KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

村井実『教育学入門(上・下)』

教育学入門 上 (講談社学術文庫 27)

教育学入門 上 (講談社学術文庫 27)

教育学入門 下 (講談社学術文庫 28)

教育学入門 下 (講談社学術文庫 28)

同著者の『新・教育学のすすめ』(http://d.hatena.ne.jp/kogo/20050718)がおもしろかったので、この本にさかのぼりましたが、この本は現在絶版のようです。

村井先生は、教育学を「教育問題の科学」と定義します。まず、教育実践があって、そこから生ずるさまざまな教育問題を対象とした科学だということです。一般的には、教育学は教育実践に対するなんらかの指令的理論を提供すると考えられているので、これとは逆です。したがって、この定義による教育学では、実践に対するなんらかの指令的「教育術」は提供することはできませんし、少なくとも範囲外です。この定義はなかなか良いなと思います。

後半は『新・教育学のすすめ』でも紹介した「善さ」をめぐって話が進んでいきます。教育のパラドクスは、教師が何が善きものであるかを知らずに、子どもとともに善さに向かって進んでいくというところにあると言います。

多くの教師たちは、自分が「善さ」を知らないという自覚にめざめたわけではない。したがって、そのかぎり、「善い」知識、「善い」人間、「善い」社会等を子どもたちに教えることをしなくなったわけではない。ただ、その教えるべきこと、あるいは子どもが学ぶべきことを、「善さ」としてあらかじめ高く掲げなくなっただけのことであり、したがって、いかにも子どもの「自発性」がおのずからそこへ到達した<かのように>(傍点)教えるしかたを求めて、あらゆる技術をくふうするようになっただけのことである。

しかし、これは明らかに偽善であり、教育は、子どもの「自発性」という旗印のもとに、かえって詐道に踏み出したとすら言ってよい。

そこまで言われてしまうと、私としてはこの「詐道」を擁護したくなります。