藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-03-10 藤子不二雄A先生と飲んだ!! このエントリーを含むブックマーク

 3月10日は、藤子不二雄A先生のお誕生日。A先生は今年で72歳、年男である。

 その前日の3月9日、藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」による藤子不二雄A先生お誕生日祝福企画が藤子スタジオで催された。私も参加し、藤子A先生のお誕生日を直接お祝いさせていただいた。参加者多数の場合は抽選になるということだったが、選に漏れずホッとした。

 毎年恒例の同企画、今年は、メーリングリストで告知して会員から藤子A先生へのプレゼントを募集し、それを特製の宝箱に詰めて先生に贈るという趣向だった。名づけて「新宝島2006」。私は、昨年12月16日の日記でとりあげた「週刊平凡」1966年6月23日号「オバQも舌をまいた恋愛隠密作戦」という記事をコピーし、それに色鉛筆で着色して額に入れたものを用意した。



 9日朝6時、夜行バスで新宿駅に着いた私は、しばらく1人で行動する予定だったので、地下鉄大江戸線を利用して落合南長崎駅へ移動した。トキワ荘跡地の最寄駅である。

「週刊漫画サンデー」1月10日+17日新年特大合併号に掲載された『踊ルせぇるすまん』「あのトキワ荘に灯がともった」に、トキワ荘マニアの尾掛マネオ(19歳)がトキワ荘跡地を訪れ写真撮影をするシーンがあったのが記憶に新しいので、私も尾掛くんに倣って同地へ足を運び、マニアらしく写真撮影してみたのだった。トキワ荘跡地といっても、トキワ荘の面影はまったく感じられない。道を挟んだ向かい側にある、今は使われていないNTTの建物が、トキワ荘との位置関係の名残を伝えてくれるが、その建物も藤子先生がトキワ荘に住んでいた当時のものとはまるで違う。朝早くということで、中華食堂「松葉」は閉まっていた。


 その後、地下鉄で西新宿五丁目駅へ移動し、藤子スタジオ、藤子プロのすぐ近くに広がる新宿中央公園を散策。この公園は、多くの藤子マンガに登場する。公園内の噴水の風景が描かれることが多かったが、今はその噴水は見あたらない。ひととおり散策を終えると、藤子プロの入ったマンションの1階にある喫茶店でコーヒータイム。1時間ばかりすごして新宿駅へ戻り、藤子ファン仲間のNさん、Hさんと紀伊国屋書店新宿本店で落ち合った。そうして午後4時前、藤子不二雄A先生お誕生日企画参加者の集合場所・マクドナルド西新宿店にたどりついた。参加者の人数は、ネオ・ユートピアのスタッフ3人と、会員9人の計12人。



 藤子A先生がいらっしゃる藤子スタジオへ向かう。 藤子スタジオには昨年のお誕生日企画で入ったことがあるが、またこうして藤子A先生の仕事場に入れると思うだけで自然とドキドキしてくる。幸せな緊張感だ。藤子スタジオの応接室に通されると、テーブルのうえには、4月発売予定の『ミス・ドラキュラ』単行本見本カバーや、昨年のお誕生日企画でプレゼントされた「Neo少太陽」などが置いてあった。

 参加者全員が位置についたところで藤子A先生がご登場。もとよりドキドキしていた感情が、さらに拡大して感動へと膨らんだ。皆で「ハッピーバースデー安孫子先生〜♪」と歌ったあと、スタッフが宝箱を先生の前に差し出す。先生が箱の蓋を開けると、中には皆が持ち寄ったプレゼントの山。先生は感嘆の声をあげた。



 藤子A先生は、箱のなかのプレゼント品をひとつひとつ順番に手にとって、それが誰の贈り物か尋ねながら感想を述べたり贈り手に質問したりしていった。多くのプレゼント品は、藤子Aキャラを用いた手作りグッズで、フィギュア、色紙、マンガ、イラストレーション、実用品… どれもアイデアを凝らし心のこもったものばかり。既成品のプレゼントについては、その品物選びのセンスが光っていた。

