根拠欠く教科書 どう評価?悩む先生 教科になった道徳 - 朝日新聞(2018年10月8日)

https://www.asahi.com/articles/ASL9N6D4WL9NULZU018.html
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「考え、議論する」という方針を打ち出し、戦後初めて「教科」になった道徳。今春、小学校で始まり、来春から中学校でも始まります。従来の「道徳の時間」から特に変わるのは、検定教科書を用い、児童生徒を評価する点。でも教科書をめくると、これが本当に道徳的なのかと疑問が浮かぶ教材もあります。そもそも、道徳って何でしたっけ?
歩きスマホならぬ、歩き読書で知られる二宮金次郎。清貧で勤勉な少年・金次郎は、戦前の「修身」の国定教科書に頻出し、新たな「道徳」の検定教科書にも多く登場します。
しかし、いま学校で使われている教科書を前に、金次郎を擁した二宮家の現当主で日本思想史学会員の二宮康裕さん(71)はため息をつきます。「どれも史実に忠実とは言えません」
小学校の教科書では、8社中4社が金次郎を取り上げ、2社は幼少から読書を重ねた旨を記しますが、康裕さんによれば、金次郎が読み書きを学んだのは10代後半。また、少年期に、堤防工事をする村人に自ら進んでわらじを作って配る話も2社が載せていますが、信頼に足る根拠はないそうです。
金次郎が「修身」に登場したのは自由民権運動に手を焼いた明治政府にとって都合の良い人物像だったため、と康裕さんは考えます。同様の指摘は、教育史の研究でも示されています。
「理想像を作りあげて教える。国も教科書会社も、明治時代と何が違うのか。金次郎を扱うなら、確実な資料が残る成人後、独創的な考えで貧しい農村を活性化した姿に限って欲しい」と、康裕さんは嘆きました。
小学4年の教科書に、幼少期から読書の話を載せた教育出版は「記念館などに内容を確認してもらった」と説明しました。
また、東京書籍の中学2年の教科書には「武士道」が登場します。この記述について、佐伯真一・青山学院大教授(日本文学)は異を唱えます。教科書は明治時代の新渡戸稲造の著作「武士道」を例示し、自分の損得とは別に「正しいかどうかで行動する」ことと説明しました。が、佐伯さんは、この本の内容に近いのは儒教に影響されて江戸期に広まった考え方で、「武士道とは別の思想だ」と指摘します。東京書籍は「社会科なら不適切かもしれないが、道徳の議論教材としては適切と考えた」としています。
こうした記述がなぜ、教科書検定を通ったのか。文部科学省の担当者は「定められた教育内容をきちんと扱っているかどうかが最大の要点。事実の正確性は、道徳学習への支障の有無で可否を判断している」と説明します。

