高いところから失礼致します!

「苦しさはすぐに消える。諦めた事実は永遠に残る。」を心の中で連呼して、マラソン、ウルトラマラソン、超ウルトラマラソンを嗜む変態ドMランナーです。

 小江戸大江戸200k:31時間かけて204km完走!

2016年3月5日土曜日、小江戸大江戸200k
小江戸コース91kmを無事走り終え、後半の大江戸コース113kmをスタート(2016/3/5、20:15、91km地点)。
着替え、荷物の入れ替えに加えて、思わぬ靴擦れの応急処置に時間要してしまい、19時に蓮馨寺に到着していたのに、結局、1時間以上も休む事になってしまった。
小江戸コースで受傷してしまったのだから、このロスは仕方無い。これだけの靴擦れを負いながらまた走る事ができるだけマシ。
小江戸コースはあくまでも前哨戦であり、大江戸コースこそ本番。ここからが本当の勝負だ!
と、意気揚々とスタートしたものの、左手首につけたGPSウォッチを見ると、そこにGPSウォッチは無かった。
しまった、俺ってば、思わぬことが起きて冷静さを無くしてしまい、大江戸コースをスタートする前に忘れ物チェックするのを怠って、着替えた時にGPSウォッチを付け替えるのを失念してしまった。
元々持っていたGPSウォッチのGARMIN「ForeAthlete910XTJ」は20時間しか持たないので、せっかくこの日のために30時間持つEPSON「Wristable GPS SF-710」を買ったのに・・・
まぁいいや、ここまで来たらペースなんて関係ない。とにかく前へ進むのみ。でも、時間と距離が分からないのは不便だなぁ、とトラブル続きの自分に嫌気が差した。
でも、シューズをゲルサロマに履き替えたことで痛みがなくなってランに集中できるようになったこと、そして思わぬことで1時間も休められた事で体力を回復できたこともあって、完全に復調。
ランナーズハイも相まって、スタートから12時間以上、100km以上走っているのに目が冴えて、延々と続く夜の川越街道(国道254号線を快調に走ることができた。
川越をスタートした後、次のエイドは新宿で約30kmも離れている事を教えてもらっていたので、途中でコンビニに寄る事を覚悟していたのだが、こんな夜中にも係わらず、コース中に私設エイドを設けてくれている方々がたくさんいて、そこで水分補給できた事もあって、コンビニに寄る必要が無くて本当に助かった。
そのおかげで10km毎に摂った携行補給食でエネルギー補給するだけで走り続けられた。ランナーが通らなければ、その間はお一人でこんな深夜の寒空に待機してくれている。自分には決してできない。本当にありがたい事だ。
深夜の真っ暗の中をひたすら走っている我々を稀有な目で見られている方々がほとんどであったが、この大会の存在をご存じの方々が我々に声を掛けてくれて、とても元気をもらえた。大きなマラソン大会では沿道の応援が盛大でそれも良いが、それは周りにいるたくさんのランナーに対してであり、今回は自分だけに対して、目を見て応援してくれる。これは本当に元気づけられる。

埼玉県川越市をスタートして、和光市理化学研究所を深夜に通り過ぎる。

東京都に入って、板橋区の成増、赤塚を通過し、上板橋にやって来たところで、何度か来た事があった見覚えのあるレッドロブスターを発見!
深夜なので、思わず通り過ぎるところだった。
ここを右に回れば、城北中央公園があり、自分が大学時代の4年間を過ごした懐かしの練馬区氷川台がある。
まさかこんな形で懐かしの地に走ってやって来る事になるとは思わなかった。
氷川台のアパートで独り暮らししていた頃にあったいろいろな事を思い出しながら走って、とても感慨深かった。

日をまたいで3月6日日曜日になった。
環七通り(環状七号線)を通過。これを過ぎれば川越街道ももうすぐ終わる。

そして、池袋を目前にした熊野町の交差点で長かった川越街道が終わり!
サヨウナラ、川越街道!
長かった・・・十分に川越街道を堪能した。もうしばらく川越街道には近づきたくないな。

