彼方なる歌に耳を澄ませよ

彼方なる歌に耳を澄ませよ (新潮クレスト・ブックス)彼方なる歌に耳を澄ませよ
アリステア・マクラウド
中野恵津子 訳
新潮クレスト・ブックス
★★★★★


物語は、矯正歯科医を営む裕福な弟が兄のもとを訪れるところから始まります。そこは裏通りのボロアパートで、兄はアルコール依存症、ぼろぼろの暮らしをしているように見えます。しかし、この兄は嘗ては優秀な炭鉱労働者でした。二人とも勇猛果敢で誇り高いスコットランドハイランダーの子孫たちなのです。
弟の兄に対する愛とかすかな罪悪感。この訪問を負担に感じることへの良心の痛み。
見かけはこんなに違って見える兄弟だけれど、それはなぜなのか。やがて、兄が口ずさむゲール語の歌から、弟はさまざまなことを思い出します。
行きつ戻りつ、とりとめもなく語られる物語は、大きな盛り上がりがあるわけではありません。
描かれるのは、自分とその血族たるスコットランドハイランダーの歴史。それから自分と家族の思い出。
生き様。与えられた生を生きる、ということが訥々とただ語られる。
その訥々とした語りのなかにくっきりと浮かび上がる父祖の地ケープ・ブレトン島への熱い愛。

この血族のきずなの強さ、先祖との結びつきに圧倒されます。
祖はスコットランド移民で、遠くカナダから合衆国まで散らばった一族。一度もあったことのない遠い遠い親戚であったとしても、血族であれば一目でわかる。人間性云々よりも同じ祖先を持つということで強く繋がっていられるのです。
そして、200年も前に死んだ先祖のことを、ひいおじいさんかその前のおじいさんの話をするように懐かしく話すのです。一族の歴史が、まるで自分自身の思い出の中に混ざり合っているように。

わたしは、ふとアリス・マンローの「林檎の木の下で」を思い出しました。「林檎の木の下で」はアリス・マンロー自身の血族の物語であり、自分自身の物語でもありました。
マンローの本からもその血族との結びつきの強さ、しっかりとした系図を持ち、その父祖ひとりひとりを自分のとても近い身内のように描いていることを感じ、驚きました。
クラウドの「彼方なる歌に耳を澄ませよ」はフィクションですが、根っこの部分はほんとうのことのように思います。とてもリアルです。
クラウド自身がスコットランド移民6世であり、ケープブレトン島の出身であり、ゲール語を話すハイランダーの間で育ったこと、自分自身の根がどこにあるかしっかりと自覚し、その出自と文化に誇りを持って生きている、脈々と流れ続ける「血」への深い愛――そういう核の部分が、この本をノンフィクションのように感じさせるのです。

この「血族」に対するこだわりは、私たち日本人には少しふしぎです。
わたしたち日本人は、これほどに自分の祖先を深く思っている人って、少ないのではないでしょうか。墓碑に刻まれた百年以上も前の父祖の名を父母のように親しく呼び、懐かしみ、自分の子にその名をつけようなんて、あまり思わない。そこまでひたむきに思わなくても、自分のルーツはぼんやりとではあるけれど、この地面の下に繋がっているんだと、なんとなく思っているから改めてそのことを強く考えたりはしないのかもしれません。
少なくとも合衆国やカナダの人たちほどには。新大陸だからかな、と思いました。
アメリカ大陸は移民の大陸、人種のるつぼだからこそ、自分のアイデンティティが迷子にならないように、との思いが、下敷きになっての血族との結びつきなのかな、と思いました。

そして、以前読んだマクラウドの短編集にも感じたような「生きるべきだから生きる」とでもいうような、人々の人生観のようなものをこの本ではより一層強く感じました。決して甘くはない人生の、だけどそれを当たり前のように受け入れて、ただひたすらに生きるその生き方が、ほんとうに訥々と描かれていく。
そして、その幕間に現れる、鯨たちの歌声。情が深くてがんばりすぎる犬の話。主人をいつまでも待ち続ける馬。主人公の二人の祖父の交情。氷の上のカンテラ。美しく厳しく残酷な自然描写などが、印象的で、心に染み入ってくるのです。
すっきりと終わる短編も素晴らしかったけれど、大河に似たゆったりとした流れに身を任せ、厳しさの間から立ち上ってくる温かみを味わいつつ読む長編に、揺さぶられました。
・・・どういったらいいのか、この物語の良さは、そしてなぜこんなに感動するのかということは、言葉では伝えようがないのです。ただ終わりまで読んだものだけが知っている。そんな本なのです。
最後の一行を読み終えたとき、わたしはいつのまにか涙を流していたことに気がつきました。だけど、その涙の理由を言葉にできずにいるのです。
すごい、というのではない。さりげなくて、静かで、最後まで大きなうねりもなく歌い上げる歌。幸福になるとか不幸だとかは問題じゃない。生きることに意味がある。そのように黙々と生きる、その脳裏にはいつも父祖の言葉が、歌がある。それだけ。それだけ、と言いながら、その「それだけ」を自分の頬を伝う涙にも気がつかずにただ読んでいる。

タイトル「彼方なる歌に耳を澄ませよ」
この本の中には沢山の歌が出てきました。人々はゲール語で歌う自分たちの歌を大切にし、あるときはひとりで、あるときは声を合わせ、よく歌っていました。歌うことが、日常のありとあらゆることのなかで、慰めになり、郷愁を誘い、また生きる力になるように・・・歌そのものが人生であるかのように。
故郷(そして自身の若い日々)を遠く離れた主人公、ひいては作者自身が、ふるさとのケープ・ブレトン島から、父祖の時代から、自分の若い日から聞こえてくる歌を聞いている、そして、やがて小さく声をあわせて歌い始める・・・

クラウド作品、これで全部読んでしまったことになります。すばらしい感動に満たされてはいますが、いつまでもまだ一つある、と思っていたかったような気もします。なんて寡作なんだろう。「書き続けている」というけれど、次の作品の完成はいつの日でしょう。いつわたしたちは次の作品に出会えるのでしょうか。