kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』と丸山眞男

庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』はかつて若者の必読書的位置づけをされていた本だったというが、小説のタイトルや、細君の中村紘子があまり好きなピアニストではなかったことや、何より後述するこの小説について一般的に流布していたイメージを理由に敬遠していた。しかし、先日、図書館でリバイバルされた新潮文庫版を見つけたので借りて読んでみた。最近の文庫本は字が大きいので、老眼がかなり進んできた目には負担が少なく、読書のインセンティブになるのだ。


赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)


結論から言えば、読んで大正解。

とはいえ、苅部直がつけた解説がなかったら、誤読したまま「なんだ、こんな小説か」で終わらせてしまうところだった。苅部直の解説によって、庄司薫丸山眞男ゼミで学んだ丸山門下生、つまりバリバリのリベラリストであったことを知り、庄司薫丸山眞男の関係についてネット検索で知識を得るにつれ、苅部が解説文の冒頭に書いた下記の文章の意味をようやく理解するとともに、この小説に込めた作者の仕掛けがわかったのだった。以下苅部直の解説の冒頭部分を引用する。

 これは戦いの小説である。あえてもっと言えば、知性のための戦いの。
 そう言い切ってしまうと、ほかのさまざまな魅力をそぎ落とすことになるかもしれない。だが、「赤頭巾ちゃん気をつけて」というやわらかな表題と、一見(あくまでも「一見」)聞き手に甘えるかのような話し言葉風(ここも「風」をゴシック体にしたいところ)の語りの奥に見えるものをとりだすと、そんな具合に呼べるだろう。(本書192頁)


これは、かつてこの小説について流布していたイメージとは全く異なる評言だ。この小説について一般的に持たれているイメージは、同じ苅部直の解説から引用すると、下記のようなものだ。

(前略)ある文学事典の庄司薫の項目にはこうある。「やわらかな青春の心情を饒舌体の文体に定着させたその新鮮な感覚」。やわらかさ、みずみずしさ、純粋さ、童貞さ(?)……もちろん、たとえば小説の冒頭近くにある、主人公「薫」と由美とのテニスコートでのぎこちない態度や、年上の女医との挿話は、甘ずっぱい郷愁のようなものを感じさせる。「ゲバ棒」をふるう全共闘の学生たちに違和感を抱く、傷つきやすい「やさしさ」の世代のバイブルのように読まれたのも、まるでまちがいというわけではない。(同194頁)


そう、今ではもう誰も覚えていないかもしれないが、全共闘世代より少し下の、70年代の若者は「『やさしさ』の世代」と呼ばれたものだ。苅部直は、そう呼ばれた世代に属する、1965年生まれの政治学者である。ここでいう「やさしさ」とは、全共闘世代の「怒れる」若者と対比されて、現状肯定的・保守的というニュアンスで批判的に用いられることがしばしばあった。それが私が庄司薫を長年敬遠する理由の一つになった。

しかし、小説の内容は世評とは全く違った。途中まで全共闘に対するシンパだった主人公・庄司薫は、物語の終盤において劇的な変貌を遂げるのである。以下苅部直の解説より。

 第八章、同級生「小林」が「薫」の部屋を訪れ、長々と話をするあたりから、小説の前半にあったほのぼのとした空気は、俄然として怒りの様相へと転化する。「小林」が語る、ひたすら「感性」の解放のみを賞揚して「知性」を嘲笑するような「狂気の時代」。そうした、暴力と性欲の解放が幅をきかせ、人々が競うようにそれを追い求める現代の姿に、第九章で「薫」が見せる怒りはすさまじい。(同195-196頁)


この少しあとに書かれた部分が、苅部直の解説の核心部分である。以下引用する。

 ここで「薫」がひたすら守ろうとしているのは、「ぼくの知性を、どこまでも自分だけで自由にしなやかに素直に育てていきたい」(第七章)と語る、知性にむけた願いである。そうした知性を守り育てることによってこそ、人は本当の意味で「自由」になり、作者がエッセイで述べた言葉で言えば「他者を肯定し他者を愛するということの恐るべきむずかしさ」(「'70年代に何が起こるか」、『バクの飼主めざして』所収)をひきうけることができる。自由と他者への愛とを両立させるための最小限の倫理を、しなやかな知性によって確保すること、第三章に登場する「すごい思想史の講義をしている教授」のモデルになった、政治学者、丸山眞男の姿を想起してもいいだろう。(同197頁)


ここで初めて丸山眞男の名前が出てくる。これをきっかけに、庄司薫こと福田章二が丸山眞男の門下生だったことを知り、苅部直丸山眞男に関する著書を上梓した東大法学部教授であることを知った。福田章二が東大教養学部から同法学部に転じた人であるのに似て、苅部直もまた、東大文科三類(文学部に進学するコース)に入学して法学部に進んだ人だ。

