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子どもと法・21の管理人メモ RSSフィード

2018-09-02

[] 南スーダン陸自、被弾9カ所・弾頭25発 内部文書入手 - 朝日新聞(2018年9月2日)

https://www.asahi.com/articles/ASL8Y7XJGL8YUTIL062.html

http://archive.today/2018.09.02-013134/https://www.asahi.com/articles/ASL8Y7XJGL8YUTIL062.html

南スーダンに派遣された陸上自衛隊国連平和維持活動(PKO)部隊が2016年7月、ジュバで起きた武力衝突に遭遇した際、宿営地の施設9カ所が被弾し、小銃や機関銃の弾頭25発が敷地内から見つかっていたことが、朝日新聞が入手した陸自の内部文書でわかった。

衝突時の模様は、防衛省が17年に公開した日報で一部明らかになったが、宿営地での被害や隊員の対応についての記載はなかった。当時は安倍政権安全保障関連法で可能になった「駆けつけ警護」などの新任務を自衛隊に付与する検討に入っていた時期。野党の反発や隊員の家族の動揺を抑えるため、事実関係が伏せられた可能性がある。

入手した文書は、北海道から派遣された第10次施設隊(中力〈ちゅうりき〉修隊長)が帰国後にまとめた「南スーダン派遣施設隊等(第10次要員)成果報告」(A4判86ページ)。半年間の活動記録のほか、銃砲撃戦に伴う被害状況やその後の対応策などが詳細にまとめられている。

それによると、7月8日ごろに本格化した政府軍反政府勢力武力衝突は、7月10〜11日にかけて自衛隊宿営地の周辺にも拡大。日本の宿営地をはさんで銃砲撃が繰り返され、「戦車、迫撃砲の射撃を含む激しい衝突が生起し、日本隊宿営地内にも小銃弾の流れ弾等が飛来」した。

約350人の隊員の大半は2回にわたって耐弾化された退避コンテナに避難した。しかし内部が狭く「居住性の観点から長時間の退避が困難」だったとある。

[](私説・論説室から)理由不明の8機一斉交換 - 東京新聞(2018年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018082902000176.html

http://web.archive.org/web/20180829032922/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2018082902000176.html

千葉県陸上自衛隊木更津駐屯地で、米軍の垂直離着陸輸送機「オスプレイ」の定期整備が昨年二月から続いている。防衛装備庁は「三、四カ月」と説明していたが、既に一年七カ月にもなる。

担当幹部は「最初の一機なので慎重に進めている」というが、整備員は二年間、米国で研修を受け、日本語版の手順書もある。

長期に及ぶ定期整備について、防衛省関係者は「腐食とサビで床下がひどい状態だったと聞いている。本格修理が必要になり、部品を米国から取り寄せている」と明かす。

沖縄普天間飛行場に配備されたオスプレイ二十四機のうち、二機がオーストラリアの墜落事故などで失われた。国内の緊急着陸も目立つ。同関係者は「中東への派遣もあり、相当機体を酷使している」という。

今年七月、山口県岩国市への事前通告もなく、八機のオスプレイが輸送船から岩国基地へ陸揚げされ、普天間飛行場に向かった。

オスプレイは五年に一度の定期整備が必要で、普天間配備から五年目の機体もある。木更津での作業遅れを受けての「米国での定期整備なのか」と質問しても、防衛省の担当幹部は「米側から『通常の機体交換』と聞いている。米軍の運用にかかわることなのでそれ以上聞いていない」と繰り返すばかり。

要はあずかり知らぬということ。オスプレイを見つけたら逃げるほかない。 (半田滋)

[](19年度沖縄関係予算)制度のゆがみが鮮明に - 沖縄タイムズ(2018年9月2日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/307906

https://megalodon.jp/2018-0902-1007-26/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/307906

内閣府沖縄担当部局は、2019年度沖縄関係予算の概算要求をまとめ、財務省に提出した。

ひと言でいえば、30日の県知事選を強く意識した政治色の強い概算要求である。

要求額は、県が要請していた3600億円規模を大幅に下回る3190億円にとどまった。18年度の要求額と同額となっている。

14年度の1758億円をピークに4年連続で減額が続く一括交付金は、18年度当初予算に比べ65億円増の1253億円を要求した。ただし、一括交付金の増額規模は県の要望を下回る。

19年に期限を迎える税制の優遇措置についても、3年延長を求める県の要望をしりぞけ、2年間の延長を求めることになった。この「さじ加減」をどう理解すべきか。

露骨な減額要求を行えば県民の反発を招き、選挙戦にマイナスになる。概算要求額を増額すれば、辺野古埋め立ての承認撤回に「ごほうび」を与えたことになりかねない。

概算要求に、政治的な損得勘定の匂いがぷんぷんしているのは、こうした背景があるからだ。

問題にしなければならないのは、内閣府幹部の以下の発言である。

「概算要求は前年度と同程度とし、様子見をする。新知事の辺野古移設への態度によって年末の予算編成で増減することになる」(8月23日付朝日新聞

こんなことを平然と言ってのける神経にあぜんとする。

■    ■

沖縄特例の一括交付金は、使い道の自由度が高く、子どもの貧困事業や離島の活性化事業などにも活用されている。県や市町村の中には拡充を求める声が強い。

減額が続けば市町村の事業に直接影響することを承知で、官邸と内閣府は、一括交付金を減額し続け、翁長県政に揺さぶりをかけてきた。

それに輪をかけるような今回の問題発言である。

沖縄振興特別措置法と沖縄21世紀ビジョン基本計画に基づいて実施されている沖縄振興の趣旨をゆがめるものであり、官邸の空気を反映したものと受け取らざるを得ない。

このような発想で沖縄関係予算が削られたり増えたりすれば、沖縄の自治は成り立たず、地域の民主主義も成立しない。

懸念されるのは「安倍1強」体制の下で、このような強圧的な発言が官僚の中から平然と出てくることである。おごりというしかない。

■    ■

現在の沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興計画と沖縄21世紀ビジョン基本計画は、21年度に10年間の期限を迎える。4年後の22年5月15日は「復帰50年」という大きな節目の年でもある。

