Hatena::ブログ(Diary)

ぱせりの本の森

2017-02-21

『世界を7で数えたら』 ホリー・ゴールドバーグ・スローン


ウィロー・チャンスは12歳。愛情をかけて育ててくれたパパとママを事故でなくして、ひとりぼっちになってしまった。

少女の再生の物語であるけれど、短い間(彼女の新しい家と里親が見つかるまで)彼女を保護し支えてきた人々の再生の物語でもある、と思う。

なんのこともなく社会に順応し、なんとかやっているつもりの人たちの見えないところには、なんと、いろいろなものがしまいこまれていたことだろう。


そもそも、ウィローという子は、様々な点で突出している。それは一目見ただけで、優れている(それも格段に!)驚くような点が多々ある反面、彼女の「こだわり」がとても気になる。

けれども、物語は、彼女をどんな種類のカテゴリーにも仕分けしない。

分類し、仕分けしようとしている人々もでてくる。その代表的人物がスクールカウンセラーのデルで、彼は、その分類が、ある種の偏見に基づいているものであることに気が付いていない。

後になってみれば、わたしもまた、デルを「そういう人」という思いこみで眺めていたことに気が付くのだけれど。


人が出会い、人が集まる。チームになる。

ひとのいるところ、否応なしに思いこみは存在するが、近づけば近づくほどに、互いに様々な面があることに気がつくし、それは、時とともに、どんどん変容していく。

その面白さに、わくわくしてしまう。


打ちひしがれ、生きようという意欲も失ってしまったウィローだったけれど、彼女は蘇る。

物語をふりかえったとき、思い浮かぶのは小さなドングリ。

ウィローは言う、「ドングリはつまるところ種だ。種は定義すれば、なにかの始まりということになる」

この小さな種のなかに、大きな命の源が眠っている。

少しの助け(条件)があれば、発芽し、大きな樹に育ち、たくさんのドングリをつける。


狭い町の中、互いに顔を合わせたとしても、それ以上知ろうと思わず、しらせようとも思わずにバラバラに暮らしていた人々。

彼らのなかにある、固い殻を持つ種子が、芽を出し、育っていく。出会うことが発芽の条件であったみたいに。

うれしいのは、いつまでもずっとかたいままだと思っていた種が、ある日ふいに芽を出しているのを発見した瞬間。


遠い日、まだパパとママと一緒に暮らしていた頃、ウィローは、巣から押しだされてしまった小鳥のヒナを助け、やがてまた群れに戻れるようにしてやったことがあった。

ことりの巣立ちを見送りながら、ウィローは思ったのだった。

「満ち足りた気持ちとつらい気持ちはセットになることがあるのだ。あたしはそれを学んだ」

いま、わたしは、この言葉を反芻する。新たな人生を踏み出そうとする少女と、彼女の友人たちを見送りながら。

2017-02-13

『海辺の家』 メイ・サートン

海辺の家

海辺の家


先に読んだ『独り居の日記』は、メイ・サートン56歳の時の日記だった。ニューハンプシャー州ネルソンでの一年間。

『独り居の日記』で、メイは「私は一人でいるように"できている"らしいし、幸福の希望は叶えられそうもない」と語っていた。

それと同時に、幸福でないことは即不幸ではない、ということをしみじみと感じさせてくれた。

彼女は孤独であったが、その孤独は豊かだった。


これは、『独り居の日記』に続くメイン州ヨークの海辺の家での一年半の日々の記録である。

女であること、孤独であること、愛について、宗教について、作家であること、書くこと、庭づくりや動物たちのことについて、そして、作家や詩人たちについて。


しかし、『独り居の日記』のネルソンでの日々が、ずっと静かな雨の音とともにあるような落ち着きを感じていたのに比べて、こちらでは・・・なんだか賑やかだ。

移り変わる自然の中で、ほとんどの場合、メイは安定した幸福を感じている。

愛する人の老いに対峙したり、招かれざる客に悩まされたりしながらも、ドラマチックな季節の移り変わりや、折々の庭の変化に心動かされる、それは美しい日々。


しかし、詩人であり作家である彼女は、まるで「幸福」の見返りであるかのように、仕事ができなくなってしまう。

彼女の美しい日々・彼女の幸福は、読んでいるわたしには、むしろ息苦しくすら感じる。

この満ち満ちた日々を喜びつつ、同時に、彼女の芸術家としての魂が苦しんでいるのを感じる。

なんと皮肉で残酷なのだろう。

『独り居の日記』で引用されていたフランソワ・モーリアックの言葉を思い出す。

「幸福の経験はもっとも危険なものである。なぜなら、存在しうる幸福というものはすべて、われわれの渇きを大きくさせ、愛の声は空虚を、孤独を響き渡らせるからである」


けれども、この本の中で、メイ・サートンは、こうも言うのだ。

「孤独は長くつづいた愛のように、時とともに深まり、たとえ、私の創造する力が衰えたときでも、私を裏切ることはないだろう。なぜなら、孤独に向かって生きていくということは、 終局に向かって生きていく一つの道なのだから」