価値観押しつけの懸念も
今回の教科化では「価値観の押しつけを廃し、児童生徒の主体性を打ち出した」と文科省担当者は解説します。教科化前からあった「正直、誠実」など学年ごとに最大22項目の教育内容について、正しいか間違いかという価値判断とは一線を画し、価値を巡る客観的な事項と位置付け。児童生徒が理解した上で、それらを自身の価値観としてどう考え、深めていくかを支援する枠組みに再整理した、といいます。
一方、小学校の教科書では全8社が、価値観の押しつけとの批判もある物語「手品師」を掲載しました。
腕はいいが機会に恵まれない手品師は街で出会った不幸な少年を手品で慰め、翌日も会う約束をします。するとその夜、友人から、明日の大舞台で出演者に穴があいたので「君を推薦した」「二度とないチャンスだ」と勧められ、悩みますが、約束を優先して出演を諦めます。
この物語は約40年前の文部省(当時)作成の学習資料が初出とされ、広く使われてきました。主人公には、例えば少年に事情を伝えて舞台に出るという選択肢もありそうなものですが、作者は生前、約束を守らないのは「自分の勝手」と語り、無償の自己犠牲が正しい判断だと物語の趣旨を解説しています。
ある教科書会社の担当者は「批判は知っているが、定番の手品師をうちだけ載せなければ、採択地域が減るのではと恐れた」と明かします。地域の採択関係者には「良いことは良い、悪いことは悪いとたたき込んで欲しい」との声もあるため、手品師の判断だけが「良い」と言えるのか、児童に問いかけるような工夫もしなかったそうです。
工夫した社もあります。光村図書は中3教科書で「手品師」を再掲。物語の前で、同じ物語を学び直したらどう感じるか、と呼びかけます。物語の後で、手品師にチャンスをくれた友人にふれて「手品師は本当に誠実といえるか」と問いかけました。
「生徒が、より良い選択だと思っていたことを一度崩すことで、多面的・多角的な考察を促すようにした」と同社の担当者は解説します。「多面的・多角的」に考える力を育てることは、文科省が道徳科の内容を定める学習指導要領とその解説に盛り込まれた目標です。
他の社も、結論を決めつけない教材も選ぶ努力はしました。学校図書が中3教科書で取り上げたのは、礼儀を重んじる剣道部での葛藤。敬語を大事にする先輩と「民主的じゃない」と考える後輩がケンカし、間に入った主将は「どちらの気持ちも分かる」と苦悩します。
が、結果的には「手品師」以外の定番教材も多く盛り込まれました。複数の社の編集者は「編集期間が短すぎ、満足な仕上がりではない」と漏らします。文科省が教科内容を示す学習指導要領とその解説を出し終えたのが2015年7月。小学校教科書では翌春が、検定用の仮の完成版を文科省に提出する期限で、通常2年の編集期間が1年未満だったそうです。
編集期間の短さに初の検定への警戒も相まって、過去に文科省が作成した学習資料などから「定番」とされる教材を積極的に採用した、と話す担当者もいました。
「誠実」など特定の価値を学ばせる狙いで書かれた定番教材は「自由な読み方が出来にくく、児童生徒による批判的思考につながらない」と指摘する論文を16年に発表した新井保幸・育英大教授(教育哲学)は、定番教材を多用する教科書について、「価値観の押しつけが目標ではないと言う文科省の方針と矛盾する状況では」と指摘します。
文科省の担当者は「押しつけかどうかの明確な判断基準は示せるものではないが、議論の上、適正に判断している」と説明しました。

児童を「評価」 悩む先生
「家族ってどういう存在?」。9月中旬、東京都内の小学校の道徳授業。この日のテーマは「家族愛」で、児童たちが積極的に手を挙げて発言します。祖父との死別を描いた教科書の物語に目を潤ませる児童もいます。30代の男性教諭は「きっと子供たちは、家族って何かをそれぞれ考えたはず。手応えはあります」と語りました。
ただ、学校現場では元々、道徳教科化は不人気でした。愛知教育大など4大学が15年に実施した調査では、小中学校教員の約8割が「反対」「どちらかと言えば反対」でした。
授業の現場には今も不安が漂います。長年、九州で道徳教育を研究する60代の小学校教諭はこの夏休み、県内5校で教師向け研修の講師を務めました。「児童の『評価』が皆さんの一番の不安要素でした」
道徳科は、教師に児童生徒を評価するよう求めています。算数や国語のように理解レベルを数字で段階評価するのではなく、文章で記述しなければなりません。「授業で扱う道徳的価値を肯定したかどうかは問わない。友達の考えにも耳を傾けて、多面的多角的に考えるようになったかなど、考える力の成長を評価する」(文科省担当者)といいます。
九州の教諭は「そうした評価は可能ですが、教師が授業の仕方を理解していなければ無理でしょう。一方的に価値観を説く『お説教道徳』を行ってきた教師には難しいはず。評価への不安は、理解不足の現れです」と話します。
そして「教科書は、それを使う教師を育てる、という側面もある。だが、必ずしも児童が多角的に考えられるよう促せていない教科書も多い。これで教師が育つのか不安です」と語りました。
教師たちでつくる「道徳の教科化を考える会」代表で都内の小学校教諭、宮澤弘道さん(41)は全教科書を読み込み、「濃淡はあるが、どの教材も児童生徒をひとつの価値観に導く作りになっている」と見ています。その上で、「仕事に追われて余裕のない教師が悩まずに『正解』の価値観を教えてしまえる環境が整っている。文科省の言う評価は理想かもしれないが、現実には困難」と指摘しました。
また学習指導要領は「正直、誠実」「勤労、公共の精神」など、学年ごとに19〜22の項目を授業で取り扱うよう求めています。
昨年度まで小学校教師として道徳の実践研究をしてきた服部敬一・大阪成蹊大教授(道徳教育学)は、この道徳科の枠組み自体にも、実施の困難さを指摘します。
「なぜそれが『よい』という価値観になるのかを論理的に考える力を養う」が道徳教育の根幹だと服部さんは言います。論理性を高めれば、教科書教材に矛盾があっても児童生徒が気付けるようになる、との考えです。
しかし、学習指導要領が示す「家族愛」や「郷土愛」の項目については「感情に論理はそぐわない。道徳で扱うことが可能か、疑問だ」と話しました。