9月の知事選で選ばれる新知事は在任中に二つの大きな節目を迎えることになる。

内閣府に計上される沖縄関係予算はどうあるべきか。基地維持装置とも評される沖縄振興体制は今のままでいいのか。税制の優遇措置をいつまで要請し続けるのか。

沖縄の将来像を県民全体で議論するときだ。

[] 沖縄予算概算要求 アメとムチに利用するな - 琉球新報(2018年9月2日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-795211.html

http://archive.today/2018.09.02-010917/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-795211.html

内閣府は2019年度の概算要求で沖縄関係予算を3190億円に決定した。18年度当初予算比で180億円増だが、要求額は前年度と同額となった。安倍晋三首相が3千億円台の維持を確約して以降の概算要求としては、昨年に続いて最少額となった。

沖縄振興一括交付金は1253億円で、18年度当初予算比65億円増となり、4年ぶりに前年度当初予算より増額を求めた。しかし要求額は全体額と同様に前年度と同額だった。

沖縄振興一括交付金の要求額が前年度と同額だったことについて、知事職務執行代理者の富川盛武副知事は「自主的な選択に基づく沖縄振興の施策へ影響が生じかねず残念

だ」と述べている。当然だろう。

最終的な予算額は予算編成作業を経て12月末に閣議決定される。9月30日の県知事選挙の後だ。知事選は米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の是非が最大の争点だ。当選者のこの問題に対する立場によって、予算の増減に影響があってはならない。

辺野古移設反対を公約に掲げて当選した翁長雄志氏の知事就任後の15年度は前年度より161億円減額された。16年度は前年度比10億円増となったが、17年度は前年度比200億円減となり、18年度はさらに140億円減額となっていた。

翁長県政後のこうした政府による予算額の減額傾向をみると、辺野古移設の政府方針に従わないことへの意趣返しとしか映らない。こうしたことから、政府が知事選の結果を予算額に反映させるのではないかと疑いの目を向けてしまう。

一方で北部振興事業(非公共)は前年度当初予算比9億円増の35億円となっている。12年度以降、25億円台で推移してきたが、ここにきて35億円まで増額された。今年2月の名護市長選挙で、辺野古移設阻止を掲げた現職が敗北し、自公が市政を奪還したことと無縁ではないだろう。政治色が強くにじんでいる。

しかし沖縄関係予算は辺野古移設とは無関係だ。沖縄の自立発展と豊かな住民生活を目指すのが沖縄振興策の基本方針だ。沖縄は27年間の米統治によって本土よりも戦後復興が遅れた。復帰と同時に施行された沖縄振興開発特別措置法に基づき、日本政府沖縄関連の直轄事業や交付金をとりまとめてきた。

5次にわたる振興計画による内閣府沖縄関係予算は、18年度までの総額で約11兆6800億円となっている。第5次の沖縄振興計画に当たる「21世紀ビジョン基本計画」は10年計画を折り返し、復帰50年以降の振興も視野に入ってきた。

政府は沖縄の自主性を尊重し、沖縄振興を念頭に置いて予算を編成すべきだ。政府の意向に従わせるためのアメとムチとして予算を利用することなどあってはならない。

[] 障害者雇用水増問題 小声で「視力いくつ?」 元横浜家裁職員が証言 - 東京新聞(2018年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018090202000123.html

https://megalodon.jp/2018-0902-1009-05/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018090202000123.html

中央省庁などが障害者の雇用を水増ししていた問題で、元裁判所事務官の藤川延雄(のぶお)さん(69)=さいたま市西区=が現職時代に「障害者扱い」を上司から依頼されたと証言した。長年にわたり現場での「水増し工作」が横行していた実態の一端を浮き彫りにしている。 (山本哲正、井上靖史)

「ちょっといいですか。藤川さんの視力はいくつですか?」。一九九五年六月十二日の午前中、横浜家裁の経理係長だった藤川延雄さん(69)の隣の席に上司の男性が座り、切り出した。周囲に聞こえないよう、小声だった。

「裸眼で〇・〇いくつか、この眼鏡をかけて〇・四ぐらいです」。藤川さんが答えると、上司は「名前を貸してもらえませんか? 役所は体の不自由な人を何%か雇わなければならない。しかし、当庁(横浜家裁)では二人いるだけ。届けないといけないから」と頼んできた。国は障害者雇用促進法に基づき、各省庁や地方自治体などに年に一度、障害者雇用率の報告を求めている。

藤川さんは「私の視力ぐらいの人は大勢いる。対象者は例えば、腎臓透析を毎週受けなければいけない人では」と指摘。上司は「ただ名前を貸すだけ」と説得したが、断った。

藤川さんは前年の同じ頃も、上司の前任者から「ちょっと名前を貸して」と頼まれ、断っていた。上司が東京高裁にいたこともあり、「多くの裁判所で行われているのでは」と疑問がわいた。職場で問題提起するビラを配ったが、「怪文書扱いされた」といい、二年後に足利検察審査会栃木県)に異動となった。

