原爆の図

原爆の図―THE HIROSHIMA PANELS

原爆の図―THE HIROSHIMA PANELS


いつか丸木美術館に『原爆の図』を見に行かなくては…と、ずっと思っていた。
行かなくては…と思い始めてからあまりに長いので、このまま一生「行かなくては」で終わってしまいかねなかった。
巡り合わせというのは確かにあるのかもしれません。
さまざまな事象、ことがら、そして人。
いろいろな条件が、思いがけなくも合わさって、背中を押してくれた、この夏。


この夏、丸木美術館に行って、原爆の図に出会ってきました。


ねじまがった足先であろうと、しゃれこうべであろうと、それは一人の人間だ。
一人の人間と、一人の人間と、一人の人間と…が、そこにいた。
怖ろしい光景であるはずだ。空気と人とから熱と毒とが発散されて、怖ろしい光景であるはずなのに。
恨みと苦しみのうめき声が、慟哭が満ちているのではないか、と思ったのに。
とても静かだった。


…一番最初に目に飛び込んできたのは、赤ん坊の目。
第一部『幽霊』の…本当に幽霊のような姿になってしまった人たちの足もとに、
美しい裸の赤ん坊がいた。
まるで咲いた花でも見るように、不思議そうな眼でこちらを見ていた。
この赤ん坊の目が、ずっとずっと忘れられない。
あの目はいったいなんだったのか。あの澄みきった目を思い出す度にこみ上げてくる、この感情は。


それから、第十三部『米軍捕虜の死』 第十四部『カラス』
犠牲になったのは日本人だけではなかった。
「屍にまで差別を受けた朝鮮人、屍にまで差別をした日本人」という言葉が突き刺さる。


丸木美術館は、森の中の小さな美術館。
わたしのほかには人影もなくて、本当に静か。
丸木夫妻は、デッサンも含めて約九百人を描いたといいます。
それでも…

けれど広島でなくなった人々は二十六万人なのです。広島の人々の冥福を祈り、再び繰り返すな、と描き続けるならば、一生かかっても描きつくすことの出来ない数であったと気がつきました。
とは、この画集(美術館で購入)の冒頭の文章のなかの丸木位里・俊夫妻の言葉。
だから、やはり、この連作の中の人びとは「群像」ではない。一人一人…一人……人、なのだ。


まとまりません。
でも、後になればなるほど書けなくなりそうで、今月のうちに、まがりなりにも感想を書きたかった。
わたしは「行かなければ」といいながら、ずっと行かなかった。行くことが怖かったからです。
怖ろしいものからは、できれば目そそらして通りたかった、それが本音でした。
でも、行ってよかった。ほんとうによかった。背中を押してくれた人に心から感謝。
きっと、きっと…また行きます。
絵の中の人びとの、一人一人の話を聞かせてもらいに。


★後日記★
第一部『幽霊』のなかに描かれた赤ちゃんですが、いつのまにか、わたしのなかで、記憶が変わってしまったようです。
赤ちゃんは目をあけていません。眠っています。すやすやとやすらかに。