金曜日うまれの子

金曜日うまれの子 (世界の青春ノベルズ)金曜日うまれの子 (世界の青春ノベルズ)
マウゴジャタ・ムシェロヴィチ
田村和子 訳
岩波書店


シリーズ、年代順に読むならば『ノエルカ』のほうが先なのですが、『金曜日うまれの子』を先に読みました。 
『ノエルカ』はクリスマスの本らしいので、12月まで楽しみにとっておきます。
『クレスカ15歳 冬のおわりに』から10年。ポーランドの長い冬は終わっていました。
『クレスカ・・・』のみんなは元気でした。老ドムハヴィェツ先生もお元気で、いいおじいちゃんになっていた。
クレスカとマチェクは結婚して子どもがいました。
やさしいガブリシャは、やんちゃな娘たちに手を焼きながら、愛する夫とともに新しい家庭を築こうとしていました。


小さなゲノヴェファことアウレリアは高校生。これは、アウレリアを中心にした物語です。
妖精みたいにやんちゃでしたたかだったゲノヴェファはすっかり影をひそめ、
自分に自信をもつことのできない痩せた憂い顔の高校生が現れます。
アウレリアは、母を亡くし、父の家庭にひきとられたものの、居心地悪く暮らしていました。
そのアウレリアが、思いがけなく、夏休みを父方の祖母とともに暮らすことになるのです。
長年行き来が途絶えていた祖母は、会ってみれば、おおらかで優しい人でした。


夏休みのはじまりのわずか九日間の物語なのです。
アウレリアを中心にして、衛星のようにたくさんの人々が現れ、それぞれの物語が同時進行します。
それは、『クレスカ・・・』といっしょ。


おばあちゃんがとても素敵で、たくさんの名言を残してくれるのですが、
「ひとはこわくなると、物事をゆがめて考えるもんだ」という言葉は強く印象に残ります。


なぜ、こんなに何もかもがうまくいかないのか、なぜ、こんなにさびしいのか。
その理由は、たぶん、外ではなくて、自分の中にある。
でも、自分ひとりでは決して気がつくことができなかったかもしれません。
今までこわくて正面から真っ直ぐ見ることができなかったものを見てみよう、と一歩踏み出すためには、
それを手伝ってくれる人の存在が必要でした。
で、手伝ってくれた人もまた、だれかに手を貸してもらっていた。人のつながりの温かさ・大きな力を強く感じた物語でした。


アウレリアのまわりの人たち(または、クレスカとクレスカのまわりの人たち)は、家にカギをかけたがりません。
いつでもその食卓には、思いがけないお客さんがいるのです。
そして、この開かれた「家」「食卓」は、たぶん、彼らのひらかれた「心」そのものなのです。
この満ち足りた読後感は、わたしもまた、彼らの食卓に招かれたのだ、と気がつくことでもありました。