当時の同僚の男性も、上司から「冗談交じりみたいな感じで持ち掛けられたことがある」と証言した。

上司だった男性は、本紙の取材に「自分が新たに藤川さんに声を掛けたわけではなく、既に障害がある分類に入っていると引き継ぎにあったので、(年に一度の)報告に当たって確認のために声を掛けたと記憶している」と認めた。藤川さん本人が知らないうちに障害者と扱われていたとみられる。

この元上司は「当時の管理職は障害者雇用率という数値目標があるとみんな認識していた」と説明。障害者雇用促進法で認定される障害者の基準を詳しく知らなかったといい、「どういう方を障害者と数えるのか、もっと意思統一をしていればこういうことは起きなかったのではないか」との見方を示した。

藤川さんは「本当に、知らないうちに勝手に障害者扱いされていたのなら、もっとひどい。残念だ」とため息をついた。

裁判所障害者雇用 法定率下回る可能性

障害者雇用数の水増しは国の行政機関の八割に当たる二十七機関で判明しており、昨年十二月に発表した雇用障害者の半数に当たる三千四百六十人が水増しだった。健康診断の結果から本人に確認せずに算入したり、人事関係の書類に本人が書いた病名で判断するなどの不正が行われていた。

これと別に最高裁も全国の裁判所を調査した結果、水増しがあったと厚生労働省に報告。昨年の障害者雇用率は全体で2・58%としていたが、実際は当時の法定雇用率2・3%を下回る可能性がある。

国や自治体での雇用義務が始まった一九六〇年当初から、水増しが常態化していた可能性も指摘されている。各省庁は「障害者手帳の確認が必要という認識が希薄だった」(内閣府)などと不備は認める一方、「意図的な水増しはない」といずれも否定している。

[]「障害者として名前貸して」言われた 元横浜家裁職員が証言 - 東京新聞(2018年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018090202000135.html

https://megalodon.jp/2018-0902-1010-06/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018090202000135.html

中央省庁都道府県でまん延する障害者雇用の水増し問題を受け、元裁判所事務官の男性が「横浜家裁に勤務していた二十三年前、障害者として名前を使わせるよう上司から求められた」と本紙に証言した。今回の水増し問題では裁判所の雇用水増しも判明している。男性は「法の番人たる裁判所の話で当時も許せなかったが、二十年以上たった今も省庁で水増しがされている。これでは障害者が仕事に就けない」と憤っている。

この男性は、さいたま市西区の藤川延雄(のぶお)さん(69)。藤川さんは一九九五年六月、勤務先の横浜家裁内で上司の男性から、障害者雇用率達成のため障害者として名前を貸すよう依頼された。

藤川さんは強度の近視で、裸眼の視力は〇・〇三だったが、眼鏡をかければ〇・四程度。「身体障害者として報告されるほどの障害とは思ってもみなかった」。弟が身体障害者で、就労に苦労する実情も知っていた。その場で六法を開き、障害者雇用促進法を上司に示しながら「企業も障害者を雇用しなければならない法律。役所がそのような形をとるのはおかしいのでは」と反論し、断ったという。

元上司の男性は本紙の取材に「藤川さんにそういう声をかけたことはある」と認め、「当時の管理職は、障害者雇用率という数値目標があると、みんな認識していた」と話した。横浜家裁長谷川哲也総務課長は「現在、調査している」と話す。 (山本哲正、井上靖史)

[](論壇時評)杉田水脈とLGBT問題 「弱くある自由」認めよ 中島岳志 - 東京新聞(2018年8月30日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2018083002000258.html

https://megalodon.jp/2018-0902-1019-54/www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2018083002000258.html

杉田水脈(みお)衆院議員が『新潮45』8月号に寄稿した論考(「『LGBT』支援の度が過ぎる」)に、厳しい批判が殺到している。杉田は、LGBT(性的少数者)の人たちが「子供を作らない、つまり『生産性』がない」と述べた上で、「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と疑問を呈している。また、性的マイノリティーの生き方を肯定的に報道することが「普通に恋愛して結婚できる人まで、『これ(同性愛)でいいんだ』と、不幸な人を増やすことにつながりかねません」と否定的な見解を述べている。

言語道断の暴言である。子供をつくることを「生産性」という言葉で語ること自体、大変な問題であり、ましてや同性愛者を「不幸な人」と見なすに至っては差別以外の何ものでもない。

筋ジストロフィーで生活の全てに介助が必要な詩人・岩崎航(わたる)は、「BuzzFeed News」7月25日掲載の「条件をつけられる命なんてない 相模原事件に通じる杉田議員の発言」(聞き手・岩永直子)の中で、杉田の発言を「2年前に起きた相模原事件の植松聖(さとし)被告と同質の発想」と指摘する。心身重複障害者を「生産性がない」と見なして生存を否定した思想は、杉田の論理と通底する。そんな暴言を現役の政治家が発信することで、暴力の芽を広げている。

問題は、なぜ杉田がこのような思想を持つに至ったのかというプロセスと背景を解明することだろう。

杉田が、著書や対談で繰り返すのが、「左翼嫌い」という心性である。大学時代に寮費の値上げをめぐって参加した反対運動の大会で、「しんぶん赤旗」学生版の購入を勧められたことに疑問を感じ、兵庫県西宮市役所勤務時代に、共産党市議から同様の勧誘を受けたことから、その思いが決定的になったという。「地方公務員時代は、左翼と呼ばれる人達と“やり合う”機会が多々あり、私の“左翼嫌い”は確固たるものになったのでした」(『なでしこ復活』青林堂、2014年)