次は、池袋近くから山手通り(環状六号線)を南下して新宿まで。
川越街道に比べて山手通りは車道と同じくらい歩道が広く整備されていて、とても走りやすかった。
そして、時間も0時を過ぎ、人通りも少なくひっそりとしている中に街灯だけが光っている風景が何だか綺麗で、走っていてとても気持ち良かった。
ここも快調に走っていたものの、信号待ちでストレッチしながら左足のシューズを見てみると、小指付近に赤い染みが。
爪が剥がれた左足の小指から出た血を絆創膏だけで防ぐのは不十分で、シューズまで滲み始めてしまったのだ。
まるで1週間前の東京マラソンで、序盤にマメを潰してシューズが血で滲みながらも、日本人で唯一、先頭集団を追って華々しく玉砕して立派だった、村山謙太選手のようで思わず笑えた。
そんな痛々しい状態であるものの、痛みは全く無いので、無視して進んだ。
この大会を完走できさえすれば、完走後に小指の回復に時間がかかってしまうことになったっていい。
それくらいこの大会を完走する事には価値があるし、傷だらけになることを覚悟して走っていた。

途中、西武池袋線椎名町駅に架かる陸橋を走った。
椎名町といえば、薬剤師の資格を取得した後の大学院時代、薬剤師のバイトをしていたマツモトキヨシ椎名町店がある場所だ。何度も利用していた椎名町駅が綺麗になっていたし、池袋から近いのに下町風な雰囲気が残っているのを見て、とても懐かしい気分になった。先程の氷川台といい、学生時代の思い出がある場所を約10年後にこうして深夜に走って巡る事になるとは思ってもみなかった。

JR東中野駅を過ぎて、午前1時過ぎに成願寺エイドに到着(2016/3/6、1:09、128km地点)。
一時はどうなる事かと思ったが、シューズを替えた事で本来の調子を取り戻し、10km毎にお気に入りの携行補給食のHONEY STINGERでエネルギー補給しながら、ここまで快調に走ってこられた。
例年よりも寒くないらしいが、さすがに深夜は寒さのピークなので、暖かいエイドでゆっくり休んで、ここのエイド名物の成願寺カレーをご馳走になった。疲れている身体にカレーライスは最高の美味だった。
通常、マラソンでもウルトラマラソンでも固形物は食べないようにしているのだが、さすがに200kmになると食べないとやってられない。

この成願寺エイドを出発した後は、いよいよ楽しみにしていた東京都心を巡るコース。
小江戸大江戸200kでは、分かりにくい東京都心のコースを走って5箇所のチェックポイントを走ることになる。
ここまでは地図を特に見なくても前のランナーについていけば大丈夫だったのだが、ここからはコースが入り組んでいて初挑戦者や関東圏以外のランナーにとって一番の難関・・・である事を実際に走ってみて実感。
最初は、大学時代に東京に住んでいたから多少は土地勘があると自負していたのだが、その事を走ってみて認識するなんて準備不足も甚だしい。
この大会前に、このコースの試走会が数多く行なわれている所以がよ〜く分かった。
そんな準備不足な自分だったのだが、偶然に成願寺エイドで小江戸コースの70km〜80kmを一緒に走らせて頂いた昨年大江戸コース完走のSさんと再会。
この後のコースの複雑さを何も知らない自分を見かねてか、声を掛けて頂いて、Sさんと完走経験3回のベテランのIさんの3人で都内を地図を見ずに一緒に走って回らせて頂いた。
本来であれば、1人で深夜に地図を見ながら立ち止まりながら、「コースは合っているのかな」と不安になりながら走っているのであろうが、コースを熟知されているお二人についていくことでその不安が避けられ、本当に助かった。
これまでランナーのサポートが手厚い大会に慣れ過ぎていた事を痛感。
走りながらお二人の実績や普段の練習などをお聞きすると、月間走行距離200kmの自分に対して月間300km以上走られており、また100km以上を走った事がなくて、この日、未知の領域を走っている自分に対して100km以上の超ウルトラマラソンの完走実績もあられて、確実に自分よりも走力も実績もある事を認識し、「一緒のペースで走っていて大丈夫かな」と不安になってしまった。
お世話になるばかりで大変申し訳なく思いながら、ご実績がある方々のお言葉に甘えながら、この後、大江戸コース終盤の180km手前迄、約50kmに亘ってご一緒させて頂いた。
一番大変な場所をご一緒できた事もあって、お二人がいなかったら完走出来なかったかもしれない。お二人には感謝の言葉しかない。
他では自分の世界に入って1人旅になって走るのが好きな自分だが、これだけ長い距離を走る大会となると「共走」が大切である事を学んだ。
第1チェックポイントは、新宿の東京都庁第一庁舎の表札石。出場ランナーはチェックポイント5箇所で写真を撮って、ゴール後に大会側に見せる事が義務付けられている。
久し振りに来た新宿副都心の近未来的な雰囲気、東京都庁の大きさなどを深夜に体感。