 私は、藤子A先生が見終えたプレゼント品を先生から受け取り、テーブルの上に置いていく作業をした。おそるおそる作業を続けながら、先生が私のプレゼント品をいつ手にとってくださるか緊張しつつ見守った。結果的に私の順番が最後になった。

 藤子A先生は、ご自分の結婚式を報じる週刊誌の記事を見て「よく、こんなの見つけたねえ。ぼくも持ってないよ」とコメントされてから、結婚式の前日までアフリカ旅行へ出かけていたこと、手塚治虫先生に仲人をしてもらったこと、アフリカ旅行にまつわるエピソード、旅行のスポンサーだった不二家の担当者の仕事ぶりなどを楽しげに語ってくださった。そして、「うちに帰ったら、奥さんにもこの記事を見せるよ」とおっしゃってくださった。感激である。



 藤子A先生がプレゼント品をすべて見終えると、藤子スタジオのスタッフのかたの指示で、応接室から仕事場のほうへ移動。皆で並んで、スタッフに写真を撮っていただいた。

 私は仕事場に入るのは初めてだった。机の上には雑然といろいろなものが積まれているし、棚のなかには藤子Aマンガのほか、さまざまな資料が並んでいる。「もっと!ドラえもん」や、『リボンの騎士』の単行本、赤塚不二夫会館のカレンダーなども置いてある。あれこれ興味をひくものだらけで目移りがした。この仕事場で数々の藤子A作品が生み出されてきたと思うと、非常に感慨深い気持ちになる。



 誕生日企画はこれで終わりだったが、藤子A先生と藤子スタジオのかたのはからいで、参加者にとてつもないサプライズが待ち受けていた。藤子スタジオから新宿駅方面のビアホールへ移動し、そこで藤子A先生を囲んでの飲み会となったのである。藤子スタジオのスタッフお2人も参加された。

 予定にない展開だっただけに、異様に興奮した。そうやって興奮しながらも、ちゃっかり藤子A先生の近くに座り、先生と会話しやすい態勢を確保した。

 私も含めた藤子ファン仲間3〜4人がインタビュアーのようになって先生にあれこれ質問し、先生も興に乗ってたっぷりと話を披露してくださったため、飲み会の場を借りた藤子不二雄A先生インタビュー(あるいは、藤子A先生トークショー)は4時間近くにも及んだ。1日でこれだけ豊富に藤子A先生のお話を聞けたのは、これまでのどんなイベントでもなかったことだ。藤子A先生もわれわれもアルコールが入ってほろ酔い加減。先生は楽しいトークを次々と繰り出され、先生の気さくさに乗じてわれわれの質問も不躾な領域に至ったかもしれない。ここでは、すでに公になっている話題とそれに付随する事柄から、とくに記憶に残ったものを抜き出してレポートしたい。(藤子A先生のお話を録音したわけではないし、私もビールを何杯か飲んで記憶が怪しいため、実際の発言に忠実ではありません。意味を変えない範囲で要約した箇所が多数です)



●『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』の登場人物について

・まず何といっても場が盛り上がったのは、藤子A先生の自伝的作品『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』に登場するキャラクターの話題だ。武藤四郎、霧野涼子、竹葉美子、小鷹洋子、リリーといったキャラクターのモデルとなったかたがたとのエピソードを藤子A先生ご自身の口からじかに聞けるというのは、まさに夢のような体験だった。


満賀道雄や霧野涼子の同級生で、満賀に意地悪を働く武藤四郎のモデルとなったUさんは、実はとってもいい人で、今でも藤子A先生とは親友とのこと。『まんが道』における武藤の性格・行動に関しては、ほかの同級生のイメージも混ぜて描写しているが、顔は完全にUさんをモデルにしているそうだ。また、『笑ゥせぇるすまん』喪黒福造の「ドーン!」は、Uさんが麻雀の最中に行なったポーズがモデルになっているという。


