ハリ・セルダンになりたくて

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2009-10-21

[][] パパは何でも知っている〜「物知り博士」と「専門バカ」という二つの研究者像〜

[「専門家なのに知らないの?バカじゃないの?」]
最近、ある場所で本当にあった会話です。

ある人「矢野さんはベイズ統計学がご専門なんですよね?」
矢野「ベイズ統計学のある一分野で、モンテカルロフィルター(粒子フィルター)が専門ですが・・・」
ある人「ベイズ統計学のマルコフ連鎖モンテカルロ法で使われるDeviance Information Criterionっていいんですか?」
矢野「それは専門外なので・・・」
ある人「え?ベイズ統計学者なんでしょ!?」
矢野「・・・・」

それから数分ほど経ってから同じ人との会話

同じ人「次回は矢野さんにマルコフ連鎖モンテカルロ法のご講義をいただければ」
矢野「いや、それは専門外なので、ちょっと・・・」
同じ人「そんなこと言わずに、講義してくださいよ」
矢野「モンテカルロフィルター(粒子フィルター)との比較としてマルコフ連鎖モンテカルロ法を取り上げてある程度の解説をすることは可能ですが・・・」
同じ人「いや、そんなんじゃなくて」
矢野「・・・(苦笑い。以後、会話はよそよそしく流れる)」

[末は博士か大臣か]
今では若い世代の研究者は大抵の場合、博士号を持っています。そのため、博士号を持っていながら常勤の職に就けない若い研究者は非常に多く、俗に「博士余り」などとも言われます。

さて、今日はその話とは少し違って、少し矢野の父の話をさせてください。父は戦前生まれなのですが、その世代には珍しく理学博士(具体的分野としては物理学)を持っています。今でも父とはよくこんな会話をします。

父「昔は、『末は博士か大臣か』とよく言われたもんだけど」(注:昔、利発そうな子供を誉めるときに「お宅のお子さん、将来は偉くなりますよ。末は博士か大臣かですね」という風に言うことがよくあったそうです)
矢野「今でも、大臣の数はすごく少ないから、大臣になるのは価値があるけど、博士の方は腐るほどいるからね」
父「時代は変わったねぇ」

[パパは何でも知っている]
父は僕が子供の頃、よくこんなことを言ったものです。

父「お父さんは何でも知っているよ。知らないこと以外は何でもね」(極めて真面目な顔で)

そんな父に僕はこんな風に言ったことを今でも覚えています。

矢野(幼少時)「『何でも知っている』なんて、お父さんの嘘つき!」

それに対して、父はよくニヤリと笑って言ったものです。

父「嘘は言ってない。嘘を言うのはいけないことだが、冗談を言うのはとてもいいことだ」

少し論理学をかじったことのある人ならば、「知らないこと以外は何でも知っている」というのは常に正しい、と分かると思います。確かに父は嘘は言っていません。

(余談)そんな父の影響か、僕は真面目な顔をしていきなり冗談を言うことがあり、ときどき「矢野さんは、いきなり冗談を言うから、どこまでが本当でどこからがジョークか分からないことがある」と怒られます。

[「何でもできる」奴は何もできない奴だ]
そんな父の影響を受け、大学と大学院(修士)では物理学を専攻した僕ですが、結局、自分には物理学者としての才能はないとあきらめ、一度は企業に就職しました。そして5年間の勤務後、「やっぱりもう一度研究をしたい」と思い、研究者の道に戻ってくることなりました。そんな僕に父はこんなアドバイスをくれました(父がくれたアドバイスは二つあり、どちらも素晴らしいものだと思うのですが、今回はそのうち一つだけを取り上げます)。

父「研究者の中には『俺はあれもできる。これもできる。それもできる』と自慢をする人がいるが、それはダメな研究者だ。なるなら『私の得意分野はこれだけです。でも、その分野なら誰にも負けません』と言えるようになりなさい。

しかし、ねぇ、お父さん。日本社会じゃ、それは通用しないんだよ。特に企業なんかじゃそうさ。「あれもできる。これもできる」「あれも知っている。これも知っている」って言って回らないとすぐに周りから「あいつは使えない」って言われちゃうんだ。

父「研究者の世界は厳しい。一度、世に出れば、世界中の化け物みたいな天才や超秀才と激突しなきゃいけない。連中は手加減なんかしてくれない。凡人が、そんな連中と戦うには『あれもこれも』やってはいけない。本当に研究者として生き残りたいなら、たった一つのことだけやりなさい。そして、そのたった一つのことは世界の誰にも負けないくらいのつもりでやりなさい。そうじゃないと生き残れないよ。研究者の世界で「何でもできる」って奴は何もできない奴だ」

この話を聞いて、僕は今では父の「知らないこと以外は何でも知っている」という言葉は何でもできる、何でも知っているというタイプの人たちに対する一種のアンチテーゼだったのではないかと思っています。

[It's not my specialty]
さて、何年か前にJames Durbin教授ーー1950年にDurbin-Watson検定という有名な統計手法を提唱したことで知られる大統計学者ーーが日本に来たことがありました(ちなみにDurbin先生は今もご存命です)。

当時、Durbin先生は"Time Series Analysis by State Space Models"(日本語訳)という本を出版したばかりで、僕はその本がとてもお気に入りだったので、それを持ってDurbin先生を質問攻めにしました。そして、少し難しいある種の統計量について質問したところDurbin先生は僕にはっきりとこう言いました。

"It's not my specialty (それは私の専門じゃない)"

あまりにもはっきりと大きな声でDurbin先生がこう言ったので、周りの人は皆凍り付いていましたが、僕は非常に大きな感銘を受けました。

おお、統計学史にその名を残した大統計学者Durbinがうちの親父と同じことを言っているぞ!