この心性は、左翼既得権益と見なし、行政改革によって一新したいという思いにつながる。正規職の公務員は守られすぎていると考え、業務の民間へのアウトソーシングを進めたものの、厳しい批判にさらされ挫折したという。

そんな中、彼女は同じく行革を志向する同僚と勉強会を立ち上げ、竹中平蔵らがサポートする「スーパー公務員塾」とつながった。以降、政党関係者と接点を持ち、一二年の衆議院選挙日本維新の会から立候補し当選。国会議員となった。

杉田が一貫して主張するのは、自己責任を基調とするリスクの個人化である。人生のさまざまなリスクは、自分が全面的にとらなければならない。児童福祉が存在するのは、行政の世話にならない大人に育ってもらうためと主張する。一方、福島で東京電力からの補償金を受け取り、仮設住宅で暮らす人たちを「被害者利権」と非難する(河添恵子との共著『「歴史戦」はオンナの闘い』PHP研究所、16年)。

杉田が繰り返し発信するのは、パターナル(父権的)な男女観・家族観である。「男女平等は反道徳の妄想」であるといい、「大多数の女性は男性と肩を並べて同じことをしたいとは思っていないんですよ」と断言する。かつては職場で露骨な女性差別があり、自分もそういう時代を経験して来たが、「いまはもうそんなことはないでしょう?」と言い、「そろそろ『足るを知る』という時期に来ていると思っているんです」と主張する。そして、父性復権による家族再興を説き、ジェンダーフリーこそ女性の幸福を奪っていると論じる(『民主主義の敵』小川榮太郎との共著、青林堂、18年)。

この主張の先に出てくるのがLGBTへの否定的発言であり、当事者の主張を「我がまま」な「特権」の要求と断罪する姿勢につながっている(『なぜ私は左翼と戦うのか』青林堂、17年)。

杉田の論理は、父権的社会規範に順応する強者の論理である。しかし、時折、弱者へと反転し、自由を阻害される苦悩にさらされる。彼女は妊娠時のつわりがひどく、「生まれて初めて倒れ」てしまい、五キロも痩せたという。このとき体の自由がきかなくなる苦しみを味わい、「私は私の人生」「子供は子供の人生」という考えを持ったという。

杉田は弱い立場に立たされたときの苦しみを知っている。差別を受けたときのつらい思いも味わってきている。ただ、その苦しみを父権社会への過剰適応によって乗り切ったことで、権利を要求する者を「特権」として断罪する立場にたっている。そうすることで自己の歩みを正当化し、承認を得ようとしているのだろう。

杉田なりの生存をかけた闘いがあったのだと思う。懸命な努力があったのだろう。しかし、そのサバイバル術を肯定するために、他者の「弱くある自由」を否定してはならない。自由を奪われる苦しみを知っている杉田は、痛いほどよく分かっているはずだ。人間の弱さを受け止める強さが必要とされている。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

[] 関東大震災の報道写真、改ざん多く 遺体写さぬよう配慮か - 東京新聞(2018年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018090202000120.html

https://megalodon.jp/2018-0902-1011-44/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018090202000120.html

(上)1923年9月、捏造写真の基になった皇居前広場に避難した群衆。背景に皇居が写っている=報知新聞撮影(下)群衆写真の背景を描き変え、被服廠跡惨事直前の写真のように捏造された絵はがき=いずれも東京都慰霊協会提供

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一九二三(大正十二)年九月一日に発生した関東大震災の報道写真の中に、捏造(ねつぞう)や改ざんされたものが数多くあることが、東京都復興記念館東京両国)と共同通信社の過去五年間の調査で明らかになった。東京・本所の陸軍被服廠(ひふくしょう)跡とされる写真や摂政宮(後の昭和天皇)の巡視姿の写真などが含まれ、国内外の論文や著作に引用されてきた。

遺体が積み重なる被服廠跡の写真を載せた新聞社が、警察当局から発禁処分を受けたため、遺体が写っていない捏造写真が出回ったとみられる。

被服廠跡には、周辺住民数万人が避難した。間もなく火災旋風が群衆を襲い約三万八千人が死亡。猛火に包まれる前に撮影したとされたのが「被服廠跡惨事直前写真」だ。避難を終えて一息つく家族や家財道具などが写っている。

ところが、調査の結果、皇居前広場の避難者の写真を加工したものだと判明した。基になったのは報知新聞皇居前広場を撮った三枚組みの写真。このうち右端の写真に誰かが手を加え、背景の皇居を炎と煙に描き変えていた。写真は絵はがきとなり、大量に流通した。

震災一年後、中央気象台の「関東大震災調査報告−気象篇」がこの写真を掲載。米国の視覚文化研究者ジェニファー・ワイゼンフェルド氏の著書「関東大震災想像力」にも同種の絵はがきが、別の本から転載されている。

摂政宮が銀座を巡視する写真には街灯が貼り込まれていた。騎馬にある影が、街灯にはないことから分かった。

火災で発生した積乱雲の写真に、地震発生時刻の十一時五十八分で止まった時計がある中央気象台観測塔を貼り込んだ合成写真も見つかっている。

[][] 仲間がいれば笑って闘える 労組テーマの音楽劇 世田谷、5日から上演:東京 - 東京新聞(2018年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201809/CK2018090202000136.html

https://megalodon.jp/2018-0902-1023-28/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201809/CK2018090202000136.html

産休明けに職場でいじめに遭い、労働組合(労組)に加入して会社と闘った女性の実話を基にした音楽劇「ワーカーズラプソディー」が5日から、世田谷区北沢の北沢タウンホールで上演される。企画・脚本の鯨エマさん(45)は「深刻な内容も、仲間がいれば笑って闘える。仲間って大事」と力を込める。 (石原真樹)

