高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 富山マラソン:新湊大橋を走りながら眺めた立山連峰に感動!

11月1日日曜日、富山マラソン当日。
宿泊したのはゴール地点となる富山駅前で、スタート地点となる高岡市には大会側のバスで移動。
朝6時から6時30分の間にたくさんのバスが発車していて、ほぼ待ち時間ゼロでたくさんのバスが富山市から高岡市へ運んでくれた。
バスの中で眠れたし、スタート地点の高岡工芸高校内の敷地も広くて、1万2,000人のランナーが集まっているのにも関わらず、荷物預けもスムーズ。
第1回大会だといろいろと至らない部分が見受けられたりするのだが、高岡市役所前のスタート地点に整列するまでストレスゼロ。第1回大会なのにスゴイと感動。
そして、天候も快晴で、暑くもなければ寒くもない、最高のコンディションに恵まれた。


午前9時、富山マラソンスタート。
大会ゲストの有森裕子さんがテンション高く甲高い声を上げて、我々ランナーを見送る。他の大会でもお馴染みの光景で、我々ランナーを笑わせてくれる。

また、本大会ではランスマの中継が入っており、石原良純さんと金哲彦さんが走る事を知っていた。
石原良純さんは、3月の横浜マラソンサブフォーを達成されたものの、結局、距離が足らずに日本陸連公認の記録にならなかったので、今回、再びサブフォーを狙うとのこと。
自分も3月の横浜マラソンに出場して自己ベストで完走したものの、距離足らずで疑惑の自己ベストになった上に、ゴール直前の山下埠頭辺りで石原良純さんに抜かれ、グロスタイムでは負けてしまった(ネットタイムでは勝ったものの)ので、今回そのリベンジを果たす事を目標のひとつにしていた。
が、石原さんはスタート直後、体調不良でDNF(リタイア)してしまったそうだ。残念だが、リベンジはまた別の大会で。
ランスマの番組が成り立つのかが不安だが、金さんが走っているので、大丈夫だろう。

スタート直後、特に印象的だったのは、沿道の応援の凄さ。
応援の量であれば、他の都市型マラソンもスゴイのだが、どうやら高岡市の幼稚園や学校がこの日を日曜登校にしてくれたらしく、子供達が沿道に集まって、賑やかに応援してくれた。
上下オレンジ色のジャージを着た子供達が盛大に応援。自然と笑顔が溢れる。嬉しい限りだ。




高岡市の伝統的なお祭りである御車山祭で使われる御車山(みくるまやま)という山車(曳山)を、この日のために出して我々を応援。

高岡市内にあるこの大会唯一の折り返し地点。42.195kmを通して折り返しがここしかないコース設定も素晴らしい。

相変わらず、青色、白色、赤色など色とりどりのジャージを着た小中学生の沿道の応援が素晴らしい。日曜日にわざわざ来て応援してくれるなんて感動だ。
自分は、先週の大阪マラソンで仮装してふざけて走ったため、今回はマジメに走ってサブフォーの記録を出しておこうと思い、意外と体力を使ってしまう沿道の応援に応える事は避け、コースの真ん中を走っていたのだが、そうするのがもったいないと思えるくらいだった。今回こそ、仮装して走れば良かったなぁと少し後悔。




高岡市内を離れ、庄川沿いを走る。それにしても雲ひとつ無い最高の天気。彼方に立山連峰が望めてテンションが上がった。


庄川沿いでも変わらず学生達が沿道で応援。
何であんな格好で応援してくれていたのかを後から調べてみたら、この辺りは万葉集などの編集をした事で有名な大伴家持高岡市の伏木に赴任したことにちなんで、近くには第3セクターの「万葉線」があったり、万葉集を読むサークルのようなものがあったりして、あの格好は万葉集があった奈良時代の格好のようだ。

庄川沿いに架かる橋を渡って、射水市に入る。

新湊高等学校の近くを通る。
新湊高校と言えば、高校野球で有名だ。1986年の第58回選抜高等学校野球大会で下馬評を覆して無名のこの高校がベスト4まで勝ち進んだ時の「新湊旋風」のことは、高校野球の特集などでよく知っている。
地元の方々は高校野球が大好きで、この高校が甲子園に出場すると、甲子園球場に大挙してやって来て、地元を挙げて応援するそうだ。

新湊漁港辺りでも、この日のために2台の曳山を出して、我々を応援。


前方に立山連峰を望みながら、日本海沿いを走る。とても気持ち良い。



そして、いよいよこの大会のハイライト、新湊大橋を渡る時が来た!
登りの坂道でペースは落ちるのだが、普段、自動車しか走られない橋を走っているという幸せとレア感でその辛さは忘れ、終始、テンションが上がって、写真を撮りまくって走っていた。