ここ都庁前は、1週間前の東京マラソンのスタート地点。
Sさんに東京マラソンのスタート地点としての目印が歩道にあると聞いて教えて頂いた。普通であれば気づかずに通り過ぎるくらいの目立たない印で驚いた。

その後は、代々木公園内の道路を走って、JR原宿駅に到着。
日中は人でごった返しているのに、人気が無くてひっそりとしている深夜の明治神宮や表参道を見て、テンションが上がりまくり。

深夜の表参道を走る。「日中はあれだけ人がいるのに、深夜はこんな雰囲気なんだ。レアな経験をしているなぁ」と実感。


深夜の表参道ヒルズの前も通過。


BurberryやLouisVuittonの華やかな店先を見ながら走る。


南青山三丁目、西麻布を過ぎて、第2チェックポイントは、六本木ヒルズグランドハイアット東京前の石のオブジェ。
朝まで遊ぶ若者達をすり抜けながら走った。

残念ながら、お馴染みの六本木けやき坂通りのイルミネーションは撤去されつつあって見られず。


第3チェックポイントは、深夜で真っ暗な東京タワーの下にあるノッポン兄弟。
この辺りを通過した午前3時頃。出場前から懸念していた眠気が遂にやって来た。
走っていてもボーとし始めて、表参道を走っていた時のテンションの高さは皆無。
「これは眠気だよな。ヤバイなぁ。」と思いながらも、お二人と話しながら走った事や、時々立ち止まって疲れで胃が機能しなくなって気持ち悪くなった時にする自分で編み出したルーチン(口の中に指を突っ込んで強制的にゲップする)をした事で完全に目が覚めて走り続ける事が出来た。


虎ノ門ヒルズを通過して、霞ヶ関の省庁舎を見ながら走り、皇居に到着。

皇居外苑を走って大手門を過ぎた辺りで、大会公式のこあしすエイドに到着(2016/3/6、3:54、144km)。
ここまでいつの間にやら144kmも走ってきた。今、自分は未知の距離を刻んでいる事を再認識。

ここは本来は接骨院のようだ。ここの出場ランナーへのおもてなしが最高。暖かい場所で一旦座ってしまうと、ボランティアの方々が暖かい飲み物や食べ物を持ってきて頂ける。至れり尽くせりのサービスだった。
「ずっとここでゆっくりしていたい」という危険な誘惑に襲われながら、再びスタート。
皇居に戻って、楽しみにしていた東京のランナーの聖地、皇居を1周する皇居ランだ!
と、初めての皇居ランをこういった形で体験できる嬉しさが前に出てしまったのか、皇居周りが深夜で意外に暗くて石畳の道路に足を引っ掛けて激しく転んでしまって、この先の走りに影響は無い程度であったものの、右膝に外傷を負ってしまった。
着ていたコンプレッションウェアも破れてしまった。この先、この破れを見る度に今回の皇居ランを思い出す事が出来そうで良い記念になった。
午前4時30分過ぎで真っ暗なので、皇居ランナーはほぼいなくて皇居ランを体感というワケにはいかなかったが、皇居の周りは結構アップダウンがあってなかなか走り応えがあり、ランナーにとって良い練習になると思った。大阪のランナーの聖地、大阪城の周りよりきつそうだ。

