ハリ・セルダンになりたくて

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2007-01-14

[] 2007年1月14日の餅つきボランティア

先日書いたとおり阪神大震災の時にボランティアをしていた神戸市東灘区に行ってきました。

「36歳の元ボランティア、地元の人たちのために餅つきボランティアをする(2007年1月14日午後)」の図(なお極度のへっぴり腰になっている本人の名誉を守るために一部を隠して写真をお見せしますw)
f:id:koiti_yano:20070114221137j:image

日ごろの運動不足が祟って、正直に言ってこの時点でヘロヘロでしたw

[補足] 余ったお餅
餅つきのお手伝いをしたので、いただきました。貴重な今日のボランティアの報酬です。

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来年も神戸に行きます。「僕は皆さんのことを忘れていませよ」という小さなメッセージを伝えるために。

後輩の人後輩の人 2007/01/15 19:52 昨日はお疲れさまでした。
実は矢野さんが来られる前にNHKが取材に来てまして、
「遺志を継ぐもちつき大会」というタイトルで記事になってます。
NHKの記事はすぐに流れてしまうので、お早めにご覧ください。
http://www.nhk.or.jp/kobe/lnews/

結局DSは買えませんでした。品切れで。

koiti_yanokoiti_yano 2007/01/16 07:47 情報をありがとうございます。

DSありませんでしたか。Wiiなんかもなかなか手に入らないみたいですね。

それと来年もよろしくw

2007-01-09

[][] 12年の経過

今までの人生において何度も文章にしようとしてその度に失敗したことがいくつかある。そのひとつが阪神大震災の経験である。

1995年当時、僕自身は大学院修士課程に在学していて、箕面市というところに下宿していた。箕面市の被害は(神戸市などに比べると)大きくはなかったので、僕の生活自体は10日ほどで通常に戻ったのだが、僕にとって大きかったのは当時の大学の他の学生たちと神戸市東灘区に学生救援隊の一人として現地に入った経験である*1

その後、毎年1月の日曜日に避難場所になっていた公園に当時の被災していた住民たちとボランティアが集まるようになった。

今年は1月14日がその日である。どんなに忙しくても行きたいと思う。そして一緒に12年間生き残ったことを祝いたいと思う。

[補足] 何度も書こうとしてその度に失敗している僕の阪神大震災での経験であるが、「ハリ・セルダン 第2部」が終わったらまたチャレンジしてみようかと思っている。書けるかどうか自信は・・・ない・・・。

*1:阪神高速が倒壊したすぐ近くである[ただし、僕はボランティアの仕事で忙しくて一度も見ていない。]

kumakuma1967kumakuma1967 2007/01/09 09:01 中皮腫予備軍仲間発見!
アスベストいっぱい吸っちゃったね。お互い気をつけましょう。

新潟より新潟より 2007/01/09 15:36 明けましておめでとう.
頑張って行ってきてください.

koiti_yanokoiti_yano 2007/01/10 07:33 Kumakuma1967さん
>中皮腫予備軍仲間発見!
その仲間はやだなぁw

新潟よりさん
>頑張って行ってきてください.
ありがとうございます。頑張って行ってきます。実は今回、こんな風に宣言したのは、「忙しくて行くのを忘れそう」だからです。宣言しておけば忘れずに行くだろうと・・・

2006-01-15

[] 中野南公園関係

↓の[コメントを書く]ってところをクリックすると名前を入れる欄とコメントを書く欄が出ます。

(「中野南公園って何だよ?」と思った人のための補足)
2006年1月17日の朝5時46分で阪神淡路大震災からちょうど11年になります。震災当時、矢野は大学院の修士1年で、大阪府北部(北摂といいます)の蓑面市(「みのう」と読みます)に住んでいました(大学[院]は豊中市待兼山という所にあります)。

滅茶苦茶になった自分の部屋を片付けたり、研究室を片付けたりし終わってから、矢野が他の学生たちと神戸市東灘区に入ったのは2月2日のことです。場所は東灘区本山という場所にある小学校でした。

当時そこは避難所になっており、多くの方たちが避難していました。そして、矢野は3月末にボランティア本部が閉鎖されるまで、2ヶ月ほどをボランティアの一人としてそこで暮らすことになります。

それ以来その地の住民の方たちとボランティアの間には交流があり、毎年1月の17日の直前の日曜日にみんなで集まっています。集まる場所は小学校が使えないので、小学校の近くの中野南公園というところです。

昨日(15日)に矢野はその中野南公園に行って多くの人たちと1年ぶりの再会を果たしたのですが、その中で「Blog見てます」と言ってくれた人がいたので、このエントリーを作ってみました。