ちなみに余談ですが、このすぐ後にDurbin先生は自分が「それは私の専門じゃない」と言った僕の質問に極めて正確な答えをくれました。質問に答えてくれたのはうれしいことなのですが、その時の僕は正直に言うと、父の言う「化け物みたいな天才や超秀才」の底力と自分の低い能力との落差から恐怖に近い感情を覚えました*1

[物知り博士の誘惑]
研究者には大別して「物知り博士」型と「専門バカ」型の二種類がいます。物知り博士型は「何でも知って」いて、「あれもこれも」できますというタイプ。それに対して、専門バカは「自分の専門分野以外は何も知りません。専門以外のことはできません」というタイプ。

個人的には物知り博士型も専門バカ型もそれぞれに意義があると思っているので、「どちらのタイプの研究者の方が素晴らしい」とか「どちらのタイプの研究者はダメだ」などという気はありません。僕自身ははっきりと専門バカ型の研究者だと思っていますが、だからといって他の人が物知り博士型であることが悪いことだとは思っていません。

ただし、今までの矢野の経験から言うと、日本社会では物知り博士型の研究者の方が好まれているようで、しばしば矢野のような専門バカは居心地の悪い思いをすることが少なくありません。実際、よく僕のところには「○○を教えてください」とか「××をどう思いますか」と質問しにくる方がおられるのですが、多くの場合は僕から「専門外なので分かりません」と言われてがっかりされるので、いつも大変に申し訳なく思っています。

正直に言うと、僕は研究者として有能からはほど遠いです。中学高校を通じて、僕の成績は下から数えた方がずっと早かったくらいです。そんな頭の悪い僕が研究者として生き残っていくには言わざるを得ないのです。

「それは私の専門じゃない」

[あとがき]
今日は久しぶりにエッセイっぽいものを書いてみました。このエントリー「パパは何でも知っている」は僕がblogを始めた当初から書きたかった内容で、今日はこのエントリーを皆さんにお披露目できるのは非常にうれしいです。このエッセイを少しでも楽しんでいただければ幸いです。ああ、それと僕のところに質問に来る人!僕が「専門じゃないんで」って言ってもそんなにがっかりした顔をしないで!

*1:「一生かかっても、この人の足下にも及ばないや」ってことですね_| ̄|○

通りすがり通りすがり 2009/10/21 08:34 すばらしいお父様ですね〜。

確かに、本当に化け物みたいに頭の良い人はいますし、
そういう人に限って
「それは専門じゃないから分からない」とか
「専門なんだけど分からない(Open questionであるとかその場では答えられないくらい深い問題であるとか)」とか
正直におっしゃいますし、
セミナーでもフロアから基本的な質問をしたりしますよね。
多分真剣に学問をやっていて
自分に自信があるからこそなんじゃないかと思います。

あと、「論文に書いてある結果を知っている」のと「結果を理解している(なぜそうなるかとか例外はあるのかとかを含めて)」のはぜんぜん違うと思います。
物知り博士型の人の全員がそうとは言いませんが、
結果だけを知っていて適当に発言するのは
自戒も込めて避けた方が良いですよね。

kuronekokuroneko 2009/10/21 17:46 素晴らしいエッセイを読ませていただき、ありがとうございました。
お父様とのお話、素敵ですね!

tennteketennteke 2009/10/21 23:48 「知っている」ということと、その知っていることが「正しいか間違っているか」は、別問題なんですけどね…。
たとえば「地震は何故起こるのか?」という問いに対して
「地中で大ナマズが暴れるからだ」と答え、
質問者がその答えに納得して終了したら、質問者はみごとに
「地震が発生するメカニズム」を“知った”わけだ。
それで…終了して、いいという場面もあるし、終わっちゃ拙いだろという場面も、あるわけで。

koiti_yanokoiti_yano 2009/10/21 23:50 通りすがりさん
>すばらしいお父様ですね〜。

ありがとうございます。すばらしいかどうかは分かりませんが。

>多分真剣に学問をやっていて自分に自信があるからこそなんじゃないかと思います。

おっしゃる通り海外の研究者の態度からは学ぶことが多いですね。自分ができるかというとなかなかできませんけどねw

kuronekonさん
楽しんでいただけたようでよかったです。

koiti_yanokoiti_yano 2009/10/21 23:57 tenntekeさん
>「知っている」ということと、その知っていることが「正しいか間違っているか」は、別問題なんですけどね…。
そうですね。おっしゃる通りです。難しい問題ですよね。

