『住宅読本』 中村好文

 

住宅読本

「まえがきにかえて」として、最初に紹介されるのが、『あしながおじさん』のジュディ・アボットと、『季節のない街』(山本周五郎)の、たんばさん。
孤児ジュディは友人サリーの家の、かくれんぼするのにちょうどいい薄暗い隅っこがあること、ポップコーンをつくる暖炉があり、雨の日に跳ね回れる場所(屋根裏部屋)があること、さわり心地のよい階段の手すり、日当たりのいい台所などをあげて、「ここは子どもを育てるには、素晴らしくいい家です」と語る。
一方、たんばさんは下町の長屋に住まい、「冷たい湧き水で顔を洗ったような清々しい気分」になる暮し方をしている。
この本の「いい住宅とは何か」の答えを、ジュディとたんばさんはよく知っているみたいだ。
この後の「風景」「ワンルーム」「居心地」「火」……と続く12章には、いつだって、ジュディとたんばさんがいるようだったから。


著者は、子どもの頃、居心地のよいとっておきの場所を持っていたそうだ。
布団を具合よく案配した押し入れや、合歓木の陰になる夏の縁側の一隅、足踏み式ミシンの袖板の下の極小空間……
こういう子どもの隠れ家みたいに、あまり洗練されすぎたり、純化しすぎたりしないで、適当に「曖昧な場所」が、住宅のなかにはあったほうがいいではないか。
一方、「床の間」に相当するような「心の拠り所」があったほうがいいともいう。
台所は、散らかることを気にせずに愉しく料理できる場所がいい、とか、さわり心地のよい場所があったほうがいい、とか、本物の火がある暮らしがいいとか。
でも、そういうことがらをひとつひとつ取り出して書きだしたところで、しかたないような気がする。どの細部も主張し過ぎず、控え目過ぎもせず、一つの家としてのあれこれが、気持ちよく調和してこその居心地の良さなのだろう。


この本一冊まるごと(切り取ったりしないこと)が、美しい家なのだ、と感じる。
かくれんぼする子どもたちの忍び笑いが聞こえてくる。
身近にツリーハウスのような隠れ家をもっていなくても、この本のなかにもぐりこんだら、静かで満ち足りた時間が過ごせると思う。
エッセイ集であり、写真集であり、イラストブック(スケッチや間取り図なども)でありながら、そのどれでもない本。居心地のよい隠れ家をいっぱい備えた美しい本だ。