きっと、目に見えるところで大きく揺らいでいるように見えても、地の下には、しっかりとした根があることを思い出すなら、動じることはないのだ。

まだまだ人生の途上の日々。

孤独と喜びが、どこかでどのようにか調和して、一層の豊かさとなっていくのではないか。

たくさんの示唆に富んだ言葉を大切にしながら、この先の本も(その前の本も)ゆっくり味わっていきたい。

2017-02-05

『わかっていただけますかねえ』 ジム・シェパード


タイトル『わかっていただけますかねえ』への返答は、わたしなら、こうだ。

わかりませんとも! そもそもわかってもらうつもりなんかないでしょ。

わかるかどうかなんて、どうでもいいのだ。


11の短編は、時代も国も違う。主人公(語り手)たちは、性別、年齢、暮らし方まで全く違うのだけれど、どれも同じ人物のような気がする。

物語が11ある、というよりも、一人の人間を、あらゆる方角から眺めているよう。

11のバリエーションで波のように繰り返される「彼」の自分語り、あるいは内省の物語、といえそうだ。


ちょっと変な父親に、虐待というほどではないかもしれないが、面倒くさい(?)関わりかたをされながら育った。

母親との関わりは、親子双方さばさばとしたものだ。というか、父があまりに濃すぎるのかもしれない。

それだから、父に対抗して、兄弟への思いが複雑に深くなっていったのだろうか。

愛とか憎しみとか単純に言い切れないような密着と離反と、それから深い悔恨、意図的無関心。

彼は、純粋さと意固地さが同居して、そもそも自分の感情に素直になることを拒む。

順調に道を歩けるはずなのに、そしてたぶんそうすることを望んでもいるだろうに、なぜか道をそれていくことを自分に強いずにいられないような。

そういう「彼」の影に、家族をみてしまう。


この本、感想を書けるほど読めていない、と思って、読後ずっと放置していた。そんなわけだから、人に勧めたいか、といったら、どうかなと思った。

でも、時間がたつにつれて、なんだか忘れられない本になりつつある。

好きかどうか、いまだにわからないのだけれど、

わかる・わからないをうっちゃって、そのうえで感じるものが、時間とともに上澄みのように澄んでくる感じなのだ。


いま、ふりかえって、見えてくるのは、海だ。

物語のなかに、海が隠れている。

宇宙も海。砂漠にも、言葉にも、海が隠されているように思う。

そもそも、この一冊の本が、11の寄せる波からなる海のようだ。

ときには、津波となって人を翻弄する海ではあるけれど、ほとんど音もなく静かな海・・・

付き合いにくい「彼」の語る話に耳を傾けたい、と思うのは、彼が海とともにあるような気がするから。

たとえば、私がこの作品集の中で一番好きなのが『最初のオーストラリア中南部探検隊』だけれど、砂漠のなかでみつけた「海」はほんとうに透明で美しかった。

2017-02-01

『海に向かう足あと』 朽木祥

海に向かう足あと

海に向かう足あと


読み終えて、苦さと愛おしさを胸に、美しい表紙をずっと見ている。

恐ろしい物語だった。同時に、ささやかな生活への慈しみがどうしようもなくあふれてくる。


風色湾から船は出るのだ。

船の名まえは、風の竪琴「エオリアン・ハープ」。

『風の靴』の「アイオロス号」のクルージングを引き継いだみたいな始まりに胸はときめく。

そして、六人のクルーや、彼らを巡る人びとの顔ぶれ。みんな大人であるけれど、その横顔のそこかしこに、これまで読んだ朽木作品の登場人物たちのおもかげが感じられる。

あの子もこの子も、もしかしたらこんな大人になり、こんなふうに暮らしているのではないか、と思って。

やがて、そういうふうに考えるのを止めた。

彼らにこんな未来が用意されているのだとしたら、たまらなくなってしまって。


読みながら、「あれ・・・」と思った。おかしいな、読みにくい。

美しい文章である、流れもある。しかし、それが何度もぶつっと寸断されるような気がするのだ。(たぶん意図的に)

そうした文章の流れに、心ざわつき、得体の知れない恐れや不安を感じるのだ。

思うに・・・

フィクションの物語であるけれど、背景、という以上に、かなり色濃く現実が混ざっているからではないだろうか。

現実、というよりも、現実世界に滞る目に見えない空気が。

むしろ、この空気を伝えるために、物語が存在するようにさえ感じられた。

海も空も陸も、そして人も美しい。犬たちも。楽しいはずのものをたくさん見たし、本棚の書名には心惹かれる、おいしそうなご馳走はこれでもかってくらいに現れる。それなのに、文字を追う事が苦しくなってくる。


朽木祥さん初のディストピア小説、と聞いていました。

ディストピア・・・Wikipediaでは、「一般的には、SFなどで空想的な未来として描かれる…」との記述がある。

しかし、この物語の舞台は未来ではなかった。

時代は今、このときであり、舞台はここからそう遠くないところ、行ったことのある場所で、行きたい場所で、そういう人がそこで暮らしていることを知っている場所でもある。

ディストピアは、未来ではない。架空の都市でもない。

ディストピアは、ここだ!