これらを知ったあと、小説を読み始めた頃に抱いた疑問が解決した。文庫本のカバーには著者の来歴が記されているが、著者は1937年生まれであり、主人公の庄司薫よりは10歳以上年上だ。もしかしたら著者の目線と主人公の目線とは違うんじゃないかとは最初から思っていた。そして、気づかずに読み飛ばしていたのだが、「翌日読んでもらいたいささやかなあとがき」に、作者が「ネタバレ」ともいえる言葉を書き込んでいたことにも気づいた。それは、

それにさらに白状しちゃうと、なんだかぼくってのは、実は兄貴の書いた小説の主人公かなんかじゃないかって気もするほどなんだ(だって、日比谷の名簿を見ても庄司薫なんて見つからないのだから)。(本書183頁)

という部分だ。

そう、主人公の名前と著者のペンネームが同じであることから、主人公の目線と著者の目線は同じであると思ってしまいがちだ。しかし、それは著者のフェイクであって、著者・福田章二の目線は、作中人物・庄司薫の兄の目線なのである。それは、上記苅部直の解説にも言及された、丸山眞男をモデルとする「すごい思想史の講義をしている教授」が、作中人物・庄司薫の兄の指導教官であることから導かれる推測だ。このことに気づかせてくれたのが下記ブログ記事だった。


長いが面白いので、以下に全文を引用する。

僕の中に赤い血が流れているせいか、子どものころは60年代の学生運動というものに(なにせ子どものころなのでこういう雑なくくり方)に漠然と好感と憧れを抱いていた。現在、とりわけ全共闘世代に関してどういう感情を持っているかは前に書いた小熊英二の『1968』の感想を参照してほしい。

全共闘世代へのかすかな共感が完全に消えたのは丸山眞男の『自己内対話』に書かれている有名なエピソードを知ったときだった。
丸山は当時、権威の象徴として吊るし上げの対象となっていた。確かに東大法学部教授にして日本の政治学の泰斗とあれば学生としてはそのような感情にかられるのかもしれない。しかし丸山に対する学生の攻撃はかなり異様なものであった。

「そろそろなぐっちゃおうか」「ヘン、ベートーヴェンなんかききながら学問をしやがって!」
これは『自己内対話』に丸山が書き記した吊るし上げの光景である。もちろんこれは丸山側からの見方であるので、学生側からすれば言い分もあるだろう。しかし、僕はこの光景に決定的なものが映っているように思えた。
それが「意地の悪さ」である。この丸山への吊るし上げは、思想上の問題でも権威への反抗でもなく、単なるルサンチマンに基づく「祭り」であったのではないか。

庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を初めて読んだとき、僕の感想は「薫クンいい子だな〜。由美ちゃんかわええのう」というようなものだった(ほんとはもうちょっと真面目に読んだけれど、それでもこれと大差ない感想だった)。
高田里惠子の『グロテスクな教養』によれば、この作品はエリートによるパターナリズムの肯定という思想が見え隠れしている。

東大入試が中止になった年の日比谷高校三年の薫クンは、足の爪をはがしてうまく動けない状態からなんやかんやあってある少女と出会い、彼女の存在によって「男」になる決意をする。
傷ついたエリートがいたいけな少女を守るために「男」となる(つまり社会を担う側に回る決断をする)のである。責任ある「大人」へと、あるいはノブレス・オブリージュへと目覚めていく「教養小説」ともとれるし、言葉を変えれば度し難いほどの時代錯誤の反動ととることも可能かもしれない。

ご存知の通り『赤頭巾ちゃん』はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の、もう少し正確にいうなら野崎孝訳の『ライ麦畑』から強い影響を受けている。
ライ麦畑』は実は結構やっかいといえばやっかいな作品で、その一つに「語り手」の問題がある。

素直に読めば、おそらくは精神病院かそれに類する施設にいるホールデン・コールフィールド君が自分自身を語った物語となるのだが、これで決定とはいかない。
ホールデンにはハリウッドにいるDBという兄がいる。この物語はホールデンが聞かせたものをDBが書き記している可能性があるし、あるいは精神の危機に瀕している弟の心の中にDBが入り込んで紡いでいる、つまりDBの創作であるという解釈も不可能ではない。
『赤頭巾ちゃん』もこれをふまえて、薫クンは最後に自分が「実は兄の書いた小説の主人公なんかじゃないかって気もするほどなんだ」とまでしている。

先にあげた高田の『赤頭巾ちゃん』評は的を射てると思うし、僕も同意する。
この解釈を知ったあとに「薫クン四部作」を読み返してみたのだが、それでも僕は薫クンを嫌いになることができなかった。

ライ麦』は思春期特有の潔癖症ゆえの社会の「インチキ」への嫌悪をリアルに描いたともとれるが、金持ち坊ちゃんのわがまま放題の物語でもある。
薫クンの家はお手伝いさんなんかが普通にいちゃったりする金持ちだし、お兄さんたちは東大出身で、本人も周りから東大に行くのが当たり前と見られている。
こう考えるとブルジョワどもの下らないたわごとのようにも思えるし、事実その要素はかなりある。しかしそれだけではあれほど広く心を捉えることはできなかったであろう。