ストーリーは、化粧品会社で働く恵子が、産休が明けて復帰すると好きだった営業の仕事から外され、雑用を命じられる。さらに解雇を言い渡され、労組に駆け込み…、と展開していく。鯨さんが主宰する劇団「海千山千」のプロデュース公演。演出は青年座の伊藤大さん。

妊娠や出産、子育てを理由とした解雇や嫌がらせなど「マタニティー・ハラスメント(マタハラ)」は男女雇用機会均等法や育児・介護休業法で禁じられている。しかし、劇中で繰り広げられるいじめ、労組加入、裁判での戦いなど、物語の骨格は実際にあった話だ。鯨さんがアルバイト先で加入する労組での活動を通じて知り合った女性への取材がベースになっている。

今回の取材や労組の活動を通じて、会社という組織とのしんどい闘いを続けられるのは、仲間の存在が大きいと、鯨さんは強く思う。「一人だと『仕事ができない自分が悪いかも』と不安になるが、人と話すと客観的に見られる。職場で孤立せず、何でも相談できる仲間がいることがとても大切」

「納得がいかない」。一番理解してほしい夫にまで嫌みを言われ、それでも諦めない主人公が口にするせりふが印象的だ。

「他人からすれば、ひどい会社なら辞めてしまえば良いと思う。でも本人は、自分が積み上げてきたものをなくしたくない。仕事ってそういうもの」。鯨さんたちはこの劇で、働くことの尊さも歌い上げる。

開演時間は五日午後七時、六日午後二時と七時、七日午後二時、八日午後二時と六時、九日正午と午後四時半。バリアフリー観劇サービスとして、聴覚障害者向けの台本の貸し出しと、視覚障害者向け音声ガイド(八日のみ)、介助者一名の入場無料があり、いずれも要予約。車いすの入場可。チケットは一般三千八百円など。予約はTEAM#BISCO=電090(8171)8180=か、メールteambisco.ticket@gmail.com=へ。

[] 模造「命のビザ」救いの証し リトアニア公文書館が保管 - 東京新聞(2018年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018090202000138.html

https://megalodon.jp/2018-0902-1022-44/www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201809/CK2018090202000138.html

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第二次世界大戦中、駐リトアニアの領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けた多くのユダヤ系難民に「命のビザ(査証)」を発給した杉原千畝(ちうね)(一九〇〇〜八六年)が領事館を退去して以降も、他の人物が模造する形でビザが発給され続けたことはあまり知られていない。その「模造ビザ」が、リトアニアで保管されていることが分かり、記者が現地で確認した。ユダヤ人らの手による精巧な模造ビザは、杉原の知らないところで計五百通近く作成されたとみられ、数百人が出国を果たした可能性があるという。 (リトアニアの首都ビリニュスで、栗田晃、写真も)

模造ビザは、旧ソ連国家保安委員会(KGB)の前身組織が一九四一年にビザ作成グループを摘発した際の事件報告書とともに、首都ビリニュスの国立特別公文書館が保管。ロシア国立人文大のイリヤアルトマン教授(63)らの共同研究の一環で、現地の研究員が数年前に見つけた。

公文書館のビリマ・エクチテKGB資料部長によれば、ソ連によるリトアニア併合に伴い、杉原がカウナスの日本領事館を退去した四〇年九月以降、四一年二月までに計四百九十二通の模造ビザが作成され、計九十四人が拘束された。公文書館には、ソ連当局が差し押さえた未使用品や、出国に失敗した難民から取り上げられた模造ビザ四十点が残っている。

ビザは英国が発行した身分証明書の裏に印刷。本物から透写してスタンプを作成し、行き先と発行日が手書きされ、領事館の公印も押されている。作成グループの一つはユダヤ人、ポーランド人ら十人で構成。プロの印刷職人も含まれていたという。

希望渡航先に関するアンケート用紙も添付されている。子ども四人を連れてメキシコを目指す夫婦や、婚約者が住む米国行きを望む男性、オーストラリアにいる兄弟を頼る男性など、ビザを求めた人たちの切実さが伝わる。

四一年一月末の時点でリトアニアには出国を求めるユダヤ系難民三千人近くが滞在。エクチテ氏は「ビザへの需要は高かった。模造だと判別されず出国した人もいただろう」と述べた。

報告書は、模造は売買目的だったとしているが、アルトマン氏は「人命を救う目的があったと思う。売買目的と供述した方が政治的意図を疑われず、罪が軽くなるからだ」と分析。「模造ビザによる出国者は、杉原が間接的に救った人たちともいえる」と話した。

模造ビザの発見は、諸説ある杉原が「命のビザ」で救った人数の推定にも役立つとも指摘。「杉原が作成したビザのリストにある計二千百四十人に加え、模造ビザによる出国分を数百人と推計すれば、約二千五百人とみるのが妥当だ」と指摘している。

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[] (書評)ぼくの兄の場合 ウーヴェ・ティム著 - 東京新聞(2018年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018090202000184.html

https://megalodon.jp/2018-0902-1016-30/www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018090202000184.html

◆抗う勇気がもしあれば

[評者]四元康祐詩人ドイツ在住)

著者は一九四〇年生まれのドイツ人。十六歳年上の兄はナチス武装親衛隊に志願するが、ウクライナの戦闘で両脚を切断され、野戦病院で死亡。弱冠十九歳だった。だが「勇敢」な兄の姿は、自らも軍人だった父の心の中で生き続け、理想化されてゆく。それに比べて弟ときたら、家業を拒み、アメリカ文化にかぶれて悉(ことごと)く父親と衝突する…。

