明日は遠すぎて

明日は遠すぎて

明日は遠すぎて


一作読むごとに、どんどん好きになってくる短編集。
読んでいて楽しい気持ちになる作品なんてひとつもないし、読後感がよい、ともいえないのに。
主人公たちの誇り高さや力強さが好きだ。
痛めつけ虐げ、踏みにじって、それでも、決して潰すことのできないものがある。
置かれた状況の特殊さに圧倒されてしまうけれど、
人が着ているたくさんの皮を、すべて剥ぎとってみたら、思いがけない表情が現れて、はっとした、というような感じ。
その表情は、知っているような気がする・・・いや、(手元にないけれど)ずっと求めていたもののような、そんな気がしているのです。


期待されなかった妹が18年間胸にしまっていた本当のこと、
結婚式をめぐって際立ってくる母娘の溝、
故国を同じくする留学生と不法滞在人の出会いと双方の思惑、
富裕者の愛人になるOLの話、
ある家庭のベビーシッターを務める高学歴女性の話、
世間知らずの若者の、最悪の状況下で否応なしに剥けていく皮の内側から見えてきた本当の顔・・・


どの物語も、その状況は容易に想像できないにせよ、主人公の気持ちは、推し量れる、共感できる。
しかし、だからといって、これは普遍的な物語である、と言ってしまうことには躊躇いがあります。
今、ここにいる私たち誰もが、それぞれの父祖たちの連なりの最先端にいるのだということを忘れることはできないのだと思う。
この短編集の最後に置かれているのが『がんこな歴史家』であることは、きっと意味があるのだろう。
親たちが嘆くほどに、子らの心は遠く遠く離れていってしまったように見えるけれど、きっとその遠くで見出すのは故国なのだ、
父祖が築いた文化なのだ、川のように流れ続ける『血』なのだ。
この短編集の主人公たちは、誇り高く自分の故国をみつめている。