もちろんここにパターナリズムの臭いは大いに漂っている。だが、ここでポイントとなるのは作者を疑われる人物が「父」ではなく「兄」だということだ。これがパターナリズム(父親的温情主義!)の臭いを薄めている。またこの微妙な距離感によってある程度の客観化をはたしつつも、同時にわざとらしくない形でのシンパシーの表明に成功している。
少々まわりくどい言い方になってしまったが、DBにしろ薫クンの「下の兄貴」にしろ、(現実の存在としてであれ象徴的存在としてであれ)「弟」へのシンパシーに溢れていることは否定できないであろう。もしかすると、このシンパシーは少々的外れなものなのかもしれない。彼らは「弟」を買いかぶっているだけなのかもしれない。でも一つ言えるのは、ここには「意地の悪さ」というものがないのである。このために高慢に見下ろす鼻持ちならなさというものを逃れられているように思える。僕が「薫クン四部作」に対して否定的な感情を抱かないのはこれが大きいのだろう。

鮮烈なデビューを飾りながら長らく沈黙していた福田章二が庄司薫として舞い戻ってきた理由はなんであろうか。
一つには東大入試の中止という出来事が作家としてのインスピレーションを刺激したということがあるのかもしれない。
しかしより現実的な理由もあった。それが「丸山眞男を救いたい」ということだったのではないか。
庄司薫は東大で丸山の教え子であり、単なる教師と生徒を越えての精神的な師弟関係にあったようでもある。
『赤頭巾ちゃん』には丸山をモデルにしたおしゃべり好きの教授が登場する。「下の兄貴」と一緒にいる時にその教授とばったり会い、薫クンはすっかりマイってしまう。

たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、といったことを漠然と感じたり考えたりしていたのだけれど、その夜ぼくたちを(というよりもちろん兄貴を)相手に、「ほんとうにこうやってダベっているのは楽しいですね。」なんて言っていつまでも楽しそうに話続けられるその素晴らしい先生を見ながら、ぼくは(すごく生意気みたいだが)ぼくのその考え方が正しいのだということを、なんというかそれこそ目の前が明るくなるような思いで感じとったのだった。(文庫版pp.37−38*1


今読めば「素敵な先生だったのですね」というだけかもしれないが、庄司がこれを書いていた頃、丸山は「なぐっちゃおうか」などと学生から吊るし上げをくらっていたのである。
庄司にとって大きなテーマに、人間は生きていく中で「他者との比較・競争」をせずにはいられず、そこには「優勝劣敗」が生じ、必ず誰かが誰かを傷つけ、人間として大切ななにかを「喪失」していってしまうというものがある。ここから一度「総退却」するのだが、この部分を保留し、「封印」を破って舞戻ってくる。
一見理想主義的な言葉を弄ぶ全共闘が、極めて「意地の悪い」ことを自分の尊敬する恩師にしていることへの戸惑いや危惧がそうさせたのかもしれない。

丸山はそのエリート主義的発想や西欧中心主義が当時から批判されてきた。そのような批判を承知したうえで、あえてそのように振舞ってでも日本に近代を導入しなければならないという使命感のようなものがあったのかもしれない。
そしてその弟子たる福田章二は庄司薫となって、破棄されようとしているエリートの役割をもう一度浮かびあがらせようとしたのかもしれない。福田/庄司にとって、ここでのエリートの役割とは「みんなを幸福にするためにはどうすればいいか」という問題に精一杯取り組むことなのである。

丸山眞男 を救いたい」というのはもちろん赤木智弘の「「丸山眞男」をひっぱたきたい」のもじりである。
赤木のこの文章を初めて読んだ時、僕はひどく嫌な気持ちになったことを覚えている。
当時赤木に対しては、主に左側から様々な批判が寄せられた。
「希望は戦争」などという言葉をレトリックにしても軽々しく使うことについて。また目の前の「弱者」を無視する左翼は既得権益の保護者という図式に「敵を間違えるな。それこそが権力者の思うツボ」というようなもの。あるいは「戦争によって社会は流動化する」ということが事実に反するという反論などがあった(陸軍の実態や赤木への反論については、やはり高田里惠子の『学歴・階級・軍隊』が面白い)。

これらの批判はピント外れのものもあればしごくまっとうなものもあった。しかし僕が嫌な気分になったのはそこではない。
赤木は丸山の軍隊体験に触れ、戦争という流動化が起これば中学にも進んでいないような一等兵が丸山のようなエリートを「イジめる」ことができることを象徴的に取り上げている。

丸山は60年代後半の運動家から毛嫌いされると同時に、丸山も彼らを嫌悪した。
「悪名高き」発言として、研究室を荒らされたことに対して「ナチスでもこんな蛮行はしなかった」というものがある。確かに学生たちの行動は最早単なる愉快犯の域に達しており、丸山としてはとても容認できるものではなかったのだろうが、それだけが嫌悪の理由ではない。