「カール・ハインツが生きてさえいれば」そう嘆く父を見れば「兄の代わりにどの子を死なせたかったか、考えているのがわかった」。

著者は父の期待に応えるよりも「反論し、質問し、問い返す」ために「自分の言葉を見つけること」を選び、長じて物語を紡ぐ作家となる。

兄について書くことは、父について書くことでもあり、自分を新しく発見する試みである。だが彼がそれを実行できたのは、両親と姉がこの世を去ってからだった。手がかりは、兄が戦地に遺(のこ)した日記帖。「七五メートル先でイワンがタバコを吸っている。俺の機関銃のえじき」

一家族の肖像から時代と民族の実相が浮かび上がる。「勇敢さ」に取り憑(つ)かれた男たちと、彼らを信じ支え続けた女たち。「我々は何も知らなかった」を合言葉とする世代ぐるみの責任回避。屈辱的な価値観の破綻と、癒えぬ悲しみ。

彼らの「勇敢さ」とは、命令と服従の上に成り立った「暴力を振るう勇気」であり、「『ノー』と言う勇気は認められていなかった」と著者は断罪する。それでいてこう自問せずにはいられない。負傷する直前、「残酷な事柄について記録するのは意味がない」と書き残して日記を中断した兄は、そのことに気づいていたのだろうか? もしも自分が兄の立場にいたとしたら…?

その問いは現在の日本にも跳ね返って来る。私たちは「世の中と一体となる」圧力に抗(あらが)って、「一人の人間、特定の個人であろうとする」勇気を手に入れただろうか? 戦前の全体主義の亡霊が跋扈(ばっこ)するこの時代だからこそ、一人でも多くの方に本書を読んでほしい。

 (松永美穂訳、白水社・2376円)

ミュンヘン在住の作家。著書『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』など。


◆もう1冊 

ベルンハルト・シュリンク著『朗読者』(新潮文庫)。松永美穂訳。

[][] 学校以外の「居場所」を探そう 約10年間不登校だった若手起業家・小幡和輝さん - 朝日新聞(2018年8月30日)

https://book.asahi.com/article/11777640

http://archive.today/2018.09.02-011750/https://book.asahi.com/article/11777640

8月下旬から9月上旬の夏休み明け近くは、子ども自殺が多くなる傾向がある。内閣府の調査によると、1972年から2013年までの42年間に自殺した18歳以下の子どもは1万8048人で、日付別で最も多かったのは9月1日(131人)だ。

約10年間の不登校の経験がある、起業家の小幡和輝さん(24)は、著書『学校は行かなくてもいい 親子で読みたい「正しい不登校のやり方」』(健康ジャーナル社)を2018年7月に出版、8月19日には「#不登校は不幸じゃない」というイベントを全国で同時開催した。「学校がつらい」と感じる子どもたち、そして、その親たちに今伝えたいメッセージとは……。

お話を聞いた人 小幡和輝(おばた・かずき)起業家

1994年和歌山県生まれ。NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性伝道師。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やしていた。その後、定時制高校に入学し、高校3年で起業2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産高野山で開催した「地方創生会議」がツイッタートレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。

――小幡さんご自身、約10年間の不登校の経験があります。

「なぜ」と言われてもはっきりとした理由があるわけではないのだけど、幼稚園の頃からなんとなく集団生活に違和感があって。決められた時間に決められた行動をとらなくてはいけない理由が僕には分かりませんでした。

小学校2年生の時に、「3引く5」を「マイナス2」と僕は答えました。「小幡君は難しいことを知っているね」と歓声が上がるのではないかと思ったからです。でも、小2の時は「マイナス」という概念がないから、僕の答えはまるで異世界の言葉で意味不明だったのでしょう。みんな全くの無言になってしまって。他人よりも物知りなことが「悪」みたいな状況に戸惑って、段々と学校に行くのが嫌になりました。その後、同級生に殴られたことが決定打になって、不登校になりました。

――『学校は行かなくてもいい』では他の方の経験もふんだんに書かれていますね。

不登校を経て、高校生で起業して、今こうして楽しく生きていると、「小幡さんだからでしょ」と言われるのですが、それはあまり良くないことだなと思っていて。確かに僕に憧れてくれる人はいると思うのですが、逆に僕が輝きすぎることで「自分には無理だ」と思う人も当然いるはずなんです。

僕と全然違う理由で不登校になっている子もいます。僕の体験は一つの参考でしかないし、別に僕が「将来こうなっているからみんなも大丈夫だよ」というつもりもあまりない。不登校から、あまり言葉は好きではないですが「社会復帰」する人は、学校以外の「居場所」があって、そこで何か得意なものや好きなものを見つけて、それが仕事につながっていくというパターンが圧倒的に多い。そういう人たちの事例を、論文のようにまとめました。なので、人によって刺さるポイントは違うと思います。

――あえてご自身の経験を一部漫画として入れたのはなぜですか。

やはり不登校の当事者の人に読んでもらうためです。この本は本人が買うというより、親や周りの人がプレゼントする方が圧倒的に多いと思うので、最初に読んだ時に漫画だったら分かりやすいかなと思って。

――「子ども不登校になったらすごく心配だと思います。決められたレールを外れて、それからどうなるのか。僕は本当に無理をしてまで学校に行く理由がわかりません。学校に行かなくてもちゃんと生きていけます」「一度、固定概念を捨ててみてください」などと、保護者へのメッセージも書かれていました。

