都内『まんが道』ゆかりのスポット(4)「漫画少年」編集部跡地

まんが道』を読めば、「漫画少年」という雑誌が新漫画党のメンバーにとっていかに重要で大切なものであったかが熱く深く伝わってきます。
 デビュー前の彼らは、「漫画少年」の読者投稿欄に作品を投稿しては、採用されたり名前が載ったりすることに一喜一憂していました。当時の「漫画少年」投稿者が錚々たる顔ぶれであったことは、よく知られています。
 新漫画党のメンバーにとって「漫画少年」はメインフィールドであり精神の拠り所のような場所だっただけに、その廃刊はあまりにも衝撃的で、大きな失意をもたらすものでした。『まんが道』では、そうした「漫画少年」をめぐるドラマが懇切に綴られています。
 廃刊後も「漫画少年」の魂にこだわり続けたテラさんは、それゆえに、バイオレンスやエログロナンセンスなど刺激を追い求める漫画が増えていく状況に抵抗して漫画家活動の第一線から退き、1981年には「『漫画少年』史」(湘南出版社)を編纂するに至ります。



まんが道』のナレーションによれば、
「雑誌「漫画少年」を出版していた学童社は、飯田橋の近くの、満州会館というビルの中にあった!!」
「この満州会館というビルは、中国風の建物で、とても「漫画少年」の編集部があるとは思えなかった!」
 とのこと。
満州会館」というのは通称(旧称)で、当時の正式名称は「善隣学生会館」だったようです。ここはのちに「日中友好会館」と名前を変え、別の建物になって存在しています。
まんが道』では満州会館の正面玄関に大きな2体の狛犬が座っている描写が何度も見られます。狛犬狛犬のあいだを通って満賀と才野が満州会館に出入りするシーンは、狛犬の迫力ある姿とセットで強く印象に刻まれます。


 満州会館の中国風の建物はもうありませんが、玄関にいた2体の狛犬は今も「日中友好会館」の敷地内で見ることができます。
 
 
 
 満州会館の頃と比べれば位置が移されているようですが、あの狛犬が今も残っていて、まさに目の前にいる!という感動は大きいです。
 


漫画少年」を発行していた学童社は、講談社少年倶楽部」の名編集長だった加藤謙一氏が創設しました。GHQによる公職追放で表立って職を持てなかった加藤氏は、学童社の社長を妻の名義にし、千代田区淡路町にある自宅で家族とともに「漫画少年」を編集・発行していました。その後学童社は文京区弓町を経て、1951年の秋、小石川の満州会館に移りました。「漫画少年」創刊号は1948年(昭和23年)1月号で、最後の号が1955年(昭和30年)10月号ですから、およそ8年間におよぶ学童社の活動期間の半分くらいは満州会館に編集部があったことになります。


 この狛犬満州会館の歴史については、原田高夕己さんのブログ『漫画のヨタ話』に詳しく書かれています。私は原田さんに狛犬が現存することを教えていただきました。ありがとうございます。
 http://blog.livedoor.jp/yota874harahara/archives/1621625.html


 都内『まんが道』ゆかりのスポットは、今回で終わります。
 (1)トキワ荘跡地
  http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20120823
 (2)哲学堂公園
  http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20120824
 (3)並木ハウス
  http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20120825