皇居を1周した後は、皇居を離れて、朝5時のひっそりとした東京駅を通過。

日本橋のオフィス街を走って、日本の道路網の始点である日本橋を通過。

隅田川を渡って、両国国技館の前も通過。

そして、午前6時が近くなってきて、空が明るみ始めた。
蔵前橋通を走って左に曲がると、眼前に東京スカイツリーがそびえ立っていた。
街灯以外に電柱などがなく、綺麗に整備されている道路で、東京スカイツリーを一番見事に見られる場所だそうだ。
東京出張の際に東京スカイツリーには寄った事があったので見るのは初めてではないのだが、こうして走りながら見る事ができて感動。


道路には、東京スカイツリーまで634m地点の標識も。東京スカイツリーの高さが634mなので、もし東京スカイツリーが倒れてきたら、ここまで至るということだ。そんな事は考えたくもないが。

東京スカイツリーの前で、155km過ぎの大会公式のおしなりエイドに到着(2016/3/6、5:52、156km)。
ここはこあしすエイドから10km程度しか離れていないので、それ程疲れてはいなかったのだが、この後の最終エイドはここから35kmも離れていると聞いていたので、しっかり休み、覚悟して再スタート。

午前6時30分過ぎに、第4チェックポイントの浅草寺に到着。
明るくなってきたので、参拝者がたくさんいる中に、写真を撮って先を急ぐ。



日中は賑わう仲見世通りはひっそり。

浅草寺からすぐのところで、第5チェックポイントである鳥越神社に到着。
熟練のお二人について走ってきたおかげで、都内に5つあるチェックポイントを無事、全てクリア!
10年前過ごした懐かしい東京、仕事を始めてからも出張で来ていた東京を、深夜に走りながら巡るというレア体験ができて本当に楽しかった。

しかし、楽しかったのはそこまで。
蔵前橋通を走って、秋葉原を過ぎ、本郷通を北上して都心からどんどん離れる。
本郷三丁目東京大学の赤門前を通過。

残すはフルマラソンの距離42kmになったところで、お二人と共に最後の難関として教えて頂いていた荒川土手&川越バイパスに備えて体力を温存するため、王子を過ぎて、赤羽迄はほぼ歩きで前へ進んだ。
ここに来てやはり疲れもピークになってきた上にこの靴擦れがひどい足ではこれ以上ムリしない方が良いと判断し、とにかくどんな形でも諦めずに前に進んで完走を目指した。この大会は「200km完走」が1番の目的なので、無理して走って1分1秒を争うような事は必要ない。
疲れて歩く速度も遅くなってきたのだが、ここに至るまで、沿道で私設エイドを設けて我々ランナーがやって来るのを待って頂いてくれる方々がいて、本当に有難かった。
また、鳥越神社や駒込駅前では、Sさんのお仲間がコースに応援に来られていて、温かいお茶やお菓子のご相伴に預からせて頂いた。
日曜日の朝7時頃なのにこうやって仲間のために応援に来てくれる。簡単な事に思えるが、自身の貴重な休みの時間を使って仲間の為にこうやって駆けつけてくれて、ほんの束の間だけなのに応援してくれる。これはなかなか出来る事ではない。大変有難い事だと共に、人望の厚さを伺えた。
自分にはこんな風に早朝に応援に来てくれる仲間はいないなぁ。それを自覚している上に、こんな変態的な挑戦をする事を話したら絶対に引かれると思って、誰にも言わずにやって来た。

