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ぱせりの本の森

2018-04-19

『庭園の中の三人/左と右』 マーシャ・ブラウン


絵本作家マーシャ・ブラウンの、日本での二つの講演の記録。

『庭園の三人』は、1994年から1995年にかけて、日本各地で開かれた『アメリカ絵本の黄金時代(1920−40年代)をきずいた三人の絵本作家V・L・バートン、M・H・エッツ、W・ガアグ』という展覧会を機に来日した際の講演、

『左と右』は、1990年に東京子ども図書館主催の講演の記録である。


『庭園の三人』

「絵本は楽しむためのものである」ということ、

「楽しむ」ということから、子どもにとって「よい絵本は、経験そのものである」こと、

そして、「よい絵本というものは、子どもが自分自身で完成させることができるように、どこか未完成の部分を残しています」と。

わたしは、身を乗り出して、一言ひとことを一生懸命聞いているような気持ちだ。

バートンもエッツもガアグも(そして、講演者のマーシャ・ブラウンその人も!)

「自分に対して徹底的に誠実で、幼い子どもたちにやさしいことばを使って語りかけることのできる特別な才能をもち、自分で作り出した物語を自分自身の方法で絵にすることができた人」だ。

三人の絵本作家それぞれについて、個別に語って(ことにガアグについて多くのページを使って)いるけれど、絵本を生み出す人たちの「自分に誠実である」ということはどういうことか、「幼い子どもたちにやさしいことばを使って語りかける」というのは(見せかけではなくて)本当はどういうことか、そして、「自分自身の方法で絵にする」ということはどういうことか、語って聞かせる。

それにしても、誠実な仕事をしようとする才能ある作家たちを苦しめるのは、流行や商業主義。流されやすい自分を振り返って、ああ、耳が痛いことだ、と思う。

そして、子どもたちのお気に入りの絵本を思い出して、ちょっと感動したりする。

新刊であることも、時の話題本であることも関係なしで、どうしても「これ!」でなければならない、というお気に入りの絵本があった。

「ほんとうに素晴らしい作品だけが時を超え、それが描かれたときと同じみずみずしさを持ち続けます」

子どもはちゃんと知っている。


『左と右』

左脳と右脳の話から始まったけれど、いろいろな左と右が、わたしたちのまわりにはある。

分かれ道では、その先の進路を選ばなければならない。左と右。

道の途中で、選ばなかった道を眺めやることもある。

多くの(そして、ほとんどが漠然とした)左と右。

子どもと大人の間にある「人間的風景の大部分」を押しつぶしていく「商業主義」について語った「左と右」がことに響く。子どもまでも、市場と見なされていることのマーシャ・ブラウンの悲しみ・・・

でも、左と右は、逆を向くものではなかった。

マーシャは、水墨画に惹かれ、日本の筆と紙を手に入れ、水墨画のグループに加わり、中国で伝統的な山水画の技法を学んだそうだ。

「しかし、私がどんなに東洋美術に憧れたとしても、私は、決して日本人にも、中国人にもなれません。私にできるのは、いつの場合にも融合です」

「融合」という言葉が「よろこび」とともに語られるのを読み、良い言葉だなあと思っている。

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