教育の中身 社会が検証を
道徳教育は、歴史的には子供たちへの価値観注入が出発点でした。道徳の前身とも言える「修身」が教育の最重要科目になったのは、1880年。その前年に明治天皇が出した教学聖旨に基づく施策でした。上下関係を尊ぶ「忠孝」の概念を幼少期に「脳髄ニ感覚セシメテ培養ス」としています。
戦後、修身科は廃止され、1958年に教科ではない「道徳の時間」として価値観を巡る教育の再開が決まります。
その後、何度も充実化を巡る議論を経て、第1次安倍政権の2007年、首相肝いりで「21世紀の日本にふさわしい教育」を考える教育再生会議が「徳育」として教科化を提言。委員だったエッセイストの海老名香葉子さん(85)は当初、教科化を検討するきっかけになった会合で、「徳目、修身、道徳を復活させてほしい」と訴えました。なぜ「修身」だったのか、今回尋ねると、空襲で肉親を失った海老名さんは「戦前教育をそのまま復活すべきではない。戦争に行くことを正しいとする戦前の教育は間違い」としつつ、「親孝行、目上を敬う、世のため人のために働くといった間違いなく正しい考え方は、先生が説得力をもって教え込むべきです」と語りました。
その後、第2次安倍政権でも新たに発足した教育再生実行会議が13年に教科化を提言し、15年に文科省が学校教育法施行規則を改正し、教科化を決定しました。
道徳は元々、小中学校教員の7割前後が「十分実施できていない」と答えた調査結果もあるなど、学校間の取り組み格差などの課題が指摘されていました。学習指導要領解説は教科化の理由について、こうした現状を「改善・充実」する必要があった、と教科化の理由を説明しています。
そして、児童生徒自らが「考え、議論する」という設計の教科になりました。
「道徳教育はホントに道徳的か?」の著者、松下良平・武庫川女子大教授(教育学)は、修身を「国家主権を行使する為政者が、国民統治に適した価値観を教え込むための教育だった。国民もそれを受け入れた側面もある」と解説。戦後、主権が国民に移ってもそれに見合う教育のあり方の追求が不十分で、修身に似た手法が残ってしまった、と考えます。
「生き方の異なる主権者同士がいかに共生していくか。これについて考える力を育てることが、民主国家における学校の道徳教育。そのためには今回の枠組みにどのような中身を入れるかが課題です。社会が批判的に検証を続け、支援していく必要があります」と話しています。