高島平辺りからひょんなことからお二人と別れる事になって、久し振りに1人で走り始めたら、いきなり新高島平の交差点でコースをロスト。
これは今まで地図を全く見ずにお二人の道案内におんぶに抱っこであった事の天罰である事を痛感。
コースと思って走ってきたのに、前にランナーはいないし、後ろからついてくるランナーもいない時の不安感、「このまま自分の判断を信じて進むべきか、引き返すべきか」という迷い。こんなものがあるまま走っていても楽しくない。
幸いにも、コースを外れてすぐに間違えた事に気づく事ができたので良かったが、そんな気分も落ち込んだ状態で、終盤の難関のひとつである荒川の河川敷コースへ。
ここまで楽しかった都心コースから打って変わり、殺風景で景色が変わらないコースに完全に心が折れてしまって、走り始めてもすぐに歩いてしまう大変苦しくて辛い時間が続いた。

残り20kmになってゴールが見えてきたので、復調して走る事が出来るかと思いきや、ここまで歩き過ぎた事で足が完全にガチガチに固まってしまって、歩いて前に進む事は出来ても、全く走る事が出来なくなった。
これまでの経験であれば、体力が尽きてガス欠すればHONEY STINGERというエナジージェルを補給すればすぐに体力が回復してまた走り出すことができたし、足が疲れればストレッチをすればまた走り始めることができたのだが、足が固まって動かなくなってしまっては体力を回復したり、ストレッチをしたりしたところで焼け石に水であった。
そんな疲労困憊の状態で、何とか最後の秋ヶ瀬エイドに到着(2016/3/6、12:27、190km)。
疲れきっていて余裕が無く、ここで写真を撮るのも忘れていた。
秋ヶ瀬エイドを出発した後は、最後の難関である川越へ向かう川越バイパスの14km。
ここも河川敷と同様に、景色が何も変わらない一直線に続くバイパスで、「川越まで○km」という標識が親切にもあるので、走ることができていればゴールが徐々に近づいてきてテンションが上がるのであろうが、ここに至った時は辛さのピークでほぼ歩きであったためにそれは無く、ただただ辛いだけで、早歩きよりも遅いであろう走りをしたり、歩いたりを交互に繰り返しながら前に進んだ。

川越まで残り3km。もうすぐ。ここまでの距離はまさに地獄のような辛さだった。

川越街道を外れて、残り1.7km。
ボランティアの方が「お疲れ様!もうゴール直前なので、歩いてもいいですよ!」と声を掛けてくれたし、この大会の存在をご存じの沿道の方々も応援してくれて元気をもらえた。「すいません、もう限界で走る事ができません。」と苦笑しながら平謝り。

そして、疲労困憊で息も絶え絶えの状態ながらも、最後だけはちゃんと走ってゴールしたいとゴール地点の蓮馨寺までは走ってゴール!(2016/3/6、15:24:55、204km)

204kmという超長距離を31時間もかけて完走できたんだから、さぞかし感動するだろうと思いきや、感動よりも疲労困憊による疲れと、残り20kmはほぼ歩きという情けない状態であった事に対して、
「やっぱり200kmは厳しいなぁ。180kmくらいまでは走力が残っていたのに、今の自分では最後まで持たなかった・・・」
という自分の力の無さへの悔しさと反省しかなかった。
でも、200kmを通して走力は持たなかったが、精神力だけは負けなかった。
「足が折れていて前に進めないワケではないんだし、歩いてでも前に進もう。」
「ここで諦めたら一生残る。こんな苦しみはすぐに消える。」
と、心の中で連呼して200kmを乗り越えられた。
200kmを通して一度も諦めようという気持ちにはならなかった事が唯一の救いだし、自信だ。
この実績があれば、他の多くの大会で辛さは乗り越えられるような気がするし、その自信がある。
また、午前3時頃に襲ってきた眠気のピークを乗り越えたら、その後、眠くなることはなく、31時間を通して、一睡もせずに走る事が出来た。前日の睡眠時間は5時間なのに、凄いな・・・と自己賞賛。
もし眠っていたら、足が筋肉痛で固まってしまって再び走られなくなってしまった可能性があったので、眠らなくて本当に良かった。
そして、200kmを走る中で、一緒に走らせて頂いた方々、エイドや沿道で支えて下さった大会側の関係者や私設エイドで助けて下さった方々には感謝しかない。完走できたのは「共走」してくれた彼らのおかげだ。


