KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ザメンホフの人類人主義とアドラーの共同体感覚をめぐって

12/7(日)に開催される、第22回エスペラント祭において講演をします。講演を頼まれたときに、ほぼ思いつきで「ザメンホフとアドラーで何か共通点があるかもしれないので考えてみます」と言ってしまいました。2人とも、19世紀後半から20世紀初頭に生きた同時代人ですし、同じくユダヤ人の医師でもありました。

小林司さんであったら「ザメンホフとフロイト」で講演をしたかもしれません。なだいなだ・小林司著の『20世紀とは何だったのか:マルクス・フロイト・ザメンホフ』という本が朝日新聞社から出ています。

ザメンホフは言葉の架け橋としてエスペラントを作りました。そして、宗教の架け橋としてヒレリスモ(hilelismo)という考えを構想していました。これはラビ・ヒレルの教え「自分にして欲しくないことは他の人にもしないようにしなさい」という考え方を中心としたものでした。ヒレリスモという名称は宗教的だったので、これをホマラニスモ(人類人主義, homaranismo)という名前に変えて、宣言しました(1906年)。

ホマラニスモは、「私は人間である」という宣言からはじまり、あらゆる人種、民族、言語、宗教を平等に扱い、その違いを理由とする攻撃や迫害や押しつけを野蛮な行為であるとします。宗教については、「自分がして欲しいように他の人にもしなさい。そしていつでも良心の声を聞きなさい」というヒレルの原則を守り、それ以外の部分はそれぞれの宗教が示すべき固有のものだとしています。

ホマラニスモは、しかし、言語としてのエスペラントの普及を妨げると考えた人もいましたので、ザメンホフは宣言の中で「私が考えるエスペラント主義の内在思想(つまりホマラニスモ)が不適切だと考える人はそれを受け入れなくてもよい」と言っています。

一方、アドラーは「個人心理学」という人間についての科学的理論を構築していくなかで、最終的には「共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)」というアイデアを結実させました。これは、個々人の人生に渡って、家族、集団、国、全人類、全宇宙という共同体の中で他者と共有できる価値や考え方を育てていく努力です。その努力を「他人の眼で見て、他人の耳で聴いて、他人の心で感じること」と表現しています。ここには、ユダヤ人としてのヒレリスモの考え方がはいっていたとしても不思議ではありません。

アドラーの共同体感覚は、人類全体の共同体の「善」のために自分の能力を発達させ、それを協力的な方法で活かすための努力をしなければならないというアイデアです。しかし、これもまたアドラーの支持者の一部は、その価値観と思想的な側面に反発を感じて離反していきました。ですので、アドラーもまた、共同体感覚は価値観のひとつに過ぎないけれども、それは人類を戦争のない幸福な世界へと導くだろうと言っています。

まとめれば、ザメンホフはエスペラントという「道具」を作りました。アドラーは個人心理学の理論という「道具」を作りました。しかし、エスペラントは、ホマラニスモという内在思想がなければエスペラントではないのです。同様に、アドラー心理学は、共同体感覚という内在思想がなければアドラー心理学ではないのです。そして、この2つの思想は、人類全体について考えるという点で一致しています。これが百年後の私たちへの遺産です。

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