kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「『脱原発』実現しつつある日本」(小熊英二=朝日新聞掲載)

今朝(10/31)の朝日新聞オピニオン面に「『脱原発』実現しつつある日本」と題した小熊英二の文章が載っている。以下冒頭部分を引用する。

 福島第一原発事故後に、もっとも劇的に脱原発した国はどこか。そう質問すると、多くの人が「ドイツ」と答える。しかしドイツは、政府が脱原発を宣言したが、実際には多くの原発を動かしている。
 では、政府は宣言していないが、実質的に脱原発した国はどこか。いうまでもなく日本である。いま日本では、一基の原発も動いていない。
 ではこの状況を作ったのは誰か。政治家がリーダーシップをとったのか。賢明な官僚が立案したのか。財界やマスコミの誘導か。アメリカの「外圧」か。いずれでもない。答えはただ一つ、「原発反対の民意が強いから」だ。それ以外に何かあるというなら、ぜひ挙げてみてほしい。

朝日新聞 2013年10月31日付「オピニオン面」掲載「あすを探る - 思想・歴史」小熊英二「『脱原発』実現しつつある日本」より)

そこまで楽観的に言い切ってしまって良いのかと危惧もするけれど、大飯原発4号機が停止した9月16日以降、原発稼働ゼロが1か月半続いていることが、ともすれば忘れられがちになっているのは事実だろう。

ところで、このコラムを当ダイアリーに取り上げようという気が起きたのは、下記の部分にウケたからだ。

 昨年来の選挙結果は何か、と思う人々がいる。即席で脱原発を唱えた政党が信用されなかったのは、むしろ健全というべきだ。自民党比例区得票数は大敗した2009年の数を回復しておらず、09年の民主党の約6割である。自民党は棄権の多さと野党の分裂で、少ない得票で漁夫の利を得たにすぎず、基盤強固とは言えない。しかも自民党の得票の7割は脱原発支持者のものだ。(小熊英二著『原発を止める人々』参照)
(前掲記事より)

即席で脱原発を唱えた、というと、「小」と「一郎」のつく政治家がすぐ連想されるが、そんな輩が信用されないのは当然だろう。

原発再稼働に躍起になる安倍晋三をはじめとする原発推進派の「火力発電の燃料輸入増が国富を損ねている」という説には、こう反論する。

(前略)近年の貿易赤字は、火力発電燃料の輸入増の影響というより、スマートフォンの輸入急増に象徴される、日本の貿易構造と世界経済に占める位置の変化によるものだ。市場規制と補助金に依存した重厚長大産業である原発は、震災以前から斜陽産業で、廃炉促進に転換した方が優秀な人材も産業も育つだろう。一部業界の利権と、思考停止の惰性のほかに、将来も原発を維持する理由があるというなら、これもぜひ説明してもらいたい。
(前掲記事より)

いちいちお説ごもっともではあるが、どうしても気になることが一つある。それは、現在の「脱原発」には、浜岡原発停止によって作られた流れが「惰性」で続いている面が多々あるということだ。経産省海江田万里は、浜岡原発スケープゴートにして、他の原発の再稼働をもくろんだが、九電の玄海原発再稼働を阻止された。原発再稼働のバリアが高くなったのはこの時からであり、この点だけは、首相在任中功績が極めて少なかった菅直人の数少ない功績に数え入れて良いだろう。

しかし、強引に事を進めて悪しき「既成事実」を作ることを得意とする安倍晋三が総理大臣に返り咲いていることを、間違っても甘く見てはならない。2006年に安倍が改悪した「教育基本法」は今もそのままである。現在では「秘密保護法案」の強行突破を図っている安倍だが、今後原発に関しても再稼働をどんどん推進して、それによって作られた「既成事実」を国民は再び黙認してしまうのではないか。その懸念から私はどうしても離れられない。