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宗教教育がない日本でどう道徳を教育するのか? 19世紀、留学先の師の問いに絶句した新渡戸稲造は、米国人の妻とも対話して考え続け、「武士道」を著しました。
今回の取材でこれを知り、ハッとしました。かつて旅先でムスリムの人に「我々は神が見ているから悪事はしない。無宗教の君はどうだ?」と聞かれ、「善悪とは何だ?」と眠れないほど考えたのを思い出し、新渡戸に親近感を抱きました。
本の内容は史実としての武士道とは違うとされますが、自身の「正邪善悪の観念を分析」して至った、日本に西欧とも通じる道徳があるという世界観は世界を魅了しました。道徳とは、「武士道」をそのまま理想として受け入れるようなことではなく、新渡戸のように自ら考えを深め、昇華できる人を育てる教育たるべきではないでしょうか。教科化の現状は頼りなく感じますが、私たちに出来ることもあるはずです。(長野剛)

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(時時刻刻)加計氏、疑問に答えず 愛媛県文書に「首相と面会」、部下の作り話主張 - 朝日新聞(2018年10月8日)

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説明責任を果たしてほしい――。愛媛県議会の決議を受け、加計(かけ)学園の加計孝太郎理事長が7日、2度目の会見に臨んだ。だがその中身は、説明不足が指摘された6月の初会見と実質的に同じ。問題の発端となった愛媛県の文書自体を見ていないとも答え、多くの疑問は解消されなかった。
「常務が勇み足をした」
愛媛県文書に記された安倍晋三首相との面会。加計氏はこの日も、学園常務理事を務める渡辺良人事務局長の作り話だったというこれまでの説明を繰り返した。その渡辺事務局長はこの日、「処分中」との理由で会見の場にいなかった。
加計氏は面会について「記録を調べてもらったがないとのことだった」と話した。出張記録や日程表を調べたという。当日どこにいたかは「覚えていない」と述べ、面会を否定する根拠を重ねて問われると、「記録がないからとしか言いようがない」と答えた。
加計氏と首相が2015年2月25日に面会し、首相から「新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントがあった――。県文書は、学園から同年3月にそんな報告があったという内容だ。
事実なら、新設計画を知ったのが「17年1月20日」という安倍首相の答弁と矛盾する。加計氏は6月、岡山市の学園内で初めて会見を開いて否定したが、参加記者を地元に限定して25分で打ち切り、愛媛県中村時広知事も説明不足を指摘する中身だった。
説明責任を果たすよう求める愛媛県議会の7月の決議を受けて開かれたこの日の記者会見。ポイントは面会がないと成り立たなくなる県文書の記載がいくつもあることだった。
渡辺事務局長は県庁に謝罪に訪れた際、「ふと思ったことを言ったんじゃないか」と釈明したが、県への報告の場はそもそも理事長と首相の「面談結果等について報告したい」(県文書)という学園からの申し出で設けられた。
別文書には「首相と理事長との面会が実現しない」「理事長が総理と面談する動きも」などと、もとから学園が首相に接触を試みていたと取れる記載がある。
さらに、「面談」について県に報告した後に作られた文書には、理事長と首相の面会を受けて柳瀬唯夫・首相秘書官(当時)から資料を提出するよう指示された、という記載もある。
7日の会見でこれらの文書の記載に質問が及ぶと、加計氏は「県の文書なので、我々が関知することではない」と話していたが、文書を見たのかと聞かれると「聞いております。見てはおりません」と明かした。
6月の会見では、他の疑問も浮かび上がっていた。
首相との関係については、加計氏は「仕事のことを話すのはやめようというスタンスでやっている」と話したが、首相は「新しい学部や学科の新設に挑戦していきたいという趣旨のお話は聞いた」と答弁している。加計氏は7日、「私の記憶では総理に話をしたことはないと思いますけれどもね」といったん話したが、首相答弁を引いて問われると「そういう風に言われればしたことがあるかもしれない」と答えた。
初会見では学園職員と首相周辺の面会を否定し、学園関係者らと15年に3回面会したという柳瀬氏の証言とも矛盾。加計氏は「存じておりませんという意味で申し上げたんだと思います」と釈明した。
今回の会見で説明責任は果たせたかとの質問に、加計氏はこう答えた。「県が判断することだと思います」