――そのことが心底おそろしかった。


朽木祥さんは、「ヒロシマ」をずっと書き続けてきた作家だ。

『八月の光・あとかた』のあとがきの中で、このように語る。

「ヒロシマを記憶するということは、未来に二度と同じ過ちを繰り返さないよう警戒することと同義でもあります」

未来を警戒すること――何を杖にして、警戒しつつ生きていくのか・・・

朽木祥さんの物語の主人公たちは、多くが、大切な人(母、祖父、友…)を亡くしている。大切な人は過去の人なのだ。

けれども、それら大切な人々は、主人公の思い出のなかで、在りし日の生き方を留め、大切なものを思い出させるよすがともなり、色あせることはないのだ。

朽木作品は、過去から、(警戒をこめての)負の記憶とともに、よりよきものを、宝物のように手渡してくれたのだと思う。

この本には、そういう人はいない。

・・・いいえ、いる。いる。シンボルスカのあの美しい詩句が現れる。

言葉が、すでに手遅れかもしれない世界から、もしかしたら間に合うかもしれない読者に手渡されようとしている。

主人公の言葉「結局おれたちは・・・ここまできてしまった」の、そのちょっとだけ手前にいる読者に、小さな祈りをこめて贈られる。

受け止められるのだろうか、わたしたち・・・

2017-01-31

1月の読書

2017年1月の読書メーター
読んだ本の数:15冊
読んだページ数:3058ページ

アリスのうさぎ (ビブリオ・ファンタジア)アリスのうさぎ (ビブリオ・ファンタジア)感想
図書館の児童読書相談コーナーにすわるバイトの青年のもとに、不思議な体験を聞いてもらいに来る人がいる。装丁の絵の図書館の空気が好き。棚の本たちが鷹揚に受け、黙って棚に同居させてくれているのかな、と思ったり。この青年、児童読書相談以上に、人に不思議体験を話したい気持ちにさせる人だ。それがまたもう一つの不思議話。
読了日:1月30日 著者:斉藤洋
ピーター・パン (岩波少年文庫)ピーター・パン (岩波少年文庫)感想
知っているつもりでいた物語のあちこちには、こんなにたくさんの小さな宝物がちりばめられていた事を私はすっかり忘れていた。この物語の終わりの方で、大人になってしまったウェンディの前に、昔のままの姿のピーター・パンが現れたときのように、私もこの本を読むことで、古い友達に再会した気持ちでいる。そして、なんて沢山のことを忘れてきたのだろう、と驚いている。
読了日:1月26日 著者:J.M.バリ
ねこまたのおばばと物の怪たち (角川文庫)ねこまたのおばばと物の怪たち (角川文庫)感想
人ならぬ物の怪のほうに、人よりずっと人間味を感じるとは、なんとも皮肉だ。昔、親と子どもとの間には大きな境界があったような気がする。だから、今、親も子どもと同じラインに立ち、自分の物語を語りあえる、対等な人間同士なのだ、との気づきが、面白い。気づきは、彼らにとっての「居場所」になる。子どもも大人も、自分を解放できる居場所が必要なのだ、きっと。
読了日:1月25日 著者:香月日輪
古森の秘密 (はじめて出逢う世界のおはなし)古森の秘密 (はじめて出逢う世界のおはなし)感想