・満賀の高岡新聞社時代の後輩・竹葉美子のモデルはTさん。実際に藤子A先生とTさんが勤務していたのは富山新聞社だ。藤子A先生は富山新聞での仕事が楽しくて仕方なく、将来はTさんと結婚して富山新聞の重役に出世するつもりでいたが、藤子・F先生(藤本先生)から「東京へ上京しよう」と誘われ、迷い考えたあげく富山新聞社を辞めることに。富山新聞社最後の日、藤子A先生が所属した学芸部の送別会が終わり、学芸部長の配慮で駅まで藤子A先生とTさんが2人きりで歩くことになる。雪の舞うクリスマスの夜、藤子A先生もTさんも言葉を切り出せず、沈黙したまま歩き続ける。ついに駅に着きお別れとなったとき、ようやく「さようなら」と声にすることができた…… 『まんが道』などで知っているこのエピソードも、目の前に座る藤子A先生が思い入れたっぷりに語ってくださると、初めて耳にするような新鮮な物語に感じられる。

 その後、Tさんとは一度も会うことはなかったが、ずっと後年になって、ある出版社で働くTさんの娘さんと会うことができたそうだ。


・『愛…しりそめし頃に…』で満賀と親しい仲になる小鷹洋子のモデルはKさん。『愛しり』で小鷹洋子は満賀に手紙を書いて別れを伝えるが、実際のKさんは、ヘルマン・ヘッセ詩集の別れの詩に栞を挟むことで先生に別れを告げたそうだ。

 その後、Kさんと再会することはなかったが、藤子不二雄漫画家生活30周年記念パーティーにKさんを招待したさい、Kさんの娘さんが出席してくれたという。



●漫画家仲間や手塚治虫先生について

藤子・F・不二雄をはじめ、寺田ヒロオ、赤塚不二夫、石ノ森章太郎つのだじろう森安なおや鈴木伸一、永田竹丸といったトキワ荘時代の仲間との関係や、そんな仲間たちへの思いなどもいろいろ語ってくださった。なかでも印象的だったのは、藤子・F先生について「藤本くんは天才だった」と何度も繰り返したことや、「テラさんは、ぼくにとってお酒の先生だった。池袋の飲み屋でさんざん酔っ払って、椎名町のトキワ荘まで歩いて帰ると、酔いが覚めていた」、「赤塚は、心がやさしく、人に好かれる人間だ。ぼくは彼を弟分のように感じている」、「森安なおやは、すごくいい絵を描いて才能があった。彼の作品が復刻されたさい、単行本に文章を寄せたことがある」などと語られた部分だ。

 トキワ荘時代、夜の酒場で飲んだり女性と付き合ったりして遊んだ藤子A先生は、その遊びに藤子・F先生を誘ったこともあったという。しかし、「藤本くんは絶対に来なかった」


・藤子A先生の神様である手塚治虫先生の話題も盛りだくさんだった。

 藤子A先生は『まんが道』で手塚先生を面倒見のよい人格者として描いていて、この日も手塚先生への尊敬を語られたが、それとは違った側面、たとえば、手塚番編集者の修羅場、手塚先生の同業者への嫉妬心などについても言及してくださった。手塚先生の嫉妬心の洗礼については藤子両先生も受けていて、トキワ荘時代、石ノ森氏や赤塚氏たちが手塚先生との食事会に招待されたさい、藤子A先生とF先生だけが仲間外れになったことがあるそうだ。しかし、手塚先生に嫉妬されるということは、手塚先生に認められたということだから、プロの漫画家としては望ましい経験だったという。晩年の手塚先生が、言葉にはしなかったものの最も強烈に嫉妬心を抱いていたのは宮崎駿アニメだった、という話も心に残った。


