ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

kojitakenの日記

2009-09-07 「稲田朋美総裁」なんて実現しないとは思うが‥‥

差別と日本人と麻生太郎と城内実

辛淑玉野中広務の対談本を読んで連想したこと。但し、以下の記事は本の内容とは全然関係がない。


差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)


本の中に何箇所か、麻生太郎首相への批判が出てくる。野中広務に対する麻生太郎差別発言は、あまりにも悪名高い。

だが、この本を読みながら、私はこの本には全く出てこない城内実とその支持者、そして彼らの周囲にいる人たちのことを思い出していた。

いわゆる左派系の「政治ブログ」の読者であれば、城内実を熱心に応援している「リベラル・平和系」ブログのことをご存知だろう。私は、そういうブログの著者が、心から城内実を信じて応援している、その真剣さだけは疑っていない。

しかし、城内実国籍法改正に絡んでブログに書いた文章は、差別意識むき出しの、実にひどいものだった。

http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/

これに対する反応は、下記の「はてなブックマーク」が典型である。もちろん城内実を批判する意見が圧倒的だ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/

そして、城内実が受けた批判に対して、支援者のブログは正面から反論し、城内を擁護する論陣を張ることがついにできなかった。巨大掲示板には、上記城内の国籍法改正に関する差別記事がよくコピペされるが、それに対して城内擁護者は、「左翼が馬鹿の一つ覚えのように張る国籍法に関するコピペ」だと決めつけて、議論を封じるのが常だった。

城内実眞鍋かをりさんの写真をポスターに無断使用したとされる件が騒ぎになった時も、支援者と近い関係にあるブログは、「一所懸命に人生をかけて応援している方々たちの人生までもが変わる」と書いた。それを見て私は思った。ああ、この文章を書いた人は、支援者と自分と、親しい関係にある何人かのブロガーの仲間うちの世界しか見えていないんだなあ、と。

もうだいぶ前から、総選挙になったら城内実は間違いなく当選すると見られていた。浜松の地元有力者(元警察庁長官日本会議代表委員の城内康光)の倅である城内は、2003年の総選挙では、保守新党熊谷弘に対する実質的な自民党の刺客として無所属で立候補し、熊谷を追い落として当選した。そして、当選直後には無党派面してインタビューに答えていたが、すぐに自民党に入党して森派入りし、安倍晋三の懐刀となった。これが「信念を貫く男」の国会議員としての出発点である。

別にそんな男が信念を貫くはずもなかろうと私などは思うのだが、そんな政治家9条護憲を信条とする人が熱心に支持するのは勝手だ。そして、そういう人間を友人として持った場合、友人の利益になろうとするのも人情だろう。

しかし、その友人が熱心に支持する政治家が、右翼はともかくレイシストであるとなると話は違ってくる。確かに、城内が落選すると後援活動をしてきた人たちの人生が変わってしまうかもしれないが、城内のレイシズムによって排除される人たちは、城内の当選によって日本社会における生活が、つまり人生が暗転してしまうかもしれないのだ。このことが、城内支援者の友人であるブロガーの頭には入っていない。城内支援者と自分を含むコミュニティを守ることが、城内に排除される人々にとって脅威になることを彼らは理解すべきなのである。

考えてみれば、「城内実」という名前は実に象徴的だ。城の内側にいる人たちには実りをもたらすが、それ以外の人たちは城から排除され、差別されるのである。

もう一つ最近気づいたのは、日本国外に住む日本人たちは、城内実を厳しく批判することが多く、日本でも沖縄在住者は城内実に厳しいことだ。おそらくアイヌ在日韓国朝鮮人の人たちも同様だと思う。これは、差別的な扱いを受けることを身をもって知る人ほど、城内のレイシズムに敏感であって、そうでない人たちは鈍感だということだろう。

私自身、どこまで身をもって差別を感じられるかといわれると答えに窮するので、差別問題は書きにくいのだが、だからといって書かないわけにはいかない。お仲間の人気ブロガーに慮って、城内実への批判を行わないか、批判の手を緩めることは、コミュニティの外にある者を排除する行為にほかならない。

それが証拠にというべきか、元は左派系だった某有名ブログが、最近レイシズムブログに変貌しているのだが、同調者たちは全然これを批判しないし、彼らのグループは城内実支持者を含むコミュニティ親和性を見せ始めている。昨年、とある騒動で叩かれた人たちが一大コミュニティを形成している観さえある。

わざわざリンクを張るのもいやなので紹介しないが、そういうブログを訪問してみると、レイシズム的言辞がむき出しになっていて、耐え難い腐臭を発している。しかし、コミュニティの内側にいる人間にとっては、それこそが庶民の感覚であり、小難しい表現を用いて政治を語ろうとする者は、思い上がった「上から目線」の人間ということらしい。

とんでもない倒錯だが、これがネット上で政治を云々している人間の実態である。ここ数年ブログに没頭していた私が書くのもなんだが、ネットばかりやっていたのでは人間はダメになる。

鳩山由紀夫に「君子豹変」を推奨した各紙社説を批判する毎日新聞社説に関するメモ

Gazing at the Celestial Blue 2009年衆議院選挙当選の民主党議員、注目株 を読んでいて思い出したのが毎日新聞の4日付社説

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090904k0000m070129000c.html

社説の主張自体はどうってことない、ごくまともなものだが、ここで同紙が引用元を明記せずに(笑)槍玉に挙げている各紙社説を探してみた。

「基本政策は継続性が重要だ」と書いたのは、9月1日付の読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090831-OYT1T01459.htm

鳩山政権は対米政策で『君子豹変(ひょうへん)』せよ」と書いたのは、9月2日付の日本経済新聞

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090901AS1K0100101092009.html

「賢く豹変する勇気も」と書いた朝日新聞(8月31日付、既にリンク切れ)は、残念ながらスルーしていた。ま、こちらは社説全体の見出しではなく、段落の小見出しだったのだが、一番最初、選挙の翌日に朝日が「豹変」という言葉を使っていたことが、2日後の日経新聞社説に影響を与えたのではないかと私は思っている。