KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

院ゼミコラム(7):研究にはあなたの世界観が現れてしまう

研究するということは,あなた自身が問われるということにほかならない.研究というのは,誰かに頼まれてやるわけでもないし,ましてや,お金をもらうためにやる仕事でもない.ただ,自分がこのことを知りたい,そして,もしそれがわかったら,誰かの役に立つかも知れないということを動機づけとして行う行為だ.

だから,必然的に,研究には,あなた自身が世界についてどう考えているのかということが現れてきてしまう.あなたがどんな研究をやろうと思っているのかということを表明した途端に,それを聴いた人は,あなたが世界について考えていること,そのどこに興味をもっているのかということを感じ取る.

研究をやるということは自由意思でそれをやるということだ.だから,あなた自身が研究に現れる.それは隠しようのないことだ.

研究を道具的に使うと,それは研究ではなくなる.「道具的に使う」ということは,研究を何か別の目的の手段とすることだ.たとえば,研究を名声を得るための手段としたり,地位を得るための手段としたりすることだ.

それと同じように,研究を修士号や博士号を獲得するための手段としたとたんに,あなたがやっていることは研究ではなくなる.「どのような研究にすれば,修士論文になりますか?」とあなたが質問した途端,それは研究ではなくなるということだ.修士号は,あなたが研究をなしとげたということに対して,結果として与えられるラベルにすぎない.単なるラベルのために研究をすれば,それは研究ではなくなる.

修士論文「らしい」研究は,ある.でも,私はいつでも最終的に尋ねたい.「あなたは一体何のためにこの研究をしたのですか?」と.でも,たいていは聞くまでもなくわかることだ.なぜならば,あなたの研究そのものが,あなたの世界についての考え方自体を明らかにしているからだ.

それでも,一体何のためにこの研究をしたのか,ということを私がしつこく聞くのは,あなたの研究に対する姿勢を再確認しておきたいからなのだ.

  • これまでの院ゼミコラム
    • 院ゼミコラムについて*1
    • 院ゼミコラム(1):自分のWebサイトを持つ*2
    • 院ゼミコラム(2):2年間は優先順位を変える*3
    • 院ゼミコラム(3):ゼミに出ることは息継ぎのようなもの*4
    • 院ゼミコラム(4):統計分析の腕を磨いておく*5
    • 院ゼミコラム(5):自分のスキルを磨いておく*6
    • 院ゼミコラム(6):研究会に参加したら何をするのか?*7