kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

『もしドラ』の作者「ハックル先生」(岩崎夏海)の武勇伝を今頃知る(笑)

遅ればせながら『もしドラ』を読んだ(笑) - kojitakenの日記 の続き。まずnesskoさんからいただいたコメントを紹介する*1

nessko 2013/03/01 11:04
>ヒロインのモデルはAKB48峯岸みなみ

自分もはてなで話題になってたんで読んで感想書きましたが、モデルが峯岸みなみだったとは知りませんでした。映画化されたときは前田敦子がみなみを演じたそうです。
小説というよりはマンガの原作といったほうがいいような出来で、実際マンガやアニメになって人気があったようですね(映画もマンガ・アニメも見ていませんが)
出版のきっかけになったのが岩崎夏海はてなダイアリーに書き込んだアイデアだったんですよ。それをダイヤモンド社の編集者が気に入って本にしたということです。
コメディ仕立てにできるおはなしなんですが、岩崎夏海はてなダイアリー読んだ印象では、岩崎は笑いよりは泣けるのが好みのようですね。
すると、峯岸みなみの、涙の記者会見もOKなのかもしれないですね……


nesskoさんの記事を参照してみた。要領よくまとめられているので、全文を引用して紹介する。


岩崎夏海「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」ダイヤモンド社 - 一人でお茶を(2011年11月5日)

高校二年生の夏、川島みなみは突然野球部のマネージャーとなる。彼女には目標があった。野球部を甲子園に連れていく。そのために何をすればいいのだろう? マネージャーはマネジメントをする人。みなみはマネジメントについてくわしく知るために書店で本を探す。書店員が薦めてくれたのはドラッカー『マネジメント』エッセンシャル版。世界で一番読まれたマネジメントの本だという。みなみは、その本を頼りに、野球部を立て直そうと動き出す。

はてな界隈では色眼鏡で見られることの多い『もしドラ』。実際に読んでみたのだが、一部の人が言うような悪文だとは私には思えず、平易な文章で書かれたすらすら読めるスポーツ青春ものだった。

野球に屈折した感情を持ちながら入院した親友の代わりに野球部マネージャーを引き受けるみなみ、チームのエースのくせに練習をまじめにせず監督への不信感を隠そうとしないピッチャー、キャプテン役を重荷に感じている野球部キャプテン、足の速さだけが取り柄で陸上部に移った方がいいのではないかと悩むレギュラー選手、中学までスポーツとは無縁だったのに将来のキャリアのためには運動部に入るのがプラスになるから入部した野球のできない部員、部員に遠慮して指導力が発揮できていない東大出の監督、まじめでおとなしいのに「優等生ね」と言われると逆上する一年生の女子マネ。

登場人物もいろいろなのがそろっており、もっと個々の役が濃く描かれて場面場面が盛り上がってもいい筈だが、全体に女子マネージャー・みなみをきっかけに、野球部が活性化され試合に勝っていくという流れだけをドラッカー本からの引用を挿みながら手早く語ってしまった、というのが読後の印象。試合の様子などもっとしつこく描いてもよかったんじゃないかと思うのだが、マネジメントのツボを押さえた取り組みが功を奏して勝ちました、それだけがすらっとわかるのがちょうどいい、という読者もいそうだ。おはなしの流れでドラッカーのさわりが読めるのがいいところ、なのだろう。

弱小チームがあるきっかけから目覚め、協力して勝利を得るという、スポーツ青春ものにはおなじみのおはなしを、ドラッカーというトッピングをのせて出してきたというかんじで、この小説の根本にあった、高校野球の女子マネージャーとドラッカーの『マネジメント』というミスマッチ、というか女の子のかわいらしい勘違いが、周りの人たちの気持ちと努力によって、ひょうたんからこまというか、タルトタタンというか、なぜかなぜかいい結果につながっていく、そういうおかしさをもっと効かして、コメディタッチのちょっといい話にしてもよかったんじゃないか、そんな風にも思ったな。