橋の上からは海王丸という帆船も見ることが出来た。

雲ひとつない快晴なだけあって、雪を頂いた立山連峰がよく見えた。いやぁ、最高のコンディションだ。


橋の上の電光掲示板もこの日だけは「祝 富山マラソン」。粋な計らいだ。

橋の下りでは、上りでペースが落ちた分、一気にペースを上げて駆け下りる。


その途中で中間地点。ここで1時間52分とは、これまでに無い良いペース。このペースで最後まで行ければ、サブフォーは確実、自己ベストを狙えるかも。

あっという間に新湊大橋のランニングは終わり。それにしても、素晴らしい体験だった。
橋の上から雪を頂いた立山連峰を眺めながら走ったこの経験と感動、幸せは、生涯、忘れる事が無いだろう。
新湊大橋を渡り終えた後半は、富山市の郊外の殺風景な田園地帯を走ることになるため、体力的にはもちろんん、精神的にも応えるコースとなる。
しかしながら、そんな退屈なコースであることを忘れさせてくれるくらいの沿道の応援と眼前にある立山連峰の素晴らしい眺めが大変有難かった。



富山の薬売りのゆるキャラ達も応援。

J2のカターレ富山のダンスチームの方々も応援。

そして、ここで日本全国、そして海外から来ているランナーに対して、47都道府県や海外の応援を手書きで記載した旗がコース沿いに立てられていた。
大阪や地元の岐阜の旗は見つけられなかったが、30kmを過ぎて辛くなってきたランナー達にとって、この大会側のおもてなしはとても嬉しい。


この後、呉羽山というこの大会のコースで2つめの大した事はない登り坂を登って、峠茶屋を通って下りた、富山地方電鉄の市電の終着駅である富山大学前で37km地点に到達。
富山市内に近づいてきてゴールも近い。あとちょっと。

神通川に架かる富山大橋を渡る。
彼方に見える立山連峰が綺麗だ。市街地からあの山を望むことができ、海抜0メートルの富山湾と3,000m級の立山連峰が共存するなんて、富山は魅力的な土地だなぁと実感。
昨日もレンタカーでこの橋を渡って富山駅まで行ったので、ここから先の道がどうなっているか、大体の距離がイメージできてひと安心。

富山市街の富山城址公園を左折して、富山市内のメインストリートを走る。

富山市内で40km地点に到達し、ここで3時間39分。
30km以降、疲れが出始めて前半の好ペースを維持できなくなった事もあって、ゴール前にブーストをかける程の体力は残っていないので、夢の3時間40分台のゴールは難しそうだ。

富山赤十字病院を過ぎた辺りで残り1km。あぁ辛い。ペースが上げられない。

ゴールがある富岩運河環水公園の周囲を回って、ゴールゲートが見えてきた!


富山マラソン、無事ゴール!時間は3時間51分7秒!!

自己ベストが出せた3月の横浜マラソンでもほぼ同じくらいのタイムであったものの、そちらは距離足らずで疑惑のタイムになってしまったので、これでようやくそのタイムを再現できた。
しかも日本陸連公認のコースでの自己ベストでかなり嬉しい。
欲を言えば、調子が良かったので、3時間50分を切りたかったが、後半ペースを上げられなかったのが今の自分の走力だ。
感動の余韻に浸ってゴールゲートの写真を撮っていると、ボランティアの方が「写真を撮りましょうか」と声を掛けてくれて、普段、自分の写真はあまり撮らないのだが、せっかくの記念なので撮って頂いた。
ボランティアの方々の心配りもランナー目線で素晴らしく良い大会だなぁと実感。

ゴールゲートから荷物受取場と更衣場の動線も適切でストレスゼロ。
ゴール地点の富岩運河環水公園で完走した達成感と満足感、安心感に満たされながら、運河の方を眺めていたら、運河のそばにスターバックスコーヒーの店を発見。
こんな天気の日にあんな場所でゆっくりしたら気持ち良いだろうなぁと思っていたら、その後調べたところによると、このスタバは「世界一美しいスターバックス」として有名だそうだ。
確かに素晴らしい立地条件だ。コーヒー嫌いでスタバには全く縁が無い自分だが、これを知っていたら、近くまで行ってみたのに。


ゴール後は、4月の長野マラソンで知り合ったOさん、6月のサロマ湖100kmウルトラマラソンで知り合ったTさんにお会いして、お互いの健闘を讃え合った。
ラソンを趣味にしていろいろな大会に出場していると、同じ価値観を持つ全国の方々と知り合う事ができ、Facebookで繋がりながら、こうして他の大会で再会する事ができる。好きなものがあることの素晴らしさを再認識。



スタートからゴールに至るまでランナーにとってストレスゼロの大会運営、沿道の途切れない盛大な応援、新湊大橋を走って渡りながら眺める立山連峰の壮大な眺め、アップダウンが少ないコース設定など、第1回大会であるのに大会側もかなり気合が入っていて、とても素晴らしい大会だった。
それ故に「こんな条件が揃っているのであれば、言い訳はできない!」と奮い立ち、会心の走りが出来た。
全国の大会を巡りたいが故に、完走した大会には2度出場するのは控えてきたが、富山マラソンなら来年もまた出場してみたいと思える、大変思い出深い大会だった。
富山県のマラソンを完走したことで、36県目!47都道府県制覇まで、あと11県!!