・トキワ荘グループ、手塚治虫以外の漫画家の話も出た。

 今では大の仲良しのさいとう・たかをと初めて会ったのは、「ビッグコミック」小西編集長の仲介によってだったという。『まんが道』に登場する激河大介については、「その当時にさいとう・たかをと会っていたわけではないが、さいとう・たかををイメージしたキャラクターではある」

 つげ義春に関して、「トキワ荘の赤塚を訪ねてきたり、新漫画党のイベントに参加したこともあるが、ぼくは実際に話をしたことがない。でも、『李さん一家』や『ねじ式』や紀行文などは読んでいて、自分が描くものと傾向は異なるが、よい作品だと評価している。とくに『李さん一家』のラストシーンは印象的だった」 黒鉄ヒロシ内田春菊との交遊についても語ってくださった。



●自作について

・自作のアニメ作品で最も気に入っているのは『忍者ハットリくん』。「『忍者ハットリくん』には多くのキャラクターが登場するので、アフレコスタジオが声優さんでごった返した」

「『笑ゥせぇるすまん』も気に入っている。原作にないアニメオリジナルのエピソードでも、ぼくがアイデアをしゃべって台本を書き起こしてもらい、最後の話までそのやり方を貫いた」


・藤子A先生が作品を生み出すさい参考にされた先行作品に関する話は、藤子Aファンにとって非常に興味深かった。『フータくん』は詐欺師がお金を集め各章の最後に収支の表示される小説が、『プロゴルファー猿』はご自分のゴルフ体験に加えスティーブ・マックイーン主演のドラマが発想の源になっているという。


・「ヒトラーの研究を長年続けていたので、その成果として『ひっとらぁ伯父サン』『ひっとらぁ伯父サンの情熱的な日々』を執筆した。ひっとらぁ伯父サンシリーズは、読切短編2作で終わったが、本当は長編の構想があった」 その言を受けたわれわれが「ヒトラーを題材にした長編マンガ、今からでも描いてほしいです」とお願いすると、藤子A先生は「今からは無理だよお(笑)」


・「『狂人軍』のタイトルを『驚人軍』に改題するなどして単行本化する方法があるとしても、それはしたくない。この作品は、『狂人軍』というタイトルだからいいんだ」と自作に強いこだわりを示される場面もあった。

「『魔太郎がくる!!』アニメ化の企画は、今までいろいろな会社から何度も持ち込まれたが、すべてきっぱり断っている」日曜夕方『ちびまる子ちゃん』の枠で放送したいという話もあったという。それを聞いたわれわれは、「あんなファミリーな時間帯に、魔太郎はないでしょう(笑)」。


・2月19日放送の「ドラえもん誕生物語〜藤子・F・不二雄からの手紙〜」で、「サラリーマンゴンスケ」のエピソードが紹介されたが、私はこの話題を藤子A先生にふってみた。A先生は、少年サンデーの連載を自ら断ったF先生の態度について、「実に藤本くんらしい」と述べた。それから、「安孫子先生の作品に『ゴンスケ』というのがありますが、これは「サラリーマンゴンスケ」の一件と何か関連があるんですか?」と尋ねたら、A先生は「その作品は、描いたことすら覚えていないが、ゴンスケは完全に藤本くんのキャラクターだ」と返答。A作品にもF作品にも登場する小池さんについては、「小池さんはぼくが考えて、藤本くんも使うようになったキャラクターだ」とおっしゃった。

(「サラリーマンゴンスケ」に関しては、 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20060219 をご参照ください)




 藤子A先生は、そのほか、ゴルフをはじめたきっかけや映画『少年時代』の舞台裏などなど、多くの話を聞かせてくださった。

 藤子A先生を祝福するため藤子スタジオへ出かけた私だが、結局藤子A先生に思い切り喜ばせてもらって帰宅することになった。

タケオタケオ 2006/03/11 10:37 貴重なお話を読ませて頂まして胸が熱くなりました。
その驚くほどの愛着心と研究心には本当に感動します。
なんだか素直に涙が出てきます。心が揺さぶられます。

今度僕も是非その席に参加したいです。
自分が死ぬ前に一度先生にお会いしたいかぎりです。

星野スミレ星野スミレ 2006/03/11 14:59 ものすごい貴重な経験をされましたね!!なんだか私も緊張してきましたよ(笑)。koikesanとネット上ですが少しでもお知り合いになれたことをとても誇りに思います!!!