この本を原案として、映画やドラマを作れば、脚本化の段階でそういう色を出せるかもしれないし、また登場人物それぞれの個性を活かした場面も作れるかもしれない。

(既に映画やアニメになっているそうだが未見)

岩崎夏海高校野球がほんとうに好きなんだ。それだけは伝わってきたな。小説よりマンガ原作のほうが向いているんじゃないかという気もした。

はてな界隈ではハックルさんというリングネームが浸透しており、そのせいでわけわからないことになりがちだが、当人があのファイトスタイルを変えない限りどうにもならないだろう。


タルトタタンって最初何のことかわからず、四国中のあちこちに看板がある「一六タルト」と何か関係あるのかと一瞬思ったが、そうではなかった。


タルト・タタン - Wikipedia より。

言い伝えによると、タルト・タタンを最初に作ったのは、ラモット=ボーヴロン(現在のロワール=エ=シェール県にある町)にあるホテル『タタン』においてであった。ホテルを経営していたのは、ステファニーとカロリーヌのタタン姉妹であった。有力な説によると、タルト・タタンを作ったのは、調理のほとんどを担当していたステファニーで、彼女はある日余分な仕事をした。彼女は、伝統的なアップルパイを作り始めたが、リンゴをバターと砂糖で炒めていたところ、長く炒めすぎてしまった。焦げるような匂いがしてきたので、ステファニーは失敗を何とか取り返そうと、リンゴの入ったフライパンの上にタルト生地をのせ、そのままフライパンごとオーブンへ入れた。焼けた頃にフライパンを出してひっくり返してみると、ホテルの客に出しても良いようなデザートができあがっていた。他に、「タルト・タタン協会」によると異説があり、ステファニーが砂糖で焦がしたリンゴタルトを間違ってひっくり返してしまったという。どちらにしろ、ステファニーはオーブンから温かいままかつてない一品を客に出し、新たな伝統菓子が誕生したのである。


ところで、nesskoさんの日記は2011年11月に書かれている。『もしドラ』がベストセラーになったのはその前年、2010年だったと記憶するが、岩崎夏海は2011年秋当時、ネットで「騒動」を起こしていたらしい。それもネット検索で今しがた知った。


はてな民だけではなくTwitterユーザーの間でもブレイクしたハックルさんこと岩崎夏海氏 - Togetter より。


https://twitter.com/thayamizu/status/125919824395247616

ハックル氏の言い分を要約すると、「てめぇの会社のブログサービス使って書いた本がベストセラーになったんだから、俺をもっと取り上げろやコラ」ってことでおk?


https://twitter.com/twit_shirokuma/status/126151502137016320

@Shingi あれは、はてなに対する執着ですね。ただ、「僕がこんなに愛しているはてなは、僕が期待するほどに愛してくれない」という感じが、特有の味わいを呈しているように見えます。


https://twitter.com/gentledog/status/126202712630108161

以前は得体の知れない自意識の化物のような存在だったハックルが、ベストセラー作家という実態を得てしまったがためにかつての凄みを失ってしまったように感じる。そしてベストセラー作家の今よりも、チンピラブロガー時代の方が、注目度が高かったとかはてな村の価値観マジで狂ってる。


https://twitter.com/rerasiu/status/126521903606276096

ついにハックル先生がハックル先生という呼び名を知らなかったような方の目にもとまりはじめている ミリオンセラー作家の心の闇は深い……


同じはてな民だけど全然知らなかった……

岩崎夏海が「はてなダイアリー」やってたのも、『もしドラ』のあとがきに明記されているのを見て初めて知ったくらいだし、岩崎を全然プッシュしなかった(?)「はてな」に岩崎がキレたらしい件など、絶好のヲチ対象だったに違いないが、当時の私のヲチはもっぱら「小沢信者」たちに向けられていた。岩崎の日記がもはやプライベートモードになっていて目にすることができないのは残念だ(笑)

