KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

心理学フォーラム

そう、アスキーネットを助走として、ニフティの外国語フォーラム(FL)、そして心理学フォーラム(FPSY)が、今の私を作り上げたといってもよいだろうね。そこで起こった偶然的(あるいは必然的)な人々との巡り合わせが、今の私の人生をほとんど決めているんだ。

それはともかく、会員制のフォーラム(BBS)は1999年あたりから衰退期にはいったようだ。1999年1月21日の日記でこんなことを書いている。

1999年1月21日(木) 

フォーラムの過疎化

 雑誌「ニフティマガジン」の99年2月号で、須賀原洋行さんがこんなことを書いている(実在日記-70)。

「フォーラムの人口が減っている。これはフリートークの会議室で、新人の書き込みが減っていることでわかる。フォーラムの代わりに、パティオやホームページに流れているようだ。そこでは自分が主役になれるからだろう。フォーラムの過疎化対策としては、フォーラムをインターネット化するしかない」

 実際にデータとしてフォーラム人口が減っているのかどうかわからないが、確かに自分の感覚としては合致している。私自身もフォーラム巡りはもはやしていない。唯一ウォッチしている心理学フォーラム(FPSY)でも積極的に書き込むことはせずに、ごくたまに自分のホームページで心理学に関連しそうなことを書いたときにそれを転載するだけだ。かつては一日何本もメッセージを書き込み、何時間でもチャットにハマっていたことを思い起こすと嘘のようだ。そして私は確実にそこから何か大切なことを学んでいた。

 ニフティはすでにインターネット経由でフォーラムにアクセスすることができ、実際私もそうやって読んでいるのだが、IDとパスワードを入れてニフティにはいると、なんだか肩が凝るような気がするのはなぜだろうか。そこでのメッセージが常に読まれることを意識して書かれているからか。自分のホームページでなら、意味不明の独り言を書いても誰も文句は言わない。フォーラムはそうではない。ある種、意味不明のメッセージを許さないといったところがある。それはメンバーの迷惑になるというわけだ。フォーラムでのトラブルの多くは、メッセージを削除するしないということが原因になっているか、あるいはそれが元でトラブルが大きくなる。

 これからフォーラムはどうなっていくのだろうか。過疎化が続き、次第に解消していくのか。あるいは実質的なところは団体や個人のホームページに移り、そこへの窓口的な役割を担っていくのか。いずれにしても、音や画像がふんだんに使えるホームページが当たり前になってきた今、テキストベースのフォーラムは人を引きつけるためには、自らを変えていかなくてはならないだろう。チャットもオフラインミーティングも掲示板も専売ではなくなったわけだから。

こんなふうに予測したあと、その通りに、フォーラムは、個人のWebページやWeb日記、blogに取って代わられていった。

CGIプログラムを使えば、個人のページでBBSを開くことができる。そこでは、サイトの主催者がモデレータを務めることになった。それは、公共的な場を標榜していたフォーラムの運営よりは、規模も小さく、適切な仕事量で運営できる。一方で、大量の人々が集まる場としては、2ちゃんねるのような掲示板が役割を果たすことになった。その中間の形態として、ある種のコミュニティを築こうとしていたフォーラムは時代の流れに取り残されることになったということだろう。

別に感傷的な気持ちになるわけではないが、それでも、あのフォーラム時代の熱気と、ある種のオプティミストぶりを懐かしく思い出してしまう。あのときは、真剣になにかのコミュニティを作ろうとしていた。そして、それは可能なのだということを疑っていなかった。