で亡くなった。天井を見ながら「芙美子、芙美子」と弟もまた妹の名を呼び、うなされて死んでいった。

いまを生きる世代に何を伝えたいか。

芙美子や母は、なぜ私に殺され、死なねばならなかったのか。戦争という不条理がそれを肯定した。戦争に正義などない、あるのは不条理と戦争から生まれる癒えることのない、憎しみと悲しみの連鎖だけだ。

戦争しない国を掲げた憲法九条は、母と芙美子が私に残してくれた遺言だ。戦争を知らない世代が権力を牛耳り、若い世代で、戦争につながる行動が肯定されていると感じる。社会の分断を食い止め、戦争への道を止めるため、いまやれることをやらねば。

<むらかみ・としあき> 1934年京都生まれ。父の転勤に合わせ38年に旧満州大連に移住。その後、母、弟と四平に移った。敗戦で46年に日本への引き揚げ時に、病気がちの妹(1つ)を医師の指示であやめる。母はその後に衰弱し、同8月6日、病院で医師の調剤した薬により死亡。同9月10日、船で佐世保に帰還した後、弟2人と京都府亀岡市の祖母宅へ。51年、京都市教委に就職。60歳の定年後も大阪府島本町図書館勤務の傍ら夜間高校に通い、立命館大2部を卒業。3・11以降、京都市伏見区に避難した福島の人々とつながり反原発運動に参加。2012年から「金曜日関西電力京都支店前アピール行動」に参加し、市民運動に関わり続ける。

◆あなたに伝えたい

戦争を知らない世代が権力を牛耳り、若い世代で、戦争につながる行動が肯定されていると感じる。

◆インタビューを終えて

市民活動で活躍する医師の竹内由起子さん(43)から「すごい人がいる」と村上敏明さんを紹介された。

「戦争は絶対だめ」と繰り返し、太い眉の下のつぶらな瞳の奥に揺るぎない意志が見え隠れするようで圧倒された。

愛する母や妹をあやめたことへの罪の意識を背負い、長い沈黙を続けたが、政治の進む方向に危機感を募らせ「今こそ言わねば」と、二〇一〇年に「四平小学校同窓会記念誌」で満州での自らの体験を記し、それ以降、積極的に語るようになった。不思議と毎晩見ていた悪夢を見なくなったという。

「残りの人生で、芙美子や母が『きちんと戦争を語り尽くして』と言いたかったのかな」

村上さんの心のバトンを私たちが引き継いでいかなければ。

 (望月衣塑子)

[](余録)かつての著名な実業家の日記に… - 毎日新聞(2018年4月21日) 

https://mainichi.jp/articles/20180421/ddm/001/070/099000c

http://archive.today/2018.04.21-033504/https://mainichi.jp/articles/20180421/ddm/001/070/099000c

かつての著名な実業家の日記にしばしば「真砂(まさご)町の一友人を訪(おとな)ふ」という記述があった。後に、国文学者が友人とは何者か苦心して調べると、政界の黒幕や財界の実力者ではなく「彼女」だった。「日記の上では存在を消してしまっていたのである」(井上ひさし「自家製 文章読本」)

亡くなった後にプライバシーが暴かれるのは誰しも避けたい。インターネット時代の今は、見られたくないデータをパソコンやスマホに残さないことが肝心らしい。こうした「デジタル遺品」の整理は終活の課題だ。

一方で遺族が困ることもある。故人が利用していた有料サイトへの登録を解除できない。通帳のないネット銀行の口座がわからない。大事なデータの存在を知らせる「遺言状」が必要な時代なのか。

こちらは当事者に都合が悪くても後世に記録が残される仕組みになるだろうか。官庁の公文書だ。森友問題で発覚した改ざんを防ぐため更新履歴がシステムに残る電子決裁へ移行する。公文書の保存期間も原則1年以上にするという。

だが、これで安心なのか。役所が「ない」と言った文書があり、文書にあった内容を官僚が認めない。一連の問題で不安に思う人も多いに違いない。

ところで、井上さんは実業家の日記の話をなぜ「文章読本」に書いたのだろうか。「たしかに存在しているものを言葉はその働きによって巧妙に隠してしまうことができる」。言葉遣い一つで、ものごとの本質が変わるということか。政治家官僚の顔が浮かぶ。

[] 朝鮮学校補助 地域の一員育む視点を - 朝日新聞(2018年4月21日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13460712.html

http://archive.today/2018.04.21-033650/https://www.asahi.com/articles/DA3S13460712.html

朝鮮学校子どもたちの学びとどう向き合うか。国とともに自治体も問われている。

全国に60余ある朝鮮学校が所在する28都道府県のうち、学校への補助金を予算に計上したのは12道府県にとどまり、残りの16都府県はこの10年の間に交付をやめていた。昨年度の朝日新聞の調査でわかった。