唯一確認できたのは、2010年2月に採取されたと思われる下記画像だった*2

http://getnews.jp/img/archives/aureliano.jpg

*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130301/1362095663#c1362103477

*2:「最新エントリ」のタイトルが「上村愛子はなぜ勝てなかったのか?」となっていることから、この画像は城内実が熱狂的にキム・ヨナを応援していた2010年のバンクーバー冬季五輪開催当時のものと推測される。

有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』を読む

もしドラ』を読んだ前々日から前日にかけて下記の本を読んだ。


児玉誉士夫 巨魁の昭和史 (文春新書)

児玉誉士夫 巨魁の昭和史 (文春新書)


この本については、著者の有馬哲夫氏による自著紹介がとてもよく腑に落ちるので、以下全文を引用する。


http://hon.bunshun.jp/articles/-/1424

 NHKのテレビ番組『その時歴史が動いた』によれば、白洲次郎は「マッカーサーを叱った男」だという。最近の『負けて、勝つ――戦後を創った男・吉田茂』では、吉田茂は「マッカーサーと対等に渡りあった男」だそうだ。

 筆者はこの10数年間、アメリカの公文書館や大統領図書館に通いつめて占領軍文書など第1次資料を読んできたが、そこから浮かびあがる彼らの姿は、NHKの番組が作り上げたものとは全く異なっている。

 白洲は興味深い人物ではあるが、基本的にメッセンジャーボーイだった。吉田は日本人に対してはワンマンぶりを発揮するが、政権を永らえさせるために、チャールズ・ウィロビー(マッカーサーですらない)にひたすら媚を売っていた。

 占領軍やアメリカに逆らったヒーローがどうしても欲しいというなら、なぜ児玉誉士夫を取り上げないのだろうか。NHK的にいうなら、彼は「占領軍を手玉にとった男」であり「CIAと渡りあった男」だった。

 拙著『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』で筆者がしたかったことは、そういった彼の姿を浮かびあがらせることだ。ただし、脚色や潤色を交えて歴史を歪めるのではなく、公開資料に基づき、検証を重ね、できるだけ主観を交えずにわかっていることのありのままを示そうと努めた。歴史的事実は、作り話よりも複雑だが、はるかに劇的で面白い。

 もう1つしたかったのは、児玉を日本の政治史の中に正当に位置づけることだ。アメリカ側に残る膨大な第1次資料は、それができるというより、そうすべきだということを示している。

 戦後の日本で、政治上の大きな出来事が起こると、CIAがそれについての報告書や記録を作成するのだが、そこに彼の名前が頻繁に登場してくる。

 児玉は、筆者いうところの「政治プロデューサー」だったからだ。つまり、政治家や政党に資金や便宜を与え、さまざまな人物や組織と結びつけることで、日本の政治を一定の方向に動かそうとする人間のことだ。フィクサーと違うのは、総合的で長期的視野を持っていることだ。

 児玉と同じカテゴリーに入る人間としては、総理大臣を辞めたあとの岸信介が挙げられる。組織としては、アメリカのCIAおよび国務省がそれにあたる。だから児玉や岸はCIAや国務省と関わることになったのだ。

 児玉は、岸などとともに「CIAのエージェントだった」とよくいわれる。彼らが「CIAの工作に協力して日本を売った」という意味なら、これは歴史的事実に反している。

 本当のところは、児玉とCIAは、目的が同じ場合は、相手を利用しあったということだ。だが、彼らは互いに自分たちの最終目的が相手とは違っていることを意識していた。

 児玉とCIAは、日本を共産主義に対する防波堤にする、再軍備させ、軍備を強化する、というところまでは共通点が多かった。だが、児玉の最終目的が日本を独立国とし、アジアの盟主として復活させることだったのに対し、アメリカの目的は、日本を自らに従属させ、対抗勢力にならないようにすることだった。

