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ぱせりの本の森

2016-06-15

『呪われた腕』 トマス・ハーディ


表題作をはじめとした短編が八つ。

『呪われた腕』というタイトルを見て、ホラーなのだろうか、と思ったけれど、そういう分類には入らなそう。

だけど、一作ごとに、何かぞっとするものを見た、と思いながら読み終える。


それは、特に善人でも悪人でもない、だれもが多かれ少なかれ持っている、ありふれた感情のかけら。

その部分が、いろいろな条件のもと、肥大化してしまう。人の感情って、ちょっと目を離した隙に、こんなに膨れ上がって暴走してしまうものなのか、と驚く。

悪意の力を借りなくても、ひとを傷つけたり不幸にしたりすることもできるのだな、と思ったり。


それから、むしろ明るい陽射しの似会う善意の人が不気味に感じられた。

みんな、なんてよく似ているのか、と不意に感じ始める。「善き人」というレッテルのもとに画一的にみえる。


たとえば、『妻ゆえに』の心優しいエミリーはどうだろう。その善良さが、実感として迫ってこない。

主人公のジョアンナの見苦しいあがきの半分もいきいきとなんかしていないのだ。その平面的な故に、私はエミリーの落ち着きが不気味に見えて仕方がない。


『呪われた腕』の、美しく優しい奥方も、そのままでは没個性で、それは『妻ゆえに』のエミリーに似ている。醜い腕・痛む腕は、一つの象徴のよう。

作者によってその性格に与えられなかった影の部分を、豊かに人格を形作る影の部分を、ただ一本の腕に収めたようではないか。


『幻想を追う女』や『アリシアの日記』なども、「彼女たち」には、悪意はない。むしろ彼女たちが持っているのは美しい思いばかりだ。しかし、その美しい思いがもたらす結末は・・・。


ホラーじゃないのにホラーっぽい一冊を読んでいるうちに、どんどん人が悪くなっていくような気がする。しかし、どの短編も読み始めるとやめられなくなってしまう。

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