しばし指摘されるように、丸山の目にはある光景が蘇っていた。丸山は東大の助手時代に、講義に招いた津田左右吉が右翼から吊るし上げをくらった現場に居合わせた。丸山の目には60年代後半の学生の雰囲気が戦中のそれとダブって見えていたのであった。丸山は資料を守るために研究室に泊り込みを続けたことなどもあって体調を崩し、間もなく退官すると以後大学に戻ることはなかった。もちろん単に体調の問題だけでなく、あのような状態に陥る可能性を持つ学生と付き合っていくことに嫌気が差したということも大きかったのだろう。

赤木も触れているように、エリートであった丸山があのような体験を強いられたのは「思想犯」としての過去のための懲罰的なものであった。
苅部直の本を参照しているということは、赤木はこのような丸山の戦中体験を知っていたということであろう。それでもなお、あのような形で丸山の体験をレトリックに利用してしまうこと、これは僕にとっては極めて「意地が悪い」と映った。赤木のいわんとすることは理解できるし、それどころかある部分においては自分と近いとすら思えた。だからこそ、より一層あのようなルサンチマンを煽ることを目的とするような言説には耐えることができなかった。
このような「意地の悪さ」というのは、赤木の仮想敵ともいえる団塊の世代が丸山にしでかしたのと同じではないのか。この「嫌な気分」は、もしかすると庄司薫が60年代末に感じていたものと近いのかもしれないと思えてしまった。


……で、なぜ今になってこんなのを書いているのかというと、昔書こうとしたまま途中でほっぽいておいたのを、前回丸山眞男に触れたことで思い出して引っ張り出してみたからでなのでした。特に何があったということではないのですが、無理矢理に仕上げたので一応あげておこうということでありました。

ところで今、庄司薫と薫クンはどこでなにやってるんでしょう。


丸山眞男は、全共闘の学生たちに「君たちのような暴挙はナチスも日本の軍国主義もやらなかった。わたしは君たちを憎みはしない。ただ軽蔑するだけだ」という言葉を投げつけた。その丸山眞男吉本隆明が批判したことが、下記ブログ記事に書かれている。


余談だが、上記ブログ記事のブログ主とはかつてネット上でやり取りがあったが、上記『PledgeCrewの日記』、じゃなかった『遠方からの手紙(別館)』は、2010年4月を最後に、突如更新が途絶えてしまった。

他に今回のネット検索で面白いと思ったのが下記ブログ記事。


ここまでで引用だけでもずいぶん記事が長くなってしまったので、申し訳ないけれども上記ブログ記事からは抜粋して引用する。以下は本記事の論旨に沿った部分のみの引用なので、ブログ記事の核心部分をあえて割愛することになってしまうと思うが、ご容赦願いたい。

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は1969年8月に刊行された。安田講堂事件で入試が中止になった年の大学受験生を主人公にしており、明白に全共闘運動を意識して書かれたものである。著者の庄司氏は東大法学部の丸山真男門下生らしいが、刊行当時これを読んだときはそんなことはまったく知らなかった。わたくしが当時ぞっこん入れ込んでいた福田恆存の思想を巧みに小説化したものだと思ったのだから、まったく見当違いの読み方をしていたのかもしれない。この小説は確か芥川賞をとったと記憶しているが、もっとも強力にこれを推挽したのは三島由紀夫だったと思う。三島の全共闘への姿勢を考えると大変興味深いものがある。

 全共闘運動を意識したと上に書いたが、正確にいえば意識したではなく批判したである。あるいは丸山真男的なものの擁護を意図した本である。そして全共闘なものの対極におかれるのが日比谷高校なのである。

 「赤頭巾ちゃん・・・」は文明擁護の本であり、知性擁護の本なのである。薫くんによれば、全共闘運動とは一種のラッタイド運動*2、ただ壊すだけの破壊の運動なのであり、知性否定の運動なのだから。


また、吹き出してしまったブログ記事として下記がある。ブログ主はいわゆる「ネトウヨ」なのだろうか。書き出しは「きっこ」風でもある*3。但し、ブログ内検索で「小沢」を検索語にして検索しても何も引っかからなかったから、「小沢信者」ではなさそうだ。

昨日はナントカしか引かない夏風邪をひいて死にかけてた小生ですが皆様いかがお過ごしでしょうか?
いやあ、一人暮らしで風邪なんか引くもんじゃないですね、ホント。

さて、小生のゼミで来週赤頭巾ちゃん気をつけてなる本を取り扱うことになりました。
一応芥川賞作品のようですが、内容としては甘ったれたインテリ気取りの生意気な小僧が愚痴と自慢を延々と続ける話です。
発表された当初は作風がライ麦畑で捕まえてに類似していることで話題になったとかなんとか。
小生の感覚としては確かにライ麦畑で捕まえてにも似ていますが、西尾維新戯言シリーズを数段階ダメにした感じかなあというところです。