森には、森の流儀があるのだろう。それは人の世の必然や正義とずいぶん異なる。物語は説明しない。そのため、この文章は少し不安な気持ちにさせる。不気味さを際立たせ、それゆえの美しさもひきたたせる。いつのまにか、なぜと尋ねたり、解釈したりを捨てて、一場面一場面をそのまま受け入れ、味わっている。たぶん、この本の言葉にならない不思議が、そのまま森なのだ。
読了日:1月23日 著者:ディーノブッツァーティ
緩慢の発見 (EXLIBRIS)緩慢の発見 (EXLIBRIS)感想
ゆっくりが得意な人も、早いことが得意な人もいるに違いない。でも、同じ時計の下にある社会では、それぞれの個性・流儀は考慮されることはない。ジョンが海に居場所を見出すことができ、自らの能力を思うさま発揮することができたのは、海には陸の上の時計がないからだろう。彼は成功し栄誉を得るが、その場所は緩慢を許さなかったのだと思う。皮肉な気がして仕方がない。
読了日:1月21日 著者:シュテンナドルニー
ひみつの校庭 (ティーンズ文学館)ひみつの校庭 (ティーンズ文学館)感想
庭への鍵は、成長する子どもたちが、次のステップへ進むために開ける扉の鍵のよう。同時に、自分でも気がつかずに埋もれさせていた痛みやとまどいに、風を入れてやるために開ける扉の鍵のよう。死んだように見えても次の季節には息を吹き替えす植物、何万年もの間生きながらえる植物などに囲まれて、成長、生、死の当たり前さや不思議さを思っている
読了日:1月18日 著者:吉野万理子
日本児童文学 2017年 02 月号 [雑誌]日本児童文学 2017年 02 月号 [雑誌]感想
「創作時評 心に寄り添う、時代を越える」(繁内理恵):一冊の本から何をどのように掬い上げるか、常々、繁内理恵さんの評論は頼りになると感じている。昨年の児童書の中から14冊。児童文学全体がYA作品にシフトしている、との指摘、「自分のスマホを子供が持つ前の期間に、子どもたちと物語を結びつける努力」との言葉をかみしめる。取り上げられた作品のうち、既読は『マルの背中』一冊のみだが、「どんな状況にあっても失われない人間の尊厳」という言葉印象に残る。「読む楽しみが一番!」との言葉をガイドに、未読作品も読んでいきたい
読了日:1月18日 著者:
たんたのたんてい (新しい日本の幼年童話 8)たんたのたんてい (新しい日本の幼年童話 8)感想
姉妹編『たんたのたんけん』で、望遠鏡と宝の地図をもって探検に出発したように、『たんたのたんてい』では、虫メガネをもって探偵になる。道具は、子どもが、何かをはじめるための、わくわくする必須アイテムなのだ。私の知っている中で、たんのたんたは、いちばん若い名探偵です。事件が解決したら、名探偵は新聞配達に戻るのです。新聞配達の必須アイテムはもちろん新聞。
読了日:1月13日 著者:中川李枝子
きびしい冬 (レーモン・クノー・コレクション)きびしい冬 (レーモン・クノー・コレクション)感想
第一次世界大戦のさなかのパリ。漂う閉塞感。これは一種の長い休暇の物語だ。苦い休暇。主人公はいずれ前線に戻る。美しいものをみつけたとしても、大切なものをみつけたとしても、それはどこにもつながってはいない。抱きしめても抱きしめても、抱きれない。
読了日:1月11日 著者:レーモンクノー
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)感想