補助金を継続している自治体は、児童生徒1人当たり一定額を出したり、備品購入の一部や地域住民との交流事業を支援したりしている。欧米系やブラジル人学校などと同様に補助している例が多い。

朝鮮学校子どもたちも地域社会の一員である。当然の判断だろう。

交付をやめた自治体の時期やきっかけはさまざまだが、影響したとみられるのは文部科学省が16年3月、28都道府県知事あてに出した通知だ。

補助金について「適正かつ透明性のある執行の確保」を求めたが、その前提として「政府は、北朝鮮と密接な関係がある朝鮮総連が教育内容や人事、財政に影響していると認識している」と強調した。

当時、核・ミサイル実験を繰り返す北朝鮮への制裁の一環として補助金打ち切りを求める声が自民党などからあがっていた。自治体側は国から再考を迫られたと受け止め、実際に複数の県が支給をとりやめた。

北朝鮮にかかわる政治・外交上の懸案と、日本で生まれ育った子どもたちの教育の問題を混同してはならない。そもそも地方の補助金に国が口出しすることが異例であり、自治体には主体的な判断を求めたい。

補助金を続ける12道府県は、朝鮮学校の教育内容が学習指導要領に準じているかを調べたり、会計書類で補助金の使途を確認したりしている。地域の納税者の理解を得る取り組みを重ねつつ、子どもたちの教育を等しく支えることは自治体の務めである。

朝鮮学校への補助金をめぐっては、大阪高裁が3月、大阪府大阪市の不支給決定について違法な点はないとし、一審に続いて学校側の訴えを退ける判決を出した。

一方、兵庫県民が県の補助金支給の取り消しを求めた裁判では、神戸地裁が14年の判決で「ほかの外国人学校と同等の扱いをしたものだ」として訴えを退けた。この判断は最高裁で確定している。

国籍にかかわらず地域に暮らす子どもを育む。そのことを多文化共生社会への一歩としていかねばならない。

[](私宅監置)現在につなげる検証を - 沖縄タイムズ(2018年4月21日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/240864

https://megalodon.jp/2018-0421-1237-14/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/240864

屋敷の一角に建てた小屋や自宅の裏座に精神障がい者を閉じ込めた「私宅監置」の歴史を振り返る写真展が、県立博物館・美術館で開かれている。

狭く、暗い空間に横たわりぼんやりと宙を見詰める男性、別の男性は小屋の奥から差すようなまなざしを向ける、鉄格子の外には中を気遣う母親らしき女性の姿も。

「動物以下の扱い」と形容されるほど隔離の状況は劣悪で、県内各地の監置の状況を撮影した写真など約50のパネルが映し出すのは、すさまじい人権侵害である。

会場には現存する監置小屋のレプリカも置かれている。ほとんど身動きが取れないコンクリートの冷たい空間に、昨年89歳で亡くなった男性が約14年間閉じ込められていたという。

私宅監置を許したのは明治期に制定された精神病者監護法だ。

1950年に精神衛生法が施行され禁止となるが、米軍統治下にあった沖縄は適用外だった。

66年に実施された調査で、県内の精神障がいの有病率が本土の約2倍であることが明らかになった。精神科病床や医療職が絶対的に不足する中、琉球政府は復帰する72年まで私宅監置を公認したのである。

決して遠い昔の話ではない。記憶にとどめる人も多い戦後沖縄精神医療政策だ。

苛烈を極めた地上戦で受けた心の傷と、米軍統治がもたらした法の空白が影を落としている。

■    ■

「わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

日本の精神医学の礎を築いた呉秀三は、今から100年前、私宅監置の悲惨な状況をこう訴えた。

精神衛生法施行後、国の補助で病院が次々と建設された本土と違って、差別的な制度が長く続いた沖縄は、さらに不幸が重なったといえる。

写真展を主催する県精神保健福祉会連合会は、苦難の歴史を後世に伝えようと私宅監置の遺構保存を呼び掛けている。県議会には「私宅監置された精神障がい者の尊厳を回復する県宣言」を求めている。

すでに多くの方が亡くなり、被害の実態は歴史にうずもれ、被害者は尊厳を奪われたままである。

公的措置として実施した県には、被害の実態と現在につなげる検証を求めたい。

■    ■

昨年末、大阪府で自宅のプレハブにおよそ15年も閉じ込められた女性が凍死するショッキングな事件があった。今月に入って兵庫県で敷地内のおりに約25年間監禁されていた男性が保護された。いずれも加害者は親で、被害者には精神疾患があったという。

もちろん許されることではないが、精神障がい者に対する世間の目を恐れて監禁が始まったとしたら、問題は通底する。

私宅監置を許した社会の誤りを直視することなく、今も残る偏見や差別と向き合うことはできない。