残念な日々

残念な日々 (新潮クレスト・ブックス)

残念な日々 (新潮クレスト・ブックス)


うわっ、汚い!!
思わず言っちゃったけど、フェルフスト一家のことなのである。
およそ考えつく限りの悪癖・不潔・怠惰、ありとあらゆるダメさをあげつらったとしても、まだそのうえをいく彼ら。
詳しくは本文参照(?)である。
もうまとめて汚いっていうしかないやないか。(あれ、うつった)
招かれたとしても絶対そばになんか寄りたくないよ、こんな家。こんなやつら。
普段だらしなさを自認するわたしでさえそう思うのである。


彼らはときどき、「普通」の人(といいたくなるくらい彼らの生活は地球外生物的なのだ)と接触する。
それを読むわたしは、くらくらする。はらはらする。恥じ入ってしまう。
だって、わたしはもちろん「普通」に属しているつもりなのだ。
それでも、うっかり彼らのことを知ってしまったから、
どうか地を出さないでよ、尻尾を出しませんように、と願ってしまう。
ところが、
しばらくすると、自分がいつのまにか逆の立場に立っていることに気がつく。
彼らがもしかして「普通」の人に迷惑がられている、と感じれば、身内意識で腹がたってくる。
まして、あからさまに侮蔑されたりしようものなら。
そうとも、彼ら、ひどい生活をしているよ。
喧嘩をするし、怠け者だし、礼儀もしらない、臭いし。
夜は家にいたことなんかないよ。カフェで飲んだくれているか、ブタ小屋にほうりこまれているか、だもん。
だけど、彼ら、まるで邪気がないんだよ。
それに一家の結束の固さはどう?
(彼らなりの)愛で結ばれているのだ。
そして、彼らはなぜか幸せそうである。
健康的で規則正しい生活、よい暮らしをしている人たちよりずっと満ち足りているように見えるのはなぜだろう。


強烈な一家の様相に怖れを為し、唖然としているうちに、だんだん、微妙な気持ちになってくるのだ。
主人公は、もう彼らの家族であって家族ではない。
もう昔の生活には戻れないだろう。戻りたくてもできないだろう。だけど、
切り捨てることが永遠にできない、細い糸が通っている。
その糸を手繰り寄せても、自分がそこに戻れないことを確認するだけなのに、そうしないではいられない。
そして、隠しておけばよいものを、と思うような家族の話を、
そう、おおっぴらに、恥っさらしの過去を語るのだ。
そこに幼い日の自分を置いて。
もう、そこに自分はいない、いられないということを確認してしまうだけなのに。
この微妙な主人公の目線で、わたしは彼らを眺める。ほんのちょっとだけ寂しい気持ちで。苦い気持ちで。
そして、懐かしいような親近感で、笑っちゃう。