kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

二岡智宏にもっと厳罰を!

二岡智宏山本モナの不倫報道については、山本モナという元朝日放送アナウンサーをほとんど見たことがなかったので、さしたる興味がわかずブログでは取り上げなかったが、ブログで読む熱烈な山本モナ擁護と、それと対極をなす激烈な山本モナバッシングの記事の双方に違和感を持っていた。

そんな中、もっともバランスが取れていると思ったのが、『きっこの日記』の「崖の上のモナ」だ。

そもそも、なんで山本モナばかり悪くいわれて二岡智宏にはみんな甘いのか、私も不思議でならなかった。

きっこさんとはその動機は全然違って、私はかつて大のアンチ巨人ファンであり、二岡には煮え湯を飲まされていたせいでそう思ったのかもしれない。最近プロ野球は全然見なくなっていて、まだそんな年でもないはずの二岡が二軍に落ちていたと知って、へえっ、と思ったくらいだ。

しかし、二岡が巨人入りを決めた1998年はそうではなかった。当時、成績の振るわなかった巨人を、日本テレビだけではなくTBSもフジテレビもテレビ朝日も揃って熱烈に応援し、巨人が劣勢に立たされると、アナウンサーが「長嶋さんの悲しむ顔はこれ以上見たくありません」などとほざいていた。それは信じられないほどの偏向放送であり、連日不愉快な思いでナイター中継を見ていた。

1998年というと横浜ベイスターズが優勝した年だ。しかし、当時ベイスターズの株を持っていたはずのフジ産経グループは、なぜか横浜ではなく巨人を応援していた。ニッポン放送のアナウンサーは、横浜−巨人戦のラジオ中継で、当時の横浜のエース・川村丈夫を「にっくき川村」と呼び、横浜ファンを怒らせていた。

しかし、その頃のセ・リーグの優勝チームは、1997年がヤクルト、98年が横浜、99年が中日で、巨人は最後には必ず負けていた。シーズン終盤にやっと1年分の胸のつかえを下ろす年が続いていたが、私は特にヤクルトの野村監督の采配が好きだった。97年に優勝した時の采配は、芸術品のようだった。

二岡と上原浩治は、そんな時期に巨人を逆指名して入団した選手だ。しかし、ドラフト前の下馬評では、上原は自ら「ファン」と公言していた阪神タイガース、二岡は地元広島カープにそれぞれ入団すると見られていた。当時、そろそろ金権球団になり始めていた阪神は、上原と二岡の両獲りを狙っているともいわれていた。

それが蓋を開けてみると二人とも巨人を逆指名。これにはドッチラケだった。前年の1997年には熱心なヤクルトスワローズファンだと言っていた高橋由伸が巨人を逆指名して入団していた。要は、高橋も上原も二岡もみんな巨人の金につられたのだ。

そんなこんなで、私はこの三人の選手が大嫌いなのだが、憎まれっ子世に憚るというか、2000年と2002年の巨人の日本一に、三人は大きく貢献した。

ま、そんな感情論だけではなくって、きっこさんが書くように、妻帯者の二岡が独身の山本モナよりも軽い処分ですまされるのはどう考えてもおかしい。

あと出しジャンケンみたいで申し訳ないが、私はきっこさんの尻馬に乗って、「二岡にもっと厳罰を」と叫びたい。