きみに出会うとき

きみに出会うとき

きみに出会うとき


物語を読みながら、なんとなく懐かしい雰囲気が漂うのを感じました。
時代が1978年、ということは、わたしが子どものころ(そんな、ずうずうしい^^)とは言えないまでも、若い頃だ。
今の12歳たちの親が、12歳だったころ(主人公ミランダと同い年だったころ)のニューヨークが舞台なのです。
そして物語が、「時間」を扱ったSFであることも、懐かしい気持ちにさせるのかもしれません。
一昔前のニューヨーク。
主人公が過去をひとつひとつ思いだしながら語る文章は、行間に取り返しのつかない思いや吐息のようなものが籠る。


人はみんな、自分と周りの世界をへだてるベールをかぶっている、とミランダのママは言います。
顔にベールがかかった状態で、ベールの向こうにぼんやりと世界を見ている。
みんな、ちょっとぼやけてみえるほうが幸せだと思っているのだ。
ときどきベールがはずれて、本当の世界で、はっきりと物をみることができる、という。
ありとあらゆる美しさや、残酷さや、悲しみや、愛がみえるという。
12歳の娘にこんな話をする母。容易じゃない今日までの歩みが透けて見える意味深な言葉でした。


そして、この物語も、ベールの物語だった。
ベールごしに、何がおこっているのか、おころうとしているのか、またはおこってしまっていたのか、
全く知らないまま(だってそれはベールをはずさなければわからないから)
ぼんやりと霞む世界の雰囲気に浸っていたのです。
最後にベールがはずされるまで。


時間を扱ったSF、といいきってしまったら、ちょっとちがうかもしれない。
確かにそれは大きな柱になっているのですが、
ほとんどの登場人物は、ごく普通の生活を送り、普通のままに、何も気がつかずに終わっていきます。
そして、むしろそのことが大切なことなのかもしれない。
主人公の家庭生活、学校生活、近所の大人たち・・・
彼ら一人一人を身近に感じ、ことに主人公の友人関係には、自分の若い頃のことを思い出しました。
子どもたちはそれぞれに悩み、もがき、閉そく感を打開しようとしていました。
主人公が友達に感じる羨望も悪意も、寂しさも、憧れも、そして、思い違いや偏見さえも、ごく身近なものでした。
だから、彼女の成長を見守ることがうれしかった。


そして、その成長物語を少し切ない味わい深いものとしてみせてくれるのが、SFというベールなのだ、と思います。
ラストは意外であるけれど、びっくりした、というよりもただただせつなくて、温かくて。


それとともに、これからのことをいろいろ想像しています。
彼女は手紙を書く。こんな手紙を書いてしまったあと、彼女はどのように生きていくのだろうか。
きっと生涯にわたって続いたであろう友情、交わされたにちがいないたくさんの言葉(当事者だけしか知りえない言葉)
最後に出て来た鉛筆画の肖像は、だれが描いたのだろうか。
アンヌマリーがミランダに絵を教えたがっていたことを思い出しながら、もしかしたら・・・と思っています。