教わること

息子は今月から高校生になりますが、そういえば彼が小4のときにちょっと面白い習い事に一緒に通っていたことがありました。今日ふとそんな話を息子にしたら「そうそう。覚えている」と言っていたので、「やっぱり」とエントリーします。

通っていたのは、毎月一回、神楽坂にある東京理科大学の大学院校舎。日曜の朝9時から12時まで1回あたり3つの「授業」がありました。パソコンの授業と、英会話とそしてナレッジという授業。パソコンの授業は理科大の学生さんが、プレゼン資料の作り方を教えてくれました。英会話は、ネイティブの方がホントに英語だけで1時間授業をします。そしてナレッジの授業は講堂で日本の農産物はどこから取れるか、とか工場はどんなところに多いかなどをNHKの番組をネットで見ながら教わるという講義でした。
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大人も各講座に同席が許されているので自分も一緒に話を聞いたり、パソコンなどはちょっと手を出したり、英語は「先生かわいいなー」とか思っていました。全体で50-60人で半分に分けられていたのでなんだかこじんまりとしたクラスでした。

授業のすすめかたはあくまでも自主的に。でもいわゆるこども扱いはせずに、大学の授業のように(?)1人前の扱い方をしてくれるところが好感がもてました。そうやって1年間親子で授業に通っていた時には、授業そのものよりも、神楽坂を散歩する時間や、お昼ごはんにうどんを食べたり、食器屋で風鈴を買ったりという、ほのぼのとした時間を過ごして来て、授業そのものは可もなく不可もなくという感じでした。で、その後、ずっとそのことは忘れていました。

で、久しぶりに息子に今日、「あのさー。小4のときに神楽坂に通っていたこと覚えている?」と聞くと「うん。今思うと、あのときの授業が、全部、今、自分の得意分野になっているから、なにがしか関係していると思ってさ。そういえばすげーなーと思い出していたんだ」というのです。

難しいことはわかりませんが、きっと、あるとき振り返ったときに「そうだ、あのときだ」と思い出させることができれば、「教育」の目的は100%達成できているわけで、このプログラムの凄さを6年ぶり?に思い知ることができました。あのときは「うーん、どうなんだろう」と思っていたことも正直あったのですが、日曜ごとに早起きして1時間半の道のりを通った成果は確かにあったわけです。

人になにかを教えたり、なにかを教わるってことは、すぐに成果が出なくとも長い目でみると無駄じゃないってことあるもんだなと思ったりしたひとときでした。

今でも、その「教室」はつづいています。こんなところです