ねずねずおねずねずお 2006/03/11 21:34 先生が直接話される事で、初めて聞くようなエピソードも沢山あったようですね!
勉強になります!

koikesankoikesan 2006/03/12 02:22 >タケオさん
こういう貴重な体験ができたのも、企画を主催したファンサークルのかたや、藤子スタジオの皆様、そして藤子不二雄A先生のご厚意があったからで、たいへん感謝しております。
この世に、心の底から尊敬でき、偏執的なまでに愛着を抱き、とことんのめりこめる対象があるという意味では、私は幸せだと感じています。

>星野スミレさん
子どもの頃から神様のように敬愛してきた人物と、実際にお会いし言葉を交わせるなんて、私にとっては奇跡の神秘体験のようなものです。一生、藤子マンガから離れられそうにありません。

>ねずねずおさん
近年の藤子A先生のインタビューやエッセイなどでは、新しいエピソードが先生の口から出ることが著しく少なくなっているので、われわれは今回、なるべく新しいお話を引き出せるよう意図して先生に質問を向けたんです。

ひろべえひろべえ 2006/03/12 05:14 まんが道の裏話、大変興味深く読ませていただきました。
僕も霧野涼子や竹葉さんのエピソードは実際のお話はどんな感じ
だったんだろう?っていつも考えながら読んでましたから^^

夜の酒場や女性との交わりにF先生が一切来なかったという話も
F先生らしいですね。でも、F先生の晩年のSF短編集には、時折
若さは素晴らしい、一つに熱中していて地位は得たけど、どこか
心がポッカリ空いてるような・・。というセリフが語られている
キャラが多かったですが、あれはF先生ご自身の心の声だったのかもしれませんね。

歩いてる道は違うし、作風も全然違うお二人ですが、どちらも
素晴らしい漫画家である事はたしかです。

実際、そういう若い時に戻れて、ふんだんに自由を謳歌できる事が
ほんとに出来たとしても、おそらくF先生は結局マンガに戻られたのではないかと思います。

手塚先生の嫉妬深さは僕のデザイナー友達の間では、当たり前の
ように語られていて、僕自身、何度も宮崎アニメが最大の敵だったと言う話は耳にした事がありますが、実際にA先生自ら、
語ってもらったら、その話の持つリアルさはすさまじかったと
思います。
僕も高橋名人にお会いした時に、20年前の全国ファミコンキャラバンの裏話や、高橋名人の冒険島の地獄のデバック作業のお話などは大変興味深く聞かせていただいてましたので^^

ほんとにいい体験をなされましたね^^
僕もA先生に一度お会いしてみたいです。

名和広名和広 2006/03/12 05:49 この間は、まさに人生最良の日でした。安孫子先生をあれほど身近に感じることが出来るなんて…。矢沢じゃないけど、時間よとまれって気持ちでした(笑)。 安孫子先生の口から語られる仕事、友人、恋愛、そして生き様に至るまでの様々なエピソードは、いずれもスリリングで、一つのことで頂点を極め、時代を築かれて来た方のその発言には、凄味と言い知れぬ感動を感じさせられました。あれから二日過ぎても、未だに興奮醒めやらぬ状態です。我々ファンのために、こんな素晴らしい計らいをご用意して下さる安孫子先生の優しさにも、大感激です。安孫子先生、スタッフの皆さん、素晴らしい思い出をありがとうございます。