後輩の人後輩の人 2006/01/16 12:41 昨日はどうもお疲れさまでした。ここもたまに読ませてもらっています。
ところで左側に「みんな期待してはいけません」と書いてあるんですが、
これはダチョウ倶楽部における「押すなよ!」みたいなもんですよね?

koiti_yanokoiti_yano 2006/01/16 18:31 後輩の人では誰だかさっぱり見当がつかないけど・・・まあ、いいか。昨日はお疲れ様でした。

>これはダチョウ倶楽部における「押すなよ!」みたいなもんですよね?
いや、そんなことないですよ。期待するなよ!いや、期待するなってば!!だから、期待するなって言ってるじゃないか!!!

tadashitadashi 2006/01/17 01:08 1995年は1月17日に阪神大震災があり、その後の3月20日だったかにオウムの地下鉄サリン事件があったりして、激動の年でした。日本人の人生観が変わった年ではなかったでしょうか。神戸のような大都会が一瞬にして壊滅してしまったのですから。

私は太平洋戦争で米軍の焼夷弾爆撃で町が全部灰になったのを小さい時に見ていましたから、そのようなことがまた起こったと感じたので少しは免疫があったのですが、それでもこの年の事件にはショックを受けたのを覚えています。自然災害は最小限の被害にしながら、人的な事件が起きないようにと祈るばかりです。

koiti_yanokoiti_yano 2006/01/18 22:28 コメントありがとうございます。語り継いでいくべきことは多いですね。

2005-02-08

[][] 救命病棟24時

これを見ると嫌でも10年前の事を思い出す(ドラマに対して文句がないわけでもないけど、まあ無視してもいい程度のもの)。このドラマで描かれているように、災害は誰であっても人を遭遇する前と遭遇した後でまったく違う存在に変えてしまう。

阪神大震災の前の僕はまったく社会に興味のない物理学専攻の大学院生で、僕の興味の中心は物質だった。

阪神大震災の後の僕は10年を経て今では統計学とマクロ経済学を専門にして、僕の興味の中心は人間と社会である。

災害に遭遇した人間は誰でも変わらざるを得ない。変化はどうしようもなく不可逆で、昔に戻りたくても戻ることはできない。戻れないなら、前に進むしかないさ。

2005-01-16

[][] 神戸市東灘区へ

東京駅から新幹線に乗って関西に行き、午前中にはなんとか神戸市東灘区へ。そして、ある小学校と近くの公園に行く。ここは僕Koitiが阪神大震災の時に約3ヶ月ボランティアをした場所だ。僕が寒さに震えながらリュックサックを背負ってあの瓦礫と焼け野原しかない街に入ってから10年が過ぎた。今日は僕が10年間見つめてきたあの街に帰ろう。

[][] 神戸市東灘区のある公園での光景

「お、思ったよりいっぱい集まっとるやんか。Eさん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。え?10年経ったのに未だに一人身で来るなって?久しぶりに会うた(おうた)のにいきなりきついこと言うなぁ。すんませんねぇ、甲斐性なくて。なんや?ボランティア事務局長やったHさんか。うわ。酒臭。なに?11時から酒飲んでる?もうボランティアじゃのうて、ただの酔っ払いやな。近くに来んな。Tさん、まだ町役場でお役人なん?そうか、ええな堅い職業は。え?俺?最近、フラフラしてんねん。まあ、人生いろいろあるけど別にエエやんか。Nちゃんや、もしかして子供生まれたん?あたしに似てエエ男やろって?おい、みんなぁ、ここに親バカがおるでぇぇぇ。NMのおっちゃんや、なんや懐かしいジャンパー着てるなぁ。10年前はずっとこのジャンパーやったもんなぁ。あん時はみんな着の身着のままやったからなぁ。なに?この10年で1回しか洗ってない?こら!おっさん、近寄んなや!それと酔っ払い、酒臭い息を吹きかけんな。ちょいまち、さっき走ってた子ってもしかしてAちゃん?大きなったなぁ。最初に避難所で会った時は赤ちゃんやったのに。こら、酒臭いちゅーねん。ホンマに10年経ったんやなぁ。なに?餅つきやってるから餅つけって?そろそろ元ボランティアはお客様扱いとかいう特別待遇はないんかいな?ない?しゃーないなぁ、杵よこせ。明日は筋肉痛やろうなぁ・・・」

誰にとっても長くて苦しかった10年が終わりを告げようとしている。そして、明日の朝早く、僕が寝ている間に次の長くて苦しい10年が幕を開ける。