はい。親が最初に理解してくれないとどうしようもないと思っているからです。僕が不登校だった当時、父は中学の先生でした。今振り返ると、申し訳ないなぁと思います。小さい町でコミュニティも狭かったので、僕が不登校になったら、父の生徒みんなが知るんです。当時はすごく喧嘩をしましたが、今振り返ると、その状況でずっと授業をしていた父は大変だっただろうなぁ。

不登校が増えれば、「子ども自殺」も減るのでは

――9月1日は子ども自殺が多い日と言われています。

きっと命を絶ってしまう子というのは、学校に嫌々行っていて、でも家にも、どこにも居場所がない子で、居心地がいい夏休みが終わるのがつらいというパターンが多いのではないかな。だから僕は、居場所がある不登校の数が増えたら、自殺は減るのではないかと思っています。

この本を先生にもぜひ読んでほしいです。今の学校は全ての多様性を受け入れきれていないと思います。これだけ学校以外で学べる環境があり、学校に行かずとも人生楽しく生きている人がいる。その上で、なぜ学校行かなくてはいけないのか、先生は自分の言葉で語れるようになってほしいです。単純に「義務教育だから」「みんな学校に行っているから」というのは思考停止でしかない。これは僕なりの社会に対する問いなのです。

――「『居場所』があれば、命を絶たずにすむ。不登校でもいい」ということですね。

僕は不登校の子を増やしていいと思うんです。「不登校が増える」ということは確かに問題かもしれないけど、それは今の学校をベースに考えているから。勉強とコミュニティという学校の役割をちゃんと代用できていればそれでいい。学校以外でも、例えばオンラインでも勉強できるし、いくらでもコミュニティがあるわけですから、学校以外の学びをちゃんと認めたり、広めたりしていくというのは必要なことだと考えます。

確かに簡単にできることではありません。例えば格差の問題。

一律で教える学校の勉強を自分でやるとなると、一般的にお金を持っている家庭の方が教育効果が高くなるので、格差が生まれるため、課題はあります。それに、僕はずっと言っているのですが、不登校であることは、決して楽な道ではないです。「学校がいろいろ教えてくれるのを全部自分でやる。それは大変じゃん」と伝えます。でも、本当に学校がつらいんだったら、不登校という選択肢もある、と。

僕の場合は、決してお金持ちの家庭ではなかったけれど、母が専業主婦でいられるぐらいの余裕はありました。母はそばにいていろいろな所に連れて行ってくれるし、近くに住んでいる不登校のいとことも一緒にゲームをするようなつながりがあって、家に常に一人でいるという状況ではありませんでした。学校以外のコミュニティや居場所が常に周辺にあったことは、振り返っても良かったと思います。

――話し相手がいないような子たちはどうすればいいのでしょう?

まず、コミュニティを見つけにいくことが大切です。周りに受け入れてくれる大人はたくさんいます。例えば、プログラミングに興味があるなら、フリーランスプログラマーのところに遊びに行って交流したりしてみてほしい。プログラミングだけでなく、ゲームでも、本でも、音楽でも、なんでもいいです。フリースクールに行ってもいい。とにかくつながりを絶やさないということが大切だと思います。

当たり前なのですが、子どもはどうしても視野が狭くなってしまう。学校の評価である、運動ができるか、勉強ができるかという2つがすべてだと考えている。もちろんできる方がいいですよ。でも、社会に出たらそんなに関係ないし、それよりももっと大切なことがある。子どもたちに「視野を広く持て」と言っても、なかなか持てないので、先生や周りの大人がきちんとサポートしてほしいです。

#不登校は不幸じゃない

――8月19日に「#不登校は不幸じゃない」と題したイベントを開催されました。全国100か所で同時開催、全体で1500人ほど集まったそうですね。どういうきっかけで始められたのですか?

もともと僕は「不登校でもいい。つらかったら逃げていい」ということを、自分の経験談としてブログで書いたり、講演会で喋ったりしていました。昨年『不登校から高校生社長へ』という本を書いた時に、クラウドファンディングをして、その本を日本中の学校に配ったんですよね。そうしたら、現場の職員などいろんな人からメッセージをもらいました。不登校に悩んでいる人は思ったよりも多いと感じました。

その時、文部科学省が「不登校を問題行動と判断してはならない」という通知を出していることを知りました。文部科学省が言っているのなら、公式に不登校という選択肢が認められているのではないか、もっと堂々と言っていいのではないかということで、一番最初にツイッターで、イベントをやりたいと呼びかけました。

この時、内容は何も決まっていなかったのですが、初日に東京だけでなく全国各地100人ほどから「何か手伝いたい」というメッセージをもらいました。僕は地方の方が、フリースクールの数がそもそも少なかったり、人口1万人ぐらい以下の街だと小学校と中学校が基本一緒で9年間コミュニティが変わらなかったりと、課題が多いと感じています。不登校になったことが一瞬でその町に知れ渡ってしまい、外に出にくくなるんですね。

そういう現状は変えていった方がいいなと思って、東京だけではなくて、全国各地でイベントを同時開催することにしました。8月19日に無料でやることと、もともと不登校の経験がある人か、家族が不登校など不登校の気持ちがわかる人たちが主催チームにいること。その2点だけ条件にしてあとは縛りをかけずに、5人とか10人とか小さな規模でもいいから各地で主催して欲しいと呼びかけました。そうしたら、規模が拡大していきました。

――イベントを終えられて手応えは感じられましたか。

反響がすごかったですし、当日は楽しかったです。各地の主催チームの人たちが頑張ってくれて、僕は何もしていないのですが、やってよかったなと思いますね。

なぜ学校に行かなくてはいけないのか、改めて考えるきっかけに

――最後に改めてこの本をどんな人に読んでほしいですか。

僕の目標の一つは、この本を読書感想文のための課題図書にしてもらうこと。学校に来ている子たちにも考えてほしいんです。これだけ学校に行かずとも学べる手段があるのに、なぜ君は学校に行っているの、なぜ学校に行かなきゃいけないのということを改めて考えることはすごく価値があると思う。

