余は如何にして「シウマイ御弁當」を食せざりし乎。 *1

kogkog2005-05-23


思いあたるふしは下掲書です。


石井出雄「駅弁旅行」カラーブックス、保育社、初版1967年、既出

横浜/シウマイ弁当・200円
名物のシウマイが看板、他は幕の内ふう。

掲載写真でみると、しうまいは3個入ってるだけでした。
なるほど。しうまい3個入りの幕の内ですか。


それと意識して駅弁というものを初めて食したのは小学6年のとき、名古屋駅で求めた幕の内ふうの「御弁当」金150円也、長野行き普通列車EF64牽引の客車にて。駅弁といっても、幕の内ではつまらないなあ、と思ったことでした。


駅弁界における幕の内とは特色なき万人向け最大公約数商品という印象が強くて、シウマイ弁当といってもまあ、幕の内か、とあまり食指が動かなかったのです。神奈川県民なら、まあ、いつでも買えるし。


最近でも*1横浜から新幹線に乗るときは、専ら横濱チャーハンとか鯛めしとかをいただくのが常でした。

シウマイ御弁當の変遷


♪おいしいしうまい、きーようーけーんー
というくらいだから、崎陽軒ってしうまい屋さんかと思ってました。


見学会場のプレゼンテーションで、はじまりは駅弁屋さんだったことを知りました。
横浜では東京発の客なら未だ弁当買うよな気分ではないし、東京行きの汽車ではそろそろ下りるしたくというわけで、駅弁屋の立地としては恵まれたものではなく、なにか名物弁当を、と考える過程で、南京町のしうまいに着目したのだそうです。
同社ホームページ上掲書'67年初版・'75年改訂新版から、 シウマイ御弁當の変遷を辿ってみることにしませう。


シウマイ個数
'67年版3個、'75年版4個、現在5個。


卵焼き
ホームページ説明によると、2003年より卵焼きお目見えとあります。
しかし'67年版・'75年版ともに、卵焼きらしきものが写ってるんです。まさか沢庵じゃあるまいね。蒲鉾は大根とか。長屋の花見ではありませぬ。
卵焼きは'75年以降に一度中断して、2003年に復活したのでせうか。


掛紙
'67年版から現在まで、大きな変化はありません。黄色地、青っぽい円の左に龍の図柄、「シウマイ御弁當」の字体まで同じようです。
'75年版には、"DISCOVER JAPAN"のロゴが見えます。


衝撃の事実
上掲書'67年版、「駅弁寸評」の項より。

 なかでも横浜駅のシウマイについている陶器のしょうゆ入れは、ひょうちゃんと呼ばれ、ひょうたん形に顔が画かれている。笑ったもの、泣いたもの、おこったものと、いろいろと変化のあるものが出てくるしかけなので、グループ旅行のときなどは、それぞれに見せあって、食事前に笑いのひとときをたのしんだものだが、これもプラスチックになってしまった。

'75年版には、赤いキャップのついたごくふつうのプラスチックの醤油入れが写っています。


ホームページの説明では、ひょうちゃんが消えた時期のことは言及されていません。
ただ、創業80周年で新たなデザインで80種登場とあります。創業1908年だから、1988年ころでしょうか。
'67年ころから'88年までの20年ほど、ひょうちゃんは存在しなかったのでしょうか。


今回の工場見学、十分予習して臨むべきであった!そしたらおねいさんにいろいろ質問できたのにねー。
でもまさか、駅弁屋さんとは思わなかったもんなあ。


シウマイ御弁當の認識新たなり。次の機会にはぜひいただくとしませう。

電撃報道の周辺

neriumeさん、lowracerさんよりお報せ。リーリトナーとANRIが婚約ですって。
後藤次利と木之内みどりの駆落ち以来の衝撃か!


でも考えてみると、kog家数千枚(推定)のライブラリーにして、ご両人のリーダー作は1枚もありません。リトナー参加の作品は何かあったかも?
最近TVKの宣伝でANRIのツアーを流してたような気がしたけど、リトナーも来日するらしいし、飛び入りで共演したりしないかな。
ANRIってたしか県立高校卒じゃなかったっけ、と思って検索したら、どうも旧制県立一中らしい。kogは 二中 横浜ニ中
*1でした。同世代だし。
いやべつにそれだけです。

*1:つるみさんのご指摘により訂正。