優しい映画、漫画。忘れられない人々。何度も見たい場面がいっぱいある。そうっとしまっておきたいような小さな美しいものをたくさん見た。しかし、それらは、非日常のなかで、だれが、どのようにして、生み出したものだったのか、見つけ守ってきたものだったのか・・・考える。そこに、戦争に抗う大きな力があるようにも思っている。
読了日:1月9日 著者:こうの史代
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)感想
空襲に明け暮れる日々、知っている誰かが死んでいく日々、家も家族も奪われ、働きに働き、我慢に我慢を重ねてそれでも足りない日々。そうした日々のなかでは、普通であることも笑っていることも、戦いだった。敵は、生活を奪い去ろうとするものすべてだった。(ところで、ノートの裏表紙が四角く破れている理由を知って衝撃であった。)
読了日:1月9日 著者:こうの史代
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)感想
映画を先に観てきて、原作を読んだ。映画と漫画とが、表現の仕方の違いなどから、補完し合っている感じになった。原作の余韻を引き摺りつつ、今、もう一度映画を観たくなっています。映画の中で、あるいはぼんやりと匂わせていたもの(それはそれでよかった)を、はっきりと見せられ、ああ、あれはそういうことだったのか!と目の前が開けたような気がした。
読了日:1月9日 著者:こうの史代
安閑園の食卓 私の台南物語 (集英社文庫)安閑園の食卓 私の台南物語 (集英社文庫)感想
台湾の、著者の思い出の人々、文化、慣習、風俗に触れているつもりでいた。だけど、本当は、その向こうに、日本の、地方の町家の細々とした暮らしや、一緒に暮らしていた人々をみていた。家族と一緒に囲んだ食卓の幸福感が蘇ってくる。毎日誰かに会って、毎日ご飯作って食べて・・・ずっとずっと続いている。宝はいつもここにあった。これからもきっとある。
読了日:1月8日 著者:辛永清
運のいい日 (創元推理文庫)運のいい日 (創元推理文庫)感想
三人の少年少女、どこか「ハミダシ者」目立つ存在なのだ。好きで目立つわけではない。目だってしまうことも、やるせない自分自身の一部。ちらっと見せる一瞬の素顔が、忘れられない顔になる。ビリー逮捕までの物語は結果をあらかじめ知らされていてもハラハラする。ジャズと父の関係はイマイチぴんとこない。本編の三部作を読めば、わかるようになるのかなあ。
読了日:1月6日 著者:バリー・ライガ
トランペットトランペット感想
彼がどのように自分の死を受け入れたか、そして、息子がどのように父の死を受け入れたか、大きくて美しい物語だった。肌の色、セクシュアリティ、己の出自。家族。死の意味。物語は、その家族の思い出を通して、一人の青年に旅をさせる。わかったこと。わからないこと。わかったことは、大切なことで、わからないことは、そのままわからないままにしておきたいことだった。
読了日:1月4日 著者:ジャッキー・ケイ

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