この作品は東大志望なものの学生運動の影響で東大入試が中止になって主人公がどうたらこうたらといった話なのですが、主人公は周りからは「鼻持ちならぬ体制エリート候補」と見られているようです。
が、にも関わらず主人公がこう語るシーンがあります。

ぼくは実はゲバラの大ファンで、毛沢東のすごさにはもうお手あげで「ワンソイ・マオジューシ」って感じもあるし、ホーチミンにはやや「ザ・タイガース」ファンの女の子的感慨を抱いているし、それからマルクスときたら、これはもうほとんど愛しちゃってるといっていいくらいなのだ。


うーむ、ここまで左に寄ってて何でゲバ棒振り回さなかったのやら。
んで、これを小生風に改変してみますと

小生は実はゲバラの大ファンでして、マキアヴェリのすごさにはもはやお手あげで「びっくりするほどユーロポート」って感じもありますし、ゲッベルスにはやや「オール阪神・巨人」ファンのおばさま的感慨を抱いていまして、それから石原莞爾ときたら、これはもう完璧に愛しちゃってるといっていいくらいなのです。

うん、ゲバラファンってこと以外は喧嘩しまくりそうですね。


「ワンソイ・マオジューシ」とは「万歳、主席」の意。それはわかったのだが、作中に頻出する「ケーコートー」の意味はわからなかったのでネット検索をかけて知った。

あと、『狼なんかこわくない』から引用したブログ記事経由で、庄司薫の硬骨のリベラリストぶりの片鱗を垣間見たりなどの収穫もあったが、とてもではないけれど書き切れないので先に進む。

庄司薫についてしばしば言われるのは、サリンジャーからの影響や村上春樹に与えた影響だが、これは世評通り否定しがたいものだろう。たまたまこの春に村上春樹訳の『フラニーとズーイ』を読んだものだから、三者の密接な関係はよくわかる。


フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)


とはいえ、庄司薫村上春樹に与えた影響は微妙だ。たとえば、小説の枠組だけから言えば、『赤頭巾ちゃん気をつけて』と『ノルウェイの森』の類似などもいえようかと思うが、それは形だけの類似に過ぎず、両者の作品世界はおよそかけ離れたものだ。村上春樹の『ノルウェイの森』にもマルクスの『資本論』をめぐる主人公とガールフレンド・緑とのやりとりが出てくるが、それは単なる装飾に過ぎず、小説のテーマとは何の関わりもない。『ノルウェイの森』は基本的にノンポリの小説であって、60年代の雰囲気が良く出ているとは全く思わないし、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の世界とも全く異なる。私は村上春樹の小説もたいして読んでいないので、村上作品の全体像はとてもではないが語れないのだが、後年に書かれた『ねじまき鳥クロニクル』は面白いと思ったけれども、『ノルウェイの森』は正直言ってたいした作品とは思えなかった。但し、私はイデオロギー性のない小説には価値がないなどとは全く言わない。それどころか、ソ連的な「社会主義リアリズム」は、繰り返し当ダイアリーで表明してきたように、私のもっとも忌み嫌うものの一つである。そういう話ではなく、純粋に小説として、『ノルウェイの森』はもっとも人気のある村上作品らしいけれども、あの小説だけならそんなに大した作家とは思えないと私は感じたというだけの話だ。

以下は付け足しの駄文。

日比谷は、私がまだ関西在住の高校生だった頃の冬休みに上京して、日比谷公会堂小澤征爾指揮のベートーヴェン第9交響曲を聴いたことで思い出深い地である*4。私はそういう少年だったから、「ヘン、ベートーヴェンなんかききながら学問をしやがって!」と丸山眞男に言い放ったという全共闘の学生にも、ベートーヴェンの第9を「ブルジョワの音楽」として批判だか禁止だかをしたという、小学生時代に新聞記事で読んだ中国の「文化大革命」にもおよそ共感を抱くことはできなかった*5

また、日比谷公会堂に行ったのと同じ日だったかどうかは忘れたが、有楽町の朝日*6の前を通った記憶は確実にあるし、小説の最後の核心部分で主人公が幼い女の子とともに入った銀座の旭屋書店にも入ったことがあるように思う(こちらは確実な記憶ではない)。旭屋といえば梅田に本店があった大阪の書店だが、東京に進出したのを皮切りに、全国、果ては海外にも進出した。私は梅田の本店はもちろん、渋谷店にも水道橋店*7にも香港店にもサンディエゴ店にも高松店にも入ったことがあるが、それらの店舗はすべてもう存在しない。亡父の行きつけの本屋だった梅田の本店も取り壊されて店舗はもうない。来年(2015年)旭屋の本店は梅田でリニューアルオープンするらしいが、かつてのような自社ビルではなく、大型ビルのフロアにテナントとして入居する形になるのだろう*8旭屋書店の本店ビルの敷地は既に売却されたからである。小説に出てくる銀座店は2008年4月に閉店になったという。イオン高松店の閉鎖はその2か月後の2008年6月だった。同じ頃水道橋店も閉鎖されたというから、あの阪神ファンの間で悪名高いらしい日刊スポーツの増刊号『Vやねん』*9が旭屋水道橋店の店頭に置かれることはなかった。その頃から急激に資金繰りが悪化したものでもあろうか。