■県議「物証示して」

獣医学部の新設は愛媛県今治市が国家戦略特区に申請して実現した。愛媛県今治市で計約93億円を学園に補助する計画で、3分の1は県が負担する。
説明責任を果たすよう求める決議を7月に全会一致で採択した愛媛県議会。鈴木俊広議長は「しっかりと内容を精査したうえで後日コメントを出したい」と話した。
ただ、県議会からはすでに会見内容を疑問視する声が出ている。加計問題を追及してきた福田剛県議は「県側は県文書という物証を出したのだから、学園側も物証を示して反論する必要がある。『記憶がない』『記録がない』では信用性は高まらない」と述べた。
中村時広知事も加計氏に再び会見を開くよう求めてきた。県関係者によると7日は政務などで県内を回っていて記者会見の内容の報告を受けておらず、9日午後に取材に応じるという。

■野党「誠意感じぬ」

あまりに中身のない会見――。問題を追及してきた野党側は一斉に批判した。
立憲民主党福山哲郎幹事長は記者団に対し、加計氏が愛媛県文書を読んでいないことや、当時、柳瀬氏や県、今治市の関係者と面会を重ねていた渡辺事務局長が会見を欠席したことを指摘。「何のための会見だったのか。反省も誠意も全く感じない会見で、より疑惑が深まった」と話した。臨時国会では予算委員会で集中審議を開き、加計氏や渡辺氏らの招致を求める考えを示した。
国民民主党玉木雄一郎代表も朝日新聞の取材に、「愛媛県から補助金がもらえないかもしれないから会見しただけで、(国民に)納得してもらうための再調査などを全くしていない」と批判。共産党小池晃書記局長は会見の時期について「自民党総裁選後のタイミングを計ったとみられても仕方ない」と指摘した。
与党側からも疑問の声があがる。自民党の閣僚経験者は「なぜこの時期に会見したのか。野党に(臨時国会での)攻撃材料を与えるだけだ」と首をかしげた。中堅議員は「安倍首相への不信感は根雪のように解けないが、野党もモリカケ問題を追及しても支持率が上がらない」と肩をすくめた。

麻生氏続投に野党まず照準 文科相の教育勅語発言も批判 - 朝日新聞(2018年10月9日)

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内閣改造後初となる臨時国会。政府・与党は補正予算案や国民投票法改正案などの早期成立を目指す。一方、野党は森友学園の決裁文書改ざん問題の責任を問われた麻生太郎財務相や、教育勅語を一部評価する発言をした柴山昌彦文部科学相ら、閣僚の資質について厳しく追及する構えだ。
野党がまず照準を合わせるのは、内閣改造で留任した麻生太郎財務相だ。森友学園問題をめぐる財務省の決裁文書改ざんや前事務次官のセクハラ問題に加え、自身の軽率な発言がたびたび批判されたが、首相は政権の「土台」の一人として続投させた。
社民党又市征治党首は4日の記者会見で「常識では考えられない。国民をバカにしているのか」と指摘。国民民主党の中堅議員も「麻生氏続投は、いくら批判しても誰からも文句は出ない」と意気込む。
初入閣した12人の閣僚の適性についても、野党側は厳しく吟味する方針だ。
柴山昌彦文科相は2日の就任会見で、教育勅語について「道徳などに使うことができる分野は十分にある」と一部評価する認識を示した。立憲民主党辻元清美国会対策委員長は3日、「認識違いが甚だしい。昔だったらすぐクビだ」と批判。辻元氏ら野党の国対委員長は同日の協議で、首相に対し閣僚の資質について厳しく追及していく考えで一致した。
学校法人・加計(かけ)学園の獣医学部新設をめぐる問題も引き続き追及する。共産党志位和夫委員長は3日、森友問題とあわせて「国政の私物化であり、政治モラルの崩壊だ」と語った。
7月に通常国会が閉会して以降、中央省庁など公的機関による障害者雇用数の水増し問題といった新たな不祥事も発覚した。野党が求めた閉会中審査に与党は応じてこなかっただけに、野党側は審議を通じて追及を強める構えだ。