追伸、『田園交響楽』の扉で使用された僻村の場所が、何処かわかったのも、私にとって最大のサプライズでもありました(笑)。

koikesankoikesan 2006/03/12 06:03 >ひろべえさん
F先生のSF短編などで、若さを取り戻したい、青春をもっと謳歌したかった、俺の人生はこれでよかったのか、などと過去への深い悔いとも取れる心理が描かれることがありますね。A先生に誘われても酒場や女性との遊びに絶対付き合わなかったF先生ですが、外向的な遊びに一生懸命なA先生の生活に、わずかながらでも憧れをお持ちだったのかもしれません。でも、ひろべえさんのおっしゃるとおり、F先生はたとえ人生をリプレイできても、酒も女もやらず、ひたすらマンガに打ち込む青春を送ったと思います。
手塚先生が宮崎アニメを最大の敵ととらえていたというのは、業界のなかでよく語られている話なんですね。藤子A先生は、手塚先生と一緒に宮崎アニメの試写会を観る機会があって、試写会後の手塚先生の複雑な表情から、宮崎アニメへの強烈な嫉妬心を感じ取ったのだそうです。

>名和広さん
この日は、藤子スタジオでプレゼントを見ていただいている最中にも、藤子A先生の口からいくつかの貴重な事実が語られました。名和さんが藤子マンガで最も好きだという『田園交響楽』のトビラの風景が、山梨の深泉院というお寺の近辺をモデルにしているというのは、名和さんにとって最高の情報でしたね。Uさんが作成されたプレゼントをきっかけに、昭和40年代藤子A先生が自作のトビラなどで用いたささくれた主線が、ベン・シャーンの絵から影響を受けていることも確定的になりました。このへんの話は、これまでのどんなインタビューやエッセイでも語られなかったことじゃないかと思います。マニアがインタビュアーになると、そこから引き出される回答もマニアックになりますね(笑)

うっち〜うっち〜 2006/03/12 10:58 遅ればせながら当日はどうもありがとうございます。
koikesanは既に先生から熱心なファンと記憶に残ってらっしゃるように
感じました。いつかこのブログを本にまとめてプレゼントなんてのも
いいように思いますがいかがでしょう?

できればタイムマシンに乗って当時の先生とお話出来れば
うれしいですが、若き日の恋の話などは時間を経た
いまだからお話できる事もあったのかもしれないですね。
数日たった今、koikesanが改めて先生に聞いてみたいことなど
あれば興味深いです。またお会い出来るのを楽しみにしてま〜す。

愛誠愛誠 2006/03/12 17:02 はじめまして
非常に臨場感が伝わる文章で面白かったです
細かい部分にも気を使って書いていただいているせいか
自分もまるで誕生会に参加しているように
頭の中でイメージして読むことができました。
愛知り染めの裏話などは貴重ですね
話は変わりますがミスドラキュラが復刊にはとても感謝してます
復刊の話をA先生は『狂人軍』しかされていなかったのでしょうか?
ちなみに私が一番復刊して欲しいのは愛たずねびとです
A先生ファンなのですが愛ぬすびとはもってるので
なんとなくプレミア本には手が出ません(そう思う自分はまだまだファンとして甘いのかもしれませんが)
またブログ読みにきます

koikesankoikesan 2006/03/12 18:06 >うっち〜さん
こちらこそ、ありがとうございました!
本にしてプレゼントという案、いいですね〜。アイデアをいただくかもしれません。
前もってA先生とお話ができると分かっていれば、各藤子A作品にまつわる資料を用意し、それを先生にお見せしながら、アイデアの秘密や創作舞台裏話をもっと具体的にうかがいたかったですね。お酒の席では難しいかもしれませんが(笑) あと、藤子アニメブームの時代、一時は離れていた児童マンガを再び大量に描くことになったときの心境や、この時期F先生がご病気で仕事を休みA先生が1人で「藤子不二雄」役を担っていた状況なども聞いてみたかったです。それから、これまでに強くライバル視した漫画家や、これは凄いと感じたマンガ作品、公ではまだ言及されていない愛読書についても。
うっち〜さんとまたお会いできるのを楽しみしています。