最後っ屁はそれこそどうでも良い話。丸山眞男といえば私など某有名ブログを思い出すのだが、あのブログを庄司薫が書いているらしいとかいう俗説がごく一部に流布しているらしいこと*10を知って、ビックル一気飲み(死語)をしてしまった今日この頃なのだった。

*1:これは中公文庫版の頁数。新潮文庫版では35-36頁=引用者註

*2:「ラッダイト運動」のtypoであろう=引用者註

*3:ブログ記事は、「きっこ」が2005年4月にJR西日本福知山線事故を批判する記事を書いて日に数万アクセス数を集め、ブレイクした直後に書かれている。

*4:それは世間がプロ野球の「江川問題」をめぐって、プロ野球の金子コミッショナーが出した「強い要望」の暴挙に騒然としていた頃で、東京のスポーツ紙も報知新聞を除いて江川卓と読売球団と金子鋭コミッショナーに対する批判一色だったことをよく覚えている。そういえば日比谷図書館には全国の新聞が置いてあったから、その日江川や読売や金子鋭を批判する各紙の記事を読み漁ったかも知れない。

*5:その感覚は現在の「小沢信者」に対する激しい嫌悪にもつながっている。「小沢信者」とは、ネトウヨともども、「反知性主義」を絵に描いたような人たちといえるだろう。

*6:1980年に築地に移転する前の朝日新聞東京本社

*7:大阪に本店を持つ本屋らしく、敵地・後楽園球場の目と鼻の先で「阪神タイガース応援グッズ」を売っていたことに感心したのは1985年、阪神タイガースが日本一になった年だった。

*8:しかもそれさえも確かな話かどうかはわからない。

*9:2008年のペナントレースを独走していた阪神タイガースの優勝を当て込んで、フライングで発売されたものの、阪神はシーズン終盤に大失速し、読売に抜かれて優勝を逃し、実現しなかった「優勝記念号」になってしまったという。日刊スポーツは素知らぬ顔をして読売優勝記念増刊号を出したという後日譚がつくとのこと。それらの存在は、阪神も読売も応援しない私はつい最近まで知らなかった。

*10:たとえば陰謀論系にして「小沢信者」御用達の掲示板として悪名高い阿修羅の http://www.asyura2.com/13/nature5/msg/269.html の10番のコメントなど。

小渕優子、経産相を週明けに辞任か(日経)

小渕優子だが、今朝の読売や日経の一面の見出しを見ると、「週明け辞任」が一番ありそうな情勢だがどうか。小渕優子サイドから見た損得勘定から言えば誰が考えてもここは辞任の一手だろうし、安倍晋三にとっても「ま、辞任でもしゃーないか」といったところだろうから(盟友に対するように熱心に慰留するとはあまり思えない)、やはり辞任するのではないか。

下記は日経の記事。

小渕経産相、週明け辞任へ 収支問題調査報告後に :日本経済新聞

小渕経産相、週明け辞任へ 収支問題調査報告後に

 小渕優子経済産業相は18日、関連政治団体の不透明な収支を巡る問題の調査結果を週明けに報告した後、安倍晋三首相に辞表を提出する意向を固めた。すでに首相周辺には辞意を伝えており、首相は小渕氏の辞表を受け入れる方針だ。第2次安倍内閣発足後、閣僚が辞任するのは初めてで、今後の政権運営に影響を与えるのは避けられない。

 問題になっているのは小渕氏が関係する政治団体小渕優子後援会」と「自民党群馬県ふるさと振…

日本経済新聞電子版 2014/10/19 2:00)


で、その小渕に関するブログ記事にこんなのがあった。

小渕優子の危機回避パフォーマンス術 ( 国会 ) - 勝手にメディア社会論 - Yahoo!ブログ

内容は引用しない。うがった見方で面白いと思う人がいるかもしれないが。

私はむしろ単純に「やっぱり世襲政治家はダメだよなあ、親からろくなものを引き継いでない」という感想を強く持つ。いまどき政治家の後援ツアーで観劇だの東京ドームの読売戦観戦だのかよと、その時代錯誤に呆れるばかりだ。そして、その意味からも世襲政治家の頂点ともいえるであろう安倍晋三麻生太郎というのは最低最悪だよなあ、と改めて思う次第。

小渕優子とは何も考えていない政治家だった(呆)

小渕優子に関しては実像をよく伝えているのは下記の記事ではないかと思った。

政治資金問題でも露呈! 小渕優子はやっぱり何も考えていない女だった!|LITERA/リテラ

政治資金問題でも露呈! 小渕優子はやっぱり何も考えていない女だった!

