「恋のカーニバル」と「どうにもとまらない」

今日で8月も終わり。台風一過の青空が、ゆく夏を惜しむ。
今朝見た日本経済新聞の何気ない小さな記事。
シダックス、カラオケ縮小(3割閉店、黒字化目指す)」
この何年、カラオケに行っていないだろうか。
今、仮にカラオケに行ったとしても歌う唄は、10年前にカラオケで歌った唄と
同じ曲だろう。

「歌謡曲」という言葉。今では死語になりつつある。
日本国民全体が共有する「はやり唄」が、なくなって久しい。
この8月。テレビではリオ・オリンピック中継、そして夏の甲子園
いまだにメイン・コンテンツになっている。

かつて、日本国中に溢れかえっていたもの。
それは「歌謡曲」である。
いま日本国民が等しく同時代に歌える唄はほとんどない。
年末の紅白歌合戦は、日本人の共通の基盤を確認するイベントであったが
今は、その出場歌手の名前や楽曲を知る人は少ない。

謡曲の最後の時代。
それを支えたのは作詞家・阿久悠であった。
阿久さんが書かれたさまざまな著作は、私の座右の書のなかにある。

プロ野球野村克也さんは
野村再生工場と言われた。
かつてのスター選手が年齢とともに衰えた中で
野村監督が再び、その選手が脚光を浴びるような
指導をしたのである。

作詞家の阿久さんも歌謡界の名伯楽であった。
衝撃的な事例は山本リンダである。
「こまっちゃうな」で、デートに誘われて困惑する少女の気持ちを
歌った後、人気が低迷していた中で
この夏のオリンピックが開かれたリオのカーニバルを思わせるような
軽快なリズムで復帰作がつくられた。
阿久さんの作詞である。

”うわさをしんじちゃいけないよ
わたしの心はうぶなのさ
いつでも楽しい夢を見て
生きているのが好きなのさ
・・・・・・・・”

当初、この楽曲の題名の候補になったのは
「恋のカーニバル」
しかし、いかにも凡庸で
結局、歌詞の最後に出てくる
「どうにもとまらない」
がタイトルになった。
日本列島改造論で地価も株価も高騰した時期
「どうにもとまらない」というフレーズが
時代を反映し、ヒット曲になった。

数年後、日本テレビの大ヒット番組となったのが
「スター誕生」。
今は、駒澤大学に通う萩本欽一さんの司会で
数々のスターが生まれた。
その審査員を務めていたのが阿久さん。

ある回の決勝で、静岡出身の地味な
フォークソングを歌う女性二人組が残った。
その女性ペア。
当初、つけられる予定であった名前が
「白い風船」であった。
しかし、作曲家の都倉俊一氏の提案で
グループ名は「ピンクレディー
デビュー曲は阿久さんの作詞による
ペッパー警部」である。

石川さゆり津軽海峡冬景色」
八代亜紀舟歌」「雨の慕情」
和田アキ子あの鐘を鳴らすのはあなた
尾崎紀世彦また逢う日まで
森昌子「先生」
森山加代子「白い蝶のサンバ」
都はるみ「北の宿から」
沢田研二「時の過行くままに」

など、1970年代から80年代のヒット曲の多くは
阿久悠作詞である。
阿久さんは言う。
自分がいなくなったら、歌謡曲は終わる、と。
そして、その作詞家としての自負の言葉のとおりとなった。

この作詞界の巨人が
リオ五輪のあった2016年の夏、いたとしたら
どんな詩で、日本人の心にしみる楽曲を
提供してくれたであろうか。

ゆく夏を惜しみつつ、日本国民が
今の時代で
ひとしく口ずさむことができる唄が、ないということを
あらためて感じた。

参考文献
『作詞入門−阿久式ヒット・ソングの技法』岩波現代文庫 2009年
『「企み」の仕事術』阿久悠KKロングセラーズ 2006年
『日記力−「日記」を書く生活のすすめ』講談社+α新書 2003年