 戦後史上最大のスキャンダルであるロッキード事件の背景にあったものは、このような日本の戦後政治をめぐる日本側の「政治プロデューサー」とアメリカ側のそれの間の暗闘だった。だが、巷間いわれてきたこととは違って、この事件はCIAが仕組んだものではなく、ましてやCIAが直接手を下したものでもなかった。歴史的事実は、いつも見かけより複雑で、意外性に満ちている。

 歴史を知る意味は、現在をよく知ることにある。現在をよく知らないものに、未来は見えてこない。

 日本が現在置かれている現実をよりよく知るために拙著が役に立てば幸いだ。


私はこの本を読みながらずっと思い浮かべていたのは、あの孫崎享トンデモ本『戦後史の正体』だった。反米の自主独立を「正義」、対米追従(隷属)を「悪」と明快に二分する「孫崎史観」に基づけば、児玉誉士夫こそ、岸信介をはるかに上回る、「マガジン9条」の愛読者や「小沢信者」たちを含む一部リベラル・左派諸賢にとって最大級の英雄であってしかるべきだ。本書を読んでいる間中、ずっとそう思っていた。

本書によると、児玉誉士夫岸信介のファンであり、岸に一目置いていたものの、児玉が実際に担いだのは鳩山一郎であり、河野一郎だった。なぜなら児玉は岸をコントロールできなかったからだ。児玉はCIAを資金源としていたが、岸にもまた資金源があり、それは児玉と同じくCIAだった。

だからといって児玉や岸を「CIAのエージェント」として「対米隷従派」とみなして「反米・自主独立」の観点から批判するのは著者も指摘する通り間違っている。別に何も孫崎享が言い出したわけでも何でもなく、日本の右翼の思想信条は伝統的に「自主独立」だったのである。それは「自主憲法制定」が自民党の党是であることからも明らかだ*1

ただ、児玉誉士夫もCIAを手玉に取るつもりが、最後には相手の掌中に落ちてしまったことも、著者は指摘している。

ところで、ロッキード事件について著者が孫崎享田原総一朗が主張するような「アメリカの陰謀」論に立たないことは引用文に書かれている通りだが、それは何も捜査が公正中立であったことを意味しない。時の総理大臣・三木武夫による政敵・田中角栄追い落としの意向が捜査に反映されたことは明らかだし、中曽根康弘アメリカに事件を "momikesu" ことを要求し、現に自らの嫌疑を逃れた。これに関して、単に児玉誉士夫の口が堅かったことのみに原因を求めるのは、あまりにもナイーブな見方であろう。著書は中曽根が嫌疑を逃れたことを、よく言われる「国策捜査」(権力が意図的に特定の人物を罪に問おうとすること)と対比すべき「逆国策捜査」(権力が意図的に特定の人物を罪に問うまいとすること)という言葉を用いて表現している。中曽根が三木武夫と組んで自民党主流派にいて、法務大臣は中曽根派の稲葉修だったことなどは誰でも知っているが、衆議院予算委員会委員長として証人喚問を取り仕切った荒船清十郎が「コーチャン証言はデタラメだった」と放言していたことは本書を読んで初めて知った。当時荒船は竹下景子を「息子の嫁にしたい」と言ったりして大衆ウケを狙うことで知られた政治屋だった。

私は昔から中曽根康弘が大嫌いなので、「逆国策捜査」のくだりではその嫌悪感が思いっきり刺戟されてしまった。しかし、中曽根の目の黒いうちにロッキード事件の全容が明らかにされる可能性は残念ながら全くない。

なお、上記の自著紹介の文章からも明らかなように、著者は基本的には「自主独立」を指向する「保守」の立場に立つと推測されるが、著者と同じような立場に立っているはずなのに立論がめちゃくちゃな孫崎享の『戦後史の正体』に感じ入ってしまったとおぼしき「小沢信者」系の「リベラル・左派」諸賢には是非とも一読をおすすめしたい。

*1:この点で、孫崎享に「岸信介は実は『自主独立派』だった」と言われて、「目からうろこが落ちた」などと感激している小沢信者系「リベラル・左派」諸賢たちの底知れない優秀さには恐れ入るばかりだ。