『デミアン』 ヘルマン・ヘッセ

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)


中学生の頃、ヘッセばかり読んでいたころがあった。
そのきっかけが『デミアン』で、あのころのわたしには、この本は特別な本だった。
「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う・・・」は、一番大切な言葉だった。


・・・それからもう何十年も過ぎてしまった。何十年ぶりかで、この本を手に取った。
読み始めるとすぐ、美しい文章に出会えた。
少年時代、平和な明るい世界から、罠のように暗い世界に囚われてしまったシンクレールの変化の繊細な描写。
健全で平和な世界が、明るくまぶしく見えること、そして、自分が踏み込んだ場所の恐ろしさ。恐ろしいけれど、同時に微かに漂う甘美なものに酔うような感覚。
その細やかな描写、美しい文章に、どきどきしつつ、ほっとしている。なんだか懐かしくて。
暗がりから、薄いレースのカーテンの向こうに明るい場所を眺めているような、そんな読み心地である。
そして、二つの世界の規則正しい(?)揺らぎを乱すように現れたデミアンの存在の、なんとそそられることだろうか。


しかし、「鳥は卵を・・・」のあたりから、世界は変わるのだ。
実際の世界で起こっている出来事や景色はほとんど意味がなくなった。
自分の内側へ内側へ深く旅をしていく物語。
だから、物語はとても観念的に思える。思索に次ぐ思索、自分との問答・・・だんだん息苦しくなってきた。
このようなストイックな「旅」を今の私は望まなくなってしまっていることにも気がついた。
二つの世界を抱合する神が必要だ、という考え方には、魅了される。
魅了されつつ、今のわたしは、その神の前でたじろぐ。それをちゃんと理解できない。入ってはいけない場所を覗いているような気がして、迂闊に近づくことが怖い。


中学生の私は、いろいろなことが窮屈だった。
親や教師の言葉は嘘ではないけれど、もっと別の何かがあるような気がしていたし、未来は遠すぎた。
そうした頃に出会った『デミアン』の「二つの世界」の話は心に響いた。「鳥は卵から・・・」というあの言葉に勇気づけられたのだ。
単にスピリチュアルで不思議な世界への憧れもあった。
しかし、憧れながらも、惹かれながらも、少し恐くはなかっただろうか。だから、よけいに何度も読もうと思ったのかもしれない。
(そして、今だって、近づくことが怖いと思いながらも確かにその世界の美しさも感じている。)


読みながら、あのころにこの本から得た強い光のようなものが、今のわたしには、もうあまり感じられなくなっていることに気がついて、焦った。愕然とした。
大切にしまっておいたものが朽ちてしまったような気がして、とても寂しかった。
けれども、長い年月の後にもう一度この本に出会いなおしたおかげで、昔のわたしに、もう一度出会えた。夢中の読書の日々が思いだされる。
本には、出会うべき「時」があるのだろう。若いころに(必要な時に)『デミアン』に出会えたことは、幸せなことだった。
あの頃から、少しも賢くなんかなっていない、ということにも気がついたけれど・・・。
いつか、また長い年月を経て、この本を読んだら、わたしはどんな風に感じるのだろう。
そう思えば、やっぱりこの本はいつまでも特別な本なのかもしれない。

>「ふりかえって尋ねてごらんなさい、自分の道はそれほど困難だったか。ただ困難なばかりだったか、同時に美しくはなかったか、自分はより美しい、より楽な道を知っていただろうか、と」