 小渕優子経済産業大臣が政治資金問題を巡り、いよいよ辞任に追い込まれそうだ。この間の追及に対する小渕の対応を見ていてあらためて思うのは、結局この人は親の政治的遺産を引き継いで、周囲に流されるまま、何も考えずにやってきた人間だということだ。
 金集めや資金処理も親の代からやっていた旧態依然とした方法をそのまま引き継いだだけの他人任せで、追及に対しても自分の言葉で語るわけでもない。「知らないでは済まされないことだと思います」「今やるべきことは、政治資金に関することを調査することだと思います」。まるで他人事のように語るばかりだ。
 こうした小渕優子の主体性や自覚のなさ、もっと言えば何も考えていないということを、リテラは安倍内閣発足直後に指摘していた。ここに再録するので、一読してほしい。
(編集部)

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 女性の活用の象徴として起用された安倍内閣の女性閣僚たち。しかし、本サイトは、山谷えり子拉致問題担当相、有村治子女性活躍担当相、高市早苗総務相、そして稲田朋美政調会長の4人がむしろ女性の社会進出を阻むカルト的女性差別思想の持ち主であることを指摘し、彼女たちの過去のトンデモ発言を紹介した。

「結婚しない女は生物学的に欠陥」「母乳で育てないと発達障害になる」「性教育は結婚後に!」「神様仏様から、子供が授かった」「妾の子を差別できなくて悔しい!」「DVという言葉が独り歩きすれば、家族の崩壊」

 何度読んでも頭がくらくらする発言だが、しかし、そう考えると、同じ安倍内閣の女性閣僚でも小渕優子経済産業相あたりは4人に比べるとかなりマシかもしれない。彼女は、党内では安倍首相とは距離を置き比較的リベラルなスタンスの野田聖子元総務会長に師事し、ともに男女共同参画社会の実現に向けた施策に取り組んできた……とか思っていたら、なんと小渕センセイについてもトホホな発言を見つけてしまった。

 その発言が載っていたのは、「新潮45」(新潮社)9月号の「女たちよ、政治家をめざせ」という記事。小渕が慕うその野田と二人の子分的存在の金子恵美衆院議員との「女性の活躍」をテーマにした鼎談なのだが、議員数に一定の女性枠を儲けるクオータ制に議論が及んだとき、小渕センセイはこんなことを口走っていたのである。

「クオータ制にはあまり賛成でないというのが本音。機会の平等という観点から考えたときに、女だからという理由で下駄を履かされるのはごめんですからね」

 おいおい、「女性だからって下駄をはかされるのはごめん」って、あんた、もっとすごい「下駄」をはかせてもらってることに気がついてないのか。他の候補者は絶対持てない「元総理の娘」という看板に、これまた親から譲り受けた強固な地盤と豊富な選挙資金。政治的資質の有無についての審判なんて一切受けることなく、すんなり当選を果たしてこれたのは、その「下駄」のおかげじゃなかったのか。それを棚に上げて、「機会平等」とかどの口がいってるんだ!と思わず、読んだ方が興奮してしまうくらいの鈍感ぶりを発揮したのだ。 

 同じ二世議員の野田はさすが、その点はわかっていて、後輩の小渕をこう諌めている。

「私たちみたいな女性議員は、自分たちが実力があるだなんて驕ってはいけない。(中略)少なくとも私たち3人は実力で議員になったんじゃない。恵まれたバックグラウンドがあって議員になった。その陰で、私たちよりも優秀な女性が、境遇に恵まれていないせいで政治の世界に出てこられない現状がある。そういう人たちの才能を活かすためにもクオータ制が必要なんじゃないかな。」

 もっとも、その野田も根本的に世襲という問題を否定する気はないらしく、女性議員を増やす方策としてこんな驚愕の提案をするのだ。

「じゃあ、私たちみたいな。政治家を親や祖父に持つ女性に、とにかくまず立候補してもらうというのはどう?」

 つまり、政治家を息子でなく娘に継がせる制度をつくろう、というわけだ。これはこれで「男女平等も世襲前提かよ!」とツッコミたくなる発言だが、しかし、野田の場合は「世襲制批判があるのを承知の上で、敢えて」「女性議員を増やすのであれば、ひとまず下駄を履いた議員でもいいから政治の世界に送り込んでいかないと」とも付け加えているので、一応、いろんな問題点がわかっていてあえて挑発的に語ってみせたのだろう。

 しかし、問題なのはやはり小渕の反応だ。小渕は野田のこの挑発にも、まったく悪びれることなくこう返したのである。

「でも現実には、息子でなく娘に後を継がせるという感覚は、政治の世界にはまだまだないと思います。例えば私には6歳と4歳の息子がいますが、『よかったですね、これで跡継ぎができたね』と、よく言われる。ちょっと待って、私は娘ですが跡を継いだんですけどと思ってしまう。」