矢野の場合、論文はすべて理論的展開と経済データを用いた実証が一体になっています(一つの論文の中に必ず理論的展開と実証が同時に含まれるように書いています)。まあ、それでも複雑な経済をどの程度「実証」できたのかは難しい問題です。

ninnin 2009/10/22 01:43 今は、専門分野が深刻化して益々、専門外のことを話すことが難しくなっていますよね。僕は学部のころは、社会学や哲学が好きでした(おそらく経済学よりずっと知っていたし)。それは、これらの分野の人が、かなり広範囲に議論を展開できるように思ったからです。すごい身近な問題から社会の問題まで議論できると思ったのです。

しかし、学部4年生くらいのころから、「色々な分野で発言する人」は教養があるのではなくて、むしろ、ちょっと分かっただけで発言しちゃう人なんだなぁ、と思いました。それと同時に、すごい優秀な人でも、ミスはするし、物忘れはするし、大きなミスもする。そんな当たり前の事実がわかってきたように思います。それ以降、極端に色々な場面で強い主張をすることが嫌いになっていったように思います。

分からないことに素直である。より、経済学の文脈に即していえば、「仮定」を明示的に示す学問。そんな経済学に大学4年生からシフトして言ったような気がします。

非現実でもよいんですよね。たとえば、「透明人間になれるとしたら」と想像するだけで、よりリアリティのあるシチュエーションを考えることは、文学や映画などのサブカルチャーからも、直感的に僕らは知っているはずなのです。

皮肉にも、民間エコノミストというのは、「分からない」と主張することは万死に値する職業ですね。。その意味で、ほとんど意見を傾ける価値のない人種といえるのですがw、そんなことに悩みながら日々生活しています。

ちっぽけな人間が一つのことをはっきりというためには最低5年くらい考える必要があるのではないか。そう思うようになっております。

koiti_yanokoiti_yano 2009/10/22 06:33 ninさん
矢野は別に「専門バカは良くて、物知り博士型はダメだ」と言いたい訳じゃないんですよ。矢野は企業に5年しか勤めませんでしたが、物知り博士型の必要性を感じましたし、今でもそういうタイプの人を頼りに思っています。適材適所なんじゃないかと思います。

とはいえ、専門家として何かを言えるようになるのに最低5年くらい必要というのはそうだと思います。なかなか難しいですね。

jbjb 2009/10/22 09:42 今、依頼論文を書かねばならないのですが、知ったかぶりして、自分の専門外のことまで調べていました。私はそういう研究者ではないのに、無理していたなと反省しました。

矢野さんが優秀な方だということは皆よくわかっています。いわんや、私などは物知り博士を目指すべきではありませんでした。心を入れ替えて、自信を持って自分の専門に集中したいと思います。

koiti_yanokoiti_yano 2009/10/23 06:42 jbさん
>今、依頼論文を書かねばならないのですが、知ったかぶりして、自分の専門外のことまで調べていました。
「自分の知らないことを知るためにわざとそういう仕事を引き受ける」という強者(大学の先輩)を知っているので、それは別に悪いことではないような気もします・・・

>矢野さんが優秀な方だ
いや、まったくの誤解です。いつも「自分は間違っているんじゃないか」とビクビクしながら勉強しています。でも、できればずっとそうでありたいです。

MIMI 2009/11/08 00:29 私も,研究者にはいろいろなタイプがいてよいと考えています.

矢野さんの父上の言うような,「専門に徹する」という戦略にも一理あると思います.でも,適性もあると思います.

子供を見ていても,器用で何事もそつなくこなし,必ず全体の上位10パーセントに入れる.しかし,上位5パーセントには入れないというタイプの優秀な子供もいれば,たった一つのこと以外は,下位50パーセントである.しかし,その一つについては上位0.1パーセントといった超優秀な子供もいます.

研究の世界はきびしくて,トップジャーナルに載った論文でも多くは,「10年経ったら誰も覚えていない」のが実情ではないでしょうか.

20年,50年,記憶され,教科書に必ず載る,そんな研究が(結果として)できる研究者は,ごく一部です.

以前,学士会報で図書館情報学の研究者が書いていたのですが,世の中の論文の95パーセントは,(自己引用を除けば)誰にも引用されない.そして引用される側のほとんどは,多分1パーセントにも満たない数の珠玉の論文が独占する.(長期統計をとると,傾向はもっと強まるかも)

研究者ができることは,(時空を超えて)他人と共有する価値のある知識を,自分の適性にあった形で,作り出す努力を怠らないことだけでしょう.

ところで,私が一番きらいなタイプの研究者は,「権威に弱い」,「知ったかぶりをする」人ですね.

koiti_yanokoiti_yano 2009/11/09 22:52 MIさん
ご意見をありがとうございます。昔は父の影響で「専門バカこそが研究者」と思っていたのですが、サラリーマン経験を経て、「世の中には多種多様な研究者が必要なのだ」と現在では思うようになりました。

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