>愛誠さん
はじめまして!
私の文章で現場の臨場感が伝わったのであれば、たいへん嬉しく思います。
『愛たずねびと』復刊の話は出ませんでしたが、藤子A作品の場合、「復刊ドットコム」の投票で100票を集めれば、復刊される可能性が極めて高くなります。現在53票ですが、頑張って100票に到達してほしいですね。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=9175
余談ですが、この日藤子A先生は、『愛ぬすびと』『愛たずねびと』に続いて『愛かりうど』という作品を構想していたことも話されていました。結局描かれることのなかった『愛かりうど』……読んでみたかったですね。あと、『ミス・ドラキュラ』全7巻のうち、5巻以降あたりは原稿が紛失しているので、いまトレス作業をしているとのことです。

マカマカ 2006/03/12 22:12 すごいっ!!レポートありがとうございます。
カンゲキです。流石です。

いいなあー。私がこんな場所にいったら鼻血物ですよ。

koikesankoikesan 2006/03/14 01:05 >マカさん
ほんと、頭に血が上って鼻血が出そうな状況ですよね。私も、藤子A先生と初めてお会いしたときは緊張でがちがちでしたが、今は先生の気さくなお人柄のおかげで極度に緊張することはなくなってます。

まさろまさろ 2006/03/14 13:20 こんにちは。
日記のタイトルみてビビりました!うらやましすぎるというか、読んでるだけでも鼻血が出そうですよ。
手塚先生が石ノ森先生に嫉妬してたというのはよく聞くんですが、藤子先生のエピソードは初めて聞きました。食事会に藤子不二雄の両先生が招かれなかったってのは、それだけ認められてたって事ですよね。そう思うと無茶苦茶嬉しいです。
あと、小池さんはA先生が考えたというのも初めて聞きました。僕は基本的にF先生の漫画が好きなのですが、お二人の接点が垣間見えるエピソードはやっぱり嬉しいですね。作品に関する物だと尚更です。お二人を切り離して考えたくないという気持ち、すごく分る気がしました。

koikesankoikesan 2006/03/14 19:28 >まさろさん
藤子A先生もこの日、「手塚先生に嫉妬されたということは、手塚先生に認められたということだから」とおっしゃっていました。あの有名な、『ジュン』にまつわる石ノ森先生と手塚先生のエピソードにも言及されていました。
A先生とF先生は、「藤子不二雄」と名乗っていた時期でも、ほとんどの作品を別々に描いていましたが、そうやって別々に描かれた2人の作品をつなぐ架け橋として狆池さん瓩箸いΕャラクターが存在しているんだなあ、と思うと感慨深いです。

ニャンディー.猫野ニャンディー.猫野 2006/03/17 02:17 すごいですね〜!!ほんとに貴重な体験ですね。

koikesankoikesan 2006/03/17 18:41 >ニャンディー.猫野 さん
本当に貴重な体験をさせていただきました。1週間以上たった今でも興奮が続いてます。

修魑修魑 2007/03/31 10:12 この記事、ホントにうらやましい限りです。とっても興味深い話ばかりですね!それと同時に、豊富な知識の引き出しからA先生に色々と質問を繰り出す事が出来るkoikesanがスゴイと思いました。私はまだまだ作品の知識がとぼしいので、実際にその場にいたとしたら「へぇ!…そうだったんだ」とひたすらおどろき舞い上がるしか出来ないだろうなぁ…

koikesankoikesan 2007/04/01 00:52 >修魑さん
まさに夢のような奇跡のような天国に昇天したような体験でした。一生の思い出といっても過言ではありません。どうしても、あとになって「こんなことも聞きたかった、あんなことも知りたかった」という後悔は残りますが、それはあまりに贅沢な後悔ですね(笑)