 え? そういう話? 野田は一応、世襲制という悪をあえて利用するという文脈で語っているのに、小渕はそれを素直に受け取り、自分のエピソードを淡々と語るだけなのだ。小渕にとって世襲はデフォルト。その後も、彼女の口をついて出てくるのは、夫に挨拶を変わってもらったら、「いつでも、旦那さんに議員を変わってもらえるね」といわれてイヤだったとか、そういう話ばかり。小渕はこの鼎談で自分がいかに野田聖子を尊敬し、目標としてきたかを語っているが、どう見ても、野田の政策を理解しているようには思えない。

 それは、テーマとなっている女性政策についても同様だ。女性政策が一気に進み始めた事についてこんな発言をしている。

安倍総理はそういったところをわかっていらっしゃる。だから、これだけ女性政策を進めてくださってる」「日本のリーダーが。こんなにも女性政策を提言してくれるなんて、今までなかったことですからね」

「進めてくださってる」と、女性政策がまるで男社会からのサービス、安倍首相からの施しのように平気で語ってしまう神経。ひょっとすると、この人、実は何も考えてないんじゃ……。発言を読めば読むほどそんな疑問がわいてくるのだ。

 実際、小渕優子がどういう政治スタンスでどんな政治的成果をあげてきたかを即答できる人はほとんどいないだろう。目立たず騒がず、ただ淡々とその場の流れにあわせてふるまっているだけ。その一方で気配りは一級品で、力をもっている人間、自分の味方になってくれる人間には最上の気配りを見せる、それが小渕優子の永田町評だ。実際、この鼎談でも、野田聖子を一番尊敬しているといいながら、安倍首相をほめあげ、会話の合間に「あっ、聖子先生にお酒を。」なんて気配りを全開している。

 どの組織にもいるタイプだが、しかし、案外こういう人が強いのである。思えば、彼女の父親もそうだった。何もやっていないのに、気がついたら、総理大臣……。

 ちなみにこの鼎談は第二次安倍内閣の組閣前に行われたものだが、その組閣で、小渕優子経産相という重要ポストに抜擢され、総務会長を務めていた野田聖子は外された。そして小渕優子には案の定、“ポスト安倍”という声が上がり始めている。恐るべし、小渕優子、というしかない。
(水井多賀子)


この記事で引き合いに出されている野田聖子にしても、ここのところ、あたかも「ハト派」「リベラル」の政治家であるかのように語られることが多いのに私は唖然としている。野田は確かにもともとは河本派の流れだったようだが、郵政解散・総選挙当時の2005年には大いに右傾化して、亀井静香タカ派政治家たちとつるんで勇ましい声を張り上げていた悪印象が私には強い。また、麻生内閣の消費者行政担当相だった2009年の終戦記念日には、野田は閣僚でただ一人靖国神社に参拝するという暴挙に及んだことがある。当時の共同通信の記事より。

http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009081501000223.html

野田聖子担当相が靖国参拝 麻生首相は見送る意向

 野田聖子消費者行政担当相は終戦記念日の15日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。麻生太郎首相は同日午前、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ献花したが、靖国参拝は見送る考えを明らかにしており、野田氏以外の16閣僚のうち15閣僚も参拝しない考えを表明している。中曽根弘文外相は明言を避けているが、中韓両国に配慮して見送る見通し。一方、小泉純一郎安倍晋三両元首相は同日午前、それぞれ靖国神社を参拝した。

 麻生首相は10日、靖国参拝について記者団に「最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきだ」と見送る意向を表明。民主党鳩山由紀夫代表は11日、衆院選後に首相に就任しても靖国神社を参拝せず、閣僚にも自粛を求める考えを示した。

 小泉氏の終戦記念日靖国参拝は、首相退任直前の2006年から4年連続。安倍氏は首相だった07年の終戦記念日は見送ったが、昨年から2年続けて参拝しており、この日は記者団に「御英霊に尊崇の念を供するためにお参りした」と述べた。両氏はいずれもモーニング姿で、本殿に上がり「昇殿参拝」を行った。

 野田氏は福田改造内閣の閣僚だった昨年も終戦記念日に参拝。今月11日の記者会見では「幼いころからの行事であり、閣僚であろうとなかろうと私人として参拝する」と述べた。

共同通信 2009/08/15 13:15)


そんな野田聖子が、今なぜ「ハト派」を装っているのか不思議だが、おおかた安倍晋三らとの違いを際立たせたいとかいった類の「目立ちたい」一心からくるものであろう。こんな野田の「ハト派ブリッ子」に騙されてはいけないと思うのだが、その野田聖子と比較しても、小渕優子がいかに「天然」というか、政治家にふさわしい見識を全く持っていないらしいことは、最初に引用した記事からうかがわれる。はっきり言ってここまでひどいとは思わなかった。

そりゃ安倍晋三も辞任を認めるだろうよ。小渕のイメージは地に堕ち、「原発再稼働を進めるための人気とり」としての利用価値もなくなってしまったのだから。