もしもクラスに不登校の子がいた時に、すごく優しくなれると思うんですよね。少なくとも「ずる休み」と言う言葉はなくなると思う。不登校について、どう対応したらいいのか分かっておいてほしいし、改めて自分たちにもなぜ学校行かなくてはいけないのかを考えるきっかけにしてほしいです。

五月女菜穂(そうとめなほ)

ライター

旅するフリーライター。1988年東京生まれ。大学卒業後、朝日新聞に入社し、新潟、青森、京都で記者経験を積む。2016年11月からフリーランスで活動を始め、取材・編集・撮影をしている。17年1~3月に12か国をまわる弾丸世界一周旅に行き、同5月に写真展兼物販販売会を開催。渡航国は40か国超え。

[](余録)「若さる時ねー 戦争ぬ世/若さる花ん 咲ちゆーさん」… - 毎日新聞(2018年9月2日)

https://mainichi.jp/articles/20180902/ddm/001/070/156000c

http://archive.today/2018.09.02-012116/https://mainichi.jp/articles/20180902/ddm/001/070/156000c

「若さる時ねー 戦争(いくさ)ぬ世/若さる花ん 咲ちゆーさん」。沖縄民謡「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」は、こう歌い出す。若い時には戦争ばかりで、青春の花は咲かなかった。沖縄戦で家族を失った悲しみと平和への願いがこもる。

「喰ぇー残さー」とは、地形まで変えた米軍による艦砲射撃の「食べ残し」、すなわち「生き残り」を意味する。1970年代、作詞・作曲を手がけた比嘉恒敏(ひがこうびん)さんの娘4人で作る「でいご娘」が歌ってヒットした。

この歌がテーマ曲のように使われるのが、一人語りの芝居「島口説(しまくどぅち)」だ。主人公は沖縄戦を生き抜き、民謡酒場を営むスミ子。本土からの観光客に、離島の苦しい生活や米軍統治下の土地接収など波乱の半生を語るなかで、沖縄の戦中・戦後史が浮かび上がる。

初演は、沖縄返還から7年後の79年。離島に育った劇作家、謝名元慶福(じゃなもとけいふく)さん(76)が自身の体験や聞いた話を基に2晩で書き上げた。今夏、国立劇場おきなわで32年ぶりに上演された。

初演から約40年たち、謝名元さんはプロデューサーと書き直しも考えたが、やめた。沖縄に米軍専用施設が集中する理不尽、なくならない基地絡みの事件や事故。「沖縄は全然変わっていませんよ」

県民を分ける米軍普天間飛行場辺野古移設問題。是非が焦点となる知事選まで、1カ月を切った。先月末には国連人種差別撤廃委員会沖縄の住民の安全に懸念を示した。沖縄だけの問題ではないはずだ。本土の人間こそ耳を傾けたい「喰ぇー残さー」の声である。

[] 公文書管理 経産省の「骨抜き」指導 - 朝日新聞(2018年9月2日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13660997.html

http://archive.today/2018.09.02-003048/https://www.asahi.com/articles/DA3S13660997.html

経済産業省が、省内外で行う打ち合わせなどの記録について、出席者の「個別の発言まで記録する必要はない」「いつ、誰と、何の打ち合わせかが分かればよい」と「指導」する文書を作成・配布していた。

行政機関は意思形成過程を合理的に跡づけ、検証できるように文書を作らねばならない。公文書管理法の命じるところだ。

経産省の指導はこの趣旨を骨抜きにするものだ。政治家の関与も含め、ものごとが決まる途中では様々な力学が働く。「いつ」「誰と」「何の」が書かれていても、「どんな」打ち合わせだったか分からない記録では検証できるはずがない。

森友・加計問題などを受けて昨年末に改められた新・公文書管理ガイドラインでは、外部との打ち合わせ記録に関しては、発言内容を相手方に確認することになった。加計学園獣医学部新設をめぐり、いわゆる「総理のご意向」文書が、関係する一方の役所にだけ残っていたことから盛りこまれた規定だ。

そんなすり合わせをしたら、当たり障りのない内容しか記載されなくなるとの批判が噴き出した。そのうえ「個別の発言まで記録する必要はない」では、どうなってしまうか。

あきれるのは、問題の指導をしたのが、経産省公文書管理を担当する課だということだ。しっかり記録を残すように同僚らの理解を求めるのが役回りではないか。いったいどちらを向いて仕事をしているのか。

この1年余り、社会から厳しい批判を受けながら、公文書管理のあり方は改善されるどころか、懸念された道をたどっていると言わざるを得ない。

公文書の中身を充実させるのではなく、自らが関与した文書が後で政治問題になるのを避けることを、何より優先させる。そのために文書そのものを作成しない。やむなく作らなければならない場合は、情報公開請求の対象にならないように「個人メモ」扱いとする――。

いま霞が関に漂うのは、そんな空気だ。未来に対する責任や自覚に欠けること甚だしい。

だとすれば「指導」は経産省に限ったものではないのではないか。そう考えるのが自然だ。ところが菅官房長官記者会見で、同省の対応に問題はないとし、他省庁の調査をするつもりもないと突っぱねた。

ここは、あす3日付で就任する内閣府の「独立公文書管理監」の出番だ。第三者の視点から、各省庁の公文書管理のあり方をチェックするという職務の真価が、早くも問われる。