蓮馨寺で一服して着替えた後、大会側が近くの温泉を準備してくれていたので、本日は完走してボロボロになった傷病兵のようなランナーの巣窟になっているであろう温泉に是非行って疲れを癒したり、ランナー同士で健闘を讃え合ったりしたかったのだが、完走後にシューズを脱いだら、案の定、両足の小指の皮は剥け、爪も剥がれてしまっている惨状だったので、温泉に行くのはすぐに諦めた。
そんな小指に対して、絆創膏は使い果たしてしまっていたので、消毒した後、ティッシュペーパーで保護して靴下を履き、そのままではシューズを履けないので、已む無く、小指が当たる部分をナイフで切って締めつけを無くしたら、何とか歩く事ができた。
今回、レースでのセカンドシューズとして履いてきたこのゲルサロマ、底が磨り減ってしまっているので、近々履き替えを予定していたのだが、思わぬ大活躍だった。
ありがとう、ゲルサロマ。あなたは、今回の自分の最大の友達であり、功労者であった。
もう履く事ができなくなってしまって残念だが、しばらくは家に飾って崇め奉る事にしよう。


200km走った後の心と身体に受けたダメージはこれまでに味わったことが無いほど酷く、満身創痍。
ヒドイ靴擦れで小指の爪が剥がれ、股擦れ、脇や腹には擦った跡、足はこれまでに味わったことが無いほどの筋肉痛を負っていたので、一刻も早く大阪に帰って自宅のベッドでゆっくり寝たいと思い、16時であればまだ余裕で大阪に帰る事ができたので、荷物をまとめて速攻で本川越駅へ向かい、22時前には帰阪する事ができた。31時間、一睡もせず走っていた事もあって、道中は泥のように爆睡していた。当たり前だ。

100kmを8回完走した実績しかない自分にとって、今回はあらゆることが初体験だった。
200kmはもちろん、夜通しのランニング、地図を見ながらのランニング、エイドが20〜30km間隔しかない等々、対処方法を全く考えずにノープラン且つ実力も実績もないのに挑戦したが故に、200kmの洗礼を受けた。
しかし、洗礼を受けた事で学んだ事は多い。
200kmの過酷さと準備の大切さはもちろん、心が折れて歩き続けたことで脚が固まって余計走れなくなってしまった。
歩く事はその時は楽なのだが、歩き続けると2度と走る事が出来なくなってしまい、中長期的には余計苦しくなる。
これは超ウルトラマラソンにおける教訓として、よ〜く覚えておこう。
今後、こういう苦しい場面に陥ったら、歩いてもいいけど少しだけ。
「ここまで走ったら、あそこまで歩き」という自分なりのルールを適宜作って、苦しい時間を乗り越えるようにしよう。
その苦しい時間を乗り越えて、まだ走力が残っていれば、また好調の波がやってくるハズだ。
200kmを完走できたのに、感動よりも反省が大きいという残念な結果になってしまったが、本当に良い経験ができたし、この実績は今後の自分の自信になる。
たくさんの傷を負ったが、こんなものは時間が経てばすぐに消える。それまでは、200km、そして自分に克った「勲章」として、この心地良い痛みを堪能しよう。
200kmを通して走り続ける事ができれば、こんなに楽しくて走り甲斐がある大会は無い。来年はそれができるようにまた挑戦しようかな・・・
来年は、完走実績ありを示す